Take Two
指輪を選んだ日の翌日。仕事終わりに友人達に誘われて飲み会をすることになった。前回誘われた時は合コンを兼ねての飲み会だったから蹴ったけど、今回は女子だけの集まりなので断る理由もなく。
…まあ前回蹴ったことをダシに強請られただけなんだけどね。
『今日は女友達と飲んで帰ります』
陽介にメールを一本。返信はシンプルに『分かった。帰りは気をつけて』とだけ書いてあった。でも夕飯はとっておいてと更に返信する。そしたらぴこぴこ動く猫の絵文字と一緒にまた『了解』と一言。…あの男は本当に、いちいち可愛いことをしてくれる。
会社を出て電車に乗り、自宅の最寄りで降りれば、見知った人影が私に手を振っていた。
「あ、来た来た!」
「遅いよ日和ー」
「ごめんごめん。…ってまだ待ち合わせ時間じゃないじゃん」
「十分前行動は当たり前!なので日和は遅刻です」
「細かっ」
「日和がルーズなだけー」
…ホント、大学の頃からめんどくさいところとか全然変わってない。
井戸端会議もそこそこに、駅前の適当な居酒屋に入る。軽いつまみと二人はビール、私はカクテルを頼んで、女子会と洒落込んだ。
「香那子のとこ、またバイトがやらかしたんだって」
「え、また?」
「なんでウチへバイトしに来る子はまともな子がいないわけ⁉︎ホントもういい加減にしろって感じ…誰が頭下げてると思ってんのよ」
「それを私達に当たっても…ねえ?」
「ねー」
「そういう千裕はこないだ痴漢を背負い投げして表彰されたんだっけ」
「あ、それ新聞で見たわよ」
「うそ、そんなとこにも載ってた?ツイッター速報で回されてたのは知ってるけど」
「すごい、めちゃくちゃ有名人じゃない」
「こんなことで有名になってもどうかと…」
突ついたらいくらでも話題が出てくる。話を肴にお酒が進んでいく。…そういえば、陽介がうちに来てからお酒はあんまり飲んでなかったような。昔は睡眠導入剤替わりに飲んでたこともあったけど、今じゃそんなこと考えられない。
ただいまって言ったら、おかえり、おつかれさまって返ってくる生活が、思いの外ストレスフリーにしてたのかも、なんて思ってみたり。陽介様々だ。
ほろ酔いの頭で思い出し笑いをしていたら、不意にがしっと左手を掴まれた。
「ちょ、日和これ!」
「?」
「左手の、薬指…ということは?」
「彼氏⁉︎」
いきなり目ざといなー全く。
「彼氏っていうより、婚約者?」
「「婚約者ぁ⁉︎」」
…うるさい。両側から叫ばれて耳がキーンってなって、思わず顔をしかめる。と、すぐさま両側からがっくんがっくん身体を揺すられた。
「どういうこと⁉︎あんた、前にフられたってメールしてきた時からまだ三、四ヶ月くらいしか経ってないわよ⁉︎」
「ズボラの日和がどっからそんな出会い拾って来たの⁉︎ていうかむしろ別れたってのが嘘なわけ⁉︎」
「ちょっ、待って、気持ち悪い、色々出るから勘弁して」
そう言うとようやく解放される。…本当に色々、主に中身とか出るかと思った。二人が落ち着いたのを見計らって、またちびちびとカクテルを飲む。
「二年付き合ってた彼氏とはホントに別れたのー。これをくれたのは、まるっきり別の人なんだからねー?」
「よくそんなスピード婚約出来たわね…」
「大丈夫なの?…日和の男運の悪さからすると、いきなり婚約までぶっ飛ぶとか心配でしょうがないんだけど」
「それ思った」
頬杖をついた香那子と、私の頬を突つく千裕と。二人の疑問はもっともだけど、今が幸せの絶頂期(自分で言うのも恥ずかしいが)で、更に言えば酔いが回っている状態にある私にそういうことを言ってはいけなかった。
完全に拗ねて一気にグラスを呷った私は、そのままダンッとテーブルに叩きつけた。
「陽介は違う────」
後に続いた言葉に、二人は目を丸くしていた。言いたいことを言えた私は勝手に満足して、そのまま席に突っ伏してごそごそと自分のポケットを漁る。引っ張り出したスマートフォンから、見慣れた番号をコールした。
もう日付を超えそうな時間だというのにワンコールで出るんだから、相変わらず心配性だ。
『もしもし、日和?』
「陽介」
『ん?』
「むかえにきて」
『…どこで飲んでるんだっけ』
「駅前の、店先に提灯の提がってる店」
『ああ、あそこか。はいよ』
五分で行くから待ってて。
わがままを言われているというのに、随分あっさりとそう告げて電話を切った。
いつも思うけど、陽介は私を死ぬほど甘やかしてどうする気なんだろう。このまま行くと私は、ズボラは脱せてもダメ人間になる気がしてならない。でも今更離してなんかあげられないし。
そんな感じで思考がうろうろしている間に五分は過ぎて、ガラリと背後の引き戸が開けられる。
「日和」
「ジャスト五分。流石です陽介くん」
「…珍しくセーブしてないなぁ。そもそもお酒自体久しぶりだから無理もないか」
「そういうこと」
相槌を打てば帰るよ、と促されて。惚けてる香那子と千裕に二言三言何かを話してから、陽介は私の腕をとった。
辛うじて二人にまたねとだけ言い置いて、引かれるまま店の外に出る。
お酒で火照った肌に夜風がちょうどよかったけど、それでも足取りがしっかりするほど酔いは冷めなくて、危ないから、と腕を絡めて帰路に着くことになった。
道中、どんな話をしていたかを陽介に聞かれてしまうのだけれど。
「失礼しちゃうよね。私が男運悪いからって、婚約のことも半信半疑だったし」
「それだけ日和のことが心配だったってことじゃないの?」
「そうだけど、」
私は別にいいんだ。慣れてるから。
でも陽介のことを私の男運の悪さのせいで悪く言われるのはどうしても嫌だった。
「だから、陽介は違うって言ったんだ。ちゃんと大切にしてくれてるって分かるから、大切にしたいって思える人なんだって」
与えるばかりは疲れる。背伸びをするのも、見合うように努力するのも。少なくとも今までしてきた恋愛というものは、そういう場合のものばかりだったから。
そういった意味では、いつでも私に与えてばかりの陽介は珍しかった。
陽介が与えてくれる分、私も与えたい。そんな相互作用がはたらくような関係が一番心地よくて、一番求めていたもので。じゃあそれが成立すればなんでもいいかと言われたらそうじゃなくて、それを説明するのは難しいけど、陽介じゃないとダメだっていうことだけは確かで。
酔いの回った頭では何もまとまらないなんて分かっているのだけれど、それでも伝えたくて見合う言葉を探して空気を食んだ。
「大丈夫だよ、日和」
…ああ、だけどそれも
「俺はちゃんと、日和が想ってくれてることも分かってるから」
ほらね、やっぱり知ってた。
私を見る陽介は、慈しむような優しい目をしている。時々向けてくれるこの目と、微笑う表情が、私はたまらなく好きだ。
受け入れて、理解されているということは、どうしようもなくくすぐったくて、少しだけ恥ずかしい。けれどそんな感覚も一回りしてしまえば、ただの甘さに変わってしまうのだ。恋は盲目、なんて、本当にその通りで。
「時に、陽介くん」
「なんでしょうか、日和さん」
「君はいつになったら私に手を出してくれるのかな?」
「…その気になれば、いつでも出せるよ」
「その気になれば、ねえ。でも我慢してるってことは、出してもいいって言えるだけの条件がまだ揃ってないってこと?」
「大正解。挨拶行くまでは我慢のしどころかなって」
「だったら、」
「?」
「…せめて、キスぐらいは許容範囲になりませんか」
流石にここまで出されないと、逆に不安になるというか。
陽介の足が止まった。
お酒の力を借りて口に出したのは紛れもない本心。もう指輪だってしてるのに、未だ血を吸う気配だってない。健全で居てくれるのはありがたいといえばありがたいし、心の準備もあるから助かるんだけど。
何も、触れたいと思ってるのは陽介だけの話じゃないんだよって、言いたかったわけで。
「…日和さん」
「はい」
「あんまりかわいいことばっかり言わないでください」
ほんとに、色々ぶっちぎりそうでやばいんだってば。
吐息混じりに掠れた声が響く。何がぶっちぎれるのかは暗黙の了解というやつだ。正直に言えば多分、ぶっちぎれるまではもう首の皮一枚なんだろう。
じゃなかったら、夜とはいえこんな道端で抱き締めたりしないはずだ。ここが車通りの少ない通りだというのが不幸中の幸い(?)なのかもしれない。
「ムードも何もあったもんじゃないね」
「うん」
「おまけに外だし」
「うん」
「それどころかお互いの顔も見えにくいし」
「うん」
「でも陽介がしたいなら、」
いいよ、と言う前にもう、塞がれていた。
それくらい言わせてくれてもいいのに。
その二秒すら惜しいと思ってくれるほどには、ずっと触れたかったのかな、とか。そうして愛しさが増すものだから、やっぱり私は相当やられている。
気が済むまで啄ばむように口付けた陽介は、顔を離してゆるりと私の髪を梳いた。
「…帰ろうか」
「うん」
さりげなく左手を攫われて、絡めるように繋がれた。歩き出したそれっきり、沈黙が降りたままの私達の間には、見えない熱がたしかに存在していた。