13
黙って促すはじめに、健は頷いて続けた。
「彼にとって大事なことはたったひとつだけでした。それだけのために生きていたんだ。もとより、自分の命に価値を持っていなかったんです」
「大事なこと? それは?」
「ミノル」
「は?」
「彼の中にはミノルの存在しかありませんでした。彼のために訓練をして、成長をして、そして守る。彼の目にはミノル以外の存在は映っていなかったんです。敵とみなせば、それがたとえ仲間であるオレたちであっても排除する。さらに言えば、ミノルにとって自分が悪い影響だと判断すれば、自分自身すら殺すことができる。……それが彼なんです」
昔、それこそ健たちメンバーが初めて顔を合わせた頃はそうだったのだ。
今では懐かしいといえる思い出の数々が、今日まで積み重ねられているのである。
口に含んだ酒を苦く飲み込んで、はじめは呆然と呟いた。
「すさまじいな……」
ポツリと言った一言に、健は寂しげに微笑んで首を振った。
「最初はオレたちも戸惑いました。同時に羨ましかった。……そこまで思われたミノルや、一人だけを見守ることができるマモルがね」
「怖い、な」
思わず口から洩れたのは、恐らく本心だったろう。
確かに、はじめにはそう思えただろうが、健たちの間では、それが普通になっていた。
そして、実もまたごく自然に受け入れたのだ。
護は、一度として彼から心を逸らさなかった。
「オレたちは、マモルを後押しすることにためらいませんでした。同じ仲間……怖いどころか、それは自然なことだったんです。その思いがあってこそのマモルなんだ、と……」
「護さんは……どうしてそこまで実さんを?」
答えは、沈黙だった。
健は、いつの間にか空になっていたグラスを置くと、座り直すように一度腰を浮かせた。
ソファの背もたれに腕をかけて、窓に視線を移したのは、話の流れを考えたからか。
続きを黙って待つはじめに、しばらくしてから健がまた口を開く。
「オレたちには親がいません」
関連のない、唐突な出だしに、はじめが意外そうに
「ほう」
と言った。
「生後半年で引き離された親に愛情も思慕もありませんでした。誰一人、そういう感情はなかった。……ただ……。彼の場合は少し、事情が違っていました」
窓の外は、カーテンに遮られて見えない。
ただ、薄いレースが健の目に入っているだけだ。
そこに向かって言う。
親がいないという言葉には二つの意味がある、と。
ひとつは、言ったように生後半年で引き離されたこと。
そしてもうひとつが、健の嫌悪する、自分たちの後ろ楯であるはずの権力によって殺されていたことだ。
はじめは、冷静に話を聞いていた。
武士の身分では、さほど珍しいことではなかったからだろう。
「マモルは……」
と、健は息をひとつついた。
「彼だけは事実の受け取りかたが違っていた。自分が生まれたせいで両親が亡くなったことを、子供のときに知ったんです。自分が、生まれながらの人殺しだと思い込んだ。……親だからではありません。自分が生まれたから、二人の人間が死ぬことになった事実に、生きることを自体を放棄していた……」
「放棄? ……だが……」
実際に生きている。
そう問いかけようとする前に、健の言葉が続いた。
「親から引き離されたオレたちは、別々の場所で育てられました。全員が初めて顔を合わせたのは二年近く前のことです。それまで、個々で一人一人が教育者によって訓練してきました。……精神訓練がその最初だった。……人の命の重さ、いえ、人だけではなく、生き物の命がどれほど大切なのかを教え込まれた。その反面、自分が存在したから二つの命が失われたと知っては……自分を嫌悪するのも当然だったかもしれません」
「そういう……ものか……?」
あるいは、そうかもしれない。
だが、はじめには理解ができなかった。
自分には親も兄弟もいるからかもしれない。
そして命の重さをはっきりと認識したことがない。
もっと上の身分のものからなら、そういう話を聞いたことはある。
お家のため、藩のために自分を殺す。他人を殺す。
しかし、やはり自分にとっては他人事の話なのだ。
いずれにしても、はじめには理解できない心境は確かで、同時にそれは、淡々と話す健も同様だろうと感じた。
「オレたちは、最後のメンバー……仲間ですね。ユウコの訓練が終わる日まで、互いに会うことを禁じられていました。けれど……」
「ちょ……ちょっと待て」
夕子の名に、はじめが顔を上げた。
「あの人も、その、訓練とやらをやっていたのか? あの短刀を使った、剣術を?」
絵里でさえ、女だてらにそのようなことをやっていたのには驚いたが、あの夕子が? という疑問が声になっていた。
激しすぎる人見知りの、彼女が?
刃物を持ったところで何ができるというのか。
健は当然のように頷いた。
「カリキュラム……いえ、教育計画は全員が同じものです。女性だから、人見知りだからという区別はありません。……話を続けてもいいですか?」
「えっ……ああ、どうぞ」
時代による考えの差、というものを健が理解しているはずもない。
女性軽視は、健たちにすれば遥か昔の廃れた習慣だ。
個人で、女性を下に見る傾向は皆無ではないが、少なくともセレクト制度の法律ができる以前から、男女というより能力を重視されている社会で育った彼にすれば、はじめがなぜ、こうまで驚くのかが理解できなかった。
「マモルの保護者は、彼の生気のなさを見ていられなかった。それで彼に、同じ仲間がいることを教えたんです。将来、ともに生きていく相手がいることで希望を持たせようとしました。そしてそれは、予想以上の効果があったと言ってもいいと思います」
「それが実さん、か?」
ほんの僅かな動きで、健は肯定を示した。
「元々はあってはいけない命だった……。マモルはそう言ったんです。それが、生きていてもいいというのならこの命はミノルのものだ。……彼のためだけに生きていくことに決めた……」
そういうことか……。
はじめは小さく頷いた。
「なんとなく……君が言いたいことがわかってきたよ」
会話を思いめぐらせば、たった一点……実だけを見ていた護に迷いがあったからケガをした。
そういうことを健は言っているのだ。
ただ、はじめにはまだ、疑問があった。
「健さん。差し支えがなければ教えてもらいたいのだが、護さんは何に気をとられたんだ?」
一度話をはじめたのなら、健は嘘をつくつもりはなく、問いかけられたことにも正直に伝えるつもりだった。
だから、彼は窓に向いていた視線を戻し、はじめを見据えて自分自身を指差したのだ。
「君に?」
また、小さな動きで頷いた健は、グラスの酒を飲み干してテーブルに置いた。
「何度も言いますが、オレは以前のマモルの強さが好きでした。それは、他に目を向けない集中力と、ひとつのこと……ミノルだけを守るという信念がオレたちは敵わないからです。彼の思考、言動……すべてがミノルのためであるからこそ、最強なんです。その彼がミノルではなくオレのことを考えてしまったのなら、どういう方法をとっても元に戻さなければ、オレの最期に後悔が残る……」
「君の、最期?」
「オレの体、あまり永くはもたないんですよ」
「なっ……」
はじめは、平然と言った健を、それこそ頭から舐め回すように視線を上下に動かした。
健康そのものの体つきではないか。
顔色も悪くない。
表情にすら、自分の死期を知っていることを感じさせない彼が、本当に病気だというのか?
いや、それは実も言っていたから確かだろう。
しかし、彼からもそれほどの緊迫感は感じなかった。
一瞬、健が嘘をついたのだと思ったが……。
理由がない。
健は、やはり優しい微笑みで、はじめの不躾な視線を受け止めた。
「多分、このことがマモルにしてやれる最後のことだと思います。リーダー……あなたのいう大将としての最後の仕事です。引き受けてはくれませんか?」
「ま、待ち……待ってくれ。け、結論を急がせないでくれ。……その……君が病気だから……護さんは実さんよりも君のことを重視したと、いうことか?」
「そんな安っぽい同情ならば、オレも怒りやすかったんですけれどね。第一、ミノルとオレを天秤にかけるような彼じゃありませんよ」
そう言ったものの、言葉には強さはなかった。
それはまるで、自分にそう言い聞かせているようにも見える。
少しずつ、健の表情が曇っていった。
思い出すのは実の言葉だ。
彼は言っていた。
護にとって本当に大事なのは実という個人ではなかったのだ、と。
その言葉を、健は頭から否定するつもりはない。
ただ、実であってほしかったのだ。
護のすべてを表す人物が、彼であってほしかった。
健は、はじめの視線から遠ざかるように腰をあげると、窓に足を向けた。




