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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
34/42

14、Stay with you.(a)

 

 私にとって『許す』は『許容』とするのが一番しっくりくる気がした。


 言い換えただけで、本質にさほど違いはないのだけれど。

 でも、辞書で見た『免ずる』よりはずっと簡単に実行できると思った。


 眠ってしまった彼を抱き寄せる。

 生まれたばかりの弟を抱っこしたときよりも、ずっとずっと脆いものを抱いているようで、愛おしい。


 問題は山積みだ。

 けれど、この先は決して彼の側を離れないでいよう。私がこの人を支えていこう。

 そう誓った。


 なのに。


「さあ、帰ろう芹生」

「お、お父さんっ――」


 抗議する間もなかった。

 突如玄関先にあらわれた父に腕を引かれ、私はあっという間にタクシーに詰め込まれてしまった。


「セリっ!」


 すぐさま後を追いかけてきた夏肖は、ウィッグも眼鏡もせず、だからナツの姿のままだ。

 そんな彼に勢い良く窓ガラスを叩かれ、タクシーの運転手は縮み上がる。けれど「行って下さい」父の言葉に、びくつきながらもアクセルを踏み込んだ。


「お父さん、私」帰りたくない。


 言おうとすると、掴んだままの手にぐっと力を込められた。「帰ろう、芹生」たしなめるような言葉に、私はびくりと背筋を伸ばす。

 あらためて見た父の顔は酷く暗く、こんなときでもまだ思い詰めているように見えた。

 自殺を、繰り返していたときと同じ表情に。


「セリ!」


 夏肖はなりふり構わずといった体で、タクシーを追いかけてくる。


「夏肖……!」


 必死な姿が痛々しくて、愛おしくて、私は無意識のうちにドアノブへ手を伸ばしていた。飛び降りようとしたのだと思う。

 しかし「芹生」さらに低い声で父にそう呼ばれたら、金縛りにあったみたいに動けなくなってしまった。

 いつか、やまだ屋で聞いた、柳さんの想い人の末路が耳に蘇ってきたからだ。


《壊れちまった》


 そうだ。お父さんはこの日のために必死で働いてきたのだ。

 今、私が夏肖をとったらどうなる?

 父が壊れてしまったら――。


 母や弟や妹たちは、どうなる?



 待って。その一言は、ついにいえなかった。



 ***


 自宅に着いてからの扱いは、まるで囚人だった。

 母に再会したのも束の間、そんな申し合わせが出来ていたのか、手早く納戸に閉じ込められた。

 ご丁寧にも携帯電話を取り上げたうえで、だ。

 だから直後に訪ねて来た夏肖にも、当然会わせてはもらえず、助けを呼ぶことも出来なかった。

 いや、最初からそれが目的だったのだろう。

 父が「二度と娘には会わないで欲しい」と言っているのが、ドア越しに聞こえた。

 あの子があなたに懐いているのは恩からです、でなければストックホルム症候群のようなものでしょう、とも言っていた。


――ちがう。

 確かに最初こそ義理で側にいたけれど、だけど。


 私は必死になって、ドアを内側から叩いた。いっそ壊してしまいたかった。

 しかし非力な私にそれがかなうわけもなく、夏肖は訪問からわずか五分足らずで我が家から締め出されてしまったのだった。


 あんまりだ。


 夏肖は私達家族のことを、いつだって真剣に考えてくれていたのに。

 夕べだって、母のことを身勝手だと思わないで、と庇ってくれていたのに。


 これっきり? そんなのってない。


「夏、肖……っ」


 零した涙は、扉の隙間から差し込んだ細い光にきらりとひかって、埃臭い暗闇の中に吸い込まれていった。

 そこから出してもらえたのは夕食の準備が整ってからだ。

 弟たちは私の顔を見て無邪気に喜んでいたけれど、父の顔にはまだ影がさしていて、母は不自然な笑顔を浮かべていた。


 異様な――雰囲気だった。

 かといって、父を正面から責める勇気など、私には微塵も残されてはいなかった。

 少なくとも父に悪気は一切ない。それは、律儀に二千万円を持参してきたことからもうかがえる。

 父は父なりに真剣に、体をはって努力して、家族を取り戻しそうとしたのだ。これだけが支えだったのだ。


 ああ、どうして忘れていられたのだろう。

 父という爆弾にはまだ、点火されたままの導火線がついていたということ――。


 ***


 翌朝、やはり朝食の直後に子供部屋へと押し込まれた私は、部屋の隅にCDプレーヤーを見つけた。

 高校時代に使っていたそれは、ラジオやカセットテープも聴けるもの――といえば聞こえはいいけれど要するに旧型――で、やけにいかついのが特徴だ。

 そういえば、家を出るときに置いていったんだっけ。

 なんだか懐かしくなって、ディスクの挿入口をあけてみる。

 と、そこにはさらなる懐かしさを呼び覚ます、一枚の音楽CDが入っていた。


 “GRAVITY”――シヴィールの。

 三枚買ったうちの一枚だ。


「……入れっぱなしだったんだ」


 呟きながら、スイッチを入れて窓辺に腰を下ろした。

 ここは二階だけれど、アパートの構造上一階部分が高くつくられているから、高さは坂口家の三階に相当する。

 坂口家と比べたら、眺めなんてちっとも良くないのだけれど。


 けれど――。

 ほんの半年前、こうしているのが一番の気晴らしだったんだよね。

 

 どんなにひもじくても、逆境に負けそうになっても、シヴィールの歌を聴いてごみごみした景色を眺めるだけで、満たされた気になれた。

 それだけで、また明日も頑張ろう、って思えた。

 音楽なんて聴くだけでは満腹にならないし、物質的な力なんてほとんどないように思う。

 だけど、私は確かに、彼らに救われていた。


 彼らの音に、絶大な何かを貰っていたんだ。


「なんでこんなことになっちゃったのかな」


 私のひとりごとに被せるように、ナツの歌声がスピーカーから流れ始める。

 あのころ焦がれた人の声。どこか神聖に思っていた人の声。

 それは今、安らぎどころか身を千切るような切なさしか、与えてはくれなかった。

 聴けば聴くほど苦しくて、胸がきりきり痛んだ。けれど、聴かずにはいられなかった。

 壊れた蛇口みたいに泣きながら、何度も何度も繰り返し再生ボタンを押した。

 満たされる感覚なんて、少しも得られないのに。


「夏肖……」


 逢いたいよ。

 今はもう、大好きだったナツの声、百万回聴くよりあなたに一目逢いたい。

 まだ、素直な気持ちも伝えていない。好きだ、って伝えていない。

 あなたからもらった愛情の、十分の一だって返せてはいない。


「……ふ、……う、うぅ……っ」


 もう、離れて暮らすなんてできないよ。


 戻れっこないよ。

 元の家族になんか。


 だって私にとっての家族はもう、夏肖なんだもの。

 

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