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『はいよ』

 相手は志乃だ。

「ケンに代わってくれ」

 側にいたらしく、すぐに返事があった。

「ミュージックプレーヤーとスピーカーを貸してくれ」

『ジャンルは?』

「静かなもの。ボーカルがないものがいい」

『すぐに持っていくよ』

 その言葉通り、健はすぐに用意をしてきた。

 ノックの音に、はじめに対応を任せる。

「何がはいっている?」

 ベッドサイドから聞いた実に、健は部屋に入ろうとせず言った。

「静かなものだろう? ユウコが使っていたオルゴールミュージックのチップをいれておいたよ」

「わかった」

「セットしようか?」

「はじめがいるからいい」

 健が、まだ何か言いたそうに口を開く。

 実が、不審そうに聞いた。

「まだ何かあるのか?」

 不思議そうにはじめと実を交互に見て、僅かに首をかしげながら健は、

「いや、どうしてかな? ……って」

と、独り言のように呟いた。

「なにが?」

「おまえがはじめさんを遠ざけないのが……。シノは追い出したのに」

 訝しげに眉を寄せて、実が見返す。

「おまえの差し金じゃなかったのか?」

「? なんのこと?」

「こいつはマモルに興味をもっているようだぞ。おまえが許可したものと思ったんだが……」

 内心はかなり驚いたものの、健はその気配すら表情に出さずにっこり笑った。

「許可は出したよ。マモルにケガをさせたことを気にしていたからね。ただ、おまえがあっさり受け入れるとは思わなかったんだ」

 そうは言ったものの、正直なところ、胸をなでおろしたのは本当だ。

 実には、健の感情を読み取ることはできないはずなのだ。

 だから一瞬、どういう目的でここに来たのかが伝わってしまったのかと思った。

 しかし、どうやらはじめの感情を経由して推理しただけだったらしい。

 それなら、実に任せたほうが、護のことを的確に説明してくれるはずだ。

 実は、だからだととため息をついた。

「おまえがそう言うのなら突き放すわけにはいかないじゃないか。……今の状態ではシノも、おまえも邪魔なんだ。わかるだろう?」

「充分にね。理解しているよ」

 ならば、早々に退散すべきだ

 健は、席を立とうとしたはじめを、目を伏せることで抑え、何事もなかったかのようにドアを閉めた。

「やはり私も邪魔だったか」

「まあな。けれど、それだけこいつのことを気にかけているのなら構わない」

「……気にかけているように……見えるのか……」

 呆れたような深いため息が洩れた。

「何度も言わせるな。見えるんじゃなく、感じるんだよ。……ケンから何か言い含められたんじゃないのか?」

 他人の感情を読み取れるというのなら、それすらもわかって当然か。

 と、思ったのは一瞬だった。

 はじめは腑に落ちないのか、目を泳がせて、すぐに実に向き直った。

「……なぁ、実さん」

「なんだ?」

「聡明な君が、なぜ健さんの言いたいことをわかってやれなかったんだ?」

「だから!」

 物わかりの悪い問いかけに苛立った実の強い返事に、はじめは手をかざすことで止めた。

「いや。言葉がわからないとか、そういう意味じゃないよ。私ですら、あの人が聞きづらそうにしていたのがわかったくらいだぞ」

 そう。

 それが不思議だったのだ。

 志乃や健には入室を禁じておいて、はじめだけを傍においたことは、健には予想外のことだったに違いない。

 なにしろ、志乃のあとを勝手についていったのははじめの独断だったからで、健にしてみれば、志乃だけがリビングにもどったことが腑に落ちないことだったろうからだ。

 実は軽く首をすくめた。

「あいつにはなにをやっても無駄だからな。努力をするだけバカらしい。……それに比べれば、マモルは難しいが読み取れないわけじゃない。まだ楽だよ」

 はじめは目を逸らし、考え込んでしまった。

 それは精神力の強さじゃないのか?

 なのに、健自身が気づいていない。

 あるいは、強さの本当の意味を履き違えているか……。

 それとも……。

 自分は弱いと言っていた健の、考えている基準自体がもっと高みにあるということだろうか。

 はじめの様子を横目で見ていた実だが、余計なことは言わずにまた目を閉じた。

 彼には、感情の変化は読み取れても、考えていることがわかるわけではないからだ。

 そして、しばらくしてから護の手が僅かに動いたとき、そちらに集中するように腰を上げて覗き込んだ。

 柔らかすぎる髪に指を漉き入れて腰をおろす。

「ここにいる。大丈夫だ」

 その声に、はじめが我に返った。

「実さん……」

「誰にも話さないと約束できるか?」

 またはじめを遮って、実が声をかぶせる。

 その目は真剣で、

「マモルにすら口外しないというなら……話してやる」

と、小声で続けた。

 当然ながら、はじめが即答する。

 実を経由するしかないが、護の本心がわからなければ、自分がどう手本になればいいのか見当がつかない。

 安易な約束をしようとしているのかどうかを確かめるために、はじめの首筋にまた実の手が触れたが、納得したのだろう。

 ずっと持ったままだったプレーヤーとスピーカーを、護の枕元の両脇にセットさせるとスイッチを入れた。

 流れてきたのは、ボリュームを絞った、穏やかなオルゴールの音だった。

「……まだ小さな頃……ユウコほどではなかったが、人見知りだった……」

「人見知り? 君が?」

「まさか。おまえが気にしているのはマモルじゃないか」

 はじめの、呆れたような大きなため息が聞こえた。

「……そこまで断言されると、嘘でも否定したくなるな」

「悪かったな」

「訂正してくれないか。君の大将に、そうなるよう仕向けられた、とな。第一、君のそのおかしなちからにも興味がないわけじゃない。……護さんのケガの責任が私にあるのは確かだからな。せめて完治するまではいるつもりだよ。そうすれば、興味を満足させる時間はつくれるだろう。……そういうことだ」

 まるで、腹の探りあいだ。

 はじめはそう思いながらも、平然と言った。

 感情が伝わっても、考えていることはわからない。

 その違いは理解できないが、すくなくとも今の実は、はじめのその言葉をそのまま受け取ったようだ。

 フッと顔を逸らし、

「大丈夫だ。オレが見えるだろう?」

と、護に囁きかけて、彼はまたはじめに向き直った。

「……直接聞いたわけじゃない。こいつは自主的に過去を喋らないからな。人見知りだったと聞いたのも、ケンからだ。……子供の頃は、大人の視線が怖かったそうだ」

「怖い? なぜだ?」

 実がまた首をすくめる。

「知らないよ」

「君は……本当に薄情だな」

 少なくとも、護が実のことを大事だというのなら、それくらいの理由を知っていてもよくはないか?

 だが、実はバカにしたように笑った。

「ケンなら知っているさ。それでいいんだよ」

「……。すまん。話が逸れたな。続けてくれ」

「ともかく、ただの人見知りだったこいつだが、自分の境遇を理解すると、生きていてはいけない存在だと思うようになったんだ」

「ああ……それは健さんから聞いた話だ」

 一瞬、目を見張ったものの、実はすぐに、

「そうか」

と呟いた。

 健が話したということは、はじめを信じたからに他ならない。

 と、なれば、実に理由は必要がなかった。

 なぜ、はじめになど護のことを伝えたのかという疑問に関心を持つことではないのだ。

「こいつのことをどこまで聞いた?」

「はて。どこまでという基準がわからないな」

「なら、同じことを話すかもしれないが、構わないか?」

「頼む」

 それから始まった話は、確かに夕べの重複ではあった。

 ただ、違っていたのは、健の口調は事実を口にしただけという印象だったが、実の場合、まるで護の心情を代弁するかのように伝わったのだ。

 存在していいはずのない命とわかっていながら、自分から死を望むこともなかったのは、すでにそのような感情すら放棄していたからだ。

 血の通った人形……。

 それが一番相応しい形容だと実は言った。

 その護が実という存在に会ったとき、どれほど救われたか……。

 存在を許されないはずの自分が生きていてもいいというのなら、自分のすべては実のためにある。

「……そう思えるようにはなったんだ」

 幼かったからこその決意は、揺るぎない想いとなっても不思議ではなかったのだろう。

 武士の本分も同じようなものだ。

 家のため、ただそれだけを叩き込まれる。

 だから、はじめにとっては何となくだが、護の決意が理解できた。

 実は、いつの間にかはじめの瞳を見つめていた。

 そこから、彼の心の中を覗くように。

 そして、呟くように言った。

「ここからが本題だ」

と。

 

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