#An extra entertainment. Ⅲ(a)
*最終話から四年後が舞台の、夏肖視点での番外編となっております。
何回か続く予定です。しばしお付き合いくださいませ。 さいかわ
愛する人と迎える人生最良の日。すなわち、セリとの結婚式当日――。
俺は絶望していた。そうだ、どん底だ。
別に、彼女の花嫁姿が嬉しくないわけじゃあない。ひとりの男として、この年になってこれだけ華々しい節目を迎えられるなんて感無量だと思う。
けれど、手放しには喜べない理由がひとつ。いや、細かく言えばみっつか。
だが、それらは元を辿れば同じところから発生していて、だからひとつと括れるわけで、ゆえに根は太く深いから厄介なのだった。
「夏肖くーん、ぬいぐるみ電報どこに置く? って会場係の人が聞いてたけど」
着替えとヘアメイクを済ませ、待合室でがっくり肩を落としていた俺の前にまず現れたのが美鈴さんだった。
「あ、うん、それ全部いまここに貰えるかな……抱き締めて眠りたい……永遠に」
「何言ってんの、酷い顔しちゃって。せっかくのタキシードが台無しよ」
「自覚はしてるよ。でも、もう、折れた。心が」
「やあね、もしかして昨日のこと、まだ気にしてるの?」
「気にしないわけがないじゃないか。もう、生きる気力をなくしたよ。だって娘に、可愛い娘に、生き様をまるごと否定されたんだからね……」
しぼみゆく風船のように長いため息を吐いてソファーに転がる。胸元の薔薇が潰れたけれど、かまうものかと思った。
俺のほうがもっと潰れている。だって、まさか、あんな……。ああああ、ありえない。
「まあでもさ、野蛮、だっけ。難しい単語をよく覚えたもんじゃない。利発な子だと思うわよ。立派立派」
フォローのつもりなのか、美鈴さんは言って生暖かい視線を寄越した。
「状況を無視して簡単に褒めないでくれるかな。まあ、確かに未生は三歳にして親をも凌ぐ天才児だし、将来は美人になることうけあいの天使のような子だけども」
「夏肖くんの親バカぶり、本当にすがすがしいわ。いっそ銀河の彼方まで突き抜けてしまえばいいと思う」
そこで彼女は身震いしつつ、深いブルーのドレスを翻し去っていったのだった。結局なんだったんだ。
残された俺はもういちどため息。そしてさらに落ち込みを深くする。
脳裏に蘇るのは、昨日の会話だ。
『未生は本当にピアノが好きだなあ。将来はパパみたいに音楽をつくる人になるかい?』
『ならないよ』
『どうして。未生なら素質もあるし、可愛いし、きっと人気者になれるよ』
『だってパパのおんがく、ヤバンだってじぃじがいってた』
『や、やば……ん……!?』
あのときは本当に、頭蓋骨にヒビでも入ったんじゃないかというくらいの衝撃を受けた。
思い出すだに悶絶してしまう。
そりゃ、ロックが上品だとはお世辞にも言えなかろう。言えなかろうが、あんな幼くて可愛らしい子に野蛮だとかいう概念を植え付けるってどうなんだ。
(どうなんですかお義父さん)
とはいえ――表立った反論など、俺には到底出来ないのだけれど。
そうだ、例え正当な理由があったとしても、義父にたてつくなんてもってのほかなのだ。
『お嬢さんを僕にください』
そう頭を下げに行った日、
『君、娘を孕ませたそうだね』
一言で追い返された身としては。
義弟――奏汰くんは引き摺ってでも家族全員を連れてくると言ってくれているが、不安だ。
教会式、この調子で大丈夫なんだろうか……。
すっかり起き上がる力をなくした俺は、そのまま仰向けに転げて目を閉じた。寝よう。寝てしまおう。
と、先程美鈴さんの出て行ったドアが何の予告もなしに大開きになる。
「お父さんっ」
投げられたのはまだ若い少年の声だ。俺は目を開けない。開けてやらない。
「うわあ。お父さん、やっぱりそういう細身の衣装、すっごく似合うね、お父さん!」
「おとうさんおとうさん連呼しないで貰えるかなあ、俺は君の父親でも白い犬でもないんだよ、ってこれ昨日も言ったよね、叶」
「時間の問題じゃないか。僕、未生ちゃんの婿養子になるんだし」
彼はととと、っとかけてくると、ソファーの横に置いてあったオットマンに腰を下ろした。俺はそれを、片目で確認。
「あのさ叶、俺とセリを実の親のように慕ってくれるのは嬉しいよ、でも未生に婿だとかそういうのはまだ早いだろ、ってこれも昨日言ったよね。それに」
何事も本人の意思が大切だからね、とたしなめるように付け加えると、叶は得意げに胸を張った。
「それなら心配ないよっ、未生ちゃんから結婚したいって言われたんだし」
「な、何だって。そんなこと、聞いてない」
「だって言ってないもん。あのね、未生ちゃん、シヴィールの中では叶くんが一番カッコいいって。だからお嫁さんになりたいって。でね、さっき、ほっぺにチューまでもらっちゃったんだ!」
俺は絶句する。キス……だと……。
「マメにおやつを持って訪問した甲斐があったってもんだよね。インプリンティング成功っ」
「か……叶……? 未生はまだ三歳だからね……?」
「それが何? ナツが僕と同じ年齢のとき、セリちゃんがいくつだったか計算してみたことないの?」
ちくしょう痛すぎるところを見事についてくれる。
「年齢差だけで言ったら僕と未生ちゃんのほうが少ないんだよ。許容範囲内じゃないか」
「許容したくない……」
「したくなくてもさせてみせるから大丈夫。もう、結納金として二千万用意したし」
「に、二千万?」
「そう。その金額なら多少強引に奪ったって文句は言えないよねえ、お・父・さん」
不敵な笑みを残して控え室を出て行く叶。追いかけていって殴りたい衝動に駆られたものの、どうにかこらえた。
あれだ。
本日、俺の気をずどんと重くしている理由のふたつ目は。(もちろん、ひとつ目は言うまでもなく義父との関係性なのだが)
要するに未生に叶を近付けたくなかったわけだ、俺は。
最初は――。
たびたび娘を抱きに来てくれる叶に対し、ああいい子だなあ、家族のぬくもりを欲しているのだろうなあ、なんて思ったからあたたかく見守っていた。
いつからだろう、未生のほうから叶に逢いたがるようになったのは。
それはそうだ。叶は毎回、王子様のような格好で未生をチヤホヤしてくれる。
小さな女の子が、憧れとして認識してもおかしくはない。
なんて愚かだったんだ、俺。はやくやめさせておけばよかった。
未生が結婚? いつか俺を置いて? 考えたくない。
(ああ、わかりたくもない義父の気持ちを今、すこしばかり理解してしまった……)
すでに本日何度目だかわからないため息をついて、俺は壁の時計に目を遣る。
十五時か、そろそろセリの着替えが始まった頃かな。
重い体を起こし、忍び足で隣の控え室へと向かった。着替え途中の花嫁の、恥じらう姿でも見て己への慰めとしようと思った。
「セーリ」
「ギャー!?」
控え室に入るや否や、俺はその奥の(更衣室の)カーテンを勢い良く引く。
と、予想通りセリは飛び上がって喜んでくれた。
下着姿で。
「なっ、なっ、なっ、なんで、そこにっ」
「へー、ドレスの下はコルセットとガーターベルトなんだ。世界一可愛いよセリ」
「か、かわっ……そういう台詞は通常、ドレスに着替えた人に言うものなんじゃないの!?」
「この俺を定石に縛りつけようったってそうはいかないよ。なんたって縛られるより縛るほうが好きだからね」
「いやーっ、変態がタキシードなんか着ないでよ、私やっぱり結婚式なんかやめるーっ!」
「その台詞、何回目だろうねえ。聞くたびに興奮するよ」
俺はにっこり笑って人払い。
コルセットの背中のホックを止めている途中だったスタッフは困惑顔を見せたけれど、それでいい。
介添え役の女性にも「五分ちょうだい」と告げてふたりきりにしてもらった。
ドアを閉めて、振り返る。セリは自分でホックを留めようと、躍起になってくるくる自転している。
あれだ、しっぽの先に何かくっついてしまったネコみたいな。
なんて可愛いんだ。気絶しそうだ。
「手伝おうか」
「断る! 触れてくれるな! 絶対にタダじゃすまないもんっ」
「何もしないから。ほら」
後ろから近付いていって、それをひとつ留めてやる。非常にキツい。
……女性は大変だね、こういうとき。呟くと、彼女はようやく大人しくなって「ありがと」不機嫌そうな口調で言った。それから、
「あのさ夏肖、ひとつ言っておかなきゃならないことがあるんだけど、いいかな」
「うん?」
「未知のことなの。今日ね、董胡も一緒に来るでしょ。それで……」
濁された言葉の向こうに、俺は複雑な事情を感じ取る。
彼女の親友である桂木さんと、俺の親友である董胡が付き合い出したのは、未生が産まれる数ヶ月前のことだ。
要するにあれから四年以上もの月日が流れたわけだが、彼らの関係に発展する気配は見られない。
結婚なんて話も出ないし、同棲すらしようとしない。
董胡が何を怖れているのか、わかるからこそ周囲の人間は何も言えない。どうすることもできない。
非常に歯痒い状態なのだ。
「謝られちゃったんだ。ごめんって」
「どうして」
「ドレス、褒めたりできないから、って。あまり花嫁を羨ましがるところ、董胡に見せたくないからって」
「そうか……」
「ふたりともいい人すぎるよ。本当は好きで好きでいっときも離れたくないくせに、相手を護るためにそういうの、耐えるばっかりで」
セリは泣き出しそうな顔で振り返る。
「こんなの、もういやだ。私、未知にも董胡にもちゃんと幸せになってもらいたいよ」
どれだけ深く彼女が親友を想っているのかは、娘の名前からもわかってもらえると思う。
未生の『未』は未知の『未』なのだ。命名したのはもちろんセリだ。
とはいえ、友情の証、というわけではない。娘に、将来あんな女の子に育って欲しいと願って、一文字頂いたとのことだった。
桂木さんもそれは知っている。ちなみに、芹生の『生』の字をそこに足したらいいと提案したのは俺だ。
俺達は常々、桂木さんがいなければこの幸せはなかった、と口癖のように言っている。
「……とりあえず、花嫁さんがそんなに悲しげな表情をするのはやめようか?」
俺はセリの頭をよしよしと撫でてて、紅を引いた唇にキスをする。そして――。
ガーターベルトごと、下着をずり降ろした。
「キャー!?」