一話
「婚約者ですか。いまどき婚約者なんて古いんじゃないですか。前時代の遺物みたいな考え、ジェームズお爺様もしかして呆けました?」
幼馴染が婚約者であることを祖父に教えられたのはわたしが十五歳、長期休暇で実家に帰り、其処で寛いでいる時の事だった。
わたしはガーネス王国フィアー伯爵家の三女である。貴族と言ってもど田舎のお山の大将みたいなもの。昔はともかく今は単なる名誉職で金さえ払えばだれでも貴族になれるこの時代、高貴なる血を残す義務なんてものは無く、姉二人は自由恋愛で結婚した。わたしも適当な男をひっ捕まえて恋愛結婚するつもりで婚約の話は寝耳に水であった。
「おぬし、孫にこんなこと言いたくは無いのだがのう、結婚できると思っておるのか。あんな噂が流れているようじゃし。ほらナッツクラッシャーじゃったか」
「手紙で知らせたじゃないですか。わたし全く関わっていませんよ。名前勝手に使われただけですし」
それが休暇が始まってからすぐに実家に舞い戻ってきた理由の一つだ。先月友人がとある事件に巻き込まれてその際わたしの名を騙ってやらかしたのだ。それはまあいい。問題なのはそれが噂になって広まったことだ。曰く悪い噂の絶えなかった第四王子を調教したとか、目を付けた男のあれを握りつぶすのが趣味だとかそんないやな噂が。
「当然儂等は噂は噂だと知っておる。じゃがのう、お主をよく知らぬ者達からすれば、お主はそういう噂が立つ女子であろう。それにつられて来る男どももろくでは無かろうに」
確かに、私が其の噂について知ったのも、同級生に罵って欲しいと懇願された事が切っ掛けであった。とてもびっくりしたものだ。突然虐めてください!って懇土下座されたら普通焦る。
「儂はお主が心配なのじゃよ、上の二人と違って容量が悪いしのぅ。可愛げが無いと言うかなんというか。取りあえず会ってみるだけでいいのじゃよ」
お爺様はこうなると長い。せっかくの休暇を愚痴と説教で潰してしまう事だけは嫌だっだが、お爺様の説得も大変だ。だから面倒くさくなって私は其れに同意した。
「もう鬱陶しいですね。分かりました会うだけ会います会えばいいんでしょう。で誰なんですか」
「隣のノグス家のアルバート君じゃよ。昔よく遊んだじゃろ」
「アルですって!帰って来たのですか。修行の旅に出ていたそうですが」
「ああ、一昨日帰って来たというのでな。渡りに船とばかりに連絡したのじゃよ」
アルバート=ノグス、彼は隣の領地を治めるノグㇲ家の四男坊。私にとっては所謂幼馴染である。ノグス伯爵家は家と同じ成り上がりだ。先先代が金で貴族位を買ったんだったっけか。商買人として優秀で交易でだいぶ儲けている家だ。
アルバートは貧弱で軟弱、性格は臆病で泣き虫、趣味は花の育成。修行の旅に出るとかなんかで五年くらい会っていない。うん無いな。女々しい男は無い。せめてわたしを守ってくれるぐらい男らしくなっていれば別だが。適当にごねれば奴なら婚約を破棄するだろう。
そんな軽い気持ちで隣のノグㇲ家に行くことをわたしは後悔することになる。
お爺様は私の気が変わらないうちにとあっと言う間に準備を整えた。本来ならば相手の家の準備が有るのだろうが、其れが必要ではない程度には親しい。
車に揺られて数分でノグㇲ家の前に到着する。徒歩で行き来できるくらいには近いのだがあえて車を使うとは。いや、これはわたしが逃亡しない様に見張っているつもりなのだろうか。
実家の倍はあろうかという大きな屋敷が出迎えた。
相変わらず無駄にデカい豪邸を前に相変わらず掃除が大変そうだなとふと思う。
豪邸と聞くと羽振りがよさそうである。だが田舎は地価が安く、豪邸だろうが結構安く出来る。これが王都だとかの大都市だと話は別であるが。
だから田舎の貴族は誰もが豪邸を建てていてしかし其れが裕福さを示す訳では無いのだ。
え、フィアー家はどうだって?我が家は清貧を良しとする気高い貴族ですから(震)。
そんな事をつらつら考えていると応接室に通された。
「お久しぶりですノグス伯爵」
「そんなに堅苦しくならなくてもいいよメアリちゃん」
ノグス伯爵は相も変わらずガハガハ笑っていた。わたしにとっても彼は親戚のおっさんの様なもので其れなりに親しい。やれ近況は如何だとか学業について軽く雑談を交える。にしてもこの人いつも笑っているんだよな。
と扉がノックされて男が入室してきた。
でけぇ。最初にそう思った。部屋に入ってきたのは巌のような大男であった。オーガかあるいは鬼人の戦士か。どちらにしても護衛として雇うには金貨十枚は必要であろう。そんな戦士を雇うだけの財力に軽い嫉妬を覚えていると、その大男はノグス伯爵の背後、にはいかずにどしりと私の正面の席に座った。
護衛の男が入って来たのにアルバートが入ってこない。疑問を覚えていると正面の男が口火を切った。
「久しぶりだなメアリ。壮健そうで何より」
妙に馴れ馴れしい大男に嫌な予感を感じながら名前を聞く。違うよね?礼儀作法とか良く分からない護衛の新入りが使える主人のふかふかな椅子に座ってみただけだよねという願いを込めて。
「えっと。ええっと失礼ですがお名前を伺っても宜しいでしょうか。恥ずかしながらお会いした記憶が」
「何を言っておるのだメアリ。アルバート君だよアルバート君。今日は彼に会いに来たのだろうが」
その場で絶叫を上げなかった私を褒めてやりたい。その後のことは何も覚えていない。ただ帰宅後にお爺様に心配されるほどにひどい顔色をしていたらしい。
私はあれを幼馴染の泣き虫アルとは認めない。奴のことはアルバート(仮)称することにした。
さっそく翌日から情報を集めることした。
だってわたしがあの『泣き虫』と会わなくなって四、五年。たったそれだけで私よりも小柄で在った少年が私の倍近くにまでなるなんておかしい、絶対におかしい。
あれはどう考えても人食いの鬼とかそういう存在だろう。人種のサラダボウルである王都でもあのようなマッスル見たことも無い。つまり人間ではないのだ。
だが悲しきかな、人間は自分が見たいことしか見えない物だ。人は残酷な真実では無く優しい嘘を尊ぶものだ。
御曹司が為り変わられているなんて誰が信じると言うのか。現に親馬鹿、ノグス伯爵はあれが実子であると疑ってはいないではないか。
わたしが如何主張しようとも、小娘の戯言など誰も信じてくれはしない。だから明確な証拠が必要である。奴が『泣き虫』でないという決定的な証拠が。できれば人間に化ける前の姿を映せればいいのだろうが。
夜間、寝室に忍び込み睡眠時の元来の姿を映すべきか、いやそれは最終手段だ。
まずは情報を集めるべきで。だからわたしは信頼できる古馴染のメイドを一人連れて情報を集めるべくノグス家を訪れた。
何処か不気味に見える屋敷を前にごくりと唾をのみ込む。魔王の城を訪れた勇者もきっとこういう気持ちで在るのだろう。
と、ぎぎぎと重厚な音を立てて黒塗りの扉が開かれた。もしや潜入がばれたのか。慌てる私に使用人が「いらっしゃいませませー」と一言告げる。
そりゃあ、玄関に近づけばわかるわよね。
さっそく使用人にアルバート(仮)の様子を尋ねる。やれ好きな食べ物は何か、やっぱり生肉を食べるのかとか、近頃姿が見えない使用人は居るかとか。
「まあまあ。お坊ちゃまは相変わらずですよー」
そう微笑ましそうに笑うノグス家の使用人に在らぬ勘違いをされているのだろうがそれよりも重視しなければならない問題が有る。
「アルバート(偽)様は随分成長為されましたね」
「坊ちゃんは成長期ですからねー。会うたびに一回り大きくなっていたんですよー。青竹みたいでしたー」
いやおかしいだろうが。ちょっとデカくなり過ぎだろう。変な薬物でも摂取したのだろうか。
ノグス家には、使用人が沢山いる。古馴染の人も居れば初対面の相手もいる。にしても人多いわね、数人しかいない家とは大違い。
休憩室を訪れたり館中を回って証言を集める。この家の人は妙にわたしに好意的だ。何故だろうか。御曹司と婚約者であるとかそういうのとは別の何かを感じる。どういう事だろうか。
「身内に片足突っ込んでると言う事です。ノグス家の方々からしてもお嬢様は内側なのですよ」
妙に気恥しいが、今は情報収取にプラスだとポジティブに考えよう。
そうやってあの大男の情報を少しづつ集めてた。その度に向けられる生暖かい目と意味深な笑み。
館で一通り情報を集め終わるころにはすっかり冷静になった。割と外堀埋めちゃっている様な気がしないでもないが大丈夫。きっと何とかなる。
そう意気込んで今回の調査における最重要人物、ノグス伯爵夫人に話を伺っていると。
ズドン、ズドン、ドゴン。
地響きが鳴り響いて大地が揺れ動いた。
「……何為されているのですか」
机の下に隠れたわたしに呆れた声を上げるメイドの危機意識の低さにげんなりする。
「危ないからあなたも隠れなさいよ」
わたしの注意に「お嬢様は相変わらずお馬鹿さんですねぇ」とメイドが眼のふちを拭って此方を小馬鹿にする。
間抜けなのはそっちよ。
王都ではそんな甘っちょろいことを言っている奴からいなくなるのだ。自分は大丈夫だと思っていると危険から逃れる事なんて出来っこない。
子兎のように危機に対して敏感でなくては、陰謀渦巻く王都ではやっていけない。
そんな私たちのやり取りを見てノグス伯爵夫人がクスリと一言。
「皆慣れました。原因は裏山にいらっしゃいますよ」
夫人に一礼して騒音と振動の元凶を確認すべく裏山に向かう。其処は昔よく遊び場として駆けずり回っていた場所で。昔の思い出に耽りながら坂を上り切るととんでもない光景が目に入った。
ムッキムキなマッチョが地面を素手で砕いていた。
わたしの婚約者だった。
是が大道芸人であったのなら称賛の声と共に御捻りを挙げるのであろうがあれ、私の婚約者なのよ。素手で大地を耕すって何事なのだろうか、脈動する筋肉の生み出す破壊に思わずドン引きする。
「……家に帰るわよ」
「はいお嬢様」
すっかりやる気の萎えたから、自宅に帰還することに決めた。
メイドの瞳が怪しく輝いていることにこの時のわたしは気が付くことはついぞ無かった。
第一回調査隊は結局、アルバート(仮)の正体についてまるで掴むことは適わなかった。しかしよく考えて欲しい。此処まで綿密な調査で何も埃が立たないことが有るのだろうか、いや無い。これは継続して調査が必要である。