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 時間を確認するためだけにはめているブレスレットを見下ろして、健は言った。

「そろそろ……限界かな」

 キッチンでコーヒーを飲んでのんびり待っていた時間は一時間ほどか。

 とうに食事の支度もできていた。

 絵里や夕子と、同じテーブルで雑談をしていたのだ。

「助けに行ってあげたら?」

という絵里に、そうだね、と席を立つ。

「それにしても……」

 彼女は、夕子と顔を見合わせて笑った。

「ミノルも今さらトレーニングをするとは思わなかったでしょうね」

「まあ、たまにはね」

「あ~あ。あたしも付き合えばよかったわ」

 個人的な訓練をしていた頃の成績は、絵里の場合、むしろ実にも匹敵する運動能力があった。

 腕力では敵わなくとも、技術は高志に次いでいたくらいだ。

「この時代では、女性は淑やかなものらしいよ」

と、健に水をさされても気にする性格でもない。

「まっぴらよ」

 そこが、夕子と逆なところだ。

 早く行きなさいとばかりに、彼女は健を追い出した。

 リビングから庭に出ると、向こうの木の根本に実が座り込んでいた。

 志乃にいたっては、はじめの足元に、大の字になって倒れている。

「どう? 少しは役にたった?」

 はじめは苦笑混じりに頭をかいた。

「根性は認めるが……それだけではな」

「使いものにならなかったわけ?」

 二人に目を向け、首を振る。

「いい運動をさせてもらったとしておこう。おかげで酒も抜けた」

 実際、髪がうっすら湿るほど汗をかいていたようだ。

「実さんは柔術もできるのかね? 正直な動きだ。志乃さんはまるでなってなかったが」

「ふうん。……よかったね、ミノル」

 疲れきって荒い呼吸をしていた実は、億劫そうに立ち上がった。

「こんなことで誉められても喜べるか。……まったく、遠慮なく投げ飛ばしてくれたな」

 軽くあしらわれたようなものだった。

 正直な動きだといわれても、柔道や空手などを正式に習ったわけではない。

 あくまでも護身と、それに伴う攻撃を訓練してきただけだ。

 しかも、武器を携帯した動きを教え込まれていた彼にすれば、体ひとつでまともに相手ができるはずもない。

「ケン、おまえは丸腰のまま相手ができる訓練をしていたんだろう?」

「? え? ……おまえは?」

 服の埃を払って、実はまだ倒れている志乃の腕を思いきり引き上げた。

「どうもいおかしいと思っていたんだ。レイラーはわざと、カリキュラムを変えていたらしい」

 今、思い返せば、レイラー・美鈴千春の言動は、見当違いの優しさだったのだ。

 マニュアルでは素手での攻撃、防御を示していたにも関わらず、実には必ず武器を持たせながら訓練させていた。

 今でも記憶に残っているのは、彼女の、ある意味実をバカにした言葉である。

 要するに、レイラーは実に対して、メンバーに守ってもらえばいい、と考えていたことになる。

 それが彼のプライドをどれだけ傷つけるか、彼女は死ぬまで理解できなかったのだ。

 まるで物を扱うように、軽々とあしらわれていたにも関わらず、実はようやく納得したとばかりに空を仰いだ。

「戻ったら課題にしてみるか。今さらかもしれないが」

 その前向きな姿勢に驚いたものの、健は穏やかに微笑んだ。

 自分の境遇に無頓着な実は、今までどれだけケガをしようが、自身のことを真剣には考えていなかった。

 それが、悔しさを原動力にしたわけではないものの、少なくとも敵わなかったという現実を直視したのである。

 喜ばしい心境の変化だろう。

 実とはじめがさっさと家の中に入っていく後ろでは、志乃が、

「見えてたのになぁ……」

と、身体中が痛むのか、ぎこちない動きであとに続いた。

「マモルほど速くなかったんだぜ。あいつ……。なのに動けなかった。……なんで?」

 それは、健ならば確実な答えを知っているかのような問いかけだった。

 実際、彼は考え込むことなく答えた。

「気迫の違いじゃない?」

「気迫ならマモルにだって……」

「あると思う? 彼はいつも自然体だよ。オレが言う気迫と言うのはね、相手を威圧する精神力のこと。他人を抑えるのに腕付くだけが手段じゃないからね」

「なるほどなぁ」

 片手で腰を、もう片方の手で腿を支えながら、一歩ずつ足を動かしていた志乃だが、はたと立ち止まると、

「なぁ、ケン」

と、呼び止めた。

 振り返った彼に詰め寄る。

「俺、はじめから格闘術を習ってもいいかい? 時間かかるかもしれないけど、強くなりたいんだ」

 あと二日ほどで元のところに戻ることを志乃は知らない。

 そして、そのあとはいつこちらに戻れるかもだ。

「構わないよ」

 いつもの、そして発病する前よりもはるかに大きく包み込むようになった、優しい声だった。

 メンバーと合流してからついてしまった口癖だ。

 『構わないよ』という一言は、夕べはじめが言った言葉がまさに的を射ていた証明でもある。

 メンバーは何をしてもいい、。

 健のたった一言の中には、果てのない自由が含まれているのだ。

 このままキッチンにはいるかと思った健だが、どうやら三人とも、入浴を優先するようだ。

 結局、彼だけがキッチンに戻った。

 中では、ずっと朝食がお預けになっている二人が、会話もなく待っていた。

「さすがにお腹がすいたわよ~。ミノルたちはまだ続けているの?」

「いや、バスルームに入っていったよ」

「このままではお昼になるわよ。先に食べちゃだめ?」

 健は、今になって気づいたように、苦笑を含めて手を差し出した。

「ごめんね。遠慮なく食べていてくれよ」

「あんたは?」

「彼らを待っているから……」

 語尾が、少しずつ弱くなった。

 絵里に睨まれたのだ。

 彼は慌てて言い足した。

「だ、大丈夫。ちゃんと食べるから」

 メンバーが油断をしていると、彼は朝食すら簡単に抜いてしまう。

 先程も絵里から怒られたばかりだ。

 彼女は、一度は蒸し返そうとした小言を、ため息をつくことで止めた。

 空腹に勝てなかったらしい。


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