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常世の長鳴き鳥  作者: pinkmint
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その5 砂漠の戦士

 討伐の日を間近に控え、王宮の訓練場では、連日厳しい剣技訓練が行われた。閲覧席の王の隣には、ゴラン族長の姿もあった。


 王子二人は手練れの剣の使い手であり、ほぼ腕は互角ではあったが、ハイサム王の目から見て、二人の剣には乱れが目立った。

 上級剣闘士相手の打ち合いをみても、ハビールには持続力が足らず剣さばきに切れがなく、反対にラキードは力任せに剣を振り回すばかりで、荒さのみが目についた。

 王は髭をひねりながら二人の訓練を見て居たが、やがて手を上げると二人に声をかけた。


「どうもいかん。ラキード、ハビール。お前たち二人で戦ってみろ。互いの欠点が分かるはずだ。長剣と短剣、双剣での戦いを命ずる」


 二人はそれぞれ二本の剣を与えられると、黙したまま向かい合った。

 閲覧席から自分に向けられたゴランの視線が火矢のように不快に感じられ、ラキードは務めてそちらに視線を向けないように顔をそらした。

 目の先にあるのは、何の曇りもない視線をこちらに向ける弟の顔だ。

 つま先から脳天にかけて、焦げ付くような感情が駆け上がった。


「はじめ!」

 

 王の声が天高く響いた。二人は両手に持った剣の切っ先をたがいに向けると、数秒静かに見合った。短い叫びをあげ、先に撃ちかかったのはハビールだった。ラキードはハビールの右手の長剣を力ずくで横に薙ぎ払った。

 それでも左手の剣で音高くラキードの刃をはね返すハビールに対し、ラキードはいきなり足払いを食らわせてその体を転がした。そして、倒れた弟の頭上に両手の剣を振りかざした。

「そこまで!」ゴランが声を上げたが、ラキードは振り向きもせずハビールにのしかかったまま叫んだ。


「あなたに指図されるいわれはない。戦の場ならば待ったはないはずだ!」

「あなたのために言ったのだ。自分の首筋を見てみなさい」


 ラキードははっと振り返った。下敷きになった弟は、左手の短剣を兄のうなじに突き付けていた。いや、その切っ先は首に触れており、薄く血が流れていた。

「すまない、兄さん。とっさのことで、手加減が」ハビールは荒い息で言った。

 父王はラキードの代わりに答えて言った。

「いや、いい。前に前に出ることばかり考えて技をないがしろにしたこやつが悪い。ゴラン殿が声をかけなければハビールは体を回転させてお前の延髄を切断していたぞ、ラキード」

「いや、私が止めなければラキード殿下は弟君を刺す覚悟だった。この目にはそう見えましたが」ゴランは重々しく言った。

 ラキードは茫然と首筋に手をやると、薄くついた自分の血に顔を歪め、唇を噛んだ。

 王はしばらく二人の王子を見つめていたが、


「訓練はここまでだ。お前はわしの部屋に来い、ラキード」


 重々しい声で兄一人にそう言いわたした。



 陽の落ちた父の書斎で、薄暗いランプを前に、ラキードは無言でうなだれていた。

 ハイサム王は大理石の卓を挟んで向かい合わせに座り、王子と自分の前に置かれた銀の杯になみなみと酒を注いだ。


「わしの持っている中で一番いい酒だ。まあ、飲め」

「今はそんな気持ちになれません」王子は唸るように答えた。


「お前はいつもそうだ、そうやって自分に蓋をして酒を楽しむということをしない。だがたまには己の魂に休暇を与えぬか。何も考えずに飲め、わしが許す。いや、これは命令だ」

 王子は仕方なく言われるままに二杯三杯と杯を重ねた。やがてその頬が朱に染まり、上体がゆらゆらと揺れ始めたころ、王は静かに語りかけた。

「ハビールと何かあったか」

「……何もありません」

「力の勝る敵に負けるのは戦いの定め、だが将の心が割れ、兵士の意気を下げる愚だけは避けねばならぬ。わかっているな」

「わかっています」

 ラキードは注がれた酒をまた飲みほした。

「ハビールは身重の妻を抱える身、討伐に行くのにはお前以上の覚悟が必要だろう。だが妻子の為に無事に帰ることを思えば、士気も上がろう。やつにはまだまだ不器用な点もあるが、真面目に励んでおる。だがお前はどうだ」

「……」

「お前の眼はどこも見ていない。敵も、この王国も、未来も。暗く自分の内に凝っておる。得体のしれぬ苛立ちばかりが渦巻いておる。違うか」

 ラキードは下を向いたまま、答えなかった。

「何を迷っている。美しい妻のことを思え。お前が王国を守り、蛮族をせん滅し、無事に帰ればこそアミーナの顔も見られる。可愛い子もいずれその手に抱けよう」

「そんなものは夢物語です」父王の言葉を断ち切るようにラキードは言った。

「なんだと?」

「あの女は永遠の処女です。ぼくなどの手の届かぬところで、そうだ、きっと神に愛されて神の子を身ごもることでしょう。そうに違いない。あれは、天と交わって……」

「罰当たりなことを言うな」王は怒りを込めた口調で息子の言葉を遮った。

「永遠の処女とは何事だ、お前の妻であろう。神の前で契った妻だ、夫はお前一人」

「あの女は誰のものでもない」王子は叫ぶように言った。

「ぼくすら手を触れることの許されぬ存在です。誰も触れてはならないんだ。誰かがふれたなら、ぼくはそいつを殺す。それがぼく自身でもだ。たぶんぼくにはその資格がないんです。そうとも、神でもない限り……」

「お前が何を言っているのかさっぱりわからん」王はため息をつくと、そこではっと気づいたように顔を上げた。

「まさか、まだ真の夫婦となっていないということか。そういうことか」

「だったらどうだというのです」ラキードは中空に視線を投げて歌うように言った。

「エロ―ラ。砂漠の長鳴き鳥。彼女はその化身かもしれません。だから女たちの夢の歌を歌い……」

「もういい」王は杯を置くと首を振った。

「結婚前も、わしの見ぬところで遊び女どもとよろしくやっていると思ったが、本当の堅物だったか。真に愛する女を前にしては手も足も出ぬか。それでは戦いに出る覚悟もつくまい、弟の幸せも羨ましかろう」

「父上にはわかりません。わかる話でもない」

「お前は酔っている。もういい、部屋に戻って休め」

 ラキードはもうひと口酒をあおって立ち上がると、父王を見下ろして言った。


「ぼくはちゃんと戦いますよ。そして、真の敵をしっかり射止めます。愛するものを守るために」


 王に向かって深々と頭を下げると同時に、かしいだ体がどんと柱にぶつかった。王が立ち上がりかけると、王子は右手でそれを押しとどめ、よろよろと背中を揺らしながら扉の外へ消えていった。

 王は顎髭を撫でると椅子に背を投げ、首を振りながら窓から見える青い月を見上げた。



 バッシャール王家においては、カンドゥーラ―裾まである長袖の衣装―の色は白、頭にまとう布―グドゥラも白、その上に乗せる丸い輪―イガールの色は青、さらに戦いの時は砂除けにその頭部を水色の長いスカーフでぐるぐるに巻くことになっていた。

 そうして二人そろって駱駝にまたがると、ラキードとハビールは揃いで作られた彫像のようで、どちらがどちらと見分けられるものは一人もいないのだった。

 王子たちの隣にはゴラン族長が手下の兵士を控えて並び、その背後にはバッシャール王国の自慢の戦士たちがずらりと整列していた。

 並んで見守る従者の列からつと歩み出ると、アミーナは馬上のラキードの前に進み、白い花の咲くジャスミンの一枝を差し出した。


「これをわたくしと思召してその懐にご一緒させてくださいませ。ご無事なお帰りをお待ち申し上げております」


 マティヤはその背後から歩み寄り、ハビールに黄色コスモスを一輪差し出した。


「わたくしの気持ちです。ご武運をお祈りいたしております」


 実は整列を何度かやり直しているうちにどちらが夫かわからなくなっていたマティヤは、先に歩み出たアミーナに助けられた気持ちだった。

 ハビールは小さな声で礼を述べると懐に花を仕舞い込んだ。

 ラキードはそっとジャスミンの香りをかいで両手でおしいただくようにすると、同じように懐に納めた。そして妻の目を見ると、静かに言った。


「戦いの結果がどうあろうと、ぼくは必ず戻ってきます。どんなすがたになっても、必ずあなたのもとへ」


 アミーナは喜びと悲しみに頬を染めて、俯いた。

 ハイサム王は王国を守るために王宮にとどまることになった。隊列と対峙して、王座からハイサムはゴランに呼びかけた。

「ゴラン族長よ、あなたの可愛い娘たちが寡婦とならぬよう、わしの息子たちをきっと頼む」

「ご安心召されよ」族長ゴランはにっと笑うと、剣を高々と上げて叫んだ。


「王国に栄えあれ、王子に勝利あれ、神に栄光あれ!」


 整列した兵士たちは轟轟と声を上げて唱和した。アミーナとマティヤは深々と腰を折った。

 王宮を出で出陣する兵士たちを見送る民衆は沿道にならび、神のご加護を、と口々に唱和した。

そうして砂煙を上げて、駱駝に乗った隊列は砂漠へ向けて進軍を開始した。


 民衆の声が風にかき消えたころ、駱駝の背に揺られながら、ハビールは隣に並ぶラキードにそっと話しかけた。

「今まで聞かずに来たが、あの夜、父上に呼び出されて、何の話をしたんだ」

「ずいぶん飲まされて、ろくに覚えていない」

「まさか」

「嘘は言っていない。あんな強い酒は初めてだ。もう酒は御免だ」ラキードは眉間に皺を寄せながら答えた。

「今も、ぼくがつけた首の傷は痛むかい」

「二度とそれを言うな」

 ハビールは前を向いたままの兄にそっけなく言い捨てられて、黙って駱駝を側らから離した。


 残党が隠れているというラナへ向かう途中、スルヤの一族はすでにラナを離れ、大地の亀裂と言われるノベラの渓谷に隠れているという情報が斥候によりもたらされた。

 ノベラの谷は身を隠す場所はいくらもあるが、戦陣を広げての戦いができる場所ではない。しかも亀裂は長々と東西にわたって広がっており、そのどこにどう敵が隠れているかはうかがい知ることはできなかった。

 谷を囲む灌木がはるかかなたに見えてきたころ、途中のオアシスで小休止をとることになった。

 急ごしらえのテントの中で、ゴラン、老軍師、ラキードとハビールが策を練った。


「夜になれば灯りで敵の場所も確認できるのでは……」

 ゴランが広げた地図を見ながら、ハビールが言った。

「あの谷は洞窟も多く、灯りは外へは漏れないでしょう。灯りを消して近づくこちらが闇討ちにあう可能性のほうが高いでしょうな」老軍師が横から言った。「谷の地形は相手のほうが熟知していると思われます。安易に踏み込まないほうがよろしいかと」

「さよう、相手のほうが人数が少なくこちらが多いことも弱点となるかもわからぬ。統率のとれた動きをしないと、不意を突かれたら一気に乱れます。少数の精鋭はむしろ自由がきく」ゴランが重々しく言った。


「ならばこちらもさっさと人数が減ったほうが望ましいということだ」


 背後で腕を組んでいたラキードが突然口を挟んだ。  

 不吉な言葉を遮ろうと弟は口を開きかけたが、先にラキードの言葉を受けたのはゴランだった。

「最初に近づくものは少数であったほうがいいというなら殿下の言う通りです。一気に攻めるのは無謀というもの。まずは偵察隊を送らないと」

「ならばその隊長にぼくを選んでもらおう。精鋭を少数つけてくれればありがたい」

「それではぼくも……」ハビールが言うと、「いや、では、先陣は兄上にお任せしましょう。頼もしいお言葉だ。よき兵を集めておきましょう」ゴランが静かに言った。

 ラキードはグドゥラを外すと、テントの奥に目を向けて言った。

「水を飲んで少し休む」


 ラキードが続きのテントの奥に引っ込むと、ゴランは老軍師にも休憩を命じて下がらせた。そして、ハビールの肩を抱いて耳に口を近づけた。

「ここだけの話だが、兄上には気をつけられたほうがいい」

「兄に? なぜ」

 ハビールは眉間に皺をよせて怪訝そうに聞き返した。

「私の目から見て、あの試合の時、兄上には明らかな殺気が感じられました。それを止めたこの私も罵倒された。失礼ながら、兄上はあなたに心を許してはおられないようだ。敵はスルヤだけと思召さないほうがいい」

「そのような……」

「さらに、王家に双子の王子となれば、後継ぎの時に禍にもなりましょうな」

「ゴラン殿、何が言いたいのです」ハビールは語気を強めてゴランの巨体を睨みつけた。


「よろしいか。私はあなたの味方です。だがラキード様はそうではないと思召しておいたほうがよろしい。何かの時はこのゴラン、力になりましょう」


 そこまで言うとさっと身を離し、ゴランはテントを出て行った。ハビールは口を引き結んで彼に語られたことの一言一句を胸によみがえらせ、小さく身震いした。


 ……もしかしたら、この地のどこかに潜んでいる蛮族を敵として戦おうとしているものは自分一人ではないのか。

 

この荒涼とした星空の下、心を許し、力を合わせられる仲間がどこにもいない。

 寂寞とした絶望感が、背後からハビールを包んでいった。




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