イルナ5 恩人の友人
イルナは買い出しに出かけるというレットを部屋の外まで見送り、小さく息を吐いた。
レットと出会ってからここに来るまでの間に、色々なことがあった。
ひとりになって、改めて村の外に出て来たんだということを実感する。
見慣れない部屋、初めて会う人、見たこともない風景、それらの全てが、イルナに語りかけてくるように感じる。
ここはもう、村じゃない。自由なんだ、と。
「茶でも飲むか?」
見ると、階下にいたはずのリナシェイクがにやりと笑って廊下に立っていた。その手には湯気の立ち昇るカップをふたつ持っている。
「ありがとう」
イルナは部屋の扉を開け放ち、リナシェイクに椅子を勧めた。
「あいつ、どうだ?」
熱くて甘い茶を少しずつ味わって飲んでいると、あっという間に飲み干したリナシェイクに質問を投げかけられた。
けれどその問いは漠然としていてなんと答えたものか戸惑う。
「どう……って、どういうこと?」
「うまくやってんのかなと思ってさ。ホークが行方不明になってしばらくは随分と落ち込んでたんだぜ、あいつ。半年が過ぎたくらいから、沿岸の町を、ホークを捜して歩きまわるようになった。ここにも結構長いあいだ滞在してたな。一年が経過した頃、家に戻るように言われて渋々帰ったんだ」
「そう……だったんだ」
イルナの知っているレットは、あまり感情の波がなく、何事にも淡々と応じる少年だ。
自分が殺されるかもしれないという状態にあっても、彼は混乱したり焦ったりしてはいなかった。
どこか達観した感がある。
「実家に戻ったあとは連絡が途絶えたから、心配してたんだ。それが、こんな可愛い子を連れてやってくるとはなぁ。ほんと驚いたぜ」
その言葉を聞いて、イルナは無意識のうちにカップから顔を上げていた。
イルナにつられるように視線を動かしたティルファがリナシェイクを見る。
『阿呆どもの胃袋亭』に着いてから……いや、ザックに着いてから、イルナは一度も被っている薄布をはずさなかった。
リナシェイクが持ってきてくれた茶を飲むこの瞬間までは。
「キレイだよな、その赤紫の瞳」
口の端を片方だけ上げるその笑みから、確信犯だと気づく。
リナシェイクはイルナの素顔を見るために、茶を持ってきたのだ。
侮れない。
イルナは油断しかけていた気持ちを引き締める。
すぐに目を伏せたが、ティルファの瞳にリナシェイクが映っている限り、イルナにはリナシェイクの様子がわかる。
「レットはとっても頼りになるのよ。わたしを守ってくれたし、ここまで無事連れてきてくれたもの」
「へえ? あいつがねえ」
リナシェイクが目を瞠る。
「わたしたち、絶対にホークさまを見つけるわ」
「あんたのその能力を使って?」
イルナは息を呑んだ。
何故リナシェイクがイルナの能力について知っている?
どうしてわかったのか。リナシェイクはなにをどこまで知っているのか。
それがイルナにはわからなかった。レットが詳細を説明する時間はなかったはずだ。
「な、なんのこと?」
イルナの動揺を知ってか、リナシェイクがにやりと笑う。
「その肩に乗ってんの、白豆栗鼠の仔だろ? そいつを連れてるのはランフェル山に住んでる連中くらいのもんだ。それに、あんたが被ってる薄布、それはニール村の女の風習だよな? 真視の乙女は真実を視る代わりに目を病むって話を聞いたことがある」
リナシェイクが一本ずつ指を折りながら説明する。それを聞きながら、イルナは血の気がひくのがわかった。
それと同時に疑問が浮かび上がる。何故、ランフェル山にしかいない白豆栗鼠の存在をリナシェイクは知っているのか。
村から外に出ないニール村の風習を知っているのか。
目を病むというのは正しい表現ではないけれど、乙女が視力を失うことをリナシェイクが知っているのは何故なのか。
それらは、町の小さな酒場の店主が知っていて当然のことなのか。
――イルナにはそうは思えなかった。
ザックに来るまでに接触した人の数は決して少なくないけれど、リナシェイクに会うまで一度もイルナの正体に関する話題が出たことはなかった。
「――あなたはいったい何者なの?」
架台の上にカップを置き、イルナは見えないその瞳をまっすぐリナシェイクへと向けた。
イルナの目とティルシャの目の位置には、多少のずれがある。
ティルシャの目に映るものを見ているイルナの視線は、リナシェイクの視線をきちんと受け止められてはいないかもしれない。
それでも、ここまで知られている以上、隠すことは無意味だと思った。
逆に、自分には知らないことが多すぎるのだと実感した。ずっと村で暮らすのであればそれでもよかったかもしれない。
けれど今、自分の無知は、レットと旅をする上で致命傷になりかねない。
「そんな警戒すんなよ。俺はただのメシ屋の店主で、レットの兄貴の知り合いさ」
「でも、それだけじゃない」
強い口調で問い詰める。
ここで誤魔化されてはいけない。
「まあな。こんな商売をしてると、色々と耳に入ってくることがあるもんだ。例えば、もうすぐトリヴァース帝国と戦争になりそうだ、とかな」
「戦争? このエウラルト王国が?」
予想外のことに驚いて問い返すイルナに対して、リナシェイクがうなずく。
「港に軍艦が停泊してただろ? あいつらは開戦に備えてるんだ。ま、こんな情報も客商売をやってりゃあ自然とわかることだけどな」
「とてもそうは思えないけど」
「そんなに怖い顔すんなって。ホークには恩がある。相手がなんであれ、その弟であるレットを売るような真似はしねえよ」
にやけていたリナシェイクの表情が一変した。
イルナに向けられる瞳には確固とした意思が秘められているのがわかる。
その瞳をティルシャの目を通して見たイルナは、大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。
リナシェイクにはイルナに説明するつもりがないのだ。
これ以上粘っても無駄だろう。
なにより、好意で部屋を貸してくれているのは事実なのだ。
「……よろしく、お願いします」
イルナはリナシェイクに頭を下げた。




