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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
32/42

12、I wish you.<a>

 

***


心のどこかで

俺は願っているんだ


出会ったあの日と同じように

彼女が俺の本心を見抜き

暴いてくれることを



身勝手にも。



side 夏肖


***



 十にも満たない年の頃、一日のうちで最も長きを占めるのは夕方だった。



 都内とはいえ自然の多い場所で育った俺は当時、体ひとつで何時間でも飽きずに遊べる子供だった。


 帰宅するや否やランドセルを工場の隅に投げ捨て、親父の「おかえり」に「いってきます」を返す。

 その瞬間の開放感たるや、下手に先々のことを考えないぶん、大人になってからでは味わえないような爽快さがあった。

 後は、真っ暗になるまで糸が切れた凧のごとく近所を駆け回る。少々のかすり傷なら気にしない。寒さも暑さも気にならない。

 空腹は多少気になるけれど、夕食を食べそびれる心配などなかったし、支度がととのったから帰ってきなさいと母親に催促されるのが嫌で、なるべく自宅から距離を置いた場所にいた。

 ふたたび家に辿り着いたときは、決まって体中がすすけている。

 まるで、闇の色をからめとってきたかのようだと、父は呆れ顔で言っていた。


 あの頃の俺は――。


 体内が常に何かで満たされていた。

 世界の凹凸がもっとはっきりと見えていた。

 夕暮れの空はもう二度と、同じ色にならないことを知っていた。

 夕日に焦がされた土埃が立ちこめる小径の、むせ返るような匂いを知っていた。


 そして、俺の隣には必ずあいつが居るということも。


 あいつ――肖衛。

 俺と同じ顔をした、頼りがいのない兄。


 あいつにとって夕暮れ時は『炎上する図書館の匂い』で、またそれは『見たこともない景色に郷愁を覚えるのと同じ感覚』だという。

 本好きの兄貴らしい小難しい表現だと小馬鹿にしながら肘でつついたら、そうだよねえとのんびり笑っていたっけ。

 今考えても、小学生らしからぬ例えだと俺は思う。

 あれから何十年、日暮れのたびにその言葉を思い出し、理解しようとつとめてきた。

 しかし、未だにピンと来たことはない。あいつが寝たきりになってからは、ますます見当もつかなくなった。

 兄貴の考えは、いつだって謎だらけだった。


 今だってわからない。


 なぜあいつが、俺の姿で両親を連れ出したのか。

 臆病で安全運転がモットーだったくせに、崖下に転落するような事故を起こしたのか。

 救助隊に助け出されたとき、俺の名をかたったのか。


 考えれば考えるほど、わからなくなる。

 俺がもし兄貴だったら、今、何を望むだろう。何がしたくてこうなったのだろう。


 しかし六年経った今でも答えは見つからなくて、俺はただ途方に暮れるのだ。


「……それ、お兄さんのことだったんだね」


 そこまで黙って聞いていたセリが、頭の位置をずらしながら言う。彼女は今、俺の右腕を枕にしてベッドに体を横たえている。


「海辺で言っていたよね。私にそっくりだっていう、兄弟思いの知り合いがいるって」


 そうだね。俺は、頷いて彼女の肩を撫でる。くせになるほどやわらかくて、なめらかな素肌を。

 彼女はぴくりと震えたけれど、抵抗する様子はなかった。……今更か。

 すでに服なら全て剥いだし、他の男の痕跡がないことも、しっかり確認させてもらった。

 途中から、無我夢中で、さして記憶には残っていないのが残念なのだけれど。

 一方セリはというと、最中はずっと俺の名を呼んでいた。夏肖、と何十回も、切なげな声で呼んでくれた。

 何年ぶりだろう、『自分』に戻るのは。


「ねえ夏肖、シヴィールの皆は知らないんだよね? あなたが肖衛でないこと」


 もちろん、と俺は口角を上げる。

 打ち明けてもいなければ、見破られてもいない。そもそも俺達は、親でさえ見分けがつかないほどそっくりだったのだから。

 それに、俺は兄貴がああなったあと、一度酷く荒れた。昔の自分と同じように、荒れた。

 それが原因で、董胡も柳も『肖衛が夏肖に似た』、と思ってくれたようなのだ。


「それでいいの? 仲間のこと、騙したままで」


 セリは心配そうに、あるいは俺を叱るように、顔をしかめる。

 しかたないよ、と俺は言って天井を見上げた。


「仕方ない?」


 うん、そう。

 最初はね、打ち明けようとも思ったんだ。だけど、兄貴の考えがわからなかったから。

 いや、兄貴がこれを――俺が『坂口肖衛』になりかわることを――目的にあんなことをしたのかもしれないと、ぼんやり思ってしまったから、踏み切れなかった。


「どういうこと」問う彼女を視界の隅に見つつ、俺は大きく息を吐く。


 君には全部話すよ。退屈だったら寝てくれていい。でも、俺は聞いて欲しいと思ってる。

 君にだけは、すべて、聞いて欲しいとずっと思ってた――。


***


 幼子が皆、無垢で純真だというのは、それこそ大人の無知を証明しているようなものだと俺は思う。

 少なくとも俺は、物心がつくかつかないか、自我が芽生えるか芽生えないかといったころ、すでに体内に煩悩をはびこらせていた。


 そうだ。

 俺は兄貴を――正直うとましいと感じていたのだ。


 考えてもみて欲しい。自分と同じ顔かたちで、自分と同じ服を着て、自分のすぐ側に四六時中、亡霊のように寄り添う存在があることを。

 鬱陶しいと思わないやつがいるとしたらそれは、よほどの鈍感か、それこそ煩悩のない聖人だと俺は思う。

 とりあえず俺は兄貴なんていらなかったし、何においてもふたりでワンセット、つまり二分の一として扱われる状態が、不満でたまらなかった。

 まあ、それは両親の経営する工場が――ああ、君には話していなかったっけ。うちの両親は君の父親と似たようなことを生業としていたんだよね。

 正直、あまり儲かってはいなかったけれど。

 だから誕生日のプレゼントも、常にひとつで『仲良く使いなさい』というパターンだった。

 それは仕方がないことだと、こうして自分で事務所をやりくりしている今ならばわかる。

 けれど、あのころは到底納得のいくものではなかったんだ。

 さらに納得がいかなかったのは兄貴の態度で、俺は実際、あいつの存在そのものというより、態度のほうに苛ついていたのではないかと思う。


『夏肖が先に使っていいよ』


 兄貴ヅラして半歩下がって、いかにも弟をおもいやって見守るようなあいつの態度が、とにかくひたすら気に食わなかった。

 そのうえ、両親は揃ってあいつを優先した。

 何を買ってきてもまずあいつに与える。時には俺が持っているものを取り上げて「お兄ちゃんにもあげなさい」とさとすことさえあった。

 放っておけば食事すら食い逸れる兄貴だから、その気配りはあってしかるべきだったのだろう。

 けれどそれを気に病んだあいつに、「夏肖にもあげて」などとさらになさけをかけられるのがまた気に入らなかった。


 むしゃくしゃした感情を発散するように、中学校に入学すると同時に荒れた。

 髪は金色に染め、喧嘩は日常茶飯事で、自宅にもあまり寄りつかなかった。

 多分、俺は兄貴と全く違う生き物になりたかったのだ。


 髪の色も、態度も、言葉遣いも、生活習慣も。


 あいつがいい子になればなるほど、俺は反発で荒れた。

 後ろ暗いような連中とつるんでいたこともあるし、毎週のように補導された結果、気付けば札付きのワルになっていた。

 そのころだったな。董胡に声を掛けられたのは。



「おまえさ、俺とバンド組まねえ?」



 出会い頭の台詞がそれだった。当然拒否した。董胡が、あいつの友達だったからだ。なのに。


「なあ、頼むよ。おまえの声、絶対いいって」

「毎度毎度煩ェな。兄貴にやらせればいいだろ。同じ顔だし同じ声なんだから」

「あいつじゃ駄目なんだよ。あいつは――人前で歌うなんて絶対できねえもん」


 決定打だった。あいつには出来なくて俺にはできる、それだけのことが俺に優越感と個性を与えた。

 ライブのたびにあいつは董胡に誘われて隅のほうで見学をしていた。そうして、帰りには興奮したように俺を絶賛した。


 すごいよ夏肖――。

 本当に凄かった。どうしてあんなふうに堂々としていられるの? すごいよ。僕じゃ絶対に出来ない。君ならきっとプロになれるよ――。


 愉悦にひたったね。舞台の上にいる俺と、そこに立てないあいつとでは根本が違っているとわかったから。

 おかげで、それからの俺はただひたすら音楽にのめり込んでいった。

 歌っているときは全てを忘れられたし、世界でただひとりの自分になれていることが満足だった。

 聞けば董胡にも家庭の事情ってやつが少なからずあって、だから当然気が合わないわけはなかった。

 兄の妻に惚れている柳にせよ、親戚の子供を庇っている真人にせよ、類が呼んだ仲間だったから居心地は良かった。

 あまりにも四人で密着しすぎて、せっかく見つかったベース担当も長くは続かず、短期間で何度も入れ替わったくらいだ。「付き合っていられない」というのがやめる時の決まり文句だった。

 そういう意味では、鈍感で無神経な初穂は適任だと言えるね。ああ、いや、別にけなしているわけじゃないよ。


 今のシヴィールは完成系だと思ってる。

 それと同時に、あの未完成で未熟だった音を、時々懐かしくも思うんだ。繰り返したい、とは思わないけれど。

 なにしろ俺達は幾度となく過ちを犯したからね。


 最初は――そう、十三年前だ。


 もう君も知っているよね。真人が幼い君に乱暴しそうになったこと。……大丈夫? 顔が強張ってる。後にしようか。

 平気? そう、わかった。なら――話すけど、辛かったらいつ遮ってくれてもいいから。

 とはいえ、おおまかなところは以前君に打ち明けた通りだ。だから、これは俺の視点の話になる。


 あの日、俺は肖衛に自分の格好をさせ、アルバイト先であるやまだ屋へと送り込んでいた。

 バンドの結成当時からちやほやされていたせいか、俺は完全にいい気になっていたのだ。

 我こそが一分の一の人間で、決して二分の一ではないと――思いたかったのかもしれない。

 その確信が、欲しかったのかもしれない。

 事実、俺の姿形をすっかり模したあいつに、存在する価値はないように見えた。胸がすく思いだったよ。

 肖衛はというと、少し困った顔をしただけで言うなりになっていた。金髪にされても、コンタクトを入れられても、だ。

 その態度がまた、俺をつけあがらせた。

 いや、むかっ腹が立ったのかもしれない。それでも尚、兄貴面をしようとしているあいつに。

 だからやまだ屋へ行けと言った。あいつは黙って従った。

 あのときあいつは何を考えていたのだろう。今考えてもわからない。


 しかしその日が――奇しくも分かれ目となった。


 やまだ屋からの帰り道、君が真人に乱暴されかけているのを目撃した兄貴は、真人を殴って止めた。

 そうして君は肖衛が持っていた瓶の破片で怪我を負ったわけだ。

 あいつは真人を連れて帰宅するなり、まずいことになったと言った。

 小さな女の子に酷い怪我を負わせてしまった。しかしその場に放置したまま逃げ帰ってきたと。


 どうしよう。どうしよう夏肖――。


 俺は焦った。なんてことをしてくれたんだ。おまえはいま、俺の姿をしているのに。

 迷っている暇はなかった。

 すぐさま119番通報をし、彼らがいたという公園を目指した。そこには瀕死の状態で遊具の影に横たわる少女がいた。

 真人言うところの“せいなちゃん”――君だ。


『おい、君、せいなちゃんだな!? 大丈夫か、おいっ』


 せいなちゃん、大丈夫? 大丈夫か。

 声をかけても、君は答えなかった。必死で止血をして、見よう見まねの人工呼吸をした。

 血だらけになったけれど、かまわなかった。

 駆けつけた救急車に同乗して、俺は搬送先まで付き添った。一命を取り留めたと聞いたときは全身から力が抜けたよ。

 君のご両親とはそのとき、俺はすでにお会いしていたみたいだ。なにしろ気が動転していたから、記憶はしていなかったけれど。

 でも、君のお母さんは覚えていたよ。うん、確かめに行ったんだ。君の太ももに傷跡を見てから。

 そう、携帯電話を届けに行った時だね。俺はウィッグと眼鏡を取って、彼女はあのときの子ですねと尋ねたんだ。

 

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