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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
31/42

11、All along.

 

「もしもし、肖衛、いまどこ!?」

『え、セリ? どこってそりゃ、自宅だけど』

「わかった、そこで待ってて。今すぐ行くから」

『ど、どうしたの急に』

「着いてから説明する!」


 タクシーに乗るのは気が引けたから、私は未知の自転車を無断拝借し、駅へと急いだ。

 ほうほうの体でホームへ駆け込むと、目の前にタイミングよく滑り込んできたのは急行。

 乗り込んで、ほっと胸を撫で下ろす。

 初穂は先程のあの音からして恐らく車だろうし、飛ばしたなら既に未知の家には到着しているだろうけれど、急行に乗ってしまえばもう追いつけないはずだ。

 しばし息を整えながら、私は先程の叶の言葉を思い出していた。


『ナツの隣にいる芹ちゃんのことが好きだったのに!』


 あれは紛うことなく告白だろうけれど、恋愛感情とはやはり別種のような気がする。

 董胡の言葉を借りるなら、叶にとって私はやはり『母親役』なのかもしれない。

 そこでギギギギ、と鋭いブレーキ音が車内に響き渡って、私は我にかえった。


(ああ、今は他のことを考えてる場合じゃない)


 急いで未知に現状報告のメールを打った。

 地下鉄内が圏外だったため、乗り換えの駅に着いてからそれを送信する。と、未知からの返信は数秒と待たず届いた。

 やけに早いな、まさか空かな、なんて思いながらのんびり開く。

 するとメールには、そんな私を叱咤するかのように、風雲急を告げる内容が綴られていた。


《初穂さんが来たよ。芹生がいないこと、気付かれた。今、先回りして肖衛さんちに向かってるみたい。ごめん。急いで!》


 見れば、送信時刻は今から十分も前になっている。

 ということは、初穂はもうとっくに私を追い越しているかもしれない――。

 急がなきゃ!

 私は歩調をはやめると、人混みをかき分けて改札を出、私鉄の入り口を目指したのだった。

 すると、ロータリーを迂回したところでどこからか、聞き慣れた声がした。


「芹生!」


 真正直に振り返ってしまってから後悔した。

 それはまさしく追っ手である初穂で、彼は傍迷惑にも沿道に愛車をとめたまま、運転席から降りてくる。

 猛抗議のクラクションが鳴り響く中、私はあっという間に御用となってしまった。

 悪人の末路なんてこんなものだ。


「ここで乗り換えると思ってた。来いよ」

「い、嫌」

「嫌でもかまわねえよ」


 彼はパーカーのフードを深く被り、サングラスをかけている。

 周囲の目をくらますためなのだとわかってはいるけれど、表情が見えないことがますます私の恐怖をあおる。


「やだ、放して……っ」

「嫌だね。おまえは俺の女だ。そうだろ」


 彼は強引に私の左手を引き寄せ、薬指に唇を押し当てる。

 そこには、浅はかだった私の身勝手の証とも呼べるものが錠のようにはめられている。


「来いよ。もう、迷わないようにしてやる」


 勢いをつけて助手席に積み込まれそうになって「や、いやあっ」必死で足をドアの付け根に突っ張った。

 なけなしの力を込めた膝は、反発でがくがく震える。

 こんなときは思い知る。自分がどれだけ非力かということを。


「や、誰か、助け……!」


 沿道は大勢の人で溢れかえっているのに、皆、見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまう。

 あるいは遠巻きに、迷惑そうな目で眺めているだけだ。

 私は頭の片隅で無駄だということを理解していながら、初穂の腕に爪を立て、叫んだ。


「やっ、……ょうい、っ」


 そこにいる筈のない人の名を。



「肖衛、肖衛ぃっ!」



 しかし当然のことながら、その声が彼の耳に届くことなどなく、彼がヒーローのように颯爽と現れるわけもない。

 もうだめだ、と思った。自力では逃げられない。誰の助けも望めない。

 もうだめだ――。

 するとそのときだった。耳慣れた音が、降り注ぐようにその場を満たしたのは。

 軽やかなドラムに、スピード感のあるギターと存在感のあるベース、そしてセクシーな歌声。

 すぐにわかった。それが、シヴィールの新曲であることは。


「……なんだ、突然。プロモーションか?」


 注意が逸れたのか、初穂の手が緩む。いや、彼だけじゃあない。

 一帯が一瞬静まり返り、直後にざわつき始めたのがわかった。

 曲は流れ続けている。それは喧噪の中でもかき消されることなく、はっきり聞き取れる。

 誰かの音楽プレーヤーから漏れきこえてくるレベルじゃあない。


 じゃあ、どこから?


 発信源を探し目線を上げた私は、道向こうの複合ビルに設置された大型スクリーンに目を見張った。

 肖衛の顔がそこに、大写しになったからだ。


「あーっ、ナツだ!!」


 驚きのあまり休戦となった私達のすぐ横で、女子高生が黄色い声を上げる。


「え、なにこれっ」

「コーヒーのCMだよー。観たことないの? しょっちゅうここで流れるよ」

「ないし! つか何でナツ、こんな狂言女と共演してんの!?」

「和久井加恋がわがまま言ったらしいよ。噂で聞いた。それを許すナツはやっぱり器のデカい男だよね……あ、見てっ」

「キャー! ナツ笑ったーっ」

「でしょーっ、あのちょっと冷たい感じの笑顔がたまらないんだよね、ナツは」

「あたし、あれ絶対録画する!!」

「あたしもーっ」


 はしゃぐ彼女らを視界の隅に見ながら、私は涙を一筋零した。

 それは私をゆるく拘束している、初穂の手の甲にぽつりと落ちる。

 早く逃げなければと思うのに、雷に撃たれたようで、動けなかった。


(あれが、肖衛……?)


 うそだ、と思った。


(あんなの、本当の肖衛じゃない……)


 私の知る彼はあんなふうに、冷たく綺麗に笑ったりしない。

 まるで困惑しているみたいに、泣き出しそうな顔で笑うのだ。

 観客だったときは知らなかった。きっと、やまだ屋の監督も、董胡だって知らないはずだ。

 わがままで強引で直情的で皮肉屋で、そのうえ独占欲が強くて狡猾な、彼の激しい本性を。


 あれは、世界中でたったひとり、私だけが知っている一面なんだ。


 手の甲できゅっと涙を拭いた。どうしてこんなに嬉しいんだろ。

 これが独占欲ってやつなのかな。肖衛のこと、どうこう言えないや。

 顔を上げると、クリアになった視界に、初穂の悲しげな表情がうつりこみ、私は状況を思い出す。

 しかし彼は自嘲するような顔で笑うと、


「……そんなに?」


 答えを待たず、腕をほどいた。


「そんなにあいつが好きか」


 それがいたずらな問いでないことは、鈍感な私にもはっきりとわかった。

 だからこそ私は迷わなかった。もう、二度と迷うものかと思った。



「――うん。ごめんなさい。好き。あの人のことが、好き。誰とも比べ物にならないくらい、好きなの」



 そう、はっきり告げることが、今私に出来る最低限の誠実なのだとも思った。

 本当にごめん、初穂……。

 悼むような気持ちで頭を下げると、彼は「だよな」意外にも明るい声色で答えた。


「わかってたよ」


 恐る恐る顔を上げて、表情を見てから後悔してしまった。

 目が、赤い。


「わかってたから、忘れさせてやろうと思ってたのに。あいつよりずっと、幸せにしてやろうと思ってたのに」

「初穂」

「どこで間違ったんだろうな。泣かせるなんて。……バッカみてえ、俺」


 行けよ、と視線を逸らした状態で、彼は私の肩をとんと突く。

 素っ気ない仕草なのに、触れられた部分は熱くて、焼けるみたいだった。


「え……」

「行けって。行っちまえよ、もう」


 もう一度謝りたいのはやまやまだったけれど、ぐっとこらえた。

 彼をこれ以上惨めな気持ちにさせたらいけない。

 それに、謝ったことを免罪符みたいに思うのはもっとちがう。


「ありがとう」


 詫びるかわりにお礼を言って、背を向けた。

 やっぱりあなたは優しすぎるよ、初穂。

 どうして好きになれなかったのか、不思議に思うくらい。悔しく、思うくらい……。

 そうして数歩すすんだところでドアが閉まる音がして、彼の気配がうすくなる。

 けれど車が出て行く様子はなかったから、私は振り返らなかった。振り返っては、いけないと思った。



(ありがとう、本当にごめん、初穂……)



 一歩ずつアスファルトを踏みしめ、交差点に差し掛かったときだった。

 先程の女子高生たちが、興奮さめやらぬ様子で騒いでいるのが聞こえて来たのは。


「でもさ、ナツってあんなに演技うまかったんだねー」

「ほんと。あんなに演技力があるなら、これからドラマにもガンガン出るかもね」

「うんうん。俳優としてもやっていけるよ」


 そういえば未知もそんなことを言っていたっけ、と納得しかけたのも束の間、私は「あ……!」驚きのあまり口元を押さえた。

 それと正反対の証言を、連鎖的に思い出したからだ。


『サボろうとした弟の身代わりとして、あいつ、ここに来たんだよ。わざわざ金髪にして外見をそっくりにしてきてな。しかしなにせ態度が違うから。俺は即刻見破ってやった』


 監督に初めてあった日に聞かせてもらった、十三年前の話。

 これを事実とするなら、肖衛に演技力があるなんて嘘じゃない。

 それに、一度そうして見破られているのに、弟の身代わりになってより多くの人の視線に晒されようとするなんて絶対におかしい。

 そうだ、柳さんだって言っていたはずだ。


『ことあるごとに“人前であんなことができるなんて凄い”と夏肖さんを褒めていらっしゃいました。自分にはできないからと』


 肖衛はそんな思い切ったことを、自ら進んでしようとする人間ではないと。

 となると、未知の疑問にもうっすらとした答えが見えて来る気がした。


『あの人、どことなく矛盾してる気がしてさぁ。どっか引っかかる。性格っつうか、行動? 存在感? んんー』


 矛盾に思うのも無理はない。

 私が知っている彼と、皆が語る彼の性格は、明らかに別人だった。

 あれは、私に甘えているから見せる本性? まさか。

 だって彼は最初からそうだった。まともな会話すらしたことのない私に対しても、我慢なんてしなかった。


 何故気付かなかったのだろう。

 彼の二面性を言葉であらわすなら、それは『本性』と『外面』なんかじゃない。



『過去』と『現在』でしかなかったのに。



――“無期限で人生を棒に振れるかね、普通”



 棒になど振っていない。

 私達は恐らく、真逆の現実を鵜呑みにして、有り得ない疑問を抱いていただけ。



 彼は、彼の夢を叶えただけ――。



 途端、これまで濁っていた思考が、一気に澄み渡るのを感じた。

 彼と出会ってからのことが、そこに次々と押し寄せてくる。




『兄ちゃんもナツには恩があるから』『ようやく顔を見せた夏肖の野郎、もう血だらけでさ。本人は緊急事態だとか救急車がどうのとか言ってたがな』『最初はお父様の会社を継ぐのだと、そのために経営を学ぶのだとおっしゃっていましたが』『まあ、運転席にいたのがほぼ無関係の夏肖だったから自殺のセンは薄いと警察は判断したみたいだが』『家族と出掛けるようなタイプじゃなかったから、かなり意外だったがな』『――俺の知り合いにもさ、いるよ。君にそっくりなのが』『俺がもしそいつだったとしたら、何が望みだろうってよく考える。だけどいつまでたっても答えは見つからなくて、途方に暮れるんだ』




 ああ、何故私は否定したの。

 最初から直感していたはずなのに。

 こちらを覗き込んでくる肖衛の顔にデジャヴをみたときから。



『せいなちゃん、大丈夫?』



 彼が、あのときの彼であることを。



(ああ、つまり……)



 こういうことだったのか。

 ならば納得出来る。

 読めないほど塗りつぶされていた本も、女の子に縁がなかったわりに慣れた仕草も、頑なに籍を入れないことも。


「――すみません、乗ります……!」


 私は迷うこと無く沿道のタクシーに乗り込み、坂口家の住所を告げた。

 金銭的なことを考える余裕は一切なかった。

 ただ一刻も早く彼に会いたかった。彼を想うと、言葉通り、胸がちりちりと焦げる気がした。

 やがてタクシーから降り、はやる気持ちで門扉を開くと、待ち構えていたかのように玄関のドアが開け放たれた。


「セリ?」


 中から顔を覗かせた彼は事態が呑み込めないといった顔をしている。いつも通り、冴えない眼鏡とダサいウィッグをつけて。

 ああ、彼だ。やっぱり彼だ。

 私はその胸に、一直線に飛び込んだ。


「――うわ、っ」


 体の中心に体当たりをくらい、彼はバランスを崩して玄関の内側に倒れこむ。

 そうして私は、数秒後、空間が密閉される音を背中に聞いた。

 懐かしささえ覚える室内の匂いに、堪えていた涙が込み上げてくる。

 だめだ。まだ、泣いちゃダメ。

 私は唾をのみこんでひと呼吸おくと、広い胸に顔をうずめる。素直に愛おしいと思う。

 そしてその中で小さく、彼の名を呼んだ。


「……ょう」


 え? と聞き返しながら、彼は上体を起こす。

 その腰の上にまたがったままで、私はもう一度、呼んだ。

 彼の、本当の名を。




「――夏肖」




 返答はなかったけれど、一瞬停止した彼の呼吸に、私は確信を得る。

 やっぱりそうだ。この人は『肖衛』じゃない。本物の『夏肖』だ。

『ナツ』は最初から一貫して、夏肖でしかなかったんだ。

 そして。



「あなただよね、十三年前、救急車を呼んでくれたの……」



 この人はあの日、幼い私の命を救ってくれた、命の恩人だ。



「セリ……」



 応えて私を抱き締める、彼の腕はかすかに震えていた。

 

*次回から肖衛もとい夏肖の独白になります。

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