罪に触れる 3
反対する理由もなく、2人でケルビオに乗る。
ケルビオの操作は私がする。
これに関してはマリヤより私の方がずっと上手だ。
そして、緩やかな振動と共にケルビオは動き出した。
「ねえ」
沈黙を破ってマリヤが口を開いた。
「ライラ、聞いて。私ね、青焉が好きなの」
・・・誰かを好き、という気持ちは私には理解できない。
ケム酒を好むくらいならわかる。ほかのより食べたくなるもの。
でも人を好きになるってのはわからない。好きじゃない人とどう違うのだろう。
私がエリを思う気持ちはそれに近いのだろうか。
ただ、ちょっと嫌なもやもやとした気がした。
箱庭の中には「好き」という言葉はあっても、その意味を理解している人は皆無だ。
嫌い、ということは簡単にわかるのに。
私が黙っているとマリヤは歌を歌い始めた。
彼女の声はすごく綺麗で。
いつまでも聞いていたくなる。
限界ぎりぎりの境界線の内側のような、あやふやではっきりとした、浮遊感。
・・・そうだ、マリヤの歌声はケム酒の実に似ている。
それからは全く会話する事もなく、ただマリヤは歌い続け、私は其れを聞き続け、やがて森に着いた。
この几帳面に整えられた森はいつ来ても変わりない。
いや、変化は有るけれど、一定の変化を循環しているだけ。
たった一晩のうちに『花』の森から『実』の森になる。
一番最初に此処に来た時は、エリと、マリヤの3人で来たのだっけ。
マリヤが此処は『無限永久回廊』というのだと教えてくれた。
誰が名付けたのかなんて誰も知らない。
でも、変化の循環をしながらも本質的には常に同じ様態で有り続けるこの森には相応しい名前だと思う。
『実』の時期に採れるものはケム酒だけではなく沢山ある。
でも、ケム酒以外の実は甘過ぎたり、毒だったり、ふらふらしたり、まあ食べるにはいまいちなのだ。
私たちは森の入り口にケルビオを停め、少し歩くとマリヤは上の方から、私は下になっている実からケム酒を選んで採り始めた。
いい具合に熟している。
今日も、明日も、明後日も、いつだって食べごろが生っている。
不味そうなものは直ぐに落ちて水溜りに溶けて消える。
そんなもんだ。
「ねえ、ライラ、どれくらい採ればよいかしら?」
不意にマリヤから問いかけられた。
少し考えて私は答えを返した。
「ああ、・・・私とエリで20個くらい欲しいな。あと、マリヤの分はどのぐらいいるの?」
エリとマリヤのいつも食べる量くらい本当は覚えていた。
でも、マリヤはいつもと違うから。
「私?私はねえ、青焉が許可したものしか食べない事にしたのよ。
その中にケム酒は無かったわねえ。だから要らないわ。でも、20個ならもう十分かしらね」
マリヤの言葉につられて、其れまで一心不乱に捥いでいただけだった手元のケム酒を数えると、確かに二人合わせて30個に達しそうになっていた。
「もう、終わりでいいや」
私の言葉を聞いて、二人でケルビオに戻る事にした。
食べ物の制限だなんてお母さんになるって大変なんだなあと思いながら、森の入り口にたどり着きケルビオに乗り込む。
静かに音を立てて動き出す直前にふと森を振り返って見た。
すごく、すごくささやかな変化。
森の木の頂上の方が一部少しだけ変色している。
今までになかった事。
振り返らなければ気づかなかっただろう。
・・・瞬きをして、また視線を前に戻した。
ケルビオがほのかなケム酒のにおいに溢れている。
マリヤは目を閉じている。
眠っているのかもしれない。
静かに、静かにケルビオを走らせた。