トリビュート‐大阪雑感その2
楽器屋の店員という仕事についていた頃は実に多くのミュージシャンからライヴの観覧を誘われた。その多くは集客に困った未熟なバンドマン達の哀訴であり、それほど金も時間も無かったこともあってほとんどを断った。それに、一日中ミュージシャンやその一歩手前の未熟なプレイヤー達のかき鳴らすギターに耳をさんざん痛めつけられている側としては、その上さらに外食2回分の料金を払ってでも聴きたくなるようなバンドサウンドというのはそう多くはなく、職歴を重ねて耳が肥えてくるとハードルは否が応でも上がっていった。
もういつの頃だったかは思い出せないが、友人が出演するライヴイヴェントに誘われて、仕事帰りの疲れた躰を引きずってライヴハウスに足を運んだ。イヴェントと言っても6組ほどのアマチュアグループの集まりで、その中の比較的キャリアが長いバンドが主催するものであり、その主催バンドでさえキャパシティが100人前後の、ビルの地下にある小さな会場すら満員に出来ない程度の実力なのだから、その他とて知れたものである。
それに、こういう小さな会場での小規模のライヴにありがちなのだが、観覧する客も馴染みなら演者もそれらに集客を頼るものだから、会場には何とも言えないだらけた空気が漂っており、参加しているミュージシャンの頼みとはいえ同行者もおらず、初めて見に行く一匹狼にとってはうんざりさせられる。いい曲を演って会場にいる全員を圧倒してやる、などという野心とは無縁の趣味のサークルから半歩ほど踏み出した程度のお気軽なライヴに立ち会わされたほうこそいい面の皮である。
オレが若い頃に行ったライヴでは、たしか神戸のチキンジョージだったな、会場の一番後ろのほうで所在なくビールを飲んでいるひと癖ありそうなオッサンらが、舞台展開の際にギタリストが試しで鳴らすコードの音を聴いて、これは良さそうだと互いに眼を見合わせてニヤリとするような空気があったもんだがな、と力なく呟き、ジム・ビームを名乗り、それにふさわしい金額こそするが明らかに味の違うバーボンのようなウイスキーのロックを口に運ぶ。イヴェントは友人のバンドの出演まであとふた組あり、予定の30分以上遅れて進行していることがどこからか聞こえてくる。
会場の後方の壁を背負って立ち見を決め込む。ステージはどこかの大学の軽音楽部で結成されたという4人組のバンドがセッティングを終えたところで、客席を照らしていた照明が暗転する。ギタリストが最初のコードをかき鳴らし、ドラマーが勢いよくキットを乱打する。間髪を入れず起きる拍手と歓声は、しかし小さな会場の空気に力なく飲み込まれるほどささやかなものであり、このバンドが集めた観客がほとんどいないことが丸わかりである。
ドラムとギターがリズムのかみ合わないビート。異様なまで低音を膨らませすぎて他の楽器の音域を侵食してしまっているベース。歪みのエフェクトペダルを踏みこむたびに盛大にアンプから湧き上がる耳障りなノイズ。練習か経験か、もしくはその両方が欠けた演奏から勢いと激しさだけを聴きとるフィルターを耳に装備していると思しき観客が、片手で数えるほどだが、客席の最前列で頭を振っている。おそらく大学の後輩か、それと同じぐらい若い彼らの額ににじむ汗が、その数メートル後ろで携帯を一心にいじっているサラリーマン風の30歳ぐらいの男には全く視界に入っていない。既に何度も味わったことのある侘しさが少しずつ胸元から喉へと上がってくるようであり、バーボンのロックではとても抑えられそうにない。
ふと気づくと演奏が止み、ステージでヴォーカリストが何か話している。不慣れなハイトーンを何度も炸裂させたその喉は3曲目を終えた時点でかすれ気味であり、緊張と興奮で上ずった声からは、次の曲が自作曲であることと、何やら「憧れ」という言葉だけがかろうじて聞き取れた。チューニングを終えたギタリストが先ほどよりもやや神妙な面持ちでドラマーとテンポを合わせるジェスチャーを繰り返し、スティックを打ち鳴らす小さな音をかき消すように激しく歪ませたコードが姿を現した。
曲自体はそれほど目新しいものでもなく、メンバーが同じなのだから当然だが演奏そのものも先ほどまでとそれほど大して変わらない。しかし、よく見るとヴォーカリストは眼を半ば閉じて、マイクスタンドをへし折らんばかりに強く握っている。2歩ほど横に動き、ステージに近づいてみるとヴォーカリストの眼にはどうやら、うっすらとではあるが涙が滲んでいるようである。その歌声からは、部屋の壁にポスターを貼った貴方はもういないが、ボクはいつまでも忘れず貴方をどこまでも追いかけていきます、という言葉が聞き取れた。
彼らの年齢から考えて、またこのバンドの鳴らしている音からも「貴方」がかつてニルヴァーナを率いたカート・コべイン‐彼らにはコバーンと言ったほうがとおりがいいはずだ‐を指していることは疑いようがない。両親の離婚により心を閉ざしがちな少年時代を過ごし、当時のシアトルで最も簡単といわれる犬小屋の掃除さえもこなせずクビになったという逸話を持つミスフィット(社会不適合者)であり、ニルヴァーナでの商業的な成功とその陰の苦悩に耐えられず、27歳で自身の頭に当てたショットガンの銃爪を引いてしまったコべインは、どこまで本人が意識していたかは不明にせよ、その後のロックミュージシャンの目指すべきスタンスを体現したアイコンとして、天使にはならず、文字どおり『スター』となってしまった。
ステージの上で熱唱するヴォーカリストの、言葉にならない激情が乗り移ったかのようにノイズまみれで疾走するギター、力任せのドラムを聴いていると、彼らもまたコべインの意志を継ぐことに強い使命感と、その裏にある陶酔感に魅せられたようである。彼らより数年ほど先にこの世に生を受け、そのぶんだけキレイなことも汚いことも少しだけ多く知っている者としては、彼らにひと言
「よせ」
と伝えたいところだが、氷が溶けて薄くなったバーボンをすすって黙ることにする。誰が何と言おうと彼らは耳を貸さないだろうし、何が間違いで何が正解なのか、誰の言うことが正しくて誰が信用出来ないのか、誰が先に世を去り、残されたものがどうやって生きていくかを自身で確かめることが彼らに課された難題であり、その答を探し出す時間も、なによりその権利が彼らにはあるのだから。ただ、彼らの年頃ではそれが判らなくて、何やら得体のしれない闇に向かって叫びたてるような不安に駆られているだけなのだから。
どうも、バーボンだけでは間が持たないようだ。出口付近の自販機でペットボトルのコーラがあったことを思い出し、ステージに背を向けて歩き出す。
(了)