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常世の長鳴き鳥  作者: pinkmint
2/10

その2 砂漠の長鳴き鳥

 婚礼の宴は盛大に行われた。

 二人の王子が同時に結婚するという慶事に、バッシャール王国中のものが着飾って王宮前に押し寄せた。

 王宮のテラスに二組の夫婦が姿を見せると、群衆は沸き返った。

 ことに、アミーナの美しさは注目の的だった。

 ジャスミンの生花を細かく編んで作られた白いベールが黒髪の輝きを一層引き立たせ、草花の汁から作ったヘンナの液体で描き上げた手足の蔦模様の細かさは他に類を見ないもので、鮮やかな朱色のドレスと相まって彼女の浮世離れした美貌を輝かせていた。

 隣に立つ姉のマティヤは、黄色コスモスをあしらった明るいオレンジのドレスを着ていたが、アミーナの華やかさには比ぶべくもなかった。髪の色は砂漠の日に茶色く焼け、貧相な顔立ちを暗い表情が一層貧しく見せていた。

 ハビール王子もそわそわとアミーナを盗み見るばかりで、マティヤは居心地悪そうに終始俯いていた。

 二組の夫婦の前で、集まった人々は楽器を打ち鳴らし、祝いの歌を繰り返し歌った。


 我らが花婿は一番の王子

 国一番の王子が我らが花婿

 我らが花婿は神に選ばれし良き若者

 選ばれし良き若者が我らが花婿


 花嫁がヘンナを持ってやってきた

 彼女は月のよう、すべての美が彼女とともに

 ヘンナはこの花嫁にこそふさわしい

 いと美しき花嫁が揃って良き花婿のもとへ


 ジャスミンのベールの向こうの花嫁を見ながら、ラキードの心は千々に乱れていた。

 あの獣じみた男の娘がこれほどとは。これほどまでに美しいとは、


 ……ああ、なんということだろう。なんと、呪わしいことだろう。


 

 宴も終わり、二組の夫婦はそれぞれの新生活のために増築された棟に入っていった。

 ラキードはアミーナを背後に従えて、新婚夫婦のためにあつらえられた豪奢な寝室のドアを開けた。

 蔦模様の透かし彫りが細かく施された象牙のランプが部屋の四方に下がり、二人の影を四方の壁にゆらゆらと躍らせた。

 ベッドを覆う天蓋には何重もの華麗なレースが揺らめいており、王子が両手でそれを引き開けると、ベッドの上には、真紅の花々が一面に散らしてあった。

「まあ」可憐な十七歳の花嫁は、感嘆の声を上げたまま立ちつくした。

「お花のベッドですね。わたくしの居場所はありませんわ」

 ラキードは若妻の背後から言った。

「そのまま花の上に横になるのも一興でしょう」

「いいえ、下敷きになればお花が可哀想。水盆はないのですか」

 ラキードは手を叩き、召使に大きな銀の水盆を持ってこさせた。アミーナは真紅の花をひとつひとつ丁寧に水に浮かべ、窓辺に置いて言った。

「ここからは月も見えます。花々も清い光で永らえましょう」

 そして王子に向き直ると、その足元にそっと跪き、胸の前で手を合わせた。


「ラキード様。今日よりわたくしのすべてはあなた様のものです。

 心を込めて尽くしますので、お慈悲により、どうぞこのアミーナを末永く可愛がってくださいませ」


 たおやかで可憐な姿に、ラキードの胸は高鳴った。

 だが心にせりあがるどんな感情も自分で認めてはならない。この美しい姫に、一切心を揺らしてはいけないのだ。ラキードはアミーナの手を取って立たせ、その甲にキスをして言った。

「いろいろなことが一度にあって、お疲れでしょう。今夜は何も考えずそのままおやすみなさい。ぼくはあなたに触れません、その眠りのお邪魔はしません」

「なんとお優しいお心遣いでしょう。ありがとうございます」アミーナは花がほころぶように微笑んだ。 そうして艶やかな髪を広げてそのままベッドに倒れこむと、くたくたな体を夢の世界に投げ込んだ。


 王子は途方に暮れたような顔で、美しい花嫁をただ眺めつづけた。



 婚礼の日からふた月がたった。

 アミーナは王宮の中すら自由に歩くことはできなかった。王子以外の男性が彼女の顔を見たらよからぬ欲望にとらわれるからと、父王が新婚の棟から出ることを禁じたのだ。

 ふた組の夫婦の新婚の棟は、緑あふれる中庭と池を挟んで向かい合っていた。境界には砂漠の蔓薔薇のからみつくフェンスがあり、たまに雨が降ると一気に赤い花を開花させた。

 ラキード王子は誓い通り、若妻と褥を共にすることは一度もなかった。

 おやすみ、の言葉を残して妻を置いて部屋を出ると、毎夜従妹たちとゲームをしたり酒を飲んだり、書斎にこもって一晩中本を読んで過ごした。王宮の若夫婦用の広い空間は幾部屋にも分かれており、二人が寝床をともにしていないことは父王にはうかがい知れぬことだった。

 それでも若い妻は、王子の気にいられるようにと、召使たちの手によって毎夜念入りに飾り立てられた。

 花々を浮かべた湯で湯あみをし、特別な灰に草花のエキスを練り込んだクリームを肌に塗られ、アルガンオイル入りの香料で髪を漉かれて、アミーナは暁の女神のように美しくなっていった。

 艶やかな若妻の美貌は王子の胸を一層苦しくさせた。それは一種の毒であった。

 ときどき、王子は寝る前の余興にと得意の竪琴をアミーナに弾いてきかせることもあった。新妻は膝の上で両手を組み、背筋を伸ばして黙ってその音色を聞いていた。

 二人とも、なにかに耐えるように、ただ、無言であった。


「二人とも、妃との間に早く子どもを作れ。一日も早くわしに後継ぎを与えるのだ」

 父王は二人の王子の顔を見るたびにそう言うようになった。

「そう言われましても。まだ早すぎます、父上」

ハビールは毎回、浮かぬ顔で答えた。

「お前はどうだ、ラキード。あのように美しい花嫁を迎えて、何の不満もあるまい。毎晩やさしく睦言をかわし、贈り物の一つもしているか」

「ええ、もちろん」

視線を落としながら王子は力なく答えるのだった。


 ある日、ラキードは泊りがけで砂漠に鷹狩りに出た。

 獲物を求めて砂漠をかけているうち、お付きのものたちとはぐれ、棘だらけの砂漠の植物の茂みに迷い込んでしまった。

「供のものを見つけよ。見つけたらそこに案内してくれ」

 王子は自慢の白鷹を空に離したが、やがて鷹は爪に何か獲物をひっかけて戻ってきた。

「求めているのは獲物ではないというのに」

 王子はため息をついたが、その足に引っ掛けている獲物を見て驚いた。目の覚めるような極彩色の、見慣れない鳥だった。

「もしや、これは……」

 王子が鷹から獲物を取り上げると、その体には大した傷もなく、鳥は弱弱しい声で歌い始めた。

 

 まことの幸せはどこにある。まことの幸せは砂の上に、川の中に、砂漠の楼閣のあの方の心の中に。


 それはまるで女の歌声だった。

「お前。まさか、……砂漠の長鳴き鳥か」

 王子はその鳥をひと撫ですると、持っていた皮袋にそっと入れた。


 砂漠の狩から帰った翌日、ラキード王子は天気がよいからと召使たちにテラスに朝食を運ばせた。

 三階のテラスからは、王宮を取り囲む椰子の並木とバッシャールの街並みが見えた。ラキード王子は豆のスープを口に運びながら、妻に話しかけた。

「毎晩よく眠れていますか」

「はい、夢も見ずにぐっすりと」

「それはよかった。今日はあなたに贈りものがあります」

「なんでしょうか、嬉しいわ」アミーナはぱっと顔を輝かせた。

「狩の獲物です。気に入っていただけるかどうかはわからないが」そう言って手元の鈴をりんりんと鳴らすと、召使が布をかけた鳥かごを持って現れた。

 ラキードが布をとると、籠の中から輝くような極彩色の鳥が現れた。

「まあ、綺麗」アミーナは感嘆の声を上げた。頭頂部に噴水のような青い冠をいただき、胴は真紅、羽に虹色が織り込まれたようなそれは美しい鳥だった。

「こんなに美しい鳥は見たことがありませんわ」

「ぼくも話に聞くばかりで実際に目にしたことはなかった。エローラという鳥です。人の言葉をすぐ覚え、歌うように真似て語るので、砂漠の長鳴き鳥といわれています。鷹狩でとらえたのですが、大した傷も負わず十分元気です」王子は少し得意そうに言った。

「市では金貨百枚の値がつきます」

「家が立ちますわね」

「言葉も覚えます。あなたの話し相手になればと」

「ほんとうにほんとうにわたくしにくださるのですね?」

「そう申し上げました」

「では」

アミーナは鳥かごの入り口を開けた。

 クワッ、というような歓喜の叫び声を上げると、エローラはばたばたと羽ばたき、鳥かごから一直線に飛び出した。

「あ!」

 王子は叫び声を上げた。その視線の先を、大空に向かって伝説の鳥は飛び去って行った。

「あなたにとらえられたあの子は幸運です。市に売りに出されれば、一生どこかの籠の中でしょう」

 アミーナは透き通ったとび色の瞳で鳥の行く先を見送ると、王子に向きなおり、胸に手を当てて深々と頭を下げた。


「このわたくしに、あの子を自由にする権利をお与えくださり、ありがとうございます」


 王子はしばらく黙っていたが、やがて低い声でつぶやいた。

「やはりぼくを恨んでいるのですね」

「とんでもない。どうしてそんなことがあるでしょう」アミーナはしんから驚いたように答えた。

「ぼくはあなたをこの石の城に閉じ込め、自由を奪っている。そして何も与えていない」

「いいえ。あなたはわたくしが知る限り、最高の夫です。ほんとうにお優しいかたですわ」

「ぼくのどこが優しいというのです」王子は驚いて問い返した。

 アミーナは涼やかな声で語り始めた。


「あなた様はわたくしに一切の暴力を振るわず、丁寧な言葉を使ってくださいます。わたくしを一人の人間として扱ってくださいます。

 朝はやさしくおはようと声をかけてくださり、食前の祈りをわたくしとともに唱え、夜の眠りも邪魔せず見守ってくださいます。父王に対する尊敬と恭順のご様子は素晴らしいものです。

 夜は竪琴を奏でるその指の優雅さに見とれました。夢見るように美しい音色でした。

 すべてが品よく美しく、この世にこんな男性がいたとはと、わたくしは夢でも見るようにあなた様のすべてに見とれておりました」


「……本気で言っているのですか」

「ええ」


 アミーナの表情に曇りはなかった。しばし言葉を失ったあと、王子は言った。

「……あなたの母上は、どうしてそのようにつつましくあなたを育てることができたのだろうか」

「母は敵対する部族同士の和解のために父のもとへ寄越されてきたと聞きました。そういう婚姻では、嫁ぎ先で夫に飽きられれば終わりです。親戚に下げ渡されても砂漠に捨てられても文句は言えません」

「なんと。自分もそのような目に遭うと思っていたと?」

「はい、その覚悟で嫁いでまいりました。

 こんなに大事にしていただいて、ほんとうにわたくしは幸せ者です」


 王子は黙って妻の、澄んだ瞳を見つめた。一瞬、悲運な母の面影が幻のように重なった。

 危うく自分の手が伸びてその細い両肩を抱きしめそうになった瞬間、王子は音を立てて席を立ち、妻に背を向けた。


「きょうから軍隊を率いての軍事訓練があります。帰りも遅くなります」

「はい、どうぞお励みくださいませ」


 アミーナは椅子を立つと、夫の背に向かって深く頭を下げた。



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