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常世の長鳴き鳥  作者: pinkmint
1/10

その1 双子の王子と二人の姫   

挿絵(By みてみん)

 

 起こりえぬこと、起こってはならぬことなど何もない。


 想像や仮説好みの傾向がここほど有害でない場所は他にないだろう。

 さらにあらゆる夢物語もだ。

 闇夜の魔神、良き精霊悪き精霊、神の怒りと人の欲が境なく横行する砂の平原。

 そのただなかに、バッシャール王国はあった。


 あなたが砂漠の猛禽類だとする。

 大きな羽を風に乗せ、見渡す限り砂また砂の殺風景な大地を飛んでいくとしよう。

 時折眼下にラクダの隊列が見えるはずだ。砂漠に住む部族だ。宗教や地方によっていくつかにわかれ、時に争い対立しときに同盟を結び、大きなテントの下に一族郎党で住んでいる。

 その砂の下には生存競争に敗れた幾多の獣と人の骨が埋まっていよう。

 やがて、視界の果てに忽然とオアシスが現れる。近付けば、そのただなかに塔が立ち、その天辺には双頭の鷹が描かれた旗が風にはためいているのが見える。 

 バッシャールの国旗だ。

 塔は金色に塗られた丸いドームの脇に立ち、そのドームを石造りの王宮がロの字型に取り囲み、四つの角にそれぞれ小さな見張り塔が立っているのがわかるはずだ。

 王宮は丈の高い椰子の木々に囲まれ、その周囲に砂漠色の石造りの建物が立ち並んでいる。

 さらに俯瞰すれば、都市の南側をキラキラと大河が流れているのが見えよう。

 バッシャールを潤す命の水、ハディサ川だ。


 灼熱の砂漠のただなかにありながら、バッシャールは豊かな大河沿いに栄えていた。

 四方を砂漠の蛮族に囲まれてはいたが、充実した兵力と猛き王によって、平和のうちに統治されていた。

 王の名は、ハイサム。みずから黒馬に乗り弓を引き刀を振るう、勇猛果敢な王だ。

 日焼けした顔の周囲をぐるりと黒い髭が取り囲み、眼光は鋭く深く人を射た。


 王には双子の息子がいた。

 名を、ラキードとハビールという。

 いかつい父の風貌に似ず、二人とも涼やかに清い顔立ちをしていた。

 王はせめて濃い髭なりと息子たちに生えてくれないものかと思わないでもなかったが、二人とも申し訳程度の顎髭がちらほらと生えるばかりだった。

 息子たちはともに学に秀で楽器をよく鳴らし、兄ラキードは竪琴が、弟ハビールは絵がうまかった。さらに刀をとってもなかなかの腕前で、欠けたところのほとんどない二人であったから、王にとっては自慢の息子たちなのだった。


 さて、二人が二十歳になったころ、王は花嫁探しに取り掛かった。

 とにもかくにも見目麗しく、貞淑でつつましく純潔な女でなくてはいけない。

 そこで王は一番信頼できる友人に相談した。かつてもっとも戦闘力のある砂漠の民と言われたディディ族を率いていた長、ゴラン族長だ。長い戦いの末にハイサム王と手を結び、砂漠に境界線を引いて和平交渉を結んだ後、二人の戦士は友人となったのだ。

「それでは私の娘たちはどうだろう」とゴランは言った。

「ハイサム王よ、あなたの臣下のうちからどの女をもらっても、将来の出世と足の引っ張り合いで妬み嫉みからは逃れられない。親戚筋から取れば王位継承権をめぐって醜い争いが起きるだろう。街の華やかさを知る女は贅沢にも慣れているしわがままも言う。その点、砂漠の中で厳しく育てたうちの娘たちなら贅沢もわがままも知らぬ、私に似ず器量もよい。余計な口も利かず息子殿によく仕えるであろう。この婚姻は砂漠の民との友好にも役立つだろう」

「それはいい考えだ」

 王も頷き、息子たちの意見も聞かずさっさと縁談を決めてしまった。


「お前たちの嫁が決まったぞ」

 夕餉の席で父王にそう切り出されて、ラキードは驚いた。

「決まったとおっしゃるのですか。自分の意志で選ばせてさえいただけないのですか」

「わしの見る目に間違いはない。おこぼれの地位狙いの貴族どもよりもよほどいい、砂漠の勇敢な民、ゴランの娘たちだ」

「するとディディ族ですね」弟のハビールは浮かぬ顔で答えた。「砂漠の陽射しで真っ黒に日焼けしていることでしょうね」

「女はベールをかぶってテントの中だ。男の許しなしに出歩いたりしない、それが砂漠の民だ。日焼けなどしておらぬ。ディディ族の女は決して男に逆らったりはしない。妻となるものは貞淑が一番だ」

 ラキードは黙りこくって下を向いた。王はナツメ酒の盃を口に運びながら言った。

「どうした、父の選択が気に食わぬか。お前たちに選ばせてもどうせ欲深な臣下の阿呆娘か遊び女が群れ寄ってくるだけだろう。

 任せておけ、父親のゴランは身の丈二メートル、猛き砂牛のようななりだが娘はきちんとしつけられ、しかもなかなか美しいと聞くぞ」

 兄のラキードは俯いたまま呟くように言った。

「すべて父上にお任せします」

 弟のハビールも頷いた。

「父上のお目に間違いはありますまい」

 何を言ったとて父王に逆らえないのは二人ともわかっていた。

 だが、ラキードの憂いにはさらに深いものがあった。


 ラキードは今は亡き母、アイシアを深く慕っていた。

 母は辺境の小さな王国、スルヤの王女だった。亜麻色の髪とハシバミ色の目を持つ、美しい女性だった。だがハイサム王の統治するバッシャール国は二十五年前、豊かな資源を持つスルヤに配下に入れと迫り、断ったスルヤ王家を容赦なく攻め滅ぼしてしまったのだ。

 王族の男たちは殺され、アイシア姫はまるで奴隷のようにこの国に連れて来られた。

 オアシスの花のように美しいアイシアを、ハイサムは一目で気に入り、妻として娶った。

 そうして二人の間には間もなく双子の息子が生まれた。だが、彼女の美しさに目を留めた男がもう一人いた。他ならぬ族長ゴランである。

 ゴランはある日ハイサム王の元を訪れた。もちろん王が旅行中と知ってのことである。そうして、対応した王妃に言い寄り、平手打ちで妃が答えると、力づくで王妃をわがものにしたのだ。

 帰宅して王妃の様子がおかしいのに気付いたハイサム王は、なにがあったのかと問い詰めた。

 王妃は泥棒が入っただけだと言い逃れたが、当時十歳のラキードは扉の影から一連の出来事を見ていた。ラキードは怒りに震えながら言った。

「お父様、おそろしい大男が入ってきてお母様にひどいことをしました」

「それは誰か」父王は恐ろしい勢いで息子に問いかけた。

「お父様の友人の、ゴラン様です」

 アイシアは息子の言うことは嘘だと慌てて被せたが、その様子が父王にすべてが息子の言う通りだと確信させた。

 砂漠の族長とハイサム王が自分を巡ってトラブルを起こせば王国がどうなるか、アイシアにはよくわかっていた。

「違います。ラキードが見たのは別の男です。二、三度ほどしかゴラン様と会ってはおりませぬもの、顔の見分けなど子どもにはつきません」アイシアは懸命に抗弁した。

「では別の男とねんごろになったという事か」王は憤怒にまみれてアイシアを睨みつけた。「違うとは言うまいな。もしも本当にゴランがお前に乱暴を働いたというなら、その本人をかばう理由はお前のどこにもないはずだ。そうだろう」

 王妃は答えられなかった。やがて呼び出されたゴランは悠々と言ってのけた。

「奥方を責めるのは酷というもの。石造りの暗い王宮に閉じ込められていれば、猛き男の腕も恋しくなるのかもしれませぬな。私によく似た男が妃を慕っていたと聞いたことがあります、王の隙を見ては時々訪れていたとか。なんなら私がそのならず者を捕まえてきましょうか」

 王は激昂し、その男を差し出せと命じた。

 その週のうちに、ゴランに瓜二つの顔の男―何かあった時の影武者であったのだが―が無理やり王妃との関係を白状させられ、首をはねられた。

 そして、泣いてとめるラキードの嘆願も聞かず、王は不貞を働いた妃に自害を言い渡したのだ。

 

 父王の目を盗んで訪ねてきた息子ラキードと鉄格子越しに面会した時、黒いベールの向こうで母、アイシアは言った。


「もしあなたが姫を娶る時が来たならば、姫の心と体を慈しみ、大事にしておあげなさい。

 その言葉を聞き、信じ、心の色に目を向けてあげてください。

 この国でも砂漠でも、女性は生き方を選べない。あなたがた男の心根次第なのです。あなたは姫にとって神にも悪魔にもなれるのです。

 どうか悪魔にだけはおなりにならないように、愛しいラキード」


 翌日、母親は毒をあおって失意のうちに死んだ。


 自分の言葉がすべての不幸を招いたと知った王子は、嘆き悲しみ、ただひたすら自分を責めた。

「母上を殺したのは自分だ。父上ではない、自分なのだ」

 その繰り返しのうちに、幼いラキードは耐えられないほどの父への憎しみを血潮の中に溶かし込んだ。

 

 ……それなのに。

 そのゴランの娘を娶れというのか。

 これは天の罰か。

 

 ラキードは一人部屋に引き上げると、ベッドにうつぶせに倒れ、奥歯を食いしばり、握った掌に爪を食い込ませた。

 どうして母上の仇などを妻として愛せるだろう。何故憎い父の言う通りに、悪魔のような男の血を受け継いだ娘などと結婚しなければならないのか。

 だが、とラキードは思った。これはチャンスだ。

 父とゴランに対するささやかな復讐のチャンスだ。

 自分はゴランの娘を妻としよう。やさしい振りもしよう。だが褥はともにしない。理由も語らない。

 そして跡継ぎは決して作らない。

 この誓いは母の願いにそむくものであるかもしれないが、少なくとも父やゴランのように女の命をもてあそぶようなまねはせぬ。その身に触れず、愛を語らず、ただ王宮の中で孤独を与え続けるだけだ。跡継ぎはハビールが作ればいい。あの悲劇を目にしていなかったハビールが。

 自分は悪魔ではないはずだ。母上、そうですよね。

 胸の中に血の涙を流しながら、王子は亡き母に呼びかけた。


「娘たちの花婿が決まったぞ」 

 豪壮な族長のテントの中で、妻のポッピナに酒を注がれながら、ゴランは上機嫌で言った。眼前には年若い娘二人が神妙な顔で座っている。十七歳のアミーナと、十八歳のマティヤだ。

「まあ、急なお話。どなたでしょう」驚きに言葉を失ったままの娘たちに代わり、ポッピナは問うた。

「バッシャール王国のハイサム王の息子、ラキード王子とハビール王子だ」日焼けした顔を笑みで崩しながらゴランは酒を飲み干した。「これで誇り高きディディ族とバッシャールの王家はつながりを持つこととなった」

「素晴らしいお話でございます」ポッピナはさらに酒を継ぎ足した。

「楽器にも弓にも秀でる、見目麗しい王子たちだ。娘たちも幸せになることだろう」ゴランは娘二人を満足げに見ながら骨付き肉をかじった。

 

 ゴランには含むところがあった。

 あの遠い日、ただひとり自分の顔を見た王子ラキードが、いずれ権力を手にした時自分に反旗を翻す危険だけは避けねばならない。手中の珠である美しいアミーナを使うのは今だ。

 並ぶものとてない美しさのアミーナを妻とすれば、そして後継ぎの子が生まれれば、もう私憤に走って暴挙に出ることなどできまい。


 夫が寝屋に入ると、ポッピナは娘たちふたりの前に座して言った。

「マティヤ、アミーナ、よくお聞きなさい。明日死んでも悔いはないように生きるのよ。

 ひとの命も定めも神のもの。常に身を清め、神に祈り、美しく着飾って気高く、心正しくありなさい。良き男性に愛されればそれなりの幸せが訪れましょう。良き子も産めましょう」

「はい、お母様」娘たちは声をそろえた。

 母親は二人の娘を両手に抱きかかえ、それぞれの頬にキスをした。


「あなたはいいわ、アミーナ。きっとラキード王子に愛されることでしょうね」

 その夜、並んだベッドの中で、マティヤは囁くように言った。

「どうして、わたしだけが。明日のことなんてわからないわ」アミーナは答えた。

「砂漠のサソリだって知っていることよ。あなたは誰より美しいじゃないの。わたしと比べるまでもないわ。そのつややかな黒髪、砂漠に住んでいるのに真っ白な肌、輝く瞳。あなたに並ぶ女なんてどこにもいない。でもわたしは平凡のそのまた下よ。新しい美姫があらわれたら、簡単に王子も心変わりなさるかもしれないわ」

 そんな、と言い返そうとして、アミーナはすでに嫁いだ三人の姉たちのことを思い出した。

 みな輿入れの時、悲壮な顔をしていた。婚礼の喜びは部族同士のものであり、姉たちの幸せの外にあった。そののち元気な男の子をたくさん生んだ一番上の姉はそれなりに幸せにやっているが、女の子しか生まなかった下の二人の姉はあっという間に第二夫人第三夫人にその座を奪われ、無事でいるのか元気でやっているのか、もうその顔を見ることも噂を聞くこともなかった。

「殿方は誰も、わたしたちの心など求めないのかしら。誠実に心を込めてお仕えしても、愛は生まれないのかしら」

 アミーナは不安げに呟いた。

「とこしえの愛は神様に対するものだけよ、そうお父様も仰っているじゃないの。わたしたちも、神様にお祈りするしかないのよ」マティヤはそれだけ言うと頭から毛布をかぶってしまった。


 テント越しに砂漠の月が青々と輝いていた。

 アミーナは青い光を見上げながら思った。

 神様というものがせめて、毎晩姿を現し、砂漠の夜道を照らすあの月ほどに確かなものであったらいいのに。

 嫁いだ姉さまたちもきっとお祈りしたのだろう。不遇に苦しんだ女たちも月を見上げて祈ったことであろう。

 その声はいくらかでも届いたのかしら。こんなことを思うと、罰が当たるのかしら……



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