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 背後で、実がボトルの蓋を開けた。

 小さな音に、思い出したようにはじめは、彼の肩越しから護を見下ろした。

 先程までは息が荒かったが、それが少し治まっているように見える。

 ……というより、ほとんど意識がなくなっているのではないか?

 しかし、実が護の首の下に腕を回し、軽く持ち上げたとき、僅かな反応があった。

「飲めるか?」

 ボトルを傾けると、唇に、雫に近い小さな粒が落ちた。

 うっすらと目を開けていた護は、頬から流れ落ちる液体の感触が嫌らしく、力なく首を振った。

「こぼすのが嫌ならちゃんと飲めよ」

 もう一度、ボトルを口元に持っていくが、やはりこぼすだけだ。

 実は、じっと護を見下ろして、

「……今回だけだぞ」

と呟くと、自分でドリンクを口に含み、そのまま護に飲ませる。

 二、三度繰り返された。

 やがて、弱々しくだが護の右腕が実の首に回った。

 実も、ボトルを持ったままの肘を、体を支えるように枕元につける。

 はじめが見たのは、病人を気遣った優しいキスだった。

 唖然として、目を話すことすら忘れた。

“……何を……しているんだ……”

 しばらくすると、実が体を起こして、護の髪を柔らかくかきあげた。

「あとでまた来る。動くなよ」

 入ってきたときとは違って、ずっと雰囲気が和らいでいた。

 実は目配せをすると、医療器具を持って部屋を出た。

 ドアを閉めて、実が思い出したように忍び笑いをもらす。

「実さん……さっきの……あれは……」

 呆然としたはじめを見返し、今度こそ面白そうに笑う。

「そんな顔をするな。ケンが何を言ったかは知らないが、おまえが恥ずかしがることじゃない。……熱に浮かされて記憶が混乱しているだけなんだ」

「記憶……混乱?」

 訝しげに眉を寄せたが、はじめはすぐに、自分の浅はかな勘違いに苦笑した。

「そういうことか。……役者のように綺麗な男だ。護さんはさぞ、女にもてるのだろうな」

「女? ……バカらしい。あいつがユウコにあんなことをするものか」

「夕子さん? あの二人は恋仲なのか?」

「彼女に限らない。あいつの頭にあるのはオレのことだけだ」

 あからさまに、はじめが首をかしげた。

 これでは、堂々巡りの謎かけではないか。

 実は、目ではじめを促して、自分の部屋に入りながら言った。

「戸惑うことか? 難しいことは言っていないぞ」

「し、しかし……」

 彼の部屋には、大きな棚が壁一面に設置してあった。

 そこには、いろいろな薬瓶が並んでいる。

 普段は使わないものまであったのは、もしもの時のためだ。

 この光景に、はじめがあんぐりと口を開けたが、すぐに我に返り、器具を片付けている彼の背中越しにまた、聞いた。

「しかし、君の言い方では、護さんは君だとわかっていてあのようなことをしたことにならないか?」

「そうさ。だから混乱しているんだよ。オレはそれに付き合っただけだ」

「護さんは……やはり君を……」

 夕べは、酔いつぶれたとはいえ、話のすべてを忘れたわけではない。

 ただ、記憶が曖昧に、そして切れ切れによみがえっている。

 健がそれらしいことを言っていたように思ったのだが、実は即座に否定した。

「それは違う」

「違う?」

「いくらうなされていると言っても、あれが他の奴だったらあいつはあんなことはしない。意識がハッキリしていれば、オレにすら近づかない」

 全ての器具を片付け終えた実は、棚に片手をつきながら俯いたが、すぐにため息を漏らした。

「……だから、違うといっているだろうが。あいつに失礼だろう?」

「……!」

 むしろ、驚いたのはこのことだったろう。

 実ははじめに背中を向けている。

 なのに、今自分が考えたことを言い当てたのだ。

「いちいち驚くな。こっちが混乱する」

「ど……どうして……」

 心が読まれている、と思った。

 そういえば、さっきから考えを先回りしていたではないか。

 実は、それすらも見抜いたらしい。

 笑ったのだ。

「安心しろ。言葉が聞こえるわけじゃない」

「みっ、実さん……」

 そこでようやく、実は振り返った。

「ケンからなにも聞いていなかったのか? 夕べ、おまえに抱きついたくらいだ。このことくらい話したと思ったんだが?」

「け、健さんから? ……君の、ことを……?」

 聞いて……

 いた。

 そうだ、思い出した。

 実は他人の感情を自分の中に受け入れたと言っていたではないか。

 つまり、これがそうか。

 確か、サトリという妖怪がいるという怪談話があった。

 健の話だけではピンとこなかったし、理解のできない話だったからこそ、そのような怪談に結びつけることもなかったのだが……。

 いざ、自分の思ったことを言い当てられては、無意識に後ずさりをしても仕方がなかっただろう。

 平静を装わねば心を読まれる━━。

 はじめの顔の蒼白さに、実は意地悪く笑った。

「無駄な努力をするな。言葉がわかるわけじゃないと言ったじゃないか。オレに伝わるのはおまえの感情なんだ。だから、戸惑ったり困惑したり、驚いたり忙しいおまえに言えることはな……。少しは落ち着け、だ。……怯えなくともオレには、おまえの考えは読み取れないんだ」

「……」

 言葉が出ない。

 これほど無様にうろたえたのは久しぶりだ。

 はじめは、気持ちを落ち着かせるために頭を掻いて顔を逸らした。

「い、いや、……失礼。……その、聞いてはいたんだ。しかし、実際見てみると……」

 軽く彼の肩を叩いて、実は部屋を出た。

「気にするな。気味が悪いと思うのはおまえだけじゃない。第一、いつも入り込むわけじゃないしな。今は……マモルを受け入れなければならないから、影響はどうしても出てくるさ」

「影響……」

「あいつの精神力は並み以上だ。それと比べたら、おまえの感情なんて、目で見るより簡単に読み取れる」

「……」

 それだけ自分は単純なのだろうか。

 はじめは漠然と思った。

 それに追い討ちをかけるように実が言う。

「気に入らなかったか?」

「……いや。……別に、気にしても始まらん。それよりその……難しい護さんは何を考えていたのかわかるのか?」

「考えはわからないと言っただろう。わかるのは感情のほうだ。なにかに腹を立てているみたいだぞ」

「腹をたてている?」

「感じたのは怒りのほうだ。それでいて他人に頼るような器用な奴じゃないからな。意識する怒りと無意識に頼りたがっている思いが混乱の原因なんだ。キスのひとつくらい、なんのことはないよ」

「……? キス……? とは?」

 実は、妖しげに口元を緩めると、振り向きざま、護と同じようにはじめにキスをして離れた。

「これのことさ。話の流れからわかると思ったが?」

 彼にすれば、いつもの些細ないたずらでしかない。

 言い慣れた言葉を、この時代のものに言い換えるのが面倒だっただけだ。

 驚いて、思わず口を押さえたはじめの反応がよほど面白かったのだろう。

 笑いながら外に出た。

 あとから、憮然としてついてくるはじめを連れて行ったのは、先程の庭だ。

 そこには、健と志乃が待っていた。

「連れてきたぞ」

 彼の言いようでは、どうやら健に頼まれていたらしい。

「どう? マモルは」

「大丈夫だ。喉が渇いて起き出してきたようだ」

「呼べばすむのに……」

 そのためのインターホンも、各部屋に設置してあるのだ。

 実は肩をすくめた。

「休ませるために一人にしていたことが裏目に出たな。あいつが誰かに要求するものか」

「……確かに。悪かったね、ミノル」

「いや。これはオレにも責任がある。飲み物を用意しておけばよかったんだからな」

 彼のいいところは、どういうことも他人に責任を押し付けないところだ。

「それより、どうしてシノがここにいるんだ?」

 今さら気がついたように言った実にではなく、健は、志乃に笑いかけた。

「ミノルもいるから頼むよ」

「それって二人がかりってことか? ずるくない?」

「? なんの話だ?」

「はじめさん、この二人でいいだろう?」

 はじめのほうは、すぐに健の意図を汲み取ったのだろう。

 軽く頭を下げた。

「心遣いに感謝する」

「おい、なんだよ?」

「トレーニング。さっきはマモルに邪魔をされたからね。第一、オレが相手をするとおまえ、怒るじゃないか」

「だ、だからといって、マモルでダメなのに敵うわけがないだろうが!」

 強い抗議も、健の脅迫的な微笑みには勝てなかった。

「そのために二人。卑怯ではないと思うよ、シノ。君たちでも無理かもしれないからね」

 それだけ言うと、健はさっさと家の中に入ってしまった。

「バッ、バカヤロウ!」

 実の罵倒が、秋空に響いた。


 


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