トリップ少女は諦めないっ!
ある麗らかな昼下がりのこと。
「ねーねーラルさん」
「なんだ」
テーブルを挟んで向かい側、私と同じくティーカップを傾け一息ついているお相手の名前を呼ぶ。
簡素な返答に一瞥だけくれ直ぐに反らされる視線。
クールに変わることのない表情と態度は実にラルさんらしい。
この人が明らさまな感情の起伏を見せることは実に少ない。知り合って半年。そのうちに、今みたいな澄ました顔意外はあまり見たことがない。見れたとしても、苦虫を潰したようなものが大半だ。
なので、そんな彼が少しでもあわてふためいてくれたら面白いだろうなぁというほんの少しの思惑と、紛う事なき本心を込めて。
「私、ラルさんが好きなんだけど、恋人になってくれませんか?」
にっこりと、とびっきりの笑顔をつけて愛の告白を言葉に乗せた。
その瞬間。
「ぶふぉっ!!」
冷静沈着、泰然自若の鉄面皮。そんな言葉がお似合いな狼面が飲んでいたものを吹き出した。そしてすこぶる苦しそうにげほごほと咳き込む。
通常ならば絶対に拝めないであろうお茶をむせ返すという期待以上の反応に驚きつつやはりいきなり過ぎたかなと反省するも、してやったりと深まる笑みはとまることがなかった。
始まりは突然に、というけれどまさにその言葉の通りだった。
気付いた時には木、木、木。
見渡す限りの木々の中、つまりは森の中で私こと若草一花は寝っ転がっていた。
何処だここ。
そう思うのも致し方なく。いつも通り自室のベッドで就寝し、目が覚めたらin森だ。
寝てるうちに自室を出て、自宅を出て、あまつさえ近場にはあるはずのない森で寝るだなんて、すわ重度の夢遊病にでもかかったかと頭を抱えていた時に出会ったのがラルさん――ラルフレッド・ミューロウさんだった。
なんでも彼が言うにはここは異世界で、私は原因不明の異世界トリップと言う奴をしたらしい。
そしてラルさんも以前に別世界から同じく原因不明のトリップしてきたお仲間さんで、お偉いさんから「あ、なんか越モノが来たっぽいから様子見してきて~(要約)」的なことを言われて私を探しに来て無事発見と、そういうことなようだ。
寝耳に水な出来事に、それでも、あ~そうなのかもしれないなぁとあっさり認めることが出来たのは目の前で(恐らく)苦り切った表情を浮かべるその人が、紛うことなき狼男だったからだ。
とてもじゃないが作り物とは思えない黒い毛並みの狼の顔に、しっかり服を着ている上背のある人間の身体。しかしその腕は触ったら気持ち良さそうな長毛に覆われており、五本指と人の手と造りのかわらないその先まで続いている。ちらちらと見えるふさふさの尻尾つき。
これが獣人というものか。
軽く感動しつつも何やら色々と説明してくれた狼さんに「わー、じゃあこれから私この世界で生活してかなきゃいけないんですねぇー」なんてへらへら笑いながら答えたら目を見張られた後、顔を顰められた。私があっさりと全てを納得した上に受け入れたことが理解出来ないとでも言うように。
いやだって、説明の中に元の世界に帰る術がないだのなんだの言ってたもの。
帰れないことを嘆いても喚いても出来ないものは出来ないんだから仕方がない。嘆いて喚いて叶わない望みに気落ちするぐらいなら事実を事実として飲み込んでこれからのことを考えた方が建設的だし精神衛生的に宜しかろう。悩むだなんて、無意味だろうし?
ラルさんに連れられ少し歩くとすんなり森を抜け出すことが出来た。
そのままとある集落……というか村?のお偉いさん(こちらも獣人さんでした)のところまで足を運んで、これからどうしようかと話し合って、とりあえずラルさんのところで世話して貰えば?というお偉いさんの言葉にそうですね!なんて即答して当面の方向性は決まった。無論、厄介事を押し付けられたラルさんがそのやり取りに重たい溜め息吐き出したのは言うまでもない。
まぁそんなわけで、この異世界、ブレンディアのリノリム大陸にあるジーノスという片田舎に私は腰を下ろすことになったのだった。
あれから半年。とりあえずどころかすっかり居着いてしまった私は、ようやく息が落ち着いてきたらしい様子の家主を見やる。勿論にこにこ(むしろにやにや)笑顔付き。
心なしか先程よりげっそりとした面持ちを浮かべ、じとりと睨まれた。ラルさん自身は睨んでるつもりなんてちっともないんだろうけど、いかんせん目付きが悪すぎるので睨んでいるようにしか見えない。
「……何をいきなり」
「うん、自分でも突拍子もなかったなぁと思いますよ?でもラルさんの面白い反応が見れたので反省はしてません!」
「頼むから反省してくれ。俺を驚かす冗談にしてもタチが悪すぎる」
私と暮らすようになってから癖になった(本人談)重たい溜め息とともに漏らされた苦言にちょっとだけムッときてしまった。
驚かそうと思った気持ちがあるのは確かに事実であるけれど、冗談のつもりなんて微塵もない。
誠心誠意、一言一句、丸っと全て私の嘘偽りない本心だ。
それを冗談だなんて言って真面目に受け止めてくれないなんて少し酷いのではないだろうか。
そんな抗議をそのまま口にしたところ、胡乱げな様子を隠すことなく顔を顰められた。
「……それが本当だとして、あまりにも突然すぎないか。今までそんな素振り全く見せなかっただろう。それに俺のことは恋愛対象外だとも言っていたよな、確か」
「そうですねー。今さっき自覚したばっかりですからね!恋愛対象云々は、まあ前言撤回ってことでお願いします」
言葉通り、ふと唐突に「あ、私ラルさんのこと好きだわ」と自覚し、よし言ってしまおう!と伝えた次第である。気のある素振りがなかったのも頷けることだろう。実際自覚するまでその気がなかった訳ですし。
同居生活当初に仮にも男女なんだから考え直せと同居を渋るラルさんにあなたは恋愛対象外だから無問題!と豪語し押しきったことがあったのだけど、まさかそんな昔のことを未だに覚えていてその上持ち出してくるとはびっくりです。実はちょっとだけ恋愛対象外発言を気にしてたりしてたんですか?
いやまぁでも、慣れない土地に一人で放り出されて不安な時にずっと一緒にいてくれて更には優しい頼もしい格好いいなラルさんに惚れちゃうのも仕方ないというものなのです。
こまけぇことは気にすんな!ですよ、ラルさん。
「俄に信じられん……」
「どうしてもですかー?」
「その軽い言動からしてな。仮にも本気で告白したというならそれはどうなんだ。信じる気も失せる」
「仮にも何もだから本気ですってば。ラルさんが好きです大好きです信じてくれるまで言いますラルさん愛してるー!」
「だからそれが信じられんと……」
はぁ、と重たい嘆息が響く。
ラルさんはティーカップの中身を飲み干し、恥ずかしげもなくラルさん好き好きといい続ける私をじっと見据えた。
その表情は苦り切った今までのものとうって変わり真剣そのもののそれで、思わず私も口を閉ざし少しどきどきと期待に胸を高鳴らせながらラルさんを見つめ返した。
数瞬の沈黙。先に耐えきれなくなったのはラルさんだった。
「……お前が俺を好きなのはよく分かった」
「ようやく思いが伝わりましたか!」
「ああ。恋情かどうかは置いといて、お前が俺を慕ってくれてるのは……まあ感じていたしな」
「む、またそういうことを言って。だからバリバリ恋愛感情ですってばー」
「もうその問答は止めろ。埒があかん」
「誰のせいだと」
「それで一つ質問なんだが」
「無視か。……いったいなんです?」
「お前、今まで好きな奴がいたことがあるか?」
「いいえいませんよ。ぶっちゃけてしまえばラルさんが初恋ですけども」
それがなにか?
脈絡のない質問の意図が掴めずに首を傾げる。
「いや……そうだな、それでいったい俺の何処が良いって言うんだ」
「また質問です?うーんとですねぇー」
続いてきた質問に改めてラルさんの好きなところを思い浮かべた。
「ぶっきらぼうだし強面さんだけど、優しくて面倒見のあるところとか?」
疑問符付きなのはご愛嬌。だって好きなの自覚したのはつい先程だしね!
「異世界人ってとこしか共通点のない見ず知らずの人間を押し付けられたとはいえ引き取っちゃうお人好しなとことか、ちょっと押しに弱いとことかも好きかなー。後、表情の変化は少ない癖に尻尾とか耳で楽しそうだったり嬉しそうだったりしょんぼりしてるのが丸わかりで可愛いところとか。頼りになるところも勿論大好きです。あ、それとですね、一緒にいると落ち着くところも」
「もういい分かった」
好き、そう続けようとした言葉は唸るような制止により遮られた。どうせなら最後まで言わせてくださいよーと思わないでもないけど、そらした顔を手で覆い間違いなく照れてるであろうその珍しい様子に非常に満足したので、大人しく引き下がる。正直まだまだ言い足りないけども。
何やらラルさんも思うところがあるらしく、あー、とか、うー、とかよくわからない声をもらしている。ふさふさの耳がどことなくへにゃりとしてるのが可愛い。
何て言葉にしようか考えてるんだろうなぁと言うことは分かるので、それが纏まるのを待つことにした。
暫く、ラルさんの無意味な唸りだけが部屋に響く。
「……それは、勘違いじゃないのか?」
そして、いい加減待つのも飽きた頃にようやく聞こえてきた言葉がこれだった。
勘違い?なにが?
「知らない土地に一人で放り出されて不安だっただろう時に一番側にいたのが俺だ。だからこそ好意が生まれたのも分かる。それをそのまま勘違いしたんじゃないのか。お前はまだ恋って奴を知らない。……お前の年齢ぐらいなら恋に恋するのも珍しくもないだろう?」
それはなにか。
刷り込みよろしく懐いているラルさんに対する好意が恋情だと勘違いしていると?
私の感情は恋に恋する乙女の可愛らしくも甘酸っぱい思い違いだと?
そう言いたいのだろうか。
「ふーん、はーん、そう」
淡々と口から漏れる言葉は自分でもびっくりするぐらい冷えきっていた。ラルさんが微かにピクリと肩を揺らして顔を硬く強ばらせる程度には。
私はにこりと笑顔を作った。
それを見たラルさんが今度は分かりやすくビクリと肩を揺らした上にそろりと視線をそらしたところをみると、たぶん目が笑ってなかったんだろう。けど気にしない気にしない。
「ねぇ、ラルさん」
ラルさんが、思惑のない素直な好意を向けられることが苦手なんだろうなと言うのは大分前から分かっていたことだった。
この土地、リノリムでは獣人は珍しくない上、ジーノスは獣人だらけの村でラルさんは当たり前のように受け入れられている。
ただ、以前いた世界ではそうではなかったらしい。
詳しくは知らないけれど、前の世界の獣人の扱いは差別の対象だったとラルさんの過去を知っている数少ない一人である村長がそう漏らしていた。
きっと、この世界にくるまで向けられていたのは侮蔑や蔑み、それと違わない負の感情ばかりだったんだろう。
だからこそ、好意に対してどうすればよいのか分からず戸惑ってしまう。それは少し悲しいことだけど理解できるし、それでも段々と慣れていけばいいとも思っている。
だけど。
だけど、だよ。
せっかく告白したっつーのにそれを勘違いだの恋に恋してだので流そうとするなんて、流石にイラッとくるものでして。
返事はともかくとして、好きって言われたらんならとりあえず素直に受け入れてくれたっていいでしょーよ、ねぇ、狼さん。
「いくら私がこの年まで初恋がまだだったとしても、思い込みでも勘違いでもなく恋だって言いきれる自信はあるんですよー?」
耳がへたりきってる(多分尻尾も)ラルさんに、今度は菩薩のごとくできうる限り優しく微笑みかけた。
その気配に気付いのか、おずおずとそらされていた視線が戻ってきて、いったいなんだと控えめに伺っている。
その様子がご主人様に叱られて凹みながらも様子を伺い見る大型わんこそのもので、少し微笑ましく思いながら所在なさげに空のティーカップを掴んでいたその手を両手で包んだ。
「だって私ラルさんとにゃんにゃんしたいなーとか思いますし」
ね?なんて首を傾げてちょっと可愛い子ぶりっこしながら逃げられないようにとがっちり両手に力を込める。小娘の力なんてたかが知れているものだから、正直なんの意味にもならないと思うけど。
だけどラルさんは包囲された手よりも私の言葉が気になったようで「にゃんにゃん……?」と不思議そうに呟いていた。うん、これはあれだね。意味分かってないよねきっと。
「あー、いや、ラルさんは狼だからわんわん……?まあ、それは置いといて」
「にゃんにゃんとかわんわんとかいったいなんなんだ……」
案の定意味が分かっていなかったらしいラルさんは、訝しげに同じ言葉を復唱する。
いかつい顔の狼さんがにゃんにゃんわんわん言っているのはなんというか笑えてくるのだが、なんとかそれを噛み殺してずいっと顔を近付けて二人の距離を縮めた。
そして、
「つまりですね、端的に言ってしまえば私はラルさんとえっちぃことがしたい!ってことです」
こともなげに、笑顔でそう言い放ってみせた。
「……は?」
「だから、えっちぃこと」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
そしてこの絶叫である。
口はあんぐり、目もまん丸。捕まえてた手は案の定簡単にほどかれておもっくそ逃げられました。
しかしながら今日だけで今まで見たことなかったラルさんの表情をいっぱい見た気がする。
「更にぼかさず言うならセック」
「言うなっ!それ以上喋るな!」
どうせならと言明しようとしたところ焦りに焦ったような最早怒号に近い声で遮られた。
耳はピンと立ち上がり、もふもふの体毛は逆立っている。
警戒してるようにしか見えないその様は、多分羞恥からのものだと思われる。耳の内側とか真っ赤だし。
ラルさんもいい大人なんだからこの程度で赤面なんてどうかとも思うんですが。
「まぁ、とりあえずそう言うことですし。流石にただの好意だけでこんなこと思ったりしないでしょ。そして私はラルさんとにゃんにゃんしたいしラルさんとだけしかにゃんにゃんできる気がしないので、やっぱりこれは勘違いでも恋に恋してでもなく間違いなく恋情でラルさんが好きなのだと言えるのです!」
どうだ!とどや顔付きでそう言いきってみせれば、なんとも言えない沈黙が数秒続いたのち、ラルさんが頭を抱えて項垂れた。
「お前は……お前はなんでそう……」
効果音をつけるならまさしくガックリ。
そのいつにない哀愁漂う姿になんだか少し哀れに感じて慰めるつもりで頭をぽんぽんしてあげたら尚更重たいため息を吐かれた。何故だ。
少しは戸惑えやら恥じらえやら恨ましげにぶつぶつ言ってるのが聞こえてくるけどきっと気のせい気のせい。
「それで」
あまりに毛並みが気持ち良かったのでそのまま頭をなでなでしながら、項垂れながらも視線をこちらに向けた(上目遣い!!)ラルさんとの距離を再び縮めてみる。
「告白の返事はしてくれるんですよね、ラルさん」
疑問系ではなく断定なのは、逃げ道を無くすため。誤魔化したりなんて許さないんですよ。
しっかりと言外に含ませた意味を汲み取ってくれたらしいラルさんはピキンっと身を固まらせた。視線はあっちこっち泳いでいる。
いつも落ち着いてて何事にもどっしりと構えているラルさんだけど、こと色恋については違うようだ。
さっきからヘタレわんこにしか見えない。可愛いけど。
「ラ、ル、さ、ん?」
「うっ……」
催促を込めて名前を呼ぶ。
そしてとうとう覚悟を決めたのか、しぶしぶとだが口を開いた。
「俺は、その、……お前をそういう対象に見れない」
それだけだったが、それで十分だった。
つまり、答えはノーですね。
「そう、ですか……」
ぽつりと呟いた言葉は静かな空間に妙に響いた。
先程までさ迷っていた視線は再び私を捉えて、己の返答に私が傷付いてはいないだろうかとそう心配の色を滲ませている。
だから、そういう優しいところを見せられたら更に好きになっちゃうんだけどなぁ。
ふられちゃったけど。
でも。
「まあ、想定内ですけどね」
告白した時点でこうなることはなんとなく分かっていた。
悲観して出した結論とかそんなんではなく、ラルさんの性格を考えてとか今までの双方の態度を考えてみたらまず間違いなくふられるだろうなと想定しておりました。ばっちり当たりましたよねっていう!
ということで正直傷付いても凹んでもない私は「……は?」と間抜けにポカン顔をしているラルさんにいつも通りのにこにこ笑顔をさしあげた。
「いやー、ラルさんのことだからそういうとは思ってましたよー。ってことで、今は一先ずふられましたが私その程度じゃ諦めませんからね?」
「おまっ」
「それに少なくともラルさんだって私のこと好きですよね?最近私を見ながら尻尾ぶんぶん振ってること多いですし」
「なっ……!?」
「流石に勝算ゼロな勝負なら乗り気はしないんですけど、嬉しいことにラルさんは脈ありですからねぇ~」
にこにこ笑顔のまま一気にそうたたみかけて
「……これから、覚悟してくださいね?」
不敵に笑みをかえてあげれば何をとは言わずともしっかり理解した狼さんは心底疲れたような声でこの先に待ち受けるだろう面倒事を憂いてか、低く低く唸っていた。
「勘弁してくれ……」
その後、ジーノスでは人間の少女に熱烈アプローチされる狼の獣人の姿が度々目撃され、一種の名物のようになったという。
勿論私とラルさんのことだよ!