盗賊と砦3
死に場所だ。この砦は。
ハイデバル国を攻め込みたい強欲な将軍王と、昔からの仲を崩さずに上手を取り貿易をすべきだという古くからの家臣たちの中で今だに国の方針は定まってはいない。
だが、どちらにしてもこの場所は死地だというのには変わりはない。
盗賊の格好をしている兵士を外に置き、建物の中にはヴィントリー王国の兵の服装をした者が待機している。
ハイデバル国から攻め込まれたら、三つ巴になり殺されろ、と勅命を受けている。三つ巴の延長であちらの兵がこちらの兵を殺した疑いがかかればそれをきっかけに戦にもつれ込む事も、損害賠償を要求する事も、貿易をする上で交渉に利用する事も出来る。
それが分かっているのか分かっていないのか、自暴自棄になり喧嘩をする者、ひたすらに自堕落な生活をする者、そういう格好をしているのだからと盗賊の真似事をする者、規律などはすでに無く上官という立場も無い。
「本当にこれじゃ、盗賊と一緒だな」
ポツリと溢した言葉は闇夜に溶ける。
左遷先としてはとびきりの場所なのだろうな、と貴族に楯突いた所為で飛ばされた兵士の男は顔を歪ませた。
一応の見張りとして砦の登頂と、見回りに数人が出ており、何かあればすぐに知らせが入る事になっていた。
その日は確かにやけに静かであったが何も考えずに眠りについた。
ボンッ、ボンッ
破裂音が響いたのは浅い眠りに入ってからだった。
何事か。とうとうハイデバル国の兵が来たのか、と小窓から外を見るとそこは白に染められていた。
男たちの怒鳴り声だけが響き渡る。
「んーふふ、こーんなもんかなあ」
鈴玉は大きな木の上の丈夫そうな枝へ座り、手のひらにすっぽりと収まる丸い黒玉をお手玉のように遊んでいた。
時折、真っ白に染まりつつある砦の、それでも白煙が薄い場所へとそれを投げ放つ。
ボンッという音が響いた。
既に砦の外壁の内部は真っ白な煙幕に包まれ、誰も彼も、木の上にいる鈴玉の独り言を聞く人間はいない。
「マーマも難しい注文するなぁ。本当は睡眠薬でどうにかしたかったけど、確かにこっちに材料あるか分からないしー、仕方無いかー」
隣の大陸、言葉は少しだけ文法やイントネーションが違うだけだったからどうにかなったが生態系については今はまだ分からない。
煙玉ならば代わりに使える草は色々あるからどうとでもなるが睡眠薬はどうだろうか。まずどんな草木、生物、素材、何があるのか。
そして。そして、何よりも。
「うー、モンスターとか楽しみだなー、あと人間以外の人!小さい人とか長生きの秘訣とか?うんうん、採血してサンプル集めて!楽しみだー」
にひひ、と笑ったその顔は年相応の表情。
鈴玉が目を細めて砦を覗くと、白い煙の中を自分の姉たちが動き回るのが分かる。そろそろ薄くなったかな?と再び煙玉を投げた。
ボンッと音が立ち、自分の側で煙玉が爆ぜた。何かが落ちてくるのが気配で分かったから咄嗟に目を瞑ったが何て妹だ、と思いながら白煙の中を身を屈めて走る。
口元を覆ったマスクのお陰で煙りを吸い込まずに済んでいるが周囲にいる目標たちは激しく咳き込み、嘔吐している人間もいる。
なんだ、つまらん。
スヴィトラーナの銀に光る拳が目の前の男の顎を下から捉え、大きく後方へと飛ばす。ついでにと、うずくまり嘔吐してる男の足を右の足で踏みつけた。ゴキリと骨が砕ける音とぎゃっという叫び声が響く。
白煙と爆音のせいで混乱している男たちの背後へと忍び寄り姿を見せないように意識を刈り取る。
ひたすらに単純作業だ。
殺さないように戦闘不能まで追い込めという注文は些か難しい。
「敵か!?」
「何が起きている!?」
馬鹿か。こいつらは。
わざわざ自ら声を張り上げで居場所を知らせるとは。
くんっと鼻が鳴る。
酒の匂い。血では無く、汗でも無く。
スヴィトラーナはぎりっと奥歯を鳴らしながら、混乱した様子で剣を取る盗賊のような粗末な格好をした男のこめかみを殴りつけた。
物音に周りの男たちが騒ぎ出すが、視界が遮られている中で動き回る事も出来ない。
上体を低く保ち、相手に姿を見られないように。男の右足を引き、転ばせ、膝の皿を握った両手で打ち割る。地面を蹴り上げ、その場で宙を一回転しながら離れ、背後にある気配を左の拳で叩いた。
ぎんっと金属の擦れる音が響く。
ふわりと空気が割れ、黄金の髪と紅の鋭い眼差しが垣間見えた。
ふむ、余りにも兵士だか盗賊だかが弱いのでぼんやりとしていたか、とスヴィトラーナはぐいっと拳を出して打ち合ったナイフの柄をこめかみを引き攣らせるアンジェラに押し付けて、誤魔化すように走り出した。
誤魔化しやがりましたわね、あの筋肉女。
ちらりと右手に握ったナイフの柄に若干傷が入っているのを見て、アンジェラはマスクをしながらも溜め息を吐いた。
何よりも腕にじんわりと痺れが残るのが忌々しい。
毎日毎晩、トレーニングに勤しみ腹筋が六個に割れ、贅肉の無い腕には筋が入り、乳房もきっと半分は筋肉なのだ、あの女は。でなければ先程からチラチラと視界に入る人間とは思えない動きをした影の説明がつかない。
白く染まった視界の中を身を屈め、気配のする方へと進む、時折、空気を切り何かが頭上から降り注ぐ。
ぎゃっと声が上がるのは男の声のみだ。
砦の高台か建物の上から弓を引いている人間でもいるのだろう。
相討ち、結構な事ですわ。
正面に影を捉え、鳩尾に一発と、そのまま後頭部にナイフの柄を下ろした。そして地面に蹲った男の背中を土台に踏みしめながら、男の背後にいたもう一人の兵士の左顎を、左手に持った革の鞘に入ったナイフで打つ。
心の中でひたすらにアンジェラは愛するナイフたちに詫びていた。普段ならば愛用している彼らたちの刃を使い切り刻んでいるのに、今日は殺してはいけないのでそれが叶わない。
使って上げたいのに使えないとは何とも切ない事なのだろうか。私も貴方に逢いたいのに、と革の鞘を指先で愛おしげに撫で付ける。
このお仕事が終わったら新しい街で新しいダーリンをお迎えに行こう、この生温い戦闘とあの単細胞女の所業に苛ついた心を癒すために。
もう一つの影の肩へと柄を打ち付け鎖骨が折れた感触を感じながら、痛みに叫び出したそれを蹴飛ばした。
ぴゅーいぴゅーい、と指笛が鳴る音が白煙立ち上る砦に響く。
アンジェラとスヴィトラーナは、そっと音を立てないように走り抜け、砦の外壁に垂れ下がった二本の結び目を作ったロープを使いスルスルと器用に登るとその場を後にした。
大体の数は地に伏している。建物内にいる人間や取りこぼしは、マザーが拾って来ると言っていた盗賊がどうにかするのだろう。
砦の外に出て、マスクを外しアンジェラはスヴィトラーナに非難の目を向けながら鈴玉のいる方向へと歩き出す。
「スヴィ!貴方また私に向かって攻撃してくれましたわね!私のダーリンに傷が付きましてよ」
「あれくらい避けて見せろ、贅肉の所為で無理だろうけど。あと刃物をダーリンと呼ぶな。気色悪い」
「んまぁ!何ですって!スヴィの人外的な動きのが気色悪くてよ、どうせ手加減するのに飽きて考えを放棄していたのでしょう?脳が足らないのも大変ね」
口論する二人の声の間に、早く来いと言いたげに指笛の音が小さく響いた。