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レット11 阿呆どもの胃袋亭

 表通りから何本も奥に入った場所にある、細い路地に面した小さな食堂はまだ開店していなかった。


 壁板がつぎはぎだらけなのは、酔った客の乱闘騒ぎが原因で開いた穴を、騒いだ当人たちに適当にふさがせているからだ。

 どうしてきちんと直さないのかといったら客の乱闘騒ぎなど日常茶飯事で、その都度完璧に補修していたら金と時間がいくらあっても足りないから、らしい。


 風雨にさらされた看板に書かれた文字は薄くなっているが、かろうじて『阿呆どもの胃袋亭』という、客に喧嘩をふっかけているような、客商売にはふさわしくない店名が読み取れる。


「ここ?」


 おそるおそる訊くイルナに対してうなずくと、レットは脇にこっそりと隠されているように存在している細い路地に踏み込んだ。

 くねくねと曲がりくねった道を、少々複雑な道順で進むと、小さな広場に出る。

 随分と遠回りしたことになるが、そこは食堂の裏手にあたる場所で、積み上げられた薪の横に食堂の裏口がある。

レットはそっと扉を開けて、中に呼びかけた。


「ごめんくださいー。リナ? リナいる?」


 室内は薄暗い。まだ寝ているのか、あるいは出かけているのか――。


 出直した方がいいだろうか、そう思い始めたとき、ギシ、と階段の鳴る音がした。


「リナ?」

「んだよ、誰かと思えば……。てめえ、その呼び方やめろっつっただろうが。女みてえで気に食わねえ。俺の名前はリナシェイクだ」


 ボリボリと頭を掻きながら階段を下りて来たのは、長身の青年だ。寝癖のついた赤茶けた髪はぼさぼさで、緑の瞳は不機嫌そうに眇められている。


「ごめん、リナ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「だから……ったく、相変わらず人の話を聞きゃあしねえ」   


 リナシェイクは舌打ちをして、諦めたように呟いた。


「で? なにを頼みたいって?」

「しばらくここに泊めてほしいんだ。あと、俺たちがここにいることを、誰にも話さないでほしい。どう?」

「俺たちって……」


 レットは扉を大きく開き、体を半身にしてリナシェイクからイルナが見えるようにした。


「よ、よろしくお願いします」


 イルナが勢いよくお辞儀をする。


「おっ、女!? レットに女っ!? ちょ、ちょっと待てよおまえいつの間に女なんか作りやがっ……」

「落ち着いて、落ち着けってば、リナ。静かに。実は俺たち、追われてるんだ」

「なんだ、駆け落ちかぁ? やめとけよ、親父さんが悲しむぜ」

「違うって。彼女は別に俺の恋人ってわけじゃない。ホークを捜すのを手伝ってくれることになったんだ」

「え、おまえの恋人じゃねえの?」


 リナシェイクが瞬きをしながらレットとイルナを交互に見る。


「ないない」

「ないです」


 レットとイルナが同時に答えると、リナシェイクがにやり、と口の端を上げた。

 この顔はろくでもないことを考えているときの顔だ、と長いつきあいのレットはすぐにわかる。


「じゃあ、彼女、俺とちょっと遊ばねぇ? こう見えてこの店結構流行ってっし、ちょっとした贅沢くらいならさせてやるぜ」


 リナシェイクの言葉に、イルナが固まるのがわかった。

 やれやれ、とレットは呆れ果て、深い息を吐く。

 リナシェイクは女の子を見ると誰彼構わずちょっかいを出さずにはいられない性質なのだ。

 そんなリナシェイクのことをよく知る馴染みの女の子たちは、もう誰も彼の言葉を本気にはしないのだけれど、初対面のイルナにそんなことがわかるはずもない。


「リナ、残念だけど諦めたほうがいい。彼女はホークに逢うために故郷を出てきたんだから」


 こくこく、とイルナが何度も首を上下させる。 


「なんだ。おまえじゃなくて、おまえの兄貴のお手つきなのか。まあいい。ここじゃ目立つ。ひとまず入れよ」


 リナシェイクが大してがっかりしたそぶりも見せずに言った。ひとつあくびをすると、ふたりを手招きする。

 入ってもいいってことは、頼みをきいてくれるつもりがあるということだろうか。


 レットはイルナを促すと『阿呆どもの胃袋亭』へと踏み込んだ。

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