盗賊と砦1
「おうまパカパカ~、荷馬車パカパカ~」
鈴玉の歌うような謎の掛け声が荷馬車の中に響き渡る。
緊張感の欠片もないそれは慣れ切った二人の姉たちを微かに笑わせる。今の様子だとそこらの町娘と変わらないな、と思いながらリークは夜の森にある街道で荷馬車の手綱を取っていた。
「ねぇねぇ、お兄さん。この匂いって苦草を燃やしてるの?」
ひょいっと荷馬車の中から軽く御者台へと飛び乗ると鈴玉はリークの前に吊るされた金属の皿の中を興味深そうに覗く。
「ああ、よく分かるね。モンスター避けだよ。苦草を乾燥させた物を粉末状にして燃やしているんだ」
「モンスター!やっぱりいるの?いっぱい?」
隣の大陸の特性を思い出しながらリークは瞳を輝かせている少女への返答を迷う。
モンスターはその辺にいっぱいいるのだ、それこそ害虫のように気付かないだけで。彼女の想像する格好良いモンスター像を壊す訳にはいけないだろう。
「鈴玉、ほら困ってましてよ?リーク様、申し訳ありませんわ。マムからモンスターについては軽く伺ってはいまして、この子ったらずっとこうなのです」
「えー、アンジェもスヴィも人間より強いし、普通の肉より美味って聞いて楽しみにしてたの鈴玉知ってるよー」
アンジェラは軽く頭を押さえながら眉間に皺を寄せて、モンスターの血液採取したい!とこちらの大陸に渡る船の中で興奮して床をゴロゴロしていた鈴玉の姿を思い出しながら、ゆっくりと首を振る。
「今日の所は諦めなさいな。これからいくらでも遊びに行けましてよ」
「はぁい」
鈴玉は肩を竦めると再び軽々と身を翻し、荷馬車の中へと戻って行った。
垣間見た荷馬車の中で、娘たちは取り留めのないお喋りをし、まれにアンジェラとスヴィトラーナが言い争いを始めたりもするが、しばらくすると元のお喋りに戻る。
本物の姉妹のようであり、微笑ましい光景なのかもしれない。
・・・まれに金属のぶつかり合う音がするが、きっと大丈夫だ。自分が荷馬車の中を見なければ良いだけだ。
「部隊長の方は大丈夫かなぁ」
リークは、ふっと息を吐き出しながらポツリと呟いた。
三人の若い娘たちが砦に向かうと聞いた時は驚いたものだったが、あの宰相がマザーの娘たちなら大丈夫だと言うので了解はした。
ふるりと頭を振る。
柄にも無く抱いた情けない気持ちをリークは振り払い手綱を動かした。
「アレク様?あの洞穴っぽいのが盗賊の拠点?」
栗毛色の馬に、器用に横向きで座りながらマザーは洞穴の方を指し、アレクシスを見つめた。
「はい、そうです・・・それにしても馬乗れるんですね・・・」
「うふふ、それぐらい出来るわよ。じゃあ、アレク様ありがとうね。また明日って所かしら」
マザーの紫の瞳の中でチリチリと銀の星が瞬く。
『アレクシス、マザーの瞳に囚われるなよ。お前、恋人もいないし』と心底心配そうに言っていた父親の気持ちがとても分かる。
この傾国の美を持った人が男性で良かった、とも思いながら、馬の手綱を引いた。
「では、ご武運を」
アレクシスが走り去る背中を眺め、その姿が見えなくなるとマザーは馬から飛び降り、近場の木にロープで括り付けた。柔らかい地面に軽くヒールを埋もれさせながら、悠然と彼は洞穴へと歩み寄る。
こっくりこっくりと眠気と戦っていた見張り番たちを見て、マザーはワザとガサガサと草の音を鳴らしながら姿を彼らの前で見せた。
「おこんばんは。ねぇ、ここの頭に会わせて貰えるかしら?ああ、何も警戒しなくて大丈夫よ。只の情報を売りなか弱い乙女よ?何も出来ないわよ?」
紫の瞳を持った黒衣の麗人の姿に、警戒心を露わに剣を抜き、その人間の周囲を取り囲む。
はぁ、と頬に手をやり溜め息を吐くとマザーは腰に巻いた黒革のベルトに付いたポーチから金貨を二枚取り出し、指先で弾いた。きんっと小気味の良い音を出し、見張り番の男の足元へと金貨が落ちる。
「良い情報があるのよ。この情報は時間制限があるのよ。国境付近の砦の件について話がある、と通して下さる?」
見張り番の男たちは顔を見合わせた後、金貨の一番近くにいた男が後退りをしながら洞穴へと入っていく。
金貨を取らない辺りは思っていたよりも、良い盗賊なのかもしれない。
近場にいる盗賊で条件に見合った物件は無いか、とエディッドの息子に聞いたのだが、流石は諜報部の部隊長だけの事はある。
砦の近場に拠点がある、兵を殺す機会を作らない、慎重に動くタイプの盗賊、全ての条件を満たす物件は無いと思ったのだが、ピッタリなのがありますよと胃を手で押さえながらも教えてくれた。
胃痛持ちは家系なのかしら、しばらくは鍛えて差し上げましょう。
マザーは鋼の切っ先を向けられながらも、ゆるりと微笑んだ。
見張り番の男に怒声を飛ばしながら来た盗賊の長は、マザーの姿を見ると一瞬だけ固まり、見張り番の男の頭に拳を一つ落とした。
「ああ?何処が情報屋だぁ?男娼の間違いじゃねぇの?」
荒くれ者らしい逞しい躯体を革鎧と毛皮で出来た服で身を包む彼は寝ていたのかボサボサの頭をぽりぽりと掻きながら、大きく一つ欠伸をした。
オレンジの髪に黄色の瞳の男はマザーを見て胡散臭そうな顔をする。
「う、痛って・・・いや、あの砦の事で話があるって言うんで・・・」
あの砦ねぇ・・・と、マザーは目を細めた。
「ちょっと止めてよ。私、男に抱かれる趣味は無いわよ?三人の子持ちだし。本当に本当の情報屋よ?最近こちらに来たばかりだけど元々はスチュワート伯爵領にいてね。これから王都での良い商売の為にちょっとくらいサービスしとこうかしらって来たの。あ、あと私、普段は酒場の主人だから、そちらの営業もね?」
ポンポンと矢継ぎ早に話すマザーは微笑みながら先程自身が落とした金貨を身を屈め、長い爪で拾い上げ、目を細める。
月を背にその姿は美しく浮かび上がった。
「まぁ、本当はピカピカの金貨次第だけど」