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小話綴り

黄昏を疾走する少女

作者: 環 円

 なにかを忘れている気がする。

 とても大切なことなのに、思い出せない。それとも思い出さなくてもいいものなのか。


 記憶の混乱だとカウンセラーの人がそう言っていた。

 仲のよい友達だったのだと聞いている。なんでもいい、話したいことはありますか。


 優しげな声に私はいつも視線をあげる。

 けれどなにも言えることなど無かった。


 実はそんなに仲が良かったわけじゃなかった、なんていってどうするのだろう。ただのクラスメイトで、話すだけの、好きなものも嫌いなものもしらない、そんな親友なんて居るわけがない。


 よそよそしさは感じている。あの日からは特に。

 ある日、ふと居なくなるのだ。それが自発的なのか、それとも誰かにかどわかされての行動か。

 まったくわかってはいない。


 事件として捜査本部が置かれたのは二人目が消えた時、だっただろうか。


 捜査のためにぜひとも思い出して欲しいとは言われたけれど、まったく、これっぽっちも記憶に無いのだからなにをどういえばいいのかまったくわからない。周囲も困っているのだろうが、本人はもっと困っていると分かってもらえないのはさすがに、しんどかった。


 小さなころから寝つきが悪くて母を困らせていた私だけれど、ここ最近はご飯を食べるとすぐに寝てしまう。そんな私に声をかけてくれる人はいない。いなくなってしまった。

 家族なのに家族じゃなくなってゆくのは変な感じがする。

 事件に巻き込まれたかもしれないと、世間一般を騒がせているのだ。世間体にも関わるらしく、私は家族から触るに触れぬ腫れ物として扱われていた。


 かつて、というほど昔ではないけれど私がまだ小さな頃にとある予言の期限が来たんだそうな。

 世紀の切り替わり、その節目。

 大予言は結局のところ、何事もおこらずただの与太話として終わった。


 どれくらいの人が望んだんだろう。そしてどれくらいの人が反発したんだろう。

 わかるはずがない。そんな統計ないんだから。アンケートサイトを開いて、気軽にクリックするなんて当時、出来なかっただろうし。そんな昔のことわかるわけがない。だって調べる気なんてないもの。

 ただ、もし、世紀末がきていたら、私はこんなふうにこんなことをおもえなかったんだろうな、とは思う。

 思って思う、なんて変な言葉だ。


 小学生のころ住んでいた団地の、隣の階段に住んでいた年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんが中学に上がり、真新しい制服で中学校に登校してゆくその姿を見て、なにがすごいのか良くわからなかったけれど、すごいとおもったことを覚えている。けれど自分が小学校を卒業して中学に入ったとき、なにも別に、すごいともなんともおもえなかった。


 そうしているうちにまたまたお兄ちゃんとかお姉ちゃんとかが高校生になると、本当にどうしてかはわからなかったけれど、すごいとおもったものだ。受験という高校に入るための試験テストがあり、中学で過ごす3年間に溜まっていくという内心により受けられる高校が変わるとかなんとか。


 おもいかえしてみれば、私が過ごした中学の3年間は、なんだかぼーっとしていたような気がする。

 とくべつ夢中になるようななにかも無かった。

 毎日の授業を聞いて、お母さんが作ってくれたお弁当を食べて、クラブもせずに家に帰ればテレビを見ながらけたけたと笑い、仕事から帰ってきたお母さんが作ってくれたご飯を食べてお風呂にはいる。で、就寝。

 少女マンガや恋愛小説のような偶然や恋なんてものにもご縁など無く。ただ淡々と日々を過ごしていた。

 

 宿題なんて学校に行ってからやってたくらいだ。だって、出来たから。頭がいいとかじゃない。間違ってても書けばいいんだから、簡単だった。100点である必要はないのだ。宿題として出された藁半紙の空欄ががちゃんと埋められているかどうか。

 だからテストの点数も50から60くらいろうろうろしていて、さすがに赤点と決められた40は切らないようにテストの前日に教科書をそのときだけ勉強している気になって、いまいち良くわからない言葉があったとしても無視して読み直した。


 優等生ではなく、落ちこぼれでも無い。仲の良い……話をする幾人かはいたけれど、本当の意味での友達がいたかどうかはわからない。先生たちにむやみやたらからかいの言葉を出すことも無く、迷惑という迷惑をかけることもせずに、その他大勢の中の一人として存在していたに違いないことだけは確かだ。


 もし私がなんらかの犯罪を起しテレビに出るようなことがあれば、『普通の子だと思ってた』『目立ったことはして無かったはず』とかなんとか、決まりきった言葉の羅列が出てくるだろう。

 ないないそんなこと、と冗談交じりに考えていたことが現実となった。


 彼らからしてみれば、私など彼らの生活にまったく関わらないどうでもよい存在なのだ。だからなにを言ったとしても許されると思っている。そして私にとってもきっと、そう。会わなくなったら忘れてしまう。そんな人がいたかもね、っていうね。だからきっとお互い様なのだ。

 ……そうでもおもわなきゃ、やってらんない。

 

 そんな私でも進学は出来た。下から数えたほうが早い高校に滑り込むように入り、そして中学のころと同じように平坦な毎日を私は送っていた。

 なにかあればいい、とはおもうものの思っているだけじゃ、当たり前ながらなにも起こりようがないのである。

 だけれど、何かがあったのは間違いないのだ。なにが起こったのかすっかり忘れている私が思い出せば、とある名探偵の漫画のごとく、すっきり解決に向かうという。はっきり言って迷惑以外のなにものでもない。

 とある海外ドラマのように、DNAとか物証とかでさくっとわからないものなんだろうか。でもまあ、記憶が無いっていうのも気持ち悪いし思い出したいとはおもってるんだ。



 あの日のことは何度も証言しているからおもいだすのも簡単だ。

 学校に行って、授業を受けて、学食でご飯を食べて、それから、それから?

 日々の記憶すら、最近は細切れになりやすくなってきている。

 午後の授業は眠い。騒がしくするよりも、眠っているほうがまだましだと思われているのだろう。うつらうつらしていても、怒られることはなかった。


 チャイムが鳴り6時間目が終わる。

 5分足らずの時間が過ぎれば担任がやって来、連絡事項が伝えられればあとは帰宅の途につくだけだ。

 これくらいの時間になってきてようやく、私の頭が起きてくる。完全に昼夜逆転の生活をしているかのようだ。


 事件があってから、私に声をかけてくれる奇特な人物はゼロになった。

 けれどそれが嫌だとおもわない自分自身がおかしいともおもわずにいた。

 

 家から自転車に乗り10分、駅の側にある青空駐輪場に留め、だいたい15分から30分間隔でやってくる電車に乗り込み約30分。

 途中で特急待ちが出るため前後するものの、だいたいの時間はそれくらいだろう。到着した最寄り駅から徒歩10分、小高い丘の上に建てられている高校にたどり着くまで、100段以上の階段を昇らねばならないことだけが毎日の不満だった。


 けれど暮れなずむ教室から見る景色は、とても綺麗だ。何かが始まるような、ちょっとしたどきどきした気持ちを味わえるのだ。

 運動場を取り囲むようにして立つ網は高さ、どれくらいなんだろう。同学年の誰かが野球部に入っていて、かっ飛ばす人だという話を小耳に挟んだことがある。去年は1年であることを理由にレギュラーに入れなかったらしいが、今年は2年だ。張り切っているだろう。地区予選がどうとかこうとか。興味のない話はすぐに忘れてしまう。


 話を戻そうか。

 野球部の誰かが高くボールを上げてもその向こう側に行かないほどに高い網の下には、桜が並んで植わっている。

 斜めった崖みたいな場所に、桜が、100本くらいあるとかないとか。数えたことなんてない。数える気もないけど。

 高校内にも桜の木はたくさんあって、白やらピンクやら赤っぽいものやらが咲くのだ。

 ただし落ちた桜の茶色い花びらを片付けるのは、生徒である。毎年始業式の後に生贄いちめいが選ばれ、竹箒とちりとりを手に掃いてもはいても終わらない桜吹雪地獄に落とされるのだ。 


 ちなみに我がクラスではくじ引きが行なわれた。今年の子羊ちゃんは確か、体格が良い柔道部の……名前は覚えてないけど男だったはずだ。あれ、去年だったっけ。まあいい。


 電車が走り抜ける音が静かに響いてくる。そろそろ部活も終わりなのか、声を掛け合う声が聞こえる。

 そろそろ行かなければならない。そんなおもいに駆られる。

 

 2年の教室は西日が強烈に差し込む3階にあった。1年が1階、3年が2階、2年が3階なのである。

 小学校や中学校の時は、学年が上がる度に上へと上っていったはずなんだけれど、この高校は変なのだろうか。もし同じだという人が居たら教えてもらいたいものだ。ちなみに同じ中学出身の、たまに電車で会うひとたち曰く、1階は1年であり3階は3年だと言っていた。やっぱりおかしいのはこの高校なのだろう。


 さて、と。


 電気をつけてまでこの教室に留まっているわけにはいかない。立ち上がれば椅子がギギーィと耳障りの悪い音をたてる。

 明日は薄手のカーディガンを持ってこよう。

 スマホを机の上に置き、コンセントに刺していた充電用のプラグを抜く。いそいそと荷物をまとめた。

 バイトをして貯めたお金で買ったスマホは大のお気に入りだ。開け放っていた窓を閉め、教室の鍵が掛かっている黒板の横に立つ。

  

 あと一話、読みたかったな。

 そうおもいながら鍵を閉め、職員室がある2階へと降り、誰もいない職員室に失礼しますと声をかけて中に入って鍵を所定の位置へと置いた。

 入学と同時に購入した鞄の中には大量の宿題が出た英語の教科書とノート、そして布製の筆箱だけが入っている。だから軽いものだった。ちなみに私はすべての教科書を置いて帰る派である。毎日ご苦労にも教科書やノートを持って帰っているひとってすごいとおもう。肩こりとかならないんだろうか。

 靴置き場は一階にある。なぜか鍵をかけなければならない。100均でも売っている小さな、まわす数字が3つついているあれだ。あれ。本当の名前なんて知らない。


 毎日回しているうちに自然と覚えてしまった数字をあわせる。そして革靴を取り出し上靴を入れた。そして無造作に数字を混ぜる。夕日が雲の間からのぞいていた。紫に近い。赤に近い橙色と夜の気配を匂わせる紫と暗い青が空を彩っている。

 背骨に沿って、ぞくぞくとした甘い痺れが走る。それは底辺の高校を受けるとはいえ果たして合格できるだろうかと抱いていた不安。そうだ受験の時に感じた、武者震いに似ていた。


 校舎から出て通用門に続く道を歩く。歩きながら鞄の中にしまったスマホを取り出した。

 そしてふとおもう。私の携帯は、スマホじゃなかったよ、ね。

 いらないといったのに、どうせ返してくれるなら……。あ、れ。りんごのマークに触れ、思考の歪さにはてと足を止める。

 これは、バイトを頑張って買ったんじゃない。バイトは、辞めた。やめて欲しいと言われたからだ。

 確かに欲しいものだった。変えれば忘れられるとおもったから…で。

 あとは読むためだ。最近のWEB小説はただだし面白くて読みふけってしまうこともある。あっという間に時間が飛ぶのはありがたかった。


 書ける人はすごい。構成とか、内容とか、自分で全部考えながら書くなんてすごいとおもう。

 小学校の時に書いた、夏の読書感想文ではいつも先生に、次はもうちょっとがんばりましょうね、としか言われたことがないからだ。

 やってみようとはおもったことがある。

 こんなに書いてる人が多いなら自分にも出来るんじゃなかろうかと、ふと授業中にシャーペンを手にルーズリーフに向かっても言葉が出てこない。パソコンに向かっても同じである。スマホに文字を打ち込んでもろくな文章になってはくれなかった。

 

 生まれた国の、生まれた時から聞いていて、毎日つかっている言葉なのに。

 まったく、ちっとも上手く書けなかった。

 

 ある意味、衝撃を受けた。受けたけど、どうしていいのかわからなかったから、そのままなあなあだ。

 文章書くの上手くなりたいんだけどさ、ってある時、テレビを聞いてるのか見てるのかわからない、スマホを見たままの数年前に出来た姉に聞いたら、「そんなのわかるわけないじゃん。自分で調べたら。スマホに打ち込んだらグーグ○先生が教えてくれるでしょ」というありがたい言葉を貰ったので打ち込んでみたこともある。


 本を読め、とか書き続けろ、とか。

 あとなんだったっけ。


 そのとき気付いたんだ。

 ああ、なんて自分はからっぽなんだろう、って。

 やりたいことなんて、なにかあったっけ。欲しいものはバイトすればなんとなく買える。バイトもただ言われたことをし続けるだけ。熱意や向上心があっても、熱いとかうざいとか、そういうふの感情にさらされてだんだんとしぼんでいくのを見たことがある。

 勉強もなんとなく聞いていたら、赤点ぎりぎりでも一応の及第点はもらえるんだ。


 一所懸命したことがない。

 した事がないわけじゃないんだろうけれど、別にしなくてもいいかなぁって。なんとなくしてたら、なんとなく出来るし、どうとでもよくなってきた。

 からっぽな私は、だからなにかを探していた。その空っぽを埋めるためになにかを探しているくせに、その空っぽな部分を埋めるのも怖いとおもっているのだ。出来なかったとしても、やってないから当たり前だし、仕方が無いと諦める癖がついているのだろう。

 

 だからなにか、真剣に出来るものを探していた。見つかってないから、こんなにふらふらしてるに違いない。

 みつけたら、きっと私はすごいなにかになれるはずなのだ。そう、信じてる。信じることにしたのだ。

 ちょうどあの朝、テレビの星占いで新しいことに挑戦すると気になっていたことのヒントになるとも言っていた。


 そもそも、っていうより誰でも、思春期になれば一度は誰でも考えるとおもう。

 私はいったい、なんのために生きてるんだろうってさ。

 両親がいて、姉もいて、産んでくれてありがとうとか、父親になってくれて、姉ちゃんが居てくれて本当によかったとかまだそんな感情がわかる大人になったわけじゃないけど。

 ほんのすこし、小説の中の主人公たちがうらやましいとおもっていた。

 だって、私ひとりが居なくなっても時間がとまることはないし、家族はたぶん別に……してもいいんだとおもいたいけど、多少は悲しんでくれるひとが居たとしてもその悲しみが永遠に続くわけじゃない。

 

 だからちょっと羨ましくおもう。

 巻き込まれたり、飛び込んだりして、懸命にならざるを得ない状況を作ったり作ってもらえるって、いいなぁと。


 そういえば小さな頃、テレビの中できらきらしてた朝の番組のキャラに変身したいとおもったことがあった。

 母に頼んで、いまとは違う父にお願いしまくって、サンタさんにも七夕にも願ってようやく、ようやく手に入れた変身セットを大切にしていた。あれ、どこにやったんだったっけ。


 大きくなったら、欲しいものが変わる。必要とするものが移り変わってゆく。

 そんなものいらない。

 手元にあっても、幼稚だとおもってしまう。


 とりこぼしてしまったものは、どこへいったのだろう。

 今からでも、取り戻せるだろうか。


 訳のわからぬ焦燥感にわたしは体をぶるりとふるわせる。

 寒くはない。だって、夏だし。


 夏?

 ほんとうに?


 けれど空の色は赤だった。薄ぼんやりとしていない。

 入道雲がちかちかと輝く星を覆い隠すように大きく広がってきていた。このままであれば夕立というか、ざぁっと雨が降るだろう。


 白い光を放ち始めた電柱の側で私は立ち止まる。

 明暗がはっきりと浮かび上がる影が真後ろから伸びてきた。ゆっくりと振り返れば表情が描かれぬままに、のっぺりとした仮面がひとつ、ふたつ、と浮かびその数を増やしてゆく。そのすべての位置は、私の視線より頭、ふたつほど上にあった。


 ああ。

 そうだ、思い出した。


 春。

 始業式が終わっていつも通り帰ろうと立ち上がろうとしたら、1年の時に同じクラスだった女の子たちが誘ってきたのだ。

 私があまりにも退屈そうだから、と。


 面白いサイトがあるのだと。

 自分達のスマホでは見ることが出来ないものなんだけれど、私が持っているガラパゴスなら接続できると言われたのだ。

 最新式のスマホを見せびらかされている気がして、ぐっと言葉に詰まった。けれどなぜそこで、いつものように興味がもてないから自分たちだけですればいい、と言わなかったのか。


 いいよ、そんなに楽しいのなら入れて。

 ……私は、答えてしまった


 そういえば誘ってくれたあのひとたちはどこへいったのだろう。顔や声もうすぼんやりとすら思い出せない。

 初めの数は、いくらだった。あれは春の、何日だった?

 闇に落ちる黄昏の、熱い日差しの名残がコンクリートから立ち上っている。


 路を歩く。門を出れば階段があった。等間隔にある電灯の光がなぜか断頭台にむかう道しるべのようにおもえてしまった。

 苦笑する。自分自身へと向けて。

 そうすれば奪われ続け、私のものでなくなった場所に与えられ続けた熱が、思い出すと同時に疼き始める。

 100段ある階段を降りきる前に、夏だというのに生地の分厚そうなパーカを着、黒いフードを目深にかぶった三白眼の男が闇の中でも映える白い顔をゆるやかに私へと向けた。

 咄嗟に悲鳴を飲み込む。


 「今日は、ここを貰おう」


 三白眼の男はいつの間にか私の背後に立ち、耳元で低い声を囁きながら、かり、と耳の軟骨を食む。

 指先の片方は制服の上を滑るように下に落ち下腹へ。もうひとつは双球の、ずいぶんと男の指に素直に応じるようになってしまった頂きを弾いた。

 

 「くっ、っ、は!」


 歯を食いしばり逃れられぬそれに目を瞑れば、男がさも面白そうに嗤う。


 『残るは汝のみ』

 『さあ今宵も始めよう』

 『準備は整っておろうの』

 『日向の刻はよう眠っておった』

 『願いはどうじゃ、決まったか』

 『そろそろ決めようか』

 『我らの糧になるか、我らのともがらとなるか』

 『さあ、はじめよう』

 『今宵も宴ぞ』


 

 あの日、あの桜吹雪が教室まで舞い込んできた始業式のあと、夕暮れ時に私を含む同級生は、引きずり込まれてしまったのだ。

 この世に本来、あらざるものに。

 

 それらは言った。我らと競い勝てば、望みを叶えると。その代わり我らが勝てば汝らを少しづつ貰い受ける。

 受けるも良し、受けずとも良し。

 たったひとつだけ決まりごとがあった。それを聞いても後戻りが出来るという。

 彼女たちは、私も含めて怖いものみたさに、聞いた。


 ルールはとても簡単なものだ。

 

 黄昏が過ぎ、夜の帳が落ちたその瞬間からただ全力疾走して家に向かって戻るだけ。

 その最中に仮面をつけた黒いものや男に捕まらなければ私の勝ち。もし掴まったならば指定された私の体が彼らのものとなる、ただそれだけ。

 4月の初めから始まり、夏も盛りを過ぎて2学期が始まろうとしている。


 奪われた部位は数知れず、聞いたことの無い骨の名前や筋肉など数多くがすでに奪われてしまっていた。

 私が誰かにこのことを告げぬよう、太陽が出ている内は記憶が封され、闇の中に蠢くものたちが自由に闊歩できるようになれば外される。

 

 「今日は満月だ。気分がいい。ここで百、安全地帯はいつものとおり。自転車に乗ってからも百、猶予をあげよう」


 さあ、お逃げ。


 

 私は走る。伸ばされた何かを振り切って、家まで。

 毎日、私は、本当にたどり着いているのだろうか、なんて微塵もおもってはならないのだ。


 なにかに巻き込まれたいとおもっていた。そんなものあるわけが無いと高をくくっていた。足を踏み外すのは案外、簡単なのだ。

 一生懸命になるなにかを探すなんて、高尚な、とってつけてまわした言い回しなど必要なかった。

 日常が、いつも平坦にあり続けるなんて誰が保障してくれているというのだろう。ただ無意識に、変わらない明日が来ると思い込んでいるだけなのだ。

 同じ毎日などあるわけがない。毎日同じ場所に通い同じ先生に授業を受けていても、その内容や黒板に書かれる文字が違うのだ。


 大切にしなければならないのは、そうした、一日の積み重ねだったのだと。

 気づいた時にはもう、後戻りできないところまで追い詰められていた。

 もどりたい、けれど戻れない。息が切れ、体が酸素を求めて呼吸を早める。


 彼女たちは多くを望んだ。

 膨大な、そのとき考えられる限りの欲を。


 あっという間に塗りつぶされた。

 彼女たちの最期を、確かに私は見たはずだった。


 



 

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。

 数がひとつづつ増えてゆく。声は楽しげに弾んでいる。末は百と言った。暗闇に棲むものであるとはいえ、交わした言は違えはしない。

 男がただひとつ、持ち続けている矜持でもあった。


 男はもともとこの辺り一帯の荘園をとりしきる荘官の家に生まれ、家のしきたりどおりに生きた男であった。

 生まれは人だ。しかし時が流れても人の世に蔓延り続ける欲が成すはかりごとにより、ただひとり罪を背負わされ首を切り落とされたのである。

 男は多くの憎悪を纏わせられ死んだ。ゆえにこの世に人あらざるものとして目を覚ましたのである。

 意識など無い。ただ清水の如く湧いてくる悪意が満たされるのを喜悦とし、思うがまま呪いつづけた。

 男の一族になり変わった者たちを嘲り暴虐の限りを尽くした後もまだ足りず災いを撒き散らし続けたのが良くなかったのだろう。それを重く見た時の皇が討伐を命じ、地の底へと楔を打ちつけたのは現代史において平安と呼ばれる時代のことだ。


 かの陰陽師に封じられて幾年月が経ったのか。外に出ればいかようにしてやろうかとあれほど抱いていていた狂おしいほどの怒りはいつの間にか鎮められ、ほどほどに落ち着いてしまっていた。だから、ふと気がむいたのだろう。今の世はどのようなのだと興味をもったのだ。知っているはずの言が聞きなれぬ音に変わっていると気付き、手足を外へと放ってみた。山や川や浅瀬や原っぱが消え失せ巨大な灰色や輝く透明が並んでいる。呆気にとられた。しかし識っていけばどうということもない。


 ヒトは変わったようでいて、そのままであった。

 闇を照らす光を手に入れ得意げになっているのか。増した闇の濃さに気付こうともしない多くの餌が満ち溢れていたのだ。

 増えたヒトはわざわざ直に手を下さずとも、ころりと自然に餌として転がり入る。

 ヒトの世に興味を持ちかぶれた眷属が余興にと作り上げた罠にかかるものたちのなんと多いことか。

 手足が自由に動き回るようになり、それによりさらに潤沢になった餌はかつて、この山に封じられた存在を復活させた。


 とはいえそれは封じられたあの頃と同じ轍を踏むような愚かな真似はしない。

 制約を取り決め、その中ですべてを執り行うのである。そうすればしぶとくこの国に生き残る、陰陽師の子孫に目をつけられたとしても言い訳も立つというものだ。


 最後に残った娘はなかなかに愉しい存在である。

 最も欲が深いものであるはずなのに、実を望まないのだ。そもそもからして中身が充実しておらず隙間が多かった。

 食すにしてもまずいものは喰らいたくはない。


 満たすためにそれの中を視、それが勝ったとき、欲していた物を与えてみたがどこか不満そうにしていた。

 闇の中にあるものが餌とするのは、ヒトの肉だけではない。その肉に蓄えられた欲が味となるのである。それが満たされなければ油のぬけたガラを吸っているようなものなのである。


 満たそうとするほどに餌がまずそうになってゆく。唯一、それの味を変化させたのが肉がもつ快く愉しい接触であった。ゆえに娘の体を奪い、悦を与えてみた。まだまだ途中ではあるもののそのおかげで、随分と甘い血を流すようになった。肉をわざわざ貪り喰らう必要がなくなっていたのだ。


 封じられている間に餌が溢れた良い世になった。

 だがヒトがあの時代より愚かに成り下がったわけではない。

 闇の中にひそめくものが餌を自由気まま、勝手気ままに食せる魑魅魍魎の世になったわけではないのだ。

 存在する境界線は未だに濃く残っている。

 

 娘が必死に逃げる様を後ろから追いかけるのが愉しくて仕方が無かった。

 手を伸ばし、掴まえた瞬間の絶望も美味だ。いっそ攫い、手篭めてしまおうかとすら考える。その柔らかな体を蹂躙することで驚くほど短期間に戻ってきた力は、封じられる前よりも大きく膨れ上がっていたからだ。

 現世うつつよの陰陽師が来たとて、畏れるに足りぬであろう。

 

 手足もその他のヒトをつまむより、娘から流れた血のほうが何倍も美味だといい、相伴の願いも多く耳に届くようになっていた。

 ひとつひとつ奪ってゆく。そしてその度に、ヒト在らざる存在へと変えてゆくのは意外にも暇を潰せたのである。

 出来ぬ夜は娘を抱きただ眠る。それもまたいつしか楽しみのひとつとなっていた。


 ヒトの体を構成するものは多い。

 ゆえにこの遊戯はあと数年は掛かるだろう。だがそれでいいのだ。


 駅の構内に走りこみ、自動販売機の横にある椅子に手をついて荒く息を吐く娘に男はぺっとぼとるを差し出す。

 むろん金銭は投入済みである。


 「……ありがとう」


 以前は無視され続けていたのだが、このところはふくれっつらではあるが受け取るようになった。

 それが案外、愉悦を感じたのである。


 ホームの屋根についた蛍光灯がちかりと何度か点滅した。

 娘が小さくため息をつく。男の姿が消えたのだ。

 遊ばれているのだろうと予想していた。人間ではないなにかであることは疑いようの無い事実であろう。

 それに、いいように弄ばれているのだ。


 だがやめられない。辞めさせて貰えない。堕ちるところまでおちなければ開放してもらえないだろう。

 ふとあげた視線に一台の車が映る。それが警察であるとなぜかわかった。


 娘がひとつだけ、勝利の褒美に望んだのは。

 消えた級友に関するすべてを曖昧にして欲しい、ただそれだけだった。

 携帯サイトにアクセスし、そこで持ちかけられた甘い誘いに乗ったらいなくなってしまったなど信じてもらえないだろう。


 桜が咲き誇る4月に己以外の全員が喰われたのは間違いない。だがその影が残った。

 意識の無いロボットのような、影はその目を洞としてにこやかに笑んだ。

 肉体はすでに血の一滴すら残らず化け物たちの腹の中に納まっているのに、なぜ毎日登校してきているのだろうと娘はその目を直視し恐怖のあまり倒れたのである。そしてその日の黄昏に願った。


 娘の記憶はゆえにぼかされたのである。霞の向こう側に事実はあるが男の指先によって隠されている。


 だから答えられない。

 覚えているのはゲームに興じる前までだ。

 夕方まで一緒に残っていたと伝え、いつの間にか眠ってしまい起きた時は教室にひとりだけだったと。あとの事はわからない。


 警察が彼女を見張っていた。彼女こそが事件を解く鍵であると誰もがそうおもっていた。だがその尻尾をなかなか出さない。

 少女は孤立していたのだという。

 はっきり言ってしまえば、苛めにまでは至っていないが、集団行動が苦手な人物であったということだ。そして彼女をからかって遊ぼうと相談している行方不明の生徒たちの話も上がってきている。


 少女は必ず、薄暗がりの中を下校する。その際は全力で疾走するという奇行つきだ。何かに追われているのだろうかと周囲を見回してもなにもない。少女に聞いてもなにも答えない。まるで下校時のことを覚えていないかのような仕草をするのだ。嘘発見器を遊び半分に使わせてもらったこともあるがなにも出なかった。謎が謎を呼んでいた。


 そして少女は自宅がある駅に降りてからも全力で走るのだ。そして自転車に飛び乗り自宅へと向かう。

 そのとき、見失う。比喩でもなんでもない。言葉通り煙にまかれてしまうのである。

 誰が見張っていてもそうだ。だから今日という日に当たった尾行は固唾を飲む。


 とある高校に通っていた女生徒が次々に行方不明になるという連続失踪事件の犯人として、彼女を今日も尾行するのだ。

 今日こそ真実を露にするのだと意気込みながら。

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