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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
37/42

17、Where there's a will,there's a way.(a)

 

 話があります――、そう言って両目を開けた彼はますます夏肖にそっくりで、私は息を呑むだけで精一杯になる。

 うそみたい。こんなにうりふたつの人間がこの世にいるなんて。


「びっくりさせちゃったかな。ごめんね、突然ふたりきりだなんて」


 声も微笑み方もまるきり夏肖と同じだ。

 寝たきりだったせいか若干弱々しいような気もするけれど……気のせいといわれればそれで納得してしまえる範囲内だ。


「いえ、そんな、こと」


 辛うじて頷いたものの、声がわずかに震えてしまった。

 何て言うんだっけ、こういうの。既視感? ううん、パラレルかな。平行した同じ世界をもうひとつ見ているみたいだ。

 確かにこれなら辟易もするよ。と、夏肖の心情を垣間見た気がして、私は複雑な気分になる。


「実は美鈴さんには、夏肖に内緒で君とふたりきりにしてほしいってお願いしてあったんだ。まさかこんなに早くチャンスが巡ってくるとは思わなかったけど」

「そう、だったんですか」

「うん。……ねえ、芹生さんは夏肖のどこに惚れたの? すこし、聞かせてもらってもいいかな」

「え」


 何を突然。

 咄嗟に妙な笑いが漏れてしまった。照れ隠しに失敗したわけだ。


「す、好きになった理由、ですか」


 言わなきゃ駄目かなあ。……駄目だよね。


「そう。良かったら教えて?」

「……えと……、正直、これっていう決定打には欠けるんです。最初は大嫌いだったし」

「なのに結婚?」


 いや、あなたのおかげで籍はまだ入ってないんですけど。とは、説明するとややこしくなりそうだったので、そのまま続けることにする。


「……はい。気付いたらかかせない人になってて。何もかも、彼なしでは難しくなってて。悔しいけど、私の家族はあの人以外、ありえなくなってて……」


 もしかして肖衛さん、夏肖が自分になりかわって生活していたこと、知らないんだろうか。

 そんなはずないよね。仕組んだのは、この人なんだもの。でも、一体何故入れ替わりなんて……。


「じゃあ、夏肖のほうから押したんだ?」

「……そ、ういう事になると思います。最初は彼がナツだってことも知らなくて。あ、でも、ナツだってわかったから好きになったわけじゃ、なくてですね」


 照れもあって、上手くまとまらない。しかし肖衛さんは納得した様子で、良かった、と目を細めた。


「ありがとう、安心した」

「え?」

「ほら、僕達そっくりだろ。あっちで駄目ならこっち、みたいな女の子、結構いたから。でも君は、ちがうね」


 試されていたわけか。

 初対面なのにまたか、と思ってしまうのは同じ顔の夏肖に同じ手口で何度も騙されてきたせいだろう。

 それにしてもこの人、本当に弟のことを大切に思ってるんだなあ。尊敬に値するよ。

 と。


「それなら安心して、本当のことを打ち明けられるよ」


 肖衛さんはそう言って、頭をゆっくりこちらへ向けた。


「僕が……夏肖のふりをして、こんなことになった理由を」


 ごく、と喉が鳴ってしまった。

 あまりいい予感はしない。だって董胡の話が本当ならば、目覚めた時の肖衛さんの第一声は“夏肖は無事か”なのだ。

 逆に考えればそれは、夏肖に危険が迫っていたということになる。


「僕があの日、ドライブに出たのは……誘われたからだよ。両親から」

「ご両親が肖衛さんを、ですか」


 復唱するように言いながら、いや、違う――と思った。


「でも、事故の後、あなたはすでにその……夏肖の姿だったんですよね」


 ということは車に乗り込む時、もはやそれは肖衛さんではなかったということになるわけで。


「うん。そう。両親が本当に誘いたかったのは弟のほう。だからこそ僕は、夏肖のフリをして誘われるのを待ってたんだ」

「そんな、どうして」

「前日に聞いちゃったからね。両親が、保険金の話をしているのを」

「ほ……」


 保険金。それじゃああの事故は、事故というよりご両親が――?

 私が詰まっている間に、肖衛さんは次を話し出した。


「実は僕らの両親は以前、工場を経営してて。だけどそれが結構な負債を抱え込んだまま、破綻して……この話、知ってるかな」

「はい、一応」

「僕は二代目として会社を継ぐはずだった。そのために大学で勉強もして――でも、結局、そのまえに全て無くなってしまって。両親はそれを酷く気に病んでいたんだよね」

「そんな。でもどうして夏肖を」

「……ほとんど家にも寄り付かなくて、自由奔放で問題ばかり起こす夏肖を、両親は常に目の上のタンコブみたいに思っていた節があってね」

「だ、だからって……」


 兄弟なのに。どちらかが良くてどちらかが駄目だなんて、そんなのってない。

 僕もそう思う、と柔らかい口調で彼は言うと、再び瞼を下ろしたのだった。


「要するに両親は、夏肖の……ううん、夏肖と自分たちふたりの、命と引き換えに僕に未来を残すつもりだったんだよ。工場再建のね」


 一瞬、これまでのことが頭をよぎった。

 夏肖は我が家に二千万円を与えてくれた。破綻しかけていた、父の工場を蘇らせてくれた。

 これって相当皮肉だと思うのは私だけだろうか。

 だってそれが出来たのは、夏肖が生きていたから、だもの。

 だけどそれを今明かすのは肖衛さんが犠牲にした九年近くの年月を肯定してしまう気がして、躊躇われる。


「……あの、肖衛さんはどうして、そこまでして夏肖を護ろうとするんですか」


 これも若干外したかなあとは思わないこともない。

 しかし「夏肖のほうが、生きる価値のある人間だから」悟ったような台詞が、すぐさま返ってきた。


「本当に夢を叶えるべきなのは僕じゃない。僕は……残酷な人間だから」

「肖衛さん……?」

「両親と同じ。簡単に誰かを見放せる、酷い人間だから」


 その暗い表情に、重なるのはいつか、十三年前の話をしてくれた夏肖の顔。

 もしかして、あのときのことを気に病んで? それで夏肖のかわりに?

 戦慄した。それじゃあ、全てがあの日を起点にしていたことになる。

 すべてが十三年前に、始まっていたことになる。

 太ももの上で重ねた手に、私はぎゅっと力を込める。


「だけど」


 何に対する接続詞なのかは、自分でもわからなかった。


「だけど肖衛さん、夏肖は……」


 伝えたいことがありすぎて、言葉が先に出てしまったのかもしれない。


「夏肖はあなたがこんなことになった理由、自分への罰、みたいに思ってて。あなたがいなくなってから、自分がまるごといなくなっちゃったって、そう、思ってて……」


 必死で語る私を、肖衛さんはやさしく相槌をうちながら見守ってくれた。

 夏肖の気持ちを代弁したくて、けれどなにひとつ上手くは伝えられなくて、歯痒さに涙が滲んだ。

 合間に、私は彼らの両親を思い浮かべる。

 けれど何故だかそこには父と母の笑顔が重なって思い出されて……胸の辺りが、ひどくもやもやした。

 割り切ったはずなのに、どうしてこんな気持ちになるの……。


 ***


 一通り話し終えると、私は病室を一旦後にした。未知に連絡を取るためだ。

 董胡とは一緒にいるのだろうか。多分、そうに違いないと思う。あのあと、ふたりは揃って駐車場から姿を消していたから。

 だとしたらその後、董胡がどうしているのか知りたかった。

 逆に、こちらの状況も伝えておきたいし。

 しかし「もしもし、未……」繋がった瞬間、私の呼びかけは彼女の声に掻き消されたのだった。


『芹生かッ!? ああ、良かった繋がって!』


 やけに切羽詰まった様子だ。

 無理もないけれど。一時間近く携帯の電源を切っていたわけだし。


「ごめん、病院に来てて、それで携帯切ってて……」

『うん、それは柳さんから聞いた』


 どこまで聞いたのだろう。柳さんには全て打ち明けてきたけれど――と、未知は早口で『夏肖さんは一緒か』と尋ねてくる。

 どうやらおおよその状況は把握しているようだ。


「ううん。夏肖なら今、美鈴さんと買い出しに行ってる。今、こっちは私と肖衛さんのふたりだけだよ。あ、もしかして夏肖、携帯電源きったまま?」

『ご明察。じゃあ美鈴さんに連絡とってみるわ』

「どうしたの? 急用?」

『……うん、それが――』


 未知は少し躊躇いがちに、そして声をひそめて続けた。


『加恋から董胡に緊急連絡が入ったんだ。最近ストーカーみたいなのに付け回されてる、今まさにそいつが家の回りをうろついてるって』


 え。


「す、ストーカー? それでどうして董胡に」

『最初は夏肖さんに連絡しようとしたらしい。でも繋がらなかったって。急いで来て欲しいって言うんだ』

「でも、それなら警察とか、他に」


 連絡すべきところがあるんじゃ。眉間を寄せたところで、耳に届いたのは衝撃的な一言で。


『どうやら真人らしいんだ。その、ストーカーって奴』


 脳裏に、パッといつかの光景が浮かんだ。


 レコーディングの日。

 スタジオのすぐ側で見かけたあの人影が。


 ***


 直後、タイミングよく美鈴さんと夏肖が戻ってきたから、私は彼らと連れ立って加恋のマンションへ向かうことにした。

 慌ただしく出て行く私達に肖衛さんは何事かと問いたげだったけれど、快く送り出してくれた。

 事情はひとまず今度説明すると言ってきたものの、正直に明かすべきかどうか……わからない。

 きっと、すごく心配するに違いないから。


「まったく、真人くんは何をやってるのよ。そんなに加恋のこと、好きだったっけ?」


 ハンドルを操作する夏肖の後ろ、美鈴さんは苛立ちを隠せない様子で爪を噛む。

 私だって気ばかりが早って、助手席のシートベルトを握ったり放したりしていた。

 付け回している時点でアウトだろうけれど、このうえもし真人が加恋に危害を加えれば、元・シヴィールの、と煽りを付けてマスコミに騒がれるのは必至だ。

 シヴィールの将来ばかりを心配するわけじゃないけど、でも、正直それが真っ先に頭に浮かんで、不安でたまらなかった。


「……真人が執着してるのは加恋のほうじゃない。俺だ」


 夏肖は言って、アクセルを踏み込みながらサングラスをかける。


「多分、俺を護ろうとしてるんだ。加恋から」

「どういうことよ」

「これまで、俺のスキャンダルって加恋とのこと以外、表に出たことないだろ」

「ええ。だって夏肖くんはほとんど女遊びなんかしなかったじゃない」

「事実を報じるだけがマスコミの仕事じゃないよ。それに――セリと暮らしはじめてからも、一度も嗅ぎ付けられたことはなかった。一度もだ」

「それはそうだけど、それと真人くんに何の関係が」

「俺は多分、そのへんをうまく操作してたのが真人なんじゃないかと思ってる。どんなふうに何をしていたのかはわからないし、憶測だけど」

「はあ。じゃあ真人くんは加恋をどうにかして、夏肖くんから遠ざけようとしているってわけ? 飛躍しすぎよ!」


 美鈴さんは素っ頓狂な声を上げてそっくり返った。

 そういえば叶、言ってなかったっけ。ナツを護るように真人に頼まれてた、って。それで私のことも排除しようとしたわけで。

 ああ、つまり真人は遠くから、叶はすぐ側で、二重にナツを護っていたってこと?

 真人が姿をくらました理由ってそれ?


「……、可能性、あると思う」

「やだ、芹生ちゃんまで。私、いまいち納得できないんだけど」


 だとしたらまずい。絶対にまずい。

 一時期の騒動はおさまったけど、加恋は最近巷でも悪評が流れるくらいナツを振り回してる。

 邪魔じゃないわけがない。

 美鈴さんが見ているかなあとは思ったけれど、私は夏肖のふとももに手を置いた。すこしでも、その不安を和らげてあげたくて。

 彼はこちらへ一瞬だけ視線を寄越したけれど、強張った表情は崩さなかった。

 それでも、加恋のマンションに着くまでずっとそうして触れていた。

 こんなことしか出来ない自分を、悔しく思いながら。


「芹生!」


 駐車場で車を後にした私達は、エントランスでまず未知に出くわした。

 聞けば彼女と董胡も、ちょうど今到着したところだという。


「董胡は?」

「上。もう部屋に向かってる。あたしはここで、マスコミがこないように見張れって言われてて」


 わかった、と答えたのは夏肖だ。言うや否や駆け出す彼を、私はすぐさま追う。

 美鈴さんも後から走ってきたけれど、ハイヒールだったせいか、エレベーターのドアが閉まるほうが先で……要するに、真っ先に上に向かったのは私と夏肖のふたりだった。

 ぐん、と足に重力がかかる。沈黙までもが重い。

 そうして、最上階でエレベーターのドアが開きはじめた時だ。


「きゃあぁあっ!」


 姿より先に、隙間から飛び込んできたのは加恋の悲鳴。私が何かを考える間もなく、夏肖はドアをこじ開けて飛び出す。

 直後、私は驚愕の光景を目にした。

 外階段の手前、揉み合う人影。当然ひとりは加恋で、彼女は体を大きく手すりから乗り出した格好で。

 そんな彼女を抱きとめて護ろうとしているのは董胡で。

 そのふたりを引きずり落とそうとしているのは、久々に見る真人。


 そして――。


「危な……!」


 一瞬のことだった。バランスを崩した董胡が加恋を庇った格好のまま、階段を踏み外して落下しかけたところへ――

 夏肖が、飛び込んだのは。

 私の目から見えたのは彼が背中から階段下へ転落する光景で、後のことは、地響きのような音で察するしかなかった。


「夏肖!!」


 うそ……!


 その場の、あらゆる動きがスローモーションに見えた。いや、皆、凍り付いていたのかもしれない。

 私はひとり、階段を駆け下りる。体中の感覚がなくて、転げ落ちそうになる。

 夏肖は一階ぶん下の踊り場に仰向けに倒れていて、駆け寄った私のほうは見向きもしない。それどころか、


「夏肖、夏肖っ」


 いくら呼んでも反応はなかった。抱き寄せようとして、ぎくりとしてしまう。彼の頭の下に――血だまりが出来ていたから。

 それはみるみるうちに大きくなる。頭の中が、真っ白になった。


 え、なに、これ……。


 背後で加恋が取り乱しながら「救急車、はやくっ」叫んでいた、ような気がする。

 董胡が真人を押さえつける様子が視界の隅に見えて、でもその視界はときどきガタガタと上下にブレていて。


 酷い――めまいだった。


 救急車がいつ来たのかは覚えていない。


 気付いたら、美鈴さんが私を抱き締めてくれていて。



「落ち着いて、芹生ちゃん。落ち着いて!」



 耳元で、そう、叫んでいた。



 自分がそのとき何をしていたのか、私は、しらない。



 思い出そうとしても、思い出せない。……思い出したく、ない。


 

*次回、最終回です。長らくのお付き合い、ありがとうございました^^ 斉河

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