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 黙って促すはじめに、健は頷いて続けた。

「彼にとって大事なことはたったひとつだけでした。それだけのために生きていたんだ。もとより、自分の命に価値を持っていなかったんです」

「大事なこと? それは?」

「ミノル」

「は?」

「彼の中にはミノルの存在しかありませんでした。彼のために訓練をして、成長をして、そして守る。彼の目にはミノル以外の存在は映っていなかったんです。敵とみなせば、それがたとえ仲間であるオレたちであっても排除する。さらに言えば、ミノルにとって自分が悪い影響だと判断すれば、自分自身すら殺すことができる。……それが彼なんです」

 昔、それこそ健たちメンバーが初めて顔を合わせた頃はそうだったのだ。

 今では懐かしいといえる思い出の数々が、今日まで積み重ねられているのである。

 口に含んだ酒を苦く飲み込んで、はじめは呆然と呟いた。

「すさまじいな……」

 ポツリと言った一言に、健は寂しげに微笑んで首を振った。

「最初はオレたちも戸惑いました。同時に羨ましかった。……そこまで思われたミノルや、一人だけを見守ることができるマモルがね」

「怖い、な」

 思わず口から洩れたのは、恐らく本心だったろう。

 確かに、はじめにはそう思えただろうが、健たちの間では、それが普通になっていた。

 そして、実もまたごく自然に受け入れたのだ。

 護は、一度として彼から心を逸らさなかった。

「オレたちは、マモルを後押しすることにためらいませんでした。同じ仲間……怖いどころか、それは自然なことだったんです。その思いがあってこそのマモルなんだ、と……」

「護さんは……どうしてそこまで実さんを?」

 答えは、沈黙だった。

 健は、いつの間にか空になっていたグラスを置くと、座り直すように一度腰を浮かせた。

 ソファの背もたれに腕をかけて、窓に視線を移したのは、話の流れを考えたからか。

 続きを黙って待つはじめに、しばらくしてから健がまた口を開く。

「オレたちには親がいません」

 関連のない、唐突な出だしに、はじめが意外そうに

「ほう」

と言った。

「生後半年で引き離された親に愛情も思慕もありませんでした。誰一人、そういう感情はなかった。……ただ……。彼の場合は少し、事情が違っていました」

 窓の外は、カーテンに遮られて見えない。

 ただ、薄いレースが健の目に入っているだけだ。

 そこに向かって言う。

 親がいないという言葉には二つの意味がある、と。

 ひとつは、言ったように生後半年で引き離されたこと。

 そしてもうひとつが、健の嫌悪する、自分たちの後ろ楯であるはずの権力によって殺されていたことだ。

 はじめは、冷静に話を聞いていた。

 武士の身分では、さほど珍しいことではなかったからだろう。

「マモルは……」

と、健は息をひとつついた。

「彼だけは事実の受け取りかたが違っていた。自分が生まれたせいで両親が亡くなったことを、子供のときに知ったんです。自分が、生まれながらの人殺しだと思い込んだ。……親だからではありません。自分が生まれたから、二人の人間が死ぬことになった事実に、生きることを自体を放棄していた……」

「放棄? ……だが……」

 実際に生きている。

 そう問いかけようとする前に、健の言葉が続いた。

「親から引き離されたオレたちは、別々の場所で育てられました。全員が初めて顔を合わせたのは二年近く前のことです。それまで、個々で一人一人が教育者によって訓練してきました。……精神訓練がその最初だった。……人の命の重さ、いえ、人だけではなく、生き物の命がどれほど大切なのかを教え込まれた。その反面、自分が存在したから二つの命が失われたと知っては……自分を嫌悪するのも当然だったかもしれません」

「そういう……ものか……?」

 あるいは、そうかもしれない。

 だが、はじめには理解ができなかった。

 自分には親も兄弟もいるからかもしれない。

 そして命の重さをはっきりと認識したことがない。

 もっと上の身分のものからなら、そういう話を聞いたことはある。

 お家のため、藩のために自分を殺す。他人を殺す。

 しかし、やはり自分にとっては他人事の話なのだ。

 いずれにしても、はじめには理解できない心境は確かで、同時にそれは、淡々と話す健も同様だろうと感じた。

「オレたちは、最後のメンバー……仲間ですね。ユウコの訓練が終わる日まで、互いに会うことを禁じられていました。けれど……」

「ちょ……ちょっと待て」

 夕子の名に、はじめが顔を上げた。

「あの人も、その、訓練とやらをやっていたのか? あの短刀を使った、剣術を?」

 絵里でさえ、女だてらにそのようなことをやっていたのには驚いたが、あの夕子が? という疑問が声になっていた。

 激しすぎる人見知りの、彼女が?

 刃物を持ったところで何ができるというのか。

 健は当然のように頷いた。

「カリキュラム……いえ、教育計画は全員が同じものです。女性だから、人見知りだからという区別はありません。……話を続けてもいいですか?」

「えっ……ああ、どうぞ」

 時代による考えの差、というものを健が理解しているはずもない。

 女性軽視は、健たちにすれば遥か昔の廃れた習慣だ。

 個人で、女性を下に見る傾向は皆無ではないが、少なくともセレクト制度の法律ができる以前から、男女というより能力を重視されている社会で育った彼にすれば、はじめがなぜ、こうまで驚くのかが理解できなかった。

「マモルの保護者は、彼の生気のなさを見ていられなかった。それで彼に、同じ仲間がいることを教えたんです。将来、ともに生きていく相手がいることで希望を持たせようとしました。そしてそれは、予想以上の効果があったと言ってもいいと思います」

「それが実さん、か?」

 ほんの僅かな動きで、健は肯定を示した。

「元々はあってはいけない命だった……。マモルはそう言ったんです。それが、生きていてもいいというのならこの命はミノルのものだ。……彼のためだけに生きていくことに決めた……」

 そういうことか……。

 はじめは小さく頷いた。

「なんとなく……君が言いたいことがわかってきたよ」

 会話を思いめぐらせば、たった一点……実だけを見ていた護に迷いがあったからケガをした。

 そういうことを健は言っているのだ。

 ただ、はじめにはまだ、疑問があった。

「健さん。差し支えがなければ教えてもらいたいのだが、護さんは何に気をとられたんだ?」

 一度話をはじめたのなら、健は嘘をつくつもりはなく、問いかけられたことにも正直に伝えるつもりだった。

 だから、彼は窓に向いていた視線を戻し、はじめを見据えて自分自身を指差したのだ。

「君に?」

 また、小さな動きで頷いた健は、グラスの酒を飲み干してテーブルに置いた。

「何度も言いますが、オレは以前のマモルの強さが好きでした。それは、他に目を向けない集中力と、ひとつのこと……ミノルだけを守るという信念がオレたちは敵わないからです。彼の思考、言動……すべてがミノルのためであるからこそ、最強なんです。その彼がミノルではなくオレのことを考えてしまったのなら、どういう方法をとっても元に戻さなければ、オレの最期に後悔が残る……」

「君の、最期?」

「オレの体、あまり永くはもたないんですよ」

「なっ……」

 はじめは、平然と言った健を、それこそ頭から舐め回すように視線を上下に動かした。

 健康そのものの体つきではないか。

 顔色も悪くない。

 表情にすら、自分の死期を知っていることを感じさせない彼が、本当に病気だというのか?

 いや、それは実も言っていたから確かだろう。

 しかし、彼からもそれほどの緊迫感は感じなかった。

 一瞬、健が嘘をついたのだと思ったが……。

 理由がない。

 健は、やはり優しい微笑みで、はじめの不躾な視線を受け止めた。

「多分、このことがマモルにしてやれる最後のことだと思います。リーダー……あなたのいう大将としての最後の仕事です。引き受けてはくれませんか?」

「ま、待ち……待ってくれ。け、結論を急がせないでくれ。……その……君が病気だから……護さんは実さんよりも君のことを重視したと、いうことか?」

「そんな安っぽい同情ならば、オレも怒りやすかったんですけれどね。第一、ミノルとオレを天秤にかけるような彼じゃありませんよ」

 そう言ったものの、言葉には強さはなかった。

 それはまるで、自分にそう言い聞かせているようにも見える。

 少しずつ、健の表情が曇っていった。

 思い出すのは実の言葉だ。

 彼は言っていた。

 護にとって本当に大事なのは実という個人ではなかったのだ、と。

 その言葉を、健は頭から否定するつもりはない。

 ただ、実であってほしかったのだ。

 護のすべてを表す人物が、彼であってほしかった。

 健は、はじめの視線から遠ざかるように腰をあげると、窓に足を向けた。



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