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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
38/42

18、Where there's a will,there's a way.(b)

 

 夏肖は救急病院で処置を受け、二週間後、状態が安定するのを待って肖衛さんが入院している病院へとうつされた。

 昏々と、眠り続けたまま。

 転院を提案したのは美鈴さんだ。これまでずっと肖衛さんの存在を隠しておいてくれた病院のほうが、信用も出来るし秘密をまもりやすいとのことだった。

 つまり私達は夏肖――ナツがこんな状態になっていることを、世間には公表せずにいたのだ。

 出来るわけがない。ただでさえ夏肖の穴を埋めようと、全スタッフが尽力しているんだもの。

 このうえマスコミ対応に追われたら、確実にパンクする。

 なのに皆、私には何の役割も課さず、夏肖のそばにつきっきりでいさせてくれるのは有難かった。


 しかし――。

 それにだってリミットはある。


 シヴィールが三ヶ月後に控えているライヴ。その調整に間に合うように夏肖が回復しなければ、事情を説明せざるを得なくなる。

 カレンダーの日にちを数えはじめてから早一ヶ月。いつ目覚めてもおかしくない、とお医者さまは言うけれど……その気配は未だ、ない。


「おう、芹生ちゃん。メシ食ったか」


 その日、病室に姿を見せたのは董胡だった。


「ううん、まだ。董胡は?」

「俺のことまで気遣ってどうする。そうやってごまかさないでちゃんと食え。ほら」

「あ、ありがと」


 差し出された紙袋を受け取ると、ベーグルサンドが三つ入っていた。私の好きな、ナッツ入りの。

 彼はメンバーの中で最もマメに様子を見にきてくれて、私の体調も心配してくれる。

 やっぱり律儀だ。


「なあ、……真人と話した?」


 私がベーグルを一口頬張ったところで董胡はそう言って窓辺で足を組んだ。

 夏肖は静かに眠っている。早く目を覚まして欲しいけれど、まだ、ゆっくり休息して欲しいような気もする。

(いつもせわしなく仕事してたもんね)

 同じ病室に入院している肖衛さんは現在リハビリ室だ。

 筋力が衰えてしまっているから、歩行の訓練をしなければならないのだと言っていた。

 ベーグルをのみ込んでから、私は頷く。


「うん、一応。やっぱり、姿を消したのは夏肖のためだったみたい。ううん、私と夏肖のため、かな」


 そうなのだ。

 真人はどうやら、ナツが私に――十三年前の“せいなちゃん”に――片思いをしていると気付いて、消えることを決めたらしかった。

 自分がいては、大恩ある夏肖の恋路を邪魔することになるからと。

 つまり真人は、ナツが夏肖であることを唯一見抜いていたメンバーだったわけだ。

 その告白と謝罪に、私は、夏肖に言ったのと全く同じ言葉で答えた。


――許します、夏肖に免じて。


 真人は嗚咽して泣いた。同席していた肖衛さんもまた然り、だ。


「因果応報って、俺、あんまりそういう教訓めいた言葉は好きじゃねェけど……そうかもなって思うよ。あいつ、すげェ才能あったのにさ、メジャー目前で脱退する羽目になって」

「……うん」

「誰よりもナツの側で弾いていてェって願ってたの、あいつだったろうに」


 董胡の厳しい視線の先には、夏肖の穏やかな寝顔。同様にそこを見つめながら、問わずにはいられなかった。


「ねえ、董胡は……これからも、シヴィールにいてくれる?」

「聞くなよ。こうしてることで察してくれ」

「でも、だって、確かめないと不安で」

「……それ、あいつにも毎日いわれてる。耳から凧でもあげられそうだぜ」

「あいつって」

「未知だよ。あいつ、朝に晩に、仕舞いにゃベッドの中でまでそれを――っと」


 そこで、董胡は気まずそうに口元を覆った。ん? 今、聞き間違いでなければ、ベッドって。


「えっ!?」


 数秒遅れて驚いた私を、彼は見ない。


「も、もしかして董胡と未知、そういうこと!?」

「……あー、やべ、速攻殴られるなコレ」

「いつから!? うそ、未知、そんなの一言も」

「ああ、言えねえってさ。自分ばっかり幸せな話、できるわけがねェって」


 許してやってくれよ、ときまり悪そうに笑う董胡は、未知を確かに想っている顔をしていた。


「うそみたい……」

「俺もそう思う。いや、むしろ俺のほうがそう思ってるね」

「なにそれ」

「でもな、わかっちまったんだよ。俺みてェな難ありの男には、ああいうタフな女が必要なんだって」


 ***


 董胡は一時間ほど病室に滞在すると、仕事があるからといって帰っていった。夕方には美鈴さんとマネージャーさんがふたりでお見舞いにきてくれるそうだ。

 部屋に戻る途中、売店で冷凍みかんとレモネードを買う。こんなものばかり食べているからみんなに心配されるわけだけど。

 でも、今は大好きなナッツ入りのベーグルも半分程度しか食べる気がしない。それは夏肖のことが心配で食事が喉を通らないとかいうわけじゃなくて……。

 売店の袋をぶらぶらさせながら、廊下を行く。そうしていつも通り、病室へと足を踏み入れたときだった。


「芹生さん」


 いつの間に戻っていたのか、奥のベッドから肖衛さんが私を呼んだ。夏肖はベッドごと消え失せている。


「あれ、夏肖は」

「診察だって。看護士さんが連れて行ったよ」

「ふうん」


 へんなの。そんな予定、聞いていなかったけれど。

 首を傾げながら肖衛さんのもとへ歩み寄ろうとした私は、彼の二メートル手前で立ち止まる。

 その優しい笑顔が、私にとってとても待ちわびたものに思えて。


「どうしたの、芹生さん」


 彼は当たり前のようにそう言ってそこに座っているけれど――。

(ちがう)

 咄嗟に、手に持っていたビニール袋を投げつけていた。



「……っの、ばか夏肖……!」



 信じられない。こんな、この期に及んで。


「うわっ、もうバレた」

「私に見破れないとでも思ったの!?」


 悔しい。いたずらに騙されて、毎回簡単に引っかかって、そのたび思い知らされるのが悔しい。

 自分が彼を、誰より愛していること。


「どれだけ心配したと思って……っ」


 視界が歪む。滝のように流れてくる涙を拭いもせず、私は倒れ込むようにしてその胸に飛び込んだ。


「夏肖のバカっ、大っ嫌い!」

「説得力ないなあ。それ、大好きって言われてるみたいで最近嬉しく思うよ」

「そんなことないもん。本当に嫌いだもん。世界一嫌いだもんっ」

「そう? 俺は君が好きだよ。世界一」


 ぎゅうっと抱き締められて、彼の匂いを感じたら、ますます泣けた。

 悔しい。悔しい、悔しい。こんなに嬉しいなんて。

 嬉しくて悔しくて、もう、ぐちゃぐちゃ。


「この先もずっとそばにいて、セリ」


 ばか、と返した唇はキスで塞がれ、何度も何度も角度を変えられ、合間には愛してるよと低く囁かれた。

 夏肖のほうこそ、騙した挙げ句に言ったって説得力なんかないと思う。

 長いキスの途中、誰かが来るかもしれないと思ったけれど、やめたくなくて、彼の背にしがみついていた。


 気絶しそうなくらい幸せだ。


 それがまた悔しくて、私はちょっとした決意をする。

 本当なら夏肖にいちはやく伝えようと思っていたけれど――この秘密、もう少し黙っていよう。

 そのほうがいいよね? 自らのお腹に、そう呼びかけながら。

 一度くらいは仕返しをしてやらなければ気が済まないもの。

 

 そうして久々のキスと抱擁に見事に夢中になっていた私は、背後から投げられた申し訳なさそうな声に振り返り、青ざめた。


「……あの、そろそろ戻っていいか、な……」


 車いすの上で、気まずそうに笑っているのは肖衛さん。

 彼はこちらから視線を逸らしたまま、膝の上でさかんに両手を握りあわせたりしている。完全に挙動不審だ。


「えっ!? イヤっ、ごめんなさい!」


 いつからそこに。もしかしてキス、ずっと見てた? というか。


「……夏肖、まさかこんなことをするためにわざわざ、リハビリから帰ったお兄さんを廊下に追い出したんじゃないでしょうね」

「ふふ、セリは勘がいいなあ。俺のこと、熟知してる感じがしていいよ、それ、ゾクゾクする」

「変態的な発言で煙に巻かないでくれる」


 まったく、あんなことがあったっていうのに懲りてないんだから。

 私はぶつぶつ呟きつつ肖衛さんのもとに駆け寄り、彼の車いすを押す。


「すみません、本っ当にもう……! 今後はああいう横暴、させませんから。私の目の黒いうちは、もう二度と」

「あ、ありがとう芹生さん。何やらすでに肝っ玉女房の気配がするよ。たのもしいなあ」

「ええもう、あのひとを乗りこなす為なら何にだってなりますよ。なってやりますよ」

「乗りこなす? うれしいよセリ、今度は俺が下になる番ってわけだね。楽しみだ……」

「んなことは言ってない! もうそこの変態は黙ってて! 話がややこしくなるから!」


 ばたばたと夏肖のベッドを元に戻して(ご丁寧にも廊下の先に放置されてた)彼をそこに無理矢理押し込む。気怠そうにしていたものの、夏肖はなんだか嬉しそうだった。

 肖衛さんは手慣れた様子で、車いすから自分のベッドにごろんと戻る。


 右が夏肖、左が肖衛さん。


 そっくりなふたりは互いにさりげなくそっぽを向いていて、目を合わせようとはしない。

 正面からそれを見ていた私は、ついつい口元を緩ませてしまった。やだなあ、もう。


「もしかしてふたりとも、照れてるの?」


 すると、反射的、といった感じで彼らは同時にこちらを向き、全く同じ声で叫んだ。


「「まさか!」」


 噴き出さずにはいられなかった。「あはっ、あははは!」双子って凄い。

 散々笑って、笑い転げて、何故だか三人でお互いを指差しあって笑って――しまいには看護師さんに叱られたりして。それでも、顔は勝手にニヤニヤしてしまう。

 すると、


「姉ちゃん」


 廊下から聞き覚えのある声がして、振り向いた私は我が目を疑ってしまった。


「そ、奏汰!」


 なんとそこにいたのは、ランドセルを背負ったままの、九つ年下の弟だったのだ。


「どうしてここに」

「桂木の姉ちゃんに聞いた」

「未知に?」

「うん。姉ちゃんの大事な人が入院してるって」


 またあの親友は勝手なことを……。苦々しく思いながら手招きすると、奏汰は駆けてきて体の前に紙袋をつきだした。


「これ、母ちゃんから。姉ちゃんの好きなひじき」

「え」


 お母さんが?

 戸惑う私に、奏汰は「ん」もう一度それを突き出してくる。


「旦那さんが入院したなら、姉ちゃんも無理してるだろうからって。そういう性格だからって」


 これは以前、帰省したときに私がお土産を入れて持って行った紙袋だ。

 ……こういうの、せっせと取っておく癖、変わってないんだ。そう思ったら途端に郷愁が込み上げてきた。

 恐る恐る受け取ると、袋の口から立ちのぼるのはむっとするほど甘い香り。

 お母さんの匂いだ。

 それはずしりと手に重く、すっかり冷めているのに不思議な温かさがあって、私は思わず涙ぐむ。

 捨ててきたのに、私は夏肖をとったのに、どうしてこんなこと。


(どうして)


 耐えきれず俯いた私の頭を、小さな手が乱暴に撫でてくれる。


「父ちゃんと母ちゃんのことはおれにまかせとけ」


 咄嗟に顔を上げてしまった。


「奏汰……?」

「おれだって男なんだ。いつまでも姉ちゃんに、甘えてばっかいられねえもん」


 彼は言って、くしゃくしゃになった戦隊ものの絵柄のハンカチを貸してくれる。

 この子、こんなに大人びたことを言う子だっけ?


「姉ちゃんが里帰りしやすい環境、おれがつくってやるから安心しろ」


 それから彼はくるっと体の向きを変えて、夏肖と肖衛さんを同時に見、叫んだ。


「だから姉ちゃんのこと、絶対に幸せにしろよな!」


 衝撃で、言葉が出て来なかった。

 散々泣いた後なのに私は奏汰の背に縋り、大声を上げて泣いた。

 どうして忘れていたのだろう。小さくても頼もしい味方が、すぐ側にいたこと。

 夏肖は私をなだめながら、奏汰と固い握手を交わして「約束する。男と男の約束だ」それを誓ってくれる。

 隣のベッドで、肖衛さんはそれを微笑ましそうに見守ってくれていた。

 一生分の幸せが、いっぺんにやってきたような気分になる。


 一年前の自分からは想像もできなかった――

 身に余るほどの、幸福な未来が。


 ***





 それから――――。



 夏肖と肖衛さんは数日後にめでたく退院を果たし、揃って例の豪邸での生活をはじめた。

 当然、私も含めて三人での同居だ。

 取り違えない自信はあったけれど、念のため、ふたりには別々のピアスをしてもらうことにした。

 だから家具を増やしたり、食器を増やしたり、私はやっぱり慌ただしくて……。


 そんな矢先のことだ。

 ふたりの両親の遺体が発見された、と警察から連絡が入ったのは。


 ようやく揃った家族を前に夏肖は静かに涙し、肖衛さんはほっと安堵した顔をみせた。

 聞けば、肖衛さんがあの事故の後、意識を失う前に病院で夏肖の名を名乗ったのは、ご両親が尚も夏肖の命を狙ってやってくることを危惧したため、だったらしい。

 私はそれらの事実を一生夏肖に隠し通すことを、肖衛さんと約束した。

 事実には、知ってプラスになることもあれば、マイナスにしかならないことだってある。

 それは、私がここ数ヶ月で学んだこと。


 せめて夏肖には、その試練を与えたくはないと思う。

 いつか彼が、そうして私を護ろうとしてくれていたように。


 私も、全身全霊をかけて彼と彼の家族を護っていきたいと思うんだ。

 そうしてこの先は、彼らが心から喜べることを、沢山沢山教えてあげられたらいい。



 長い冬の途中――



 ふいにあらわれた雲間のように、ぽっかり晴れた昼下がりは、あの春の夜よりずっと暖かくて。



 日なたで腕捲りをした。



 来年の今頃はきっと、もっと慌ただしくて騒がしいだろうな、と思った。



<いちご†盗人・fin>

*番外編へ、続きます。

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