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『シノ、オレの部屋から点滴パックを持ってきてくれ』
だいぶ経ってから、ようやく連絡が入った。
待っている間、ろくな説明もされていなかった志乃は、心配のしようがなく、雑談の大半を、はじめの額に貼ってある冷却シートの話題で繋げていたのだ。
はじめ自身、体験のないアイテムがいくらか気に入ったらしい。
実の言う薬の名を復唱してリビングを出た志乃のあとから、シートを貼ったままついていった。
まず、実の部屋から言われたものを用意してから護の部屋に入る。
彼は落ち着いていた。
まだ多少息が荒く、顔も火照っているのは、変わらず熱が高いためだろう。
実が、彼の右手を握っていた。
「これだろ?」
点滴台をベッドの傍らに置く。
健の治療の際、ある程度の医療知識を志乃は学んだ。
とは言っても、手伝い程度の知識ではあったが、小島利明と鶴野玲という現役の医者が二人も傍にいたので、学習するのに不自由はなかった。
点滴をセットしようとした彼を止めたのは実だった。
「シノ、出ていけ」
「え? 邪魔?」
「ああ」
即答だった。
つまらなそうに首をすくめて、部屋を出ていく。
仲間である彼でさえ追い出されたので、はじめもなにか言われるかと思ったのだが、実は、背を向けようとした彼に声をかけた。
「手伝えよ」
「な、なぜ私が? 第一、なにもわからないんだぞ?」
「そこのフックに引っかけるんだ」
はじめの抗議に耳を貸すことなく、点滴のパックを目の前に突きつける。
思わず受け取って、パックと実に目を移し、それから点滴台を眺めた。
「……フック? とは?」
「鉤のようなものが見えるだろう?」
それならば、はじめの目の高さほどのところに出っ張りがある。
彼はパックに、吊るすための穴が開いていることを確認して引っかけた。
「次はこれだ。今の袋の下にある差し込み口に繋いでくれ」
透明な袋を渡されて、はじめは、これも言われたとおりにチューブの端をパックに差し込んだ。
反対側に針がついている。
「そこの棚にスプレーがあるだろう?」
「スプレー……?」
当たり前に使っている言葉が伝わらないのは、ある意味厄介ではあったが、実はサイドテーブルに目を向けた。
「白くて、細長い筒」
スプレー缶を取り上げたはじめに、彼は、護の右手を握ったまま引き寄せた。
袖をまくり、そこにゴムチューブを巻き付けたのもはじめだ。
あとはなんとか片手でできる。
点滴の針を護の腕に刺すと、そのまま抑えてはじめを見上げた。
「テープをとってくれ」
「テープ……」
いちいち聞き返すはじめに根気よく教えるなど、実にしては珍しいことだった。
テープで針を固定して、ようやく息をつく。
「最後だ」
「なんだ?」
「隣はケンの部屋になっている。そこから椅子を二つ、ここに運んでくれ」
しばらくすると、派手に音を立てながら、はじめが両手に一脚ずつの椅子を抱えて入ってきた。
実に言われたまま、ベッドの傍らにひとつ置き、そこに彼が座る。
もう一脚を用意させたということは、はじめがここにいても差し支えがないということだろう。
そう解釈して遠慮なく座り、彼は護を覗き込んだ。
「傷口はどうだったんだ?」
あれだけ暴れていたのだ。
痛みも相当なものだったろう。
実は、握っている護の右手を軽く上げた。
「診たくてもこれではな。なにもできなかった」
「そうか……」
だが、出血している形跡がないこともあって、実はさほど心配はしていなかったようだ。
結構長いあいだ、二人とも口をきかなかった。
はじめはただ、護を見下ろしていたし、実は瞑想でもするように目を閉じている。
ややあって、ポツリとはじめが言った。
「私が……」
「おまえだから、じゃない」
やはり何を言おうとしたのかがわかるらしく、実が遮った。
「原因のすべてがおまえというわけじゃないんだ。オレがノーマルと一緒にいたことが引き金になったんだろう」
「ノ……ノーマル?」
実は、目を閉じたまま頷いた。
「興味があるようだな。ケンに聞けよ。話せることなら教えてくれるだろうさ」
はじめは、二の句が継げずに口をパクパクさせたが、諦めたのか息をついた。
その仕草さえ実にはわかったのだろう。
笑ったのだ。
「オレがひどくなっている、と言いたいんだろう?」
答えには間があった。
「それだけ当てられるとな。やはり気味が悪いものだ」
「オレだってやりたくてやっているわけじゃないんだ。落ち着きがないおまえの傍にいるのもうんざりなんだよ」
ずけずけと言ってくれる。
しかし、だからといって、はじめは部屋を出るつもりはなかった。
先程からずっと目を閉じている実に対して、不気味な思いと同時に興味を持ったのも事実だったからだ。
そして実も、うんざりだと言いながら、無理に遠ざけるわけでもない。
はじめは問いかけた。
「一体……何をやっているんだ?」
顔を向けるわけでもない。
まして、目を閉じたまま実は、握ったままの護の手を自分の額に押し当てた。
「こいつは難しいんだ。仲間であるオレたちですら、傍にいるだけで心が休まらない。本当に休ませるためには誰もいないほうがいいんだが……」
「わからんな。健さんの話と違うじゃないか。護さんにとって、君は誰よりも大事ではなかったのか?」
「違わないさ。こいつにとって、オレは自分の命よりも大切な存在だと考えているからな」
「それでも……?」
「言葉が違う。大事……だからこそ邪魔なんだ。……わかっているんだよ。本当は、オレにだけここにいてほしくないこともな。……だが……」
唐突に、実は腰をあげた。
なにかを感じたのか護を見下ろし、優しくキスをして、また腰を下ろす。
「おまえがそうやってオレを呼んでいるんじゃないか」
「……ああ……」
囁くような声がはじめから洩れた。
「そういうことか」
実は、護の手を握って尚、精神を集中させて彼の感情を読み取っているということか。
漠然とした理解ではあったが、はじめはそう判断した。
と、すると……。
「実さん、ひとつ聞くが……本当のところ、護さんは君のことをどう思っているんだ? 命の恩人と聞いたが、それだけには見えないんだが? 第一、大事だからこそ邪魔だという意味も理解できない」
「……聞きたいのか?」
ようやく目を開けて、実が睨むように振り返った。
「できれば君の口から聞きたいものだな。そうやって護さんを読み取っているというならわかるんだろう?」
そういったはじめの首筋に、実のもう片方の手が伸びて、すぐに離れた。
「単なる興味ではなさそうだな」
そう判断して、今度はサイドテーブルのインターホンのスイッチを押した。




