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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
29/42

9、What shall I do?(a)

  

「芹生、早く行こうぜ、あっち!」


――初穂との交際宣言から一週間、私は彼との初デートの日を迎えた。


 訪れているのは、以前から彼がさかんに誘ってくれていた某テーマパーク……ではなく、郊外にある小さな遊園地だった。

 ここがいいと言ったのは私だ。どこにいても目立ってしまう初穂には、ひとけの少ないローカルな場所のほうが安全だろうと。

 しかし、彼がその銀髪を隠すために茶髪のウィッグと中折れ帽、そして眼鏡をしてきたのには驚いた。

 変装をするタイプだとは思わなかったし、なによりそれがしっくり来すぎて待ち合わせ場所で彼を見つけられなかったくらいなのだ。


「え、ちょ、まっ……」


 はしゃいだ様子で手を引く初穂を、私は逆から引っ張って留める。

 繋がれて一本になっていた腕は弦のように張って、一瞬後に緩んだ。


「なんだよ突然。どうした?」


 どうしたも何も。

 振り返った彼は涼しい顔をしているけれど、私は肩で息をするので精一杯で、とても返事が出来る状態じゃあなかった。

 駅から遊園地の入り口まで、すでに一キロは走り続けているというのに、何故この人はこんなに飄々としていられるのだろう。

 ライブのときはもっと汗だくになっているから、ベースの演奏はあれ、相当な体力を必要とするに違いない。


「もしかして嫌だったか、俺とのデート」

「う、ううん、そ、そんなことな、たのっ、たのしい、よっ」


 強がってみても、上がった息が限界を暗に主張している。

 自分に体力がないことは自覚済みだ。

 在学中は体力測定のたびに真面目にやれとしかられたし(私は毎回真剣だ)、マラソンだって毎年脇腹の痛みにやられて途中棄権してきた。

 でも、言い訳をさせてもらえるなら、肉体的なハンデとまではいかないまでもそれに近いものを私は抱えているのだから仕方がない。胸だ。

 これが邪魔をして上手く走れないことは、プロのマラソンランナーと比較して頂ければ一目瞭然だと思う。

 と、酸素不足で表情も乏しくなってきた私を見、初穂は両手を腰に当ててため息をつく。


「しょうがねえなあ」


 そうして背を向けしゃがみ込み、「ほら、乗れ」後ろ手に来い来いと手招きをしたのだ。焦ってしまった。


「いいってば! ひ、人前だし」

「俺が嫌なの。おまえのそのエロい声、他の男には聞かせたくねえし」

「え、エロっ……!?」

「それとも何? 俺は彼氏なのにおまえをおぶる権利もないってわけ」


 そう、斜め下からいじけた目で見つめられては、断固拒否の姿勢もつらぬけなくなってしまうから困る。

 彼の背に揺られながら恥ずかしさに顔を伏せたら、甘い匂いがした。うなじあたりからだ。

 濃密で甘くて、少し、汗が混じった花のような香り。むせ返りそうになる。

 肖衛はもうすこし控えめな匂いだったんだけどなあ、と思ってすぐにかき消した。


 忘れるんだ。

 忘れるんだ、肖衛のことなんか。


 初穂と付き合う、と私が宣言したときの肖衛は冷たかった。

 態度だけじゃあない。その目はこれまでで一番、冷たい色をしていたように思う。


『それが君の出した結論なんだね』


 声は誰かを詰るときと同じように苛立っていて、口調もそっけなかった。私は答えなかった。

 頑なにそっぽを向いていたのは、五割の期待と三割の意地、そして二割の期待からだった。

 いや、大半が期待だったかもしれない。

 もうこんなことはしないからと、俺には芹生だけだよと、卑怯なほど甘い言葉で引き止めてくれると思った。

 いつもの子供っぽい独占欲を見せてくれると思った。

 はっきり言えば、加恋よりも自分のほうが彼にとって優先的な位置にいるのだと、確かめて実感したかったんだ。

 しかし彼はそれ以上何を言うでもなく、現場へ戻って行ってしまった。

 信じられないくらい、嘘みたいに、あっけなかった。


 その後、肖衛の演技は監督から絶賛されたし、おかげで撮影は滞りなく順調に終了した。

 制作会社からの話によると、メーカーの評判も上々らしい。

 オンエアは明後日からだと聞いているけれど、すでに第二弾の話も持ち上がっているというから驚きだ。


 けれど、私と彼は、あれきり。

 坂口家にも当然帰っていない。……妻でもなんでもない自分が“帰る”は変かな。


 一方、未知は『よく考えな』と意味深な表情で言って、反対も賛成もしなかった。

 文句ひとつ言わず、あのまま私を離れに置いてくれているのは有難い。

 有難いけれど……日に日に肩身は狭くなっていく。


 昨日、毛布を一枚多く借りた。

 季節は冬へと着実に移ろいている。

 私も、いつまでもこのままではいられない。



「ねえ初穂」



 観覧車に乗り込み、向かい合わせに座ると、私は本日初めて自分から会話を切り出した。

 いつ言おうか迷って、そのたびに躊躇していたら二時間も経ってしまった。

 ここに至るまで、すでにメリーゴーランドとティーカップにも乗ったし、売店でソフトクリームも食べた。

 このままじゃだめだ。


「ん? どした」


 初穂は自分でそう尋ねておきながら「いや、ちょっと待て」私の顔の前に掌をかざして、発言を阻止する。

 何事かと指の間から覗けば、彼の反対の手が忙しくジャケットのポケットをまさぐっているのが見えて、私は首を傾げた。

 何?


「やっぱりなかったことにしたいとか、先に言われてたまるか」

「え?」

「ここまでの流れは順調なんだ。このまま、力技で寄り切ってやる」


 なんなんだ、本当に。

 傾げた首にさらに角度をつけたとき、ポケットを探っていた彼のその手は、拳になって目の前に突き出された。

 ちょうど、観覧車が頂に達するタイミングだった。


「手ぇ出せ」


 私は目をしばたたく。


「へ、あの」

「いいから出せっての、早く!」


 急かされて、咄嗟に、水をすくうような格好で胸の前に両手をかまえる。カエルでも出てきたらどうしよう。

 しかし直後、そこにぽとりと落下したのは銀色のにぶい光で、とても小さいはずなのに予想外の重さがあった。

 覗き込んで、正体を確かめてみる。



「指、輪……?」


 

 それも、十字架と薔薇のモチーフをあしらった、私好みのゴシックなシルバーリングだ。

 どこかで見た気がするな、と思った瞬間、彼は左手をひらひらしながら私の顔の前に差し出した。

 薬指に同じようなリングがはめられている。私の手の中にあるもののほうがわずかに華奢なつくりに見えるけれど、もしかして。


「ペアリング……」

「ああ、やるよ。俺とおなじとこ、つけて」


 微笑まれて、私は飛び上がるほど仰天した。と同時に、素早く手の中のものを彼に押し返した。


「こ、こんな高そうなもの、もらえないよ!」


 本当は――。

 本当は、物質的な価値に抵抗を感じたわけではなく、薬指に、と遠回しにそれを言われたことに、だった。

 肖衛からだって、指輪は貰ったことがなかった。だからと言うわけじゃあないけど。


「そう言われると思ったから結構安いヤツを買ったんだぜ。本当はダイヤとかそういうの、買いたかったけどよ」

「だ、ダイヤ!?」

「そ。返されたら困るから箱にも入れなかったし、リボンもかけなかった」


 俺が譲歩したんだからおまえも譲歩しろ、と言うなり彼は中腰で立ち上がった。

 乗り物は前後に大きく揺れて、天井からはぎいぎいとさびた金属音があがる。

 私は青ざめながら両手で手すりにしがみついた。高所恐怖症ではないはずだけれど、この状態では流石に怖い。


「芹生」


 気付けば、初穂は私のすぐ隣にいた。



「今はまだナツの奥さんかもしれねぇけど――いつかは必ず俺だけのものになって。その、予約をさせて」



 はっとした。

 ああ、そうだ。この人は私と肖衛の間に婚姻の事実がないことをまだ知らないのだ。


「あのね、初」


 うちあけようと言いかけた声に重ねるようにして、初穂はいう。


「まずは一緒に暮らそう。おまえ、住む場所ないんだろ」


 小舟のように揺れる箱の中、それはまさに渡りに船だった。

 私が今日、話そうとして躊躇していたことこそ、初穂の家に置いて欲しい、という申し出だったのだ。

 そのためならなんでもするし、初穂のこともちゃんと好きになってみせると言うつもりだった。

 ところがいざこうしてみると、逆に、温度差が浮き彫りになってしまった気がして、愕然とする。

 私のことをきちんと想ってくれるだけでなく、身まで案じてくれる彼に対し、自分はどうだ。

 生活を保障してもらうかわりに好きになる? どれだけ傲慢な考え方なの。

 これじゃ肖衛のときと同じ。いや、あのときと同じだけの価値が果たして、今の自分にあるのかどうか――。

 やっぱりだめ。

 首を左右に振ろうとすると、ふいに左手を握られた。


「……だめ、とか言わないよな」


 その掌にうっすらと滲んだ汗が、彼の真剣と緊張を私につたえる。

 そうだ。この手を、先に取ったのは私だ。付き合うと言ったのも、奥さんになると言ったのも。

 余計な期待を持たせて、今更裏切れない。

 まだ肖衛からの連絡を待っているなんて、いえない。


 私は意を決して、小さく頷いた。


 この瞬間から、初穂のことだけを考える。一緒に暮らし始めるまでに、ちゃんと好きになる。

 そのときに、肖衛と結婚していなかったことも打ち明けよう。そう、肚を決めた。


 指輪は、彼の手によって私の左手の薬指を飾った。

 サイズは少し大きかったけれど、外れてしまうほどでもなかったから黙っていようと思った。

 それは指に馴染んでからも、私にわずかな違和感と重みをあたえるのだった。

 

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