二話
そうして翌日も、翌々日も行われた調査はしかし失敗に終わった。もしかしてあれはアルバート(仮)では無く『泣き虫』なんじゃないかという疑念を抑え込む。人間に岩を砕くとか不可能ですから。
メモ帳をちらりと流し見る。アルバート(仮)の生活スタイルだったり、身体能力についてがかなり正確に書き込まれているこれも調査によって判明したものだ。
だが調査ははっきり言って手詰まりを迎えていた。
死中に活在り、虎穴に入らずんば虎子を得ず。そろそろ危険を冒す必要が有るのかもしれない。
「アルバート(仮)が家に来るですって」
その機会は意外とすぐに訪れた。
「うむ、この日に訪れるよう頼んでおったのじゃよ」
なるほど、もともとわたしが婚約を受け入れると思っていなかったから、この日に無理にでも合わせる心積もりだった訳か。
此方にだって準備という物が有る。芋臭い恰好でぐうたらしている姿を見せつけるわけにもいかない。
家にやって来たアルバート(仮)はかなり格式高い衣装を纏っていた。
はっきり言って似合わない。本人の印象が強いから、濃いめの服飾だとくどくなり過ぎてしまう。個人的にはアルバート(仮)にはもっとラフな服装の方が似合うと思う。ごてごてしているのよりもシンプルなものが似合うのだ。
そうメイドに伝えると。
「お嬢様がプレゼントなさればいいのでは」
「そういう出費をする余力、わたしにはないの」
ちょっと、今月ピンチなのだ。ほどほど切り詰めればやっていけるが余計な物を買うと詰む。
……仕方が無いから泥臭いが裏手の森で山菜集めをしなくては。
子供の頃は、わたしは大層アグレッシブでお家で遊ぶよりも外で遊ぶことが多かった。『泣き虫』アルを引き連れてノグス家の裏山か、家の裏手の森で遊びまわったものだ。その時の経験で野草集めを得意にしている。そしてこれがいい小遣い稼ぎになる。
山菜取り用の一式を手にちらりと裏手の森を見る。
アルバート(仮)がいた。裏手の森に彼が消えていった。これは一体どういう事であるのか、慌ててわたしも森に入る。流石に無いとは思うが自然破壊は止めてもらいたいし。
だが数分でアルバートを見失い、どうしようか考えていると。
「街道の整備とやらで此処は開発されたんだったな。」
後ろから声がして、思わずギャーという叫びと共に振り返ると大きな大きな大男がいた。
「好きだったろう。」
アルバート(仮)はわたしの叫びも何のその、恵草の沢山摘み取られた籠を渡してきた。ちゃんと根っこの先まで丁寧にとってある。これは評価高いですよ。
確かにわたしはそれを集めていた。といっても子供の頃の話だ。
蜜は甘いし茎も葉も根も全てが食用に利用できるから、おやつとして集めていたのだ。裏手の森の
群生地が開発で無くなってしまって半日泣いたことを思い出す。
次にアルバートが遊びに来たとき、恵草の花束を持ってきたのだけど一番おいしい根っこが無くって涙目になったのだ。
「花が死んでしまうからでは無くて可食部が少なかったから泣いたんだったな」
何が悪いとばかりにジロっと睨むも目前の大男はどこ吹く風。花より団子で何が悪い、子供であるのなら当然のことであろうに。
あれ、でも恵草の群生地は無くなってしまったはずだけど、これを何処で見つけたのだろうか。少なくともノグス家から持ってきたわけではなさそうだし。
アルバート(仮)は此方を向いてどや顔で言った。
「群生地を見つけたんだ。こっちだ」
「え、うそ、本当!」
彼のその顔に向こう脛を思わず蹴っ飛ばしそうになる自分を必死に抑ていると突然の爆弾発言。
そうしたわたしはホイホイと男に着いて行き、森の奥に消えていった。
そして小一時間ほど泥が付くのもお構いなしにえっちらほっちら山菜集め。
ちなみに成果は大収穫でした。
山菜の山を片手に意気揚々と家に帰還するわたしを御爺様が出迎える。
「婚約者殿、一手ご指南頂きたいのじゃが」
御爺様はげきおこだった。
御爺様ちょっとどころじゃないほどにご機嫌斜めだった。今度ばかりはあたしはなにもしていない……はず。ともかくその原因を探るべくどうしたのかメイドに問うと。
「お嬢様が伴も附けず異性と小一時間ほど山陰に消えていたからではないでしょうか」
婚約者とはいえ異性と二人っきりで人目に着かない場所に消えていった、其の客観的な事実に思い至り思わず顔が赤くなる。
「儂の孫を求めると言うのなら、この老輩に打ち勝ってみられよ」
違うのとか、そういうのじゃないのというより前に疑問が一つ。
「婚約の話持ち込んだのはお爺様からでは無いの?」
「そうですよ。先代様がノグス家に申し込んだのです」
……アルバート(仮)を擁護するつもりは全くないが是は流石にあれじゃないのか。
思わず止めようとするがそれよりも早く。
「ええ、お願いします」
アルバート(仮)が獰猛に笑う。やっぱこいつは『泣き虫』では無くアルバート(仮)だ。ちょっと脳筋が過ぎるでしょ。
「先代様の夢だったそうです」
メイドはわたしにそう耳打った。娘との仲、認めて欲しくば力を示せって、今はやりのドラマでもやっているわね。でも祖父が孫の婚約者にやるのはいささかまずいんじゃないかしら。老人に暴行を加えるとか諸々から苦情が来る事待った無しだ。
アルバート(仮)と御爺様は何処かで動きやすい服装に着替えて両者は御庭に移動していた。名目上ではあるが、景品であるわたしも共に。
「お嬢様」とメイドに声を掛けられる。景品である以上何かしらいった方が良いのだろうが。
だがどちらを応援するにも角が立つ。
御爺様も年なわけだしこれは圧倒的にアルバート(仮)有利だ。しかし御爺様を応援するには経緯があれだし、かといってアルバート(仮)を応援するのも……ねぇ。
わたしは何も言わず、ほんの少しだけ微笑んで曖昧に手を振る。こういう時にはいい感じにぼやかす事が最善手であると知っているからだ。
そしてそれを合図とするように両者が向かい合って、そして構えを取る、と。
「豚鬼流格闘術ですか」
「いかにも」
わたしはアルバート(仮)のその発言に疑問符を浮かべる。だって十五年の生涯でそんな話一度も聞いたことが無かったから。疑問しか浮かばない。こういう時は物知り顔で眼鏡をクイっと持ち上げるメイドに聞くのが一番だ。解説のメイドさん説明をどうぞ。
「党首様は、豚鬼式格闘術免許皆伝の腕前で有らせられます。その使い手はいかなる傷を負っても決して倒れることがなかったとか。また修練の過酷さから使い手はごく少数で有り、国内において党首様以上の使い手は居りません」
「え、何それ、お爺様がそんな武術納めているなんて聞いたことがないのですが。そしてひとまずその疑問は置いておくわね。ポイよ、ポイ。で話を戻すならならアルバート(仮)は不利ってこと?」
「いえ、一撃必殺を理念とする龍神一刀流無手術、ご存知のように若様はその使い手で御座います。王国の盾と最強の剣の争い、これぞまさに矛盾。いったいどちらが勝利をその手に勝ち取るのか、私にも全くわかりません」
知りませんよ、ご存じでないです。何だそれは、何なのかしら。常識なの?常識だと言うの?落ち着け、落ち着くんだわたし。
ふうっと息を飲む。メイドの解説をちょっと理解しかねて、わかった事は何もわからなかったと言う事だけ。
いかに空気が緊迫しているのかとか、そもその何とか無手術とか、云々格闘術だとかの来歴も兼ねた説明。長い間ずっとクール系だと勘違いしていた天然入った格闘技好きの彼女の話す事をシャットダウンして意図的に聞き流す、説明されてもまるで分からないし。聞いているだけで脳髄が汚染されちゃうという物だ。
そんな常識みたいに言われてもさっぱり何もわからんのだ。何でこんな事になってしまったのか。
私はお小遣い稼ぎで山菜集めをしていただけだと云うのに。くしゅん、寒い。
あ、雲の形が蝶々みたい、とほんの一瞬だけ目を逸らす。
その一瞬でお爺様とアルバート(仮)の立ち位置が入れ替わり。
そしてグフっと息を溢してお爺様が膝をついた。
「え、は、え、何が起きたの、勝負の結果は」
「まさか、あの党首様が一撃で落とされるとは」
その言葉に待ったをかけたのは対戦相手のアルバート(仮)であった。
「いえ、二撃です。一撃で落とすなんてことはとても無理でした。流石は音に聞く豚鬼式格闘術。実際に死合えば果して最後に立っているのは何方やら」
「謙遜が過ぎるのではないかね。婚約者殿。其方が殺す気で来たら、儂は一撃で死んじまうだろうに。手加減された上に真正面から打ち負けた。儂の完敗じゃよ」
「貴方の様な強者と拳を交わすことが出来て光栄です」
「儂も君の様な才ある若者と戦えて良かった」
二人はまるで先ほどとは打って変わったニコニコと握手をする。何が起きたとかとりあえず置いておいて一つ思ったことを述べる。
「なんか分かりあっているんだけれど」
「百聞は一見に如かずという言葉があります。私は実際に彼の試合を見て、感じ入ることがありました。見学していただけの私でさえこうなのです。ならば実際に拳を交わした党首様方は、どれほど深く理解し合ったのでしょうか」
眸をキラキラ輝かせてるわよこの女。キャラが違うでしょ。こうもっと、毒絶クールでしょあなた。こう、いい大人が何おかしい事言ってんのって突っ込むのがあなたの仕事でしょ。仕事を果たしなさいよ。
「私も侍従式防衛術を嗜んでおりますが、お二方相手にはいささか分が悪いですわね。」
常識人は私だけか。思わず頭を抱えたくなる。なんてこった此処は何時から蛮族の住む土地になったのだ。侍従防衛術ってなんだ。いつそんな変な技能を身に着けた。
「侍従防衛術とはパーフェクトメイドと名高い、かの聖マルグリットによって編み出された要人護衛術の一つで御座います。その特徴は万能性にあり、あらゆる局面に対処できるように」
長くなりそうなのでそれくらいで結構です。其れと聞きたいのはそのなんたら防衛術についてでは無く、いったいいつ、どうやって、なぜそんな技能を身に着けたかについてだ。
私の中の常識がガラガラ音を立てて崩れ去っていく。
ああ、頭が痛い。
「お嬢様、少し体を冷やされたようですね。申し訳ございません。そうなる前に私が気が付くべきであったのに」
皮肉気なメイドとしては珍しく本当に此方を心配している。でも違うそうではない。肉体的ではなく精神的に疲れたのだ。
武術トークで盛り上がる二人を後目にわたしは屋敷に帰っていった。
体調不良を理由に自室に帰ったわたしであったが、ベットでちょっとごろごろしてたらすぐ元気になって。山菜取りをしたせいで、体に泥がついていたことに気が付き、お風呂にでも入ろうかと浴室に行く。
浴室の扉をガチャリと明けると半裸の大男がいた。
何所で衣装替えを行っていたのか不思議だったけどそこで着替えていたんですね。
男の半裸姿は初めて目にするが、恥ずかしがるとかそういう余裕は無く思わず凝視する。
普段は衣服に隠れている、全身に走る傷跡は潜り抜けて来た死線を現しているのかすっごいのだ。すごいマッチョだなぁ。まずぶっとい腕は多分わたしの胴体は優にあって、脚部は大樹の幹くらいだし、え、あれが私と種族なのか、同じ蛋白質で構成されているのか、疑問がとめどなく浮かぶ。
「あまり凝視しないで貰えるか、少し恥ずかしい」
失礼しました。
ガチャリと扉を閉めた。
夕食会にはアルバートも参加していた。まあ参加しない訳も無いか。
わたしは取ってきた山菜のフライをむしゃむしゃ食べていると。
「明後日の予定は空いているか。」
アルバート(仮)の言葉はデートのお誘いと言うべきなのだろうか。校舎裏に来いという意味では無いだろうか。こう呼び出しておいて闇討ちするとか。
「いきなり殿方と二人きりっと言うのも恥ずかしいですわ」
わたしの言葉に、アルバート(仮)も御爺様もメイドも皆が白けた目線を送って来る。
「お嬢様、今更猫を被っても、その、あれですよ」
「そもそも、先ほどまで二人っきりだったじゃないのかのう」
「いや、其処まで嫌ならいいのだが」
「いえ、わたしもアルバート(仮)様も、此方に来たのは久方ぶりでしょう。だから地元をよく知るメイドに案内を頼もうと思っているのです」
明後日、婚約者とデートすることになりました。




