シーン4
目が覚めると、歌に包まれていた。
いつも行っているカラオケみたいな感じだけど、スピーカーから流れているであろう音の中に伴奏はなく、ただマイクに通した適度なエコーのある女性の声。
誰かが歌っている?
目を開けようと思ったけれど、もうしばらくこの歌を聞いていたくて、僕は目を閉じたまま静かに横たわっていた。
これは……ファイティングバードの代表曲。バンド名と同じ名前の、というよりはこれを歌うからバンドだからバンド名をこれにしたと何かのMCでアキラが言っていた「ファイティングバード」という曲。
しかし、しばらくその曲を聞いていて、すぐにそれが全く違う曲であることに気づく。
似ているとは思う。でも、ファイティングバードの曲では絶対にない。
だって、アキラは……アキラなら、そんな悲しそうに歌わない。
なんだろう。ファイティングバードの歌う歌がヒーローだとしたら、これは悲劇のヒロインと言うのが相応しいように思う。
そうしないと泡になって消えてしまうと知りながらも、王子を短剣で刺せずに海へ飛び込んだ人魚姫のような、僕はそんな印象をその歌から受けた。
「起きてんだろう?」
不意に歌が止まって、声の持ち主が問いかけた。
この状況で僕以外の誰かに向かって言っているとは思えず、僕は素直に目を開けた。
「君だったのか……」
あの橋から飛び降りた彼女が椅子の上に横になった僕を見下ろしていた。
「おかげで死にぞこなった……」
責めている口調の彼女だが、僕にとってそれは朗報だ。
「それはよかった」
つまり、彼女は死んでいないってことで、僕にはそれだけで橋から飛び降りた意味があったように思える。あのバカみたいなホットな思考は結果的に正解だったのかもしれない。
そしてそのホットな思考で、僕が彼女に言った言葉を思い出した。
「うわー」
叫び声を思わず上げながら、体を起こして顔を手で覆う。
ドン引きだった。自分で思い返してみても。
僕はアキラに憧れている。あの情熱的で、前向きなヒーローのような性格に僕もなりたいと思っている。でもこれは、そのアキラですらこんなことはしないだろうとはっきりと思えてしまった。
それはつまり、憧れからくるロールプレイ的な何かではなく、僕自身の性格からくる情熱であったということで、それがさらに恥ずかしさを掻き立てていた。いや、ロールプレイだったとしても厨二病乙みたいな意味で、それはそれで駄目だろう。
「あ……その、な?」
彼女が何か言おうとしているが、やめてくれ、何も言わないで。これ以上はオーバーキルです。
「……カッコいいとは思ったぞ?」
疑問形で言う彼女のセリフが、心臓に矢のように突き刺さった。
ふ、ふふふ、ふはははははは。
「か、かっこいいと思ったならどうでしょうか?」
「……ど、どうって?」
「え、いや、えっと……川に落ちる前の言葉」
「付き合ってくださいってやつか?」
「はい。……えっと、どうでしょう?」
こうなりゃやけくそだ。
途中で色々なことが起こったけど、僕の目的は最初からそれだったんだ。
いや、あの橋のところで振り返るまでは、ちょっと名前を聞いて、連絡先を交換でもできたらいいかなと思ってただけで、恋人同士になりたいだとかそんなことは微塵もなかったとは言えないけど、そんなにはなかったわけなんだけども。
何が言いたいかといえば、結果オーライならいいんじゃね? とホットな思考が言っているわけだ。
僕は固唾を飲んで彼女の返事を待つ。
彼女はあちらこちらに視線を向けながら悩んでいるそぶりを見せるが、じいっと見つめている僕の目と目が合うと、すぐに視線を下に向けて言った。
「……まだ無理だ」
結果オーライにはなりませんでした。
そりゃそうだ。会っていきなり「好きだ。付き合ってください」なんて言って、まともに取り合ってくれるはずもない。
「ですよねー」
だからといって、落ち込まないというわけでもなく、僕は椅子からずり落ちるように脱力していく。
そこでようやく僕が今、カラオケルームの中にいることに気づいた。
「近くにあった個室のある店がここだったからな。本当はもっといい場所があったんだろうけど、慌ててたし」
「なるほど」
「それに、ここの店員と知り合いだとは結果オーライって言っていいんだよな?」
たぶんそれは言っていいと思う。僕は言えなかったけど。
ということはここは「シュリンプ」か……。
シュリンプ。英語で小エビだとかを意味していて、口語では「ちび」だとか取るに足らないものだとかという意味もあるらしい。カラオケ店のネーミングとして、全く関係ない言葉のように思えるが、この店の店長がそんな名前にした理由は、目の前にあるテーブルの上に乗っていた。
アボカドと海老のピザ。詳しい料理名は知らないけど、海老をふんわりと揚げたもの。それに定番のエビフライ。
「あー、これはサービスだってさ」
そう言って、彼女はピザを頬張る。
美味しそうに口を緩める彼女に、僕の口もだらしなく緩んでしまいそうだが、「シュリンプ」の由来はこれで、要するに店長が海老が大好きで、海老料理が美味いって言うだけの話。
「おっ、やっと起きたか?」
そして、図ったかのようなタイミングで、その海老好きの店長が姿を現した。
手には海老の天ぷらとエビチリ……もう海老なら和食でも中華でもなんでもありなのかこの人は。
「川で溺れたんだって? そこの嬢ちゃん……えっと、名前なんだっけ?」
店長はそこでまだアボカドと海老のピザをちまちま頬張っている彼女のほうを見た。
「鳥嶋です」
「そう、鳥嶋ちゃんが助けてくれたんだから感謝しとけよ」
そうか、彼女の苗字は鳥嶋というのか……というのは置いておくとして、事実と違う話に僕は彼女を見ると、彼女は目を不自然なくらいにパチパチさせてる。ウィンク? アイコンタクトのつもりなのか?
「えっと、ありがとう。鳥嶋さん」
とりあえず乗っておく。
「感謝しろよな」
鳥嶋さんは尊大な感じで答えるが、顔が明らかにほっとしたような感じになっていて、この人に隠し事はできないんじゃないかって思う。
「それにしても、なんで川に落っこちたんだ?」
店長が不思議そうに言うが、さっき誤魔化してくれとアイコンタクトを送られたばかりなので、本当のことを言うわけにもいかない。
「あー、ちょっとロックしたくて」
考える暇もなかったため、こんな言い訳になってしまった。
「なるほど。そういうことだったのか」
しかし、意外なことに店長は納得してしまった。
これには鳥嶋さんも驚いたのか、
「えっ、それで納得すんのかよ!」
と叫ぶが、店長はそんな鳥嶋さんにうんうんと頷き返す。
「大体こいつが変なことをしたときはロック関連だからなあ。最初にうちに来た時なんて、ベースを歯で弾こうとしていたんだぞ」
鳥嶋さんは僕を見た。
「できたのかよ?」
僕は口を開いて前歯の欠けてしまったところを見せる。
「察した」
最初から勢いよくやらずに、徐々に勢いをつけるべきだったと今は反省している。
「まあ、そんなわけで、こいつの変な行動はあまり珍しいことではないんだ。特にロック関係って言われれば」
「あー、まあ納得した」
「それと、大変だったみたいだから、料金は後でいいぞ。樹」
「後でって、料金取るんですか?」
「当たり前だろう。こちとら商売なんだ」
ちらりと鳥嶋さんを見ると、彼女はアボカドと海老のピザを食べながら片手を上げて言った。
「ごちそうさま、樹」
鳥嶋さんに名前で呼ばれた。わーい。でもお金を払ってくれる気はないんですね。
ずっと主人公が混乱しているせいで書きづらかったという言い訳はありですか?
そして、店長の名前を出すのが話の流れ的に難しかったけど、ひろしって名前です。