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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
28/42

8、If the shoe fits, wear it. (b)

 

「未知ー!」


 前方に、事務所のワゴンへ乗り換える未知が見えたから、私は叫びつつ窓から身を乗り出した。

 ここで引き離されたら、金額的にもう追いかけられない。

 そんな私を見、ドライバーの中年男性は恰幅のいい体をひねって振り返ると「お客さん、ちょっと!」いかにも迷惑そうな声で諌めてくれる。


「す、すみません……」


 やっぱり大胆だったか。反省しつつ、なけなしの五千円札を差し出す。

 お釣を受け取って車外に出ると、ワゴン車は無情にも大通りへと消えていくところだった。

 こうなったらもう、自力でどうこうしようというのは無理だ。

 私はすぐさま事務所のドアを叩いた。美鈴さんに相談して、もし余裕があれば届けてもらおうと思ったのだ。


「おはようございまーす」


 しかしそこに彼女の姿はなく、かわりに初穂の姿があったのは予想外だった。

 彼は私の姿を認めるなり、ソファーにだらしなく横たえていた体を跳ねあげて飛び起きた。


「え、なんだこれ夢? マジで芹生?」


 眠そうな顔で目を擦るしぐさは、まさに猫といったふうだ。


「……う、うん。初穂こそ」

「お――俺は、そりゃ、当然マジだよ。ちょ、なんで? すげぇ、今日ついてる!」


 嬉々としてガッツポーズをとる彼を前に、軽い後悔が私をおそった。

 何故だろう、今、地球上に生息するあらゆる生命体のなかで、最も初穂に遭遇したくなかった気がする。

 と、「奥様?」背後から柳さんがコーヒーを片手にあらわれて、私は心の底からホッとした。

 よかった、ふたりきりじゃなくて。


「どうなさったんですか。社長から加勢を頼まれた……というわけではないですよね。車には同乗していらっしゃらなかったようですし」

「あ、えと、夕べは未知のところに泊まったんです。そうしたら携帯電話を忘れていったから、届けに」


 ラインストーンで重量の増したそれを、顔の横に掲げてみせる。


「ああ、そうでしたか」


 柳さんは納得したように頷いた後、腕時計をちらと見、困った様子で目を三角にした。

 聞けば今日は美鈴さんの娘さんが熱を出してしまい、人出が足りず、柳さんに加え急遽初穂も早番になったのだという。

 そういえば未知は美鈴さんと話していて携帯電話を置き忘れたわけだけれど、あれは欠勤の連絡だったのか、と今更ながら理解した。


「全然知らなかった……」

「皆、これ以上奥様を使うのは気が引けたのですよ。あなたはすでに事務所のために、尽力なさっておいでですから」


 柳さんはそう言ってくれたけれど、どこか淋しい気がした。

 気にせず頼ってくれたらよかったのに、手伝いくらい。


「……みずくさいよ」


 未知も肖衛も。

 すると、私が丸めた背中の真ん中を、初穂がばしっと威勢良く叩いた。


「じゃあ俺が届けに行ってやるよ。どうせ昼飯、買いに行こうと思ってたし」


 おまえもいくか? と初穂は並びの良い前歯を覗かせて笑う。


「CM撮影の現場、潜入してみたくねえ?」

「初穂さん、スタジオには関係者以外は立ち入れませんよ」

「おっと、俺はれっきとしたクアイエットゾーンの役員だぜ? 何の役職だったかは忘れたけどよ」


 ***


 こうして私は、吉祥寺のとあるカフェを訪れたのだった。

 カフェ、といってももちろん営業中のものではなくて、すでに廃業した店舗を、スタジオとして改装したもの。

 つくり込んだ木造の外観は、古さが逆に斬新に感じられるほど昭和の趣を残している。

 そこに大きな照明やカメラ、機材、大勢のスタッフがひしめきあっているのは明らかに不釣り合いで、異世界にでも迷い込んでしまったような気分だった。


「わ、私、来ちゃって良かったのかな」

「今更だろ。行くぜ」


 怯える私の首に社員証を下げ、道すがら購入して来たドーナツの箱をひとつ持たせると、初穂は先に立って建物内に突入する。


「おーす、邪魔するぜっ」


 制止しようとするスタッフをなぎ倒すようにして、私達はまさに撮影場所と思しきところまで躍り出た。

 カメラをセットしていたアシスタント達は一瞬苦い顔をしたけれど、広告代理店の女性は「あ、初穂くんだ!」と目を輝かせている。

 一気に周囲の視線を独り占めにして、それでも臆することなく余裕の笑みを浮かべる初穂はまさに生粋のスターだった。


「ナツが頑張ってるっつうんで差し入れ持って来たんだけど、いかがっすか」


 わっと場が沸いたのは、まだ撮影が実際には始まっておらず、準備段階だったからだと思う。

 と、部屋の隅に置かれた折り畳みテーブルの向こうで「せ、芹生!?」見た顔が立ち上がる。未知だ。


「どうしたんだよ!」


 まるで私の身に何かが起きたかのような動揺ぶりに、こちらのほうが一瞬たじろいだ。

 しかしこの調子だと、携帯電話のことは完全に頭から消えてるんだろうなあ。


「はい、忘れ物。今日はないと困ると思って」

「お、おぉ……」


 差し出すと、未知はグレーの地味なスーツの、ポケットというポケットを掌でひととおり叩いて、あるべきものがないと納得してからようやく受け取った。

 疑い深いのか、私を信用していないのか、……どっちも同じようなものか。


「わざわざ悪かったな。初穂さんも、すみませんでした」

「いやいや。退屈な仕事からは解放されたし、芹生とは堂々とデート出来るし、愉快なモンも拝めそうだし、一石三鳥ってやつだぜ」

「み、見て行かれるつもりなんですか、撮影」

「おうよ。そのために吉祥寺くんだりまで来たんじゃねえか」

「いや、あの、それはちょっと」


 やめておいたほうが、と未知が遠慮がちに言ったとき、奥の部屋から肖衛が飛び出して来た。

 首にタオルをかけた状態で、血相を変えて。


「初穂!」


 メイク途中だったのだろう。中途半端にセットされた金の髪はそれでも彼の端正な顔を際立たせるのに一役かっている。

 美形ゆえの利点だと私は思う。


「どうして君らがここに」

「いやさ、ミッチーが携帯忘れた、って芹生が飛び込んで来たからよ。お届けついでに差し入れをさ」


 にやにやと笑う初穂に、肖衛は強張った顔で帰れという。おかしいな。直感で思った。

 それが、いつもとは明らかに違う、緊張感を帯びた声だったからだ。


「なんだよ。自分だけ俳優気取りかよ」

「そうじゃない。今回は事情があって――」


 そこで、騒ぎを聞きつけたのか、同じく奥の部屋から董胡が姿を現した。その表情は、肖衛と同じく厳しいものだ。


「おまえ、どうして芹生ちゃんまで」

「連れて来ちゃ悪いかよ。芹生だって事務所の仲間だろ。夏中世話になっておいて、今更余所者扱いすんなよな」


 彼の言葉を、私は正直嬉しいと思った。事務所の仲間、そう言ってもらえるなんて――。

 しかし、くそっ、と吐き捨てるように言って董胡は右手を額にあてる。


「……言っときゃ良かった」


 言葉の意味はすぐにわかった。

 ドーナツの箱に群がるスタッフの向こうから、「狡ーい、私にも選ばせて欲しいんだけど!」聞き覚えのある甘ったるい声がして、未知がまずい、という顔をする。


「あーっ、お久しぶりだあ、初穂くん!」


 名前を呼ばれ、初穂は猫のような両の目をぱっと見開いた。

 彼の視線の方角を見、私は驚くというより硬直する。

 そこに、両手を腰にあてた和久井加恋が、笑顔で立っていたから。


(どうしてこのひとがここに)


 彼女は斜めに分けた厚めの前髪を、指でちょいちょい整えながら、私を斜めに見下ろす。

 ボックスタイプのミニ丈のワンピースは、60年代のファッションをイメージしたものだろう。

 蛍光色の幾何学模様がチカチカして目に痛い。


「あ、そこの人もお久しぶり。ね、ドーナツってもうないの? 私、チョコがかかったヤツがいいんだけど、もう一回買って来てくれない?」


 正直、状況が飲み込めなかった。


「ど、どういうことだよっ」


 初穂は振り返りざまに肖衛の衣装の襟首を掴んだ。私も同じ気持ちだった。

 すると董胡は難なく彼を肖衛から引き剥がし、


「すみません、うちの若いのがお騒がせしまして」


 にこやかに一礼すると大きな活魚を抱えるように初穂を小脇にはさみ、退室してしまったのだった。

 慌てて同じようにおじぎをし、後に続くしかなかった。


 ***


「CMって、あいつと共演なのかよ。ふざけんな!」


 事情を聞いた初穂は烈火の如く怒った。

 それもそのはず、肖衛は董胡と未知以外の人間には共演者の名を伏せたまま、今日の撮影に望んだらしい。

 ふざけてなんかねェよ、と言って董胡は長めの前髪をかきあげた。


「あいつは真面目に仕事してるんだ。邪魔すんな」

「仕事なら芹生のこと、裏切ってもいいっていうのかよっ」

「まあ、落ち着けって」

「落ち着けるかよ!」

「どうどう」

「俺は馬じゃねえっ」


 食って掛かる初穂を頭ひとつ上からなだめる董胡は、グループの年長者としてふさわしい風格だ。

 感心しながら一歩後ろで眺めていると、彼はふいに声をひそめた。


「これは加恋からの条件なんだよ。こないだの――ナツが夏肖じゃなくて肖衛だって話、黙っててやるかわりに共演しろって」


 えっ、と思わず声が漏れる。じゃあ、もしかしてこれ、私の所為……?

 口元を押さえた私を、未知はごめんなと言って抱き寄せる。


「芹生のことだから自分を責めるんじゃないかって思ってさ、なかなか言えなくて」

「未知……」

「昨日、本当は肖衛さん、自分から芹生には打ち明けるって言ってたんだ。でも……」


 その先は、聞かずともわかった。戸籍のゴタゴタがあったから、明かしたくても明かせなかったんだ。

 それはわかる。わかるけれど、消化は出来ない気がした。


 夏の間の出来事が頭をよぎる。

 暇を見つけては事務所に通って、彼をサポートしているつもりだった。

 簡単な仕事ならこなせるようになったし、業界にも少しは馴染んだと思った。


 だけどそんなのは都合のいい思い込みでしかなかったのだと、気づかされた思いだった。

 CM、と聞いて何故私はすぐに連想しなかったのだろう。


 共演者がいることや、それが女性であることを。


「なーにやってんの」


 するとドアからひょこっと加恋が顔を覗かせて、笑顔で手招きをした。


「ね、初穂くんなら見学だいじょうぶだって」


 その腕は、肖衛の左腕にしっかりと絡められている。心臓を、わしづかみにされた気分だった。

 とてつもなく嫌だ。彼女の頬を、はたいてやりたいと思うくらい。

 せめて申し訳なさそうな顔をして欲しくて肖衛を見れば、彼は平然とした顔で、加恋の腕を振り払うでもなく、私と目を合わせようともしない。

 必死になって撫で付けていた複雑な気持ちを、逆撫でされている感じがした。


「そこの人、ドーナツまだぁ?」


 そのうえ加恋に催促され、私はむっとするのを隠しきれなかった。

 私は本物のスタッフじゃないし、もしそうだとしたって別の事務所の人間だ。

 怒りに震えそうになる私の肩を、未知は大丈夫だと言わんばかりに掴んで、反対の手で挙手をする。


「あ、あたしが行きますので」


 そうして、私だけにわかるように小さく頷くと、踵を返して駐車場へと駆けて行った。止める間もなかった。

 加恋は満足そうに手を振って未知を見送り、今度は上機嫌で私達をスタジオ内に招き入れようとする。

 帰ろうぜ、と初穂は言ってくれたけれど、未知を使い走りにしてしまった今となっては、自分だけとっとと逃げ出すのは申し訳ない気がしてできなかった。

 かといって、本物の恋人同士のようにぴったり貼り付いている彼らを見ているのも辛すぎる。

 屋内へ戻ると、「私、お茶いれますね」早々に給湯室へと逃げ込んだ。


(なんでこんなことに……)


 やかんを火にかけたまではいいけれど、茶葉をすくう手は震え、缶の表示はあっというまに歪んで読めなくなった。

 悔しいのか悲しいのかわからないくらい、ぐちゃぐちゃの気持ちだ。


「セリ」


 すると、背後から耳慣れた声が私を呼んだ。こぼれそうになっていた涙を急いで拭い、鼻をすすって体裁をととのえる。

 だめだ。いま、こんなところで泣いたら。


「加恋のことだけど、今回は許してやってもらえるかな」


 なのに肖衛はそんなことを言って、私を決心をまるごともいでくれる。


「……肖衛は狡いよね」


 今回の共演は私の所為なのだ。わかってはいたけれど、言わずにはいられなかった。


「いつだってそう。私の願いは聞き入れてくれないくせに、自分の要求はのませようとするんだよね」


 卑怯だよ。振り返った私は目が真っ赤だったろうし、鼻声が隠せていないのは明らかだった。


「セリ、聞いて」

「聞きたくない!」


 だめだ、と思いつつも口が勝手に動いてしまう。


「もういやだ。苦しいのも必死なのも私ばっかり。好きだとか言われたって、全然本当に聞こえない」


 だってこんなの理不尽じゃない。許せ? 許せるわけがない。

 私は涙をぼろぼろこぼしながら、彼の足下に茶さじを投げつけた。



「……好きになんかなれない。肖衛なんか……肖衛なんか、この先もずっと大っ嫌いだ!」



 本当は真逆のことを思っているのに、言葉は裏腹だった。

 肖衛はスッと冷たい目をして、私を壁際に追いつめる。


「本気で言ってるの」


 両腕を顔の脇に突かれて、びくっとした。

 咄嗟にしゃがみ込んで逃げようとしたけれど、足の間に膝を割り込まされては、それもかなわない。


「ほ、本気だもん」

「なら、どうしてそんなに酷い顔をしてるんだろうね?」

「意地悪なことをされてるからだよ……っ」

「その意地悪な男に懐柔されかけていたのはどこの誰かな」


 なにそれ――。

 カッとなって、気付けばその胸を突き飛ばしていた。


「されてないって言ってるでしょ!」


 嫌いだ。大嫌いだこんな男。

 紅茶の缶が床に転がり、甲高い音を立てる。誰かが来たら、という想像はできなかった。幸か不幸か、真っ先に駆けて来たのは初穂だったのだけれど。


「どうした芹生!?」


 心配そうにこちらを覗き込む銀髪の男は、今この状況で、私の目にとても誠実にうつった。

 そうだ。この人の気持ちのほうが、肖衛なんかよりよっぽど信じられる。


「……私」


 肩に触れた初穂の手を、つかんで握った。温かくて、優しくて、私を決して傷つけない手。

 この人を選べば煩わしいことから解放されるだろうか。楽になれるだろうか。幸せになれるだろうか。

 もういい。もう、肖衛とのことなんて全部忘れてやる――。



「私、初穂と付き合う。初穂の奥さんになるもん!」


 

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