Take One
「なら指輪も買いに行こう」
電撃婚約から三日後の休日。
婚約と言っても所詮は口約束だったし、私達はその後もほぼ変わりのない生活を続けていた。
とは言いつつスキンシップとやらはそこそこするようになっているから、多少なりとも距離感は変わってきているんだと思う。でもイマイチ実感が持てないと考えていたその時に、一緒に洗濯物を干していた陽介がどこかに出掛けようという話から冒頭の一言をぶち込んだ。
「いいけど、お店の目星もつけてないよ?」
「俺がつけてるから大丈夫。これもう終わるし、日和は先に出掛ける準備して。めいっぱいオシャレしてね」
「なんで?」
「なんでって、そりゃ初デートだからだよ。それに指輪買いに行くんだから、俺の嫁さんは可愛いんだぜって自慢したいし」
「…後半の動機が不純すぎるんだけど」
「うそうそ、俺が見たいだけ。だって日和の気合い入ったカッコは仕事モードしか見てないしね」
婚約をした後から増えた、サラッと混ぜられる毒…じゃない、甘さには未だに慣れていない。
でも確かにそうかもしれない。気合いの入った、と言っても、出版社勤めの私は割とラフな格好が多い。ビジネスメイクはしているがそれはそれとして。
女友達と出かける時だって服装的には仕事とあんまり変えてもいないし。これが私の男っ気のなさとズボラ呼ばわりされる所以でもあるわけなんだけど。
「最近パンツルックばっかりだから、スカートとか履いてくれると嬉しいなー」
なんて、そんなこと言うから。
惚れた弱みか、ちょっとは意識して普通の女の子みたいに気合を入れちゃったりなんかする。
婚約した後の陽介は、私が色々と疎いのを知ってるからなのか、ちゃんと前もってヒントをくれるようになった。ここぞっていう時にさりげなく。…見方を変えたら、ただ単に自分の願望を主張してるだけかもしれないけど。でもそれが私には凄くありがたくて、ヒントを元に実行して褒められると、尽くすタイプでもないくせに簡単に喜んでしまうのだ。
以前とは大違いというか、私は陽介によって着々と脱・ズボラの道を歩まされてる気がする。
「お、可愛い可愛い。ザ・女の子って感じ」
「めいっぱいオシャレしろって言うから頑張った」
「ありがとー、凄く嬉しい。俺のためにっていうのがもうなんかたまんないよね」
オシャレしただけで死ぬほど嬉しそうにする陽介はなかなか現金だ。でもそんな言葉に浮き足立ってしまう私も同じくらい現金だと思う。
***
連れて来られたお店は、電車で二駅先にあるこじんまりしたところだった。宝石店とかによくあるようなキラキラした高級感はさほどない。むしろ落ち着いた、少し明るめの骨董店みたいな感じのお店だ。
陽介に着いて店の奥の方まで進んで行くと、あご髭を生やして頬に三本傷のある男性が座っていた。…フィクションによく居そうなビジュアルだけど、実際に見ると凄い怖いな。
「いらっしゃい」
「どもっす」
「おっ、もう連れて来たのか。案外早かったな」
「あはは…俺そんなにタカ括られてたんすか」
「仲間内じゃお前が最後だ。そりゃ括りもするさ」
仲間内、というワードでなんとなく把握した。この人…この方も陽介と同じなんだろう。
そんなことを考えていれば、はたりと目が合う。
「俺は校倉シュウジ。コイツの先輩にあたる」
「吉野日和です。丙君にはいつもお世話になってます」
頭を下げると校倉さんはニヤニヤしながら陽介を肘で小突く。その行動を陽介は若干の照れと共に拒否するけど、校倉さんが更にからかいを重ねるから勘弁してくれとばかりに肩を落としていた。そのやり取りだけで、二人の仲が相当長くて深いことは見て取れる。動揺してる陽介とか見たことないし。
あんまりにも二人が子供っぽく…特に校倉さんが最初の怖いイメージを払拭する勢いで掛け合いをするものだから、なんとなく面白くなって噴き出してしまう。
すると二人の目が一気にこっちへ向いた。
「…お前、よくこんな可愛い子捕まえたよなぁ」
「余計なお世話ですよ。シュウ先輩が逃げられすぎなんじゃないですか」
「アホ抜かせ、俺の場合逃がした上で泳がせてんだよ。つーか陽介、彼女ほっといて何俺に構ってんだ」
「先輩がふっかけたんでしょうが!はぁ…そもそも今日は指輪を見に来たんです」
「指輪ぁ…⁉︎」
すっとんきょうな声を上げる校倉さん。私と陽介とを交互に見つめては、顎に手を当てた。
「…結婚すんのか」
「はい」
「嘘だろ⁉︎お前、この前まで付き合うことすらまだかかりそうだって呻いてたじゃねえか!」
「それはまあ…あの後に色々ぶっ飛ばして逆プロポーズ貰ったんで」
「逆プロポーズ?」
ばっとこっちを向いた校倉さんの目が、不意に真剣味を帯びた。急に小さく細められた双眸に見つめられて、まるで品定めをされているかのような、奇妙な感覚に陥る。握りこんだ手のひらに嫌な汗が滲んだ。
「日和サン」
「、はい」
「陽介の正体を知ってるってことは、それなりの覚悟が出来て言ったんだろうな」
「先輩、」
「お前は黙ってろ。俺達にとっては重要なことだ」
有無を言わせぬ声音に、思わず奥歯をぐっと噛みしめる。そうでもしないと校倉さんに気圧されてしまって、今にも腰が抜けてしまいそうだからだ。竦んでしまったら何も言えなくなる。それだけは嫌だった。
覚悟。…覚悟、か。
ぐるぐると無理やり頭の中を掻き回してその答えを探す。彼の言う覚悟は、一緒に生きる覚悟だろうか?それとも陽介を置いて逝く覚悟のことだろうか?はたまた別の意味を含んだ覚悟のことなのか?それを理解することすら、私には出来ない。
正解かどうか分からない、それでもなんとか見つけ出した言葉を舌に乗せる。深く深く息を吸って、私はそれを吐き出した。
「正直、出来ていないと思います」
「覚悟とか、そういう立派なものがあって結婚したいと思ったわけじゃないんです。陽介は吸血鬼で、これからも私なんかよりずっと長い時間を生きることになると知った上で一緒に過ごすうちに、私は陽介を離したくないと思いました。婚約届の紙っぺら一枚、私の人生一つだけで陽介を繋ぎとめておけるなら、安いもんでしょう?」
それぐらい首ったけなんだ。
私だって何も考えなしにプロポーズしたわけじゃない。こうしてちゃんと言葉にするのは初めてだけど。
どうしたって逃げられない、逃げたくない恋に落ちてしまった。それなら自分の全てをもって捕まえなきゃ絶対に後悔すると思ったから、私はそうしただけで。
「私は、陽介と一緒にいたいだけなんです。陽介が私を要らないって言うまで、一緒にいたいって、それだけなんです。…この先、多分何回も後悔するかもしれないし、それにあの、そもそも覚悟とかそんな、難しいことは本当によく分からないんですけど」
それだけじゃあ、駄目ですか。
ちょっとだけ声は震えたけど、目はまっすぐ校倉さんを見据えたままでちゃんと離さなかった。なんとなく目を逸らしたら負けな気がしたから。
「ぷ、」
「ぷ?」
「…あっはっはっは!おい、日和サン、隣見てみ?」
いきなり大爆笑し始めた校倉さんの言うとおりに隣…陽介の方を見ると、片手で顔を覆って俯いたまま微動だにしてなかった。ついでに言うと物凄く耳が赤い。
「…日和」
「はい」
「それすっげえ殺し文句」
ああ、陽介は照れてたんだ。
貴重な姿を見られたから思いっきりガッツポーズしたい気分なんだけど、空気を読んで大人しくしておく。
「惚れ直した?」
「うん。俺の方が離してあげらんなくなるレベルで」
「おお、それはよかったです」
ちょっとだけ頭の位置が低くなってるのを良い事に、照れてる陽介の髪の毛を撫でる。手入れしてないくせに腹が立つくらいサラサラな手触りを堪能しながら撫でてやった。いつもは身長差で届きにくいしね。
なんてことをしていたら、校倉さんの笑いがようやく収まったらしく。
「いやあ、悪かったな。別に反対しようってわけじゃなかったんだが…面白いモン見せてもらったわ。それと日和サン、あんた案外ロマンチストなんだな」
「う、」
…今思うと言い回しが凄く気障だったかもしれない。中二病か。恥ずかしいなあもう。
少し熱の上がった頬に手を当てていたら、今度はもう熱の下りたらしい陽介に頭を撫でられた。その様子を見る校倉さんの目が、凄く優しかったのは内緒。
「さて、話がズレにズレまくったわけだが…指輪、選んでいけ。今上物を出してくるから待ってろ」
「ちょっ、俺予算話してありましたよね⁉︎あんまり破格なヤツ出されても手に負えな」
「馬鹿言え。婚約祝いだ、その予算の内にまけてやるっつってんだよ」
「!」
店の裏に行った校倉さんの背中を見ながら、陽介は肩をすくめた。
「先輩、よっぽど日和のことが気に入ったみたいだね」
「そうなのかな。ただ単に、陽介が結婚するから喜んでるだけだと思ったけど」
「じゃあその両方だ」
顔を見合わせて噴き出す。
どちらからともなく繋がれた手に、幸せってこういうことなのかなーなんて思ったりした。