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 テーブルの瓶に目を走らせて、はじめが僅かに首をかしげる。

 健は、手で指し示した。

 手酌でよければ好きなだけどうぞ、というサインに遠慮なく取り上げると、はじめは自分のグラスに酒を注いだ。

 だが、一方で健のほうはというと、自分には酒を注ごうとはしなかった。

 気にはしているようだ。

 実際、彼のグラスは空になっている。

 恐らくは健の専用の酒なのだろうと思われるボトルに手を伸ばしかけて、彼は諦めの息をつくとドアのほうを振り返った。

 やがて、やはり何かを気にしていたらしく、本題に入る前に、

「ちょっと失礼します」

と、部屋を出ていってしまった。

 なにをしに、どこに行ったのかと待っていると、しばらくして乱暴にドアが開き、実が入ってきた。

 明らかに腹を立てているとわかる不機嫌な表情がはじめに向いて、あとから入ってきた健に振り返ることなく怒鳴りつけた。

「こいつに頼めばいいだろう! いちいち呼びつけるな!」

「だって……おまえ、怒るじゃないか」

「今でも充分、怒っているんだよ! なんなら……」

 大きく呼吸をして、今度はずっと落ち着いた声でようやく健を振り返った。

「一晩中、おまえの傍にいるか?」

「……」

 まるで、叱られた子供が今にも泣き出すかと思えるほどしょげ返っている。

 健はたった一言、

「ごめん」

と小さく言っただけだった。

 実の機嫌が一瞬にして変わり、軽く健の肩を叩くと、そのままソファに促した。

「今夜は黙認してやる。エリにも頼んでおくけれど、程ほどにしろよ」

 それだけ言って、ドアを開けたまま出ていった。

 一度は振り返った健が、苦笑交じりにボトルを取り上げたそばから、今度は絵里が、ワゴンに三本ものボトルを乗せて入ってきた。

 他には、一升瓶が一本。

「これだけあればいいかしら?」

「ありがとう、エリ」

「あたしたちは勝手に休むから。できる限りこれだけにとどめてちょうだい」

「……できる限り……ね」

 彼の苦笑に、絵里は呆れながら首をすくめた。

「いいわ。足りなかったらあたしを起こして」

 どうせ、言っても無駄なのだ。

 それならば、勝手にキッチンを荒らされるより呼び出されたほうがまだ『マシ』なのである。

 じゃあね、と彼女ははじめに笑いかけて出ていった。

 呆気にとられたのははじめだ。

 目の前のテーブルには、手をつけられていないつまみが、所狭しと乗っている。

 その上、ワゴンで運ばれたボトル、自分の目の前に置かれた二本の瓶を一通り見回して、最後に健を見上げた。

「足りなかったら……?」

 確かに、日本酒の瓶はかなり大きい。

 見慣れている徳利より量が入っているかもしれない。

 それと比べたら、ウイスキーのボトルはだいぶ小さいのだが、それでも四本というのはどうかと思う。

 健がすべて飲んでしまうというのか、という目が、呟きとともに彼に向いた。

 目の前の大将は、申し訳なさそうに苦笑するだけだ。

 だが、考えようによっては、健はそれだけの酒豪だ、ということではないか。

 はじめも、大層酒好きだ。

 しかも強いことを自他ともに認めている。

 なにより、これだけの量は久しぶりなのだ。

 ただ、気になるのは、言うだけ言って部屋を出ていった実のことだったようだ。

 はじめは、素直に聞いてみた。

「なにを黙認してもらったんだ?」

 氷も入れずにウイスキーをグラスに移していた健が恥ずかしげに目を細めた。

「このところ……制限されていましたから……。彼らの許可がなければ飲ませてもらえなかったんです」

 以前に行った化学療法のあと、様子を見るためと称して、実は健の酒量を制限してしまっていた。

 まったくの断酒というわけではなかったものの、かなり量を減らされていたのだ。

 その上、相変わらず酒を注ぐことすらさせてもらえなかったことを、はじめに隠すことなく伝えた。

「……よく、わからんな」

と、はじめが呟く。

 彼らの関係性が理解できないのだ。

 言葉遣いも態度も、実を筆頭に、完全に健をバカにしているように感じるのに、身の回りの世話は細かく見ているという矛盾が、やはりわからない。

 もっとも、はじめはすぐに、

「まあ、いいか」

と切り替えてしまったのだが。

 元々、人間関係自体が希薄なのだろうと思わせる終わらせ方だ。

 何事にもさほど深刻になろうとしないその態度が、目の前にいた健にどう映ろうと、それ自体にすら、はじめには関心がないようだった。

「……で?」

 話の続きを促す。

 健は、グラスを両手で包み込み、無意識にゆっくりと回しながら、出だしを考えるように見つめていたが、やがてそのまま口を開いた。

「マモルがケガをしたのも当然だったと、オレは考えています」

「……まあ……それは……」

 曖昧な同意を、はじめは途中で止めた。

 自惚れているつもりはないが、はじめは自分自身の腕を、それほど未熟だと思っていなかった。

 むしろ、その辺りの輩よりは遥かに強いと認めているのだ。

 だから、護に対しても恐れはなかったし、斬り捨てる自信もあった。

 そのため、健の言葉に、

「当然だ」

と言いたかったのだが、それができなかったのは、今も護は生きているし、なにより自分の刀のほうを折られてしまった。

 自信が揺らいだわけではない。

 ただ、健が当然だったと言った言葉に、今は素直に頷けなかったための、曖昧な返事だったと言える。

 健は、先を続けた。

「あなたの強さは、オレたちには想像がつきませんでした。刀の威力を知らなかったせいもあります。オレたちは普段、あそこまで長い武器を使いません。間合いがわからなかったことも言い訳でしかないんでしょう。ただ、オレはマモルを……彼の実力を信じていました。だから不安はなかったんです。少なくとも、オレの知っている……以前の彼であれば……」

「以前の?」

 小さな問いかけに、健はわからないほど小さく頷いた。

「あなたの実力を試す……いえ、強さを確かめるだけならば彼に任せたりはしません。自分で動いていました。……オレは、彼をも自分の目で確かめなければならなかったんです。もし……彼が傷ひとつ負わずにあなたを抑えていれば、ここでの用事はなかった。あなたに謝罪をしてそれきりでした……」

 目を逸らし、健は辛そうに続けた。

「……したくもない頼みごとを……無関係な人に言うことも……なかったんだ」

 また、だ。

 はじめは心の中で舌打ちをした。

 無駄な挑発をする……。

 と思った途端、あるいは、という考えが浮かんだ。

 健は、嘘は言わないと言っていた。

 ならば、挑発ではなく、明らかな本音ではないか、と。

「つまり……」

 考え方を変えれば、健は切羽詰まっているのではないだろうか。

 だから、不本意なことをしようとしている?

「護さんは、君の思うとおりの男ではなくなっている、と?」

 その問いには、健は寂しげに否定した。

「思うとおり、ではないんです。確かに、ある意味では当たっているんですけれど。……オレは、以前の彼が好きでしたよ。今が嫌だというわけではありませんが、……けれど、彼を変えてしまった原因は、やっぱりオレなんだと痛感しました」

「変えて、しまった……?」

 おうむ返しの問いかけが聞こえなかったのか、健の言葉が続く。

「……だとしたら、オレの責任として、彼を元に戻さなければ彼らを追い詰めてしまう」

「?」

「あなたにマモルのことを頼みたくはなかった。……自分でなんとかできるのならば、そうしていました。けれど……どうもオレにはそれだけの器はなかったようです。なによりも……時間がない。あるいは……」

 また口をつぐんで、健はいきなり手の中の酒を一気に飲み干した。

 思わずはじめの手がボトルに伸びる。

 勢いで健に酒を注いでしまったものの、彼の視線はただ、健に向けられていた。

「……この頼み自体、オレに対する罰なのかもしれない……」

 それは、注がれた琥珀色の酒に話しかけるような独り言だった。

 自分のグラスにも日本酒を注いだはじめが息をつく。

「どうも要領を得ないが……。……つまり、護さんがケガをするほど弱くなった、と言いたいのか? それが自分の責任だ、と?」

「彼は強いですよ。昔から変わらない。……ただ……。思う方向が違ってしまったから迷いが出たんじゃないかな」

「君が迷わせた、ということか」

 肯定も否定もせず、健はいきなり話を変えた。

「マモルのことを話しておかなければなりませんね」

と。

 



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