レット9 長い洞窟
「あのさ、イルナ。ちょっと気になったんだけど……」
分かれ道を迷うことなく進んでゆくイルナの背に向かって、レットは迷いながら切り出した。
「なに?」
「君の目は、見えないの?」
ほんの少しの間を置いて、イルナが苦笑を浮かべたのが薄布越しにわかった。手に持った角灯がゆらゆらと揺れ、岩壁に映るイルナとレットの影も揺れる。
「そうよ。見えないの。でも、その代わり、ティルシャの目に映るものを一緒に見ることができるから平気」
「一緒にって、どうやって……?」
「真視の乙女が七歳で白豆栗鼠と契約するのは、この時のためよ。真視の乙女は真実を視る。けれど真視は、体にとても負担をかけるの。乙女たちはそれを覚悟で真実を視るけれど、その代償として一度につき片方の視力を失ってしまう。だから二度未来を視た者は白豆栗鼠の目を通して物を見るの。真視は依頼主の顔や、その持ち物を見ながらそこに透けて見える未来を視るから、目が見えないと真視ができないのよ。ただし三度真視を行えば契約は終了、なにも見られなくなるけどね」
「そんなことが……」
「契約をして一緒に暮らしているうちに互いの心の距離が近づいて、自然と視点の切り替えができるようになるの。ティルシャの視点に慣れるまでは時間がかかったけれど、今ではなんの不自由もないのよ」
イルナが言うように、さっき薄布がはずれなければ、その双眸が何も映さないことになど気づかなかっただろう。
「ああ。一緒にいても気づかなかったくらいだし、きっとそうなんだろうな」
「そう。ティルシャがいれば、木登りだってできるんだもの。だから、心配なんてしないでよ。そんなもの無用なんだからね!」
イルナがくるりと踵を返して洞窟の奥へ奥へと進んでゆく。その足取りからは確かに不安さは感じられない。
レットはイルナとその肩に乗っているティルシャとを見比べ、真視の乙女とは不思議な能力を持っているものなのだな、と感嘆するのだった。
※※※
洞窟内の壁は仄かに青白く発光している。その光だけで歩くのは無謀だけれど、角灯の火を消しても互いの姿がぼんやりと見える程度には明るい。
洞窟に踏み込んで二日が経過していた。
滑りやすい足下に注意しながら歩かなければならないので、どうしても移動に時間がかかる。
ところどころに深い亀裂がはしっていたり、滑り落ちれば助からないような崖の上の細道を通らなければならなかったりして、精神的にも疲弊する。
「もうすぐのはずなんだけど……」
乾いた場所に腰を下ろして休憩をしている時、イルナが呟くように言った。
いつも被っている薄布は既に取り払っていて、その手には食べかけの干し肉が握られている。
村を脱出する時、イルナが予てから用意していたらしい自分の荷と、男衆に取り上げられていたレットの荷を持ってきてくれたので、随分と助かっている。
洞窟の中で食料を調達するのはなかなか難しいが、幸い荷の中には携帯食が残っていたからだ。水は洞窟内を流れている川の水がきれいだったので、そこで汲んだものを大事に飲んでいる。
「ギュアンが読んだっていう手紙には、今通っているこの道の記述もあった?」
レットはあと少ししか残っていなかった干し肉の欠片を口に放り込んで飲みこんでから訊いた。
幸い、この二日間に追っ手と遭遇することはなかったけれど、もしギュアンが知っていたら、出口付近で待ち伏せをされている可能性がある。
「ううん。これは、まだミアさんがニール村にいるころに教えてもらった目印をたどってるだけだから」
「ミアさんっていう人が、この洞窟のことを教えてくれたの?」
「そう。ミアさんは真視の能力でこの洞窟から麓へと抜ける正しい道を視たことがあるらしいの。そしてわたしに教えてくれた。ミアさんが村から出て行く時、目印を残しておくって」
なるほど、とレットは納得しつつ、安堵する。イルナの言う通りなら、ギュアンは今ふたりが通っているこの道がどこに続いているのか知らないかもしれない。
そうであってほしいとレットは願うばかりだ。
イルナの肩に乗っているティルシャがイルナからもらった木の実をカリカリと小さな口でかじる音が響いている。
「ひとつ訊きたいんだけど――」
レットが切り出すと、ティルシャが木の実を口から離し、レットの顔を見る。
「なに?」
「なんで真視の乙女は村から出たらいけないんだ?」
「……なんでだろう?」
少し考えてから、イルナが首を捻った。
「なんでだろう、って……理由は知らないの?」
「外は危険だから、って小さい頃から聞かされて育つけど……。女の子たちは村の外に出たことがないし、みんな自分たちの暮らしに疑問を抱いたりしてないから、あまり外に出ようって考えたりしないみたい。わたしとか、ミアさんみたいな人は珍しいんじゃないかな」
「危険だから、か……」
それは能力を悪用しようとする輩がいるとか、そういうことを言っているのだろうか。
それとも、それ以外にも何か理由があるのだろうか。
「これからザックに行くなら、ミアさんに訊いてみようか。もしかしたら、知ってるかも」
「ミアさんって、ザックにいるのか!?」
レットは驚いて思わず大きな声を出した。
「そうだよ」
「無事なのか?」
「もちろん。定住してるわけじゃなくて、定期的に移動してるみたいだけど、今はザックで占い師をやってるはずだから」
占い師。
真視の乙女が占いをするというのは、似合っているようなそうでないような、不思議な感じがする。
占いというくらいなのだから、真視の能力は使わないのだろう。
三度しか使えない能力を頼りにしていては、占い師などできないだろうし。
「真視の乙女は占いもできるの?」
「できないよ。ただ単純にミアさんは占いが得意だったってだけだと思う」
「ああ、そうなんだ」
真視の乙女だからといって、なんでもできるわけじゃないんだな、と少し安堵する。遠い存在だったのが、ほんの少しだけ近づいたような、そんな感覚。
それに、村から外に出た人が無事でやっているというのなら、『村から出たら危険』という言葉を気にする必要はさほどないのかもしれない。
もちろん、追っ手に見つからないよう、充分に気をつける必要はあるだろうけれど。
レットは気持ちを引き締め、ひとつうなずいた。
「あっ、ありがとうね」
突然、イルナに礼を言われて、レットは顔を上げた。
「え?」
「わたしを連れてきてくれて」
「礼を言わなきゃいけないのは、俺の方だろ」
「でも、わたしのせいで迷惑をかけてる」
「君のおかげで、こうして追っ手から無事逃げられたんだし」
「でも……」
「じゃあ、お互いさまってことで」
本当はほとんどイルナのおかげだと思っているけれど、ここはあえて主張せずに、折り合いをつけることにする。
「お互いさま……」
「そう。そしてこれからも、お互いに助けたり助けられたりしながら、ホークを捜せばいいんじゃないかな。だから、これからもよろしく、イルナ」
一緒に旅をするというのは、きっとそういうことだ。
レットの言葉を静かに聞いていたイルナは、やがてはにかむように笑って、小さくうなずいた。
少し赤く染まった頬が可愛くて、レットは思わずその顔に見惚れる。
「よろしく、レット」
ふたりの旅は、まだ始まったばかりだった。




