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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
23/42

3、Keep the truth a secret. (c)

 

 購入したのは――前日の売れ残りのフランスパン三本と、牛乳、卵、無農薬のオレンジ、それから野菜をいくつかとベーコンの切り落とし。

 出来上がったものは――フレンチトーストとサラダ、ベーコン入りのスープに、生絞りオレンジジュース。


(バランスとしてはまあまあかな)


 ジュースは案の定、叶に「酸っぱいから嫌だ」と突っぱねられたけれど、無理矢理飲ませたら「市販のヤツより酸っぱくない」とお気に召したようだった。

 私は内心、ちょっとほくほくする。

 無農薬なら皮はマーマレードを作るのに使えるから、一石二鳥なのだ。たっぷり作って皆にもお裾分けしよう。

 メインのフレンチトーストはというと、意外にも柳さんの舌に合ったようだった。

 某老舗ホテルのものより美味しい、っていうのはちょっと褒めすぎだと思うけれど、悪い気はしない。

 しかし実際、固くなったフランスパンで作るフレンチトーストは、焼きたてのそれで作るより断然美味しいから不思議だ。


「あー、腹いっぱい。くそ、ナツはいつもこんなに美味い朝食くってんのかよ……なんでメタボにならねえんだ……ちくしょ」


 私が食卓についたころ、初穂はそんなことをぶつぶつ漏らしつつ、ソファーで二度寝を始めた。

 彼の横で、携帯ゲーム機を弄りながらうつらうつらしているのは叶だ。若い人ほどよく眠るという話は本当なのだなあと納得する。

 散らかった空の食器を眺めながら、冷めたスープをすすり、私はやっと一息。

 柳さんと肖衛は二階の書斎で仕事を始めた。事務処理が溜まっているのだそうだ。

 あぶれた董胡はといえば、窓の外でひとり、煙草をふかしている。


(皆、いつまでいる気なんだろ……)


 いや、邪魔にしているわけじゃないけど。

 でも、そろそろふたりきりになりたいかな、って。 

 そんなことを考えながら食事を済ませ、大量のお皿を食器洗い洗浄機に並べ始めたら、董胡がやってきた。


「ごめんな、まだ本調子じゃないのに無理させて」


 手には汚れた食器。食卓から下げてきてくれたみたいだ。


「え、休んでてくれていいのに」

「そういうわけにもいかねえだろ。あれだけ豪華なメシを馳走になったからには」


 そうして彼は、てきぱきと後片付けの手伝いを始めた。やっぱり律儀だ。感心する。


「ありがと。これ、終わったらコーヒー淹れなおすね。肖衛と柳さんにも持って行きたいし」

「おう。それは有難いな」

「中毒だもんね」

「そ。カフェインとヤニのな」

「はは、そっちもなんだ」


 私はほっと胸を撫で下ろす。今朝の気まずさが尾を引いていなくてよかった、と。

 他数名に言いよられている現状、董胡とまでこじれたら困ってしまう。

 出来れば董胡とはこんなふうに、いつまでも友達感覚で接していけたらいいなあ。

 そんなときだった。二階で仕事をしていたはずの柳さんが、キッチンに顔を覗かせたのは。


「すみません奥様、書庫というのは中二階ではなかったでしたっけ」


 書庫。数秒考えて、あああれか、と思い至る。


「すみません、三階に移したんです。私の引っ越しの荷物用に開けてくれてたんですよ、中二階」

「そうでしたか。道理で。……申し訳ございません、扉、開けてしまいました」

「お気になさらず! 大したもの、持って来てないですから」


 謙遜じゃあない。

 事実、私がこの家に持ち込んだ手荷物は、修学旅行で使ったボストンに収まるだけのわずかなものだった。

 枕と、数枚の服と、弟妹たちがくれた似顔絵と、家族の写真が入ったアルバム、それと未知に貰った餞別のパジャマ。

 このうち、中二階に置いてあるのは似顔絵とアルバムだけだ。見られて困るものじゃあない。


「お仕事の資料か何かですか。私、取ってきましょうか」

「いえ、量がありますので私が。失礼して三階にお邪魔しても?」

「はい。あ、じゃあご案内しますね。ちょっと分かりにくいところにあるので」


 エプロンで手を拭いながらキッチンを出る。

 しかし、柳さんとふたりきりになるなんてあの時以来だ。事務所の会議室でキスを迫られた時、以来だ。

 自惚れるわけじゃないけど、若干不安だなぁなんて思っていたら、後ろから董胡がさりげなくついて来てくれた。

 二人の先に立って、三階までの長い階段をのぼりはじめる。と――。

 ふと思った。

 肖衛、叶、初穂、柳、董胡……現在のメンバーの中で結成時からシヴィールに所属しているのは、彼らふたりだけだったな、と。


「あの、シヴィールって初期はどんな感じだったんですか」


 質問には打算があった。私の記憶が正しければ、シヴィールの結成は十三年前だ。

 もしかしたらその頃の真人や肖衛、ひいてはあの日のことを何か知れるかもしれない。


「俺ら? そうだなぁ、そういえば柳を紹介してくれたのは肖衛だったな」

「えっ、そうなの!? 意外」


 というか、あれ? もともとは董胡と夏肖さんの弟分だった、と肖衛からは聞いているけれども。


「当時、私は大学生で、社長の後輩だったのですよ。何度か勉強を教えて頂いたこともありましたね」


 へえ、と私は相槌。柳さんと肖衛が一緒に勉強……それは想像しやすい光景だ。


「ドラムは趣味で叩いていたのですが、学祭のときに披露する機会がありまして。そこに社長が董胡さんを呼んで下さった、という経緯です」

「ん? でも十三年前って肖衛、二十五? 六? そのくらいですよね。もう卒業してたんじゃ」


 研究生としてゼミに残ってたんですよ――そう柳さんは教えてくれたけれど、具体的にどんなことなのかはわからなかった。

 大学。縁がないなと思う。金銭的に、だけではなくて偏差値的にもだ。


「あの、何学部だったんですか、肖衛」

「経営学ですよ」

「経営……? 経済じゃなくて、ですか」

「はい。とはいえ社長は、その辺のことも全てひっくるめてひととおり勉強なさったようです。今、事務所の経理を担当しているのも彼ですし」

「うそ。じゃあお給料とかも肖衛が?」

「ええ、すべて社長が。外部の専門家にも相談はしているようなのですが、基本的にはおひとりで管理なさってます」

「美鈴さんは?」

「彼女は数字のことはさっぱりですよ。社長の指示で動いているだけです」


 知らなかった。忙しいわけだよ。


「最初はお父様の会社を継ぐのだと、そのために経営を学ぶのだとおっしゃっていましたが」

「お父さんが会社を? 経営者だったんですか。じゃあ肖衛、経営者を目指してたとか」


 おう、と答えたのは董胡だ。


「あいつらの両親は小さな金属加工メーカーをやっててな。肖衛はそれを継いで、いかにうまく運営していくか、画策してるみてぇだった。……無駄に終わったけどな」

「無駄って」

「代替わりするまえに潰れちまったんだよ。例の事故の少し前だった。だから自殺を疑われたりもしたらしいぜ」


 倒産。自殺――。

 あまりにも自分の境遇と重なりすぎて、気付かざるを得なかった。

 肖衛が私の家族のためにあれだけしてくれる理由って、もしかして……他人事とは思えないから?


「まあ、運転席にいたのがほぼ無関係の夏肖だったから自殺のセンは薄いと警察は判断したみたいだが」

「か、夏肖さんが運転してたの、あの事故」

「そう。家族と出掛けるようなタイプじゃなかったから、かなり意外だったがな」

「そうなんだ……」


 何も知らないのだな、と実感した。私、本当に無知なんだ、肖衛に対して。

 夫婦なのに……。

 と、黙った私を気遣ってか、柳さんが「懐かしいですね、結成当時が」会話を本筋に戻した。


「ああ、懐かしいよな。最初はヴォーカルの夏肖とギターの俺と真人……、ドラムとベースがいなくて途方にくれてさ」

「そのまま三人で、という選択肢はなかったのですね」

「夏肖が案外、本格的にやりたがってよ。ベースの人材が確保できてからは、最悪、俺か真人のどちらかがドラムに転向するっつう話まで出てた」


 意外すぎて、えーっ、と声を上げてしまった。


「想像できない。シヴィールのドラムはやっぱり柳さんだよ」

「恐れ入ります」

「でも、それでシヴィールにはギターが二人いるんだね」

「まあな。肖衛にはいい人材を見つけてもらって、本気で感謝してるぜ」


 階段は終盤に差し掛かっている。私は息を整えつつ足を動かす。


「つまり、肖衛は夏肖さんのバンド活動に協力的だったってことだよね」

「うーん、まあ、無理矢理パシリにされてる感じも無きにしも非ずだったが」


 ご本人は楽しんでいらっしゃる様子でしたよ、と柳さんは言う。


「ことあるごとに“人前であんなことができるなんて凄い”と夏肖さんを褒めていらっしゃいました。自分にはできないからと」

「ああ、あのころの肖衛が言いそうな台詞だな。今の姿、過去のあいつに見せたら卒倒するんじゃねぇか」


 董胡は呵々として笑った。

 階段を上りきり、廊下の角を二度曲がる。左手が書庫だ。「ここです」

 扉を開けた途端、流れ出てくるのはむっとするほど埃っぽい匂いだった。

 もともと納戸であるそこは六畳程度の広さで、左右の壁に沿って書棚が取り付けられているものの、あぶれた本がそこかしこに平積みされている。


「では、失礼して」


 真っ先に柳さんが手に取ったのは、いかにも難しそうな専門書だった。

 と、入り口近くで董胡がクッと笑う。


「肖衛らしいよなぁ」


 振り返れば、その手には棚から抜き取ったらしい本が一冊広げられていた。著者名はフィリップ・コトラー、当然知らない。


「これ、見てみろよ。あいつ、几帳面に三色のラインマーカーで要点を塗り分けてやがる」

「ほ、本当だ。めちゃくちゃ綺麗」

「俺の落書きだらけの教科書とは違うな」


 董胡はおかしそうに型を揺らしながらページをめくる。そうして、数枚先でぴたりと手を止めた。「なんだこりゃ」

 私も、同様に‘なんだこりゃ’と思った。

 なぜならそこには、ラインマーカーの上を乱暴に鉛筆でなぞったあとがいくつもあったからだ。


「ひでェ。読めねえぞこれ。誰かの嫌がらせか?」

「……そう、かも……」


 密かに息を呑んだところで「お待たせ致しました」柳さんが大量の本を抱えて戻って来て、私達は書庫を後にした。

 だけど私はそのことが、しばらく気になって忘れられなかった。

 何か――小骨みたいなものが、喉に引っかかったみたいに。


 ***


「ありがとう、ご苦労さま。あとはひとりでなんとかするよ」


 書斎へ戻った柳さんに、肖衛がかけたのは労いの言葉だけでなく、遠回しな帰宅命令だった。

 真面目な部下ゆえ、そうすんなり“ではお先に”などと言うわけはなく――予想通り「社長だけを働かせるわけには」と食い下がってくれたから、ちょっとハラハラしてしまった。

 だって、そろそろ帰って欲しいなぁなんて私も思っていたところだったし。

 しかし肖衛の行動は迅速で、十分後には全員まとめてワゴンに乗せての強制送還と相成った。

 流石は社長様だ。


「芹生、今度はふたりっきりでデートしようぜ! TDL行こうTDLっ」


 窓から身を乗り出して、悪びれもなく誘ってくれるのは初穂だ。懲りないなあ、ほんと。

 私もそろそろ上手いあしらいかたを覚えるべきだろうか。

 苦笑いでやり過ごそうとしたら、その彼を無理矢理車内に引っ張り込みながら、叶が言った。


「朝ご飯、……まずくなかったよっ」


 そっぽをむいて、頬を赤らめて、捨て台詞みたいに。

 美味しかった、ということなのだろうか、これは。


「そう? なら、また食べにおいでよ」

「そんなに暇じゃないし。……だ、だけどシェイクだけじゃまた叱られるだろうから、そのまえに来る……かもねっ」


 素直じゃないよねえ。可愛いけど。

 一番後ろの座席に押し込められた哀れな柳さんは、無言で笑顔の会釈をくれる。定位置なのだろう。すこぶる狭そうだ。

 彼より少し、深めのお辞儀を返しておいた。うちのひとがご迷惑をおかけしてます。すみません。


「ゆっくり休めよ。色々ありがとな!」


 ハンドル片手に手を振ってくれる董胡は、レンズの大きなサングラスが妙に似合う。

 手を振り返そうとしたら、助手席の肖衛が「セリ、ちょっと」私を呼んだ。

 肖衛が彼らと共に事務所へ向かうのは、置き去りにしてある車を取りにいくためだ。

 こんなとき、運転が出来たら代わってあげられるのに、なんて考えていた私の耳元で肖衛はこそっと囁いた。


「俺が戻るまでにシャワーを浴びて、裸のままベッドへ行っていて」

「は!?」

「きちんと出来たらご褒美をあげるから。いいね?」


 よくないよ。

 裸って、ちょっと待って、昨日の今日で?


 思わず飛び退いてしまった私をその場に残し、古びたワゴンは出発進行。

 割にあっさりと、彼らは去っていった。

 途端に静まり返った庭先は、まるで縁日の翌日みたいだ。


――なんだか淋しい。

 あんなに帰って欲しいと思ってたのに、いざいなくなると淋しいなんて身勝手かなあ。


 私は屋内へ戻ると、大いにためらったけれどキッチンへ。そうして、お風呂のスイッチの前でしばし問答する。

 何かくれるって言ってたよね肖衛。だったら貰わないのは勿体ないよね?

 いや、モノにつられて体を……って、そういうの良くないよ。

 だけどそれを言ったら私達、最初からそんなだし。

 いやいや、物品のやりとりはひとまず置いといて、夫婦なら体の関係ってあってもいいんだよね?

 むしろ興味がないって言われるよりずっといい。いいはずだ。うん。

 それに、肖衛が私に触りたいって言ってくれるのは、やっぱり嬉し……

 え、嬉しいの? 私、肖衛に色々されるの、嬉しいの……?


「ない。ないわ。というか、考えすぎは体に良くないよ。変な汗かいた。……、そうだ、シャワーで洗い流そう」


 そうして結局スイッチを入れてしまう私は重症どころかもう危篤かもしれない。

 ムキになってボディブラシを動かしたからか、湯上りには背中がちょっとヒリヒリした。

 バスローブ1枚で、寝室へと向かう。

 しかしベッド脇の鏡に“いかにも準備万端な自分”がうつったら、顔から火が出るかと思った。


(結局言いなりになってるよ、私!)


 そうだ、寝てしまおう。いっそこのまま熟睡してごまかしてしまおう。

 そう思ってベッドカバーを捲った私は、そこに意外なものをひとつ発見した。

 丁寧にリボンがかけられたピンクの包み。まるで、サンタクロースが落としていったような、いわゆるプレゼントってやつだ。

 一瞬、動作が止まってしまった。


「もしかして、ご褒美ってこれ……?」


 開けて良いものか、迷いながら持ち上げる。案外軽い。

 するとタイムリーに、握っていた携帯電話が震えて肖衛からのメールの着信を告げた。


《もうご褒美は見つけた?》


 やっぱりそうだ。

 慌てて包みを開けば、それはチェック模様の水着だった。ホルターネックで、ワンピースタイプの。

 急いで彼に電話を掛けた。繋がると、ちょうど事務所から引き返してくる、というタイミングだった。


「これ、水着! 私、貰っちゃっていいの?」

『当然。試着してごらん。サイズ、合うといいんだけど』

「こんな、どうして……」

『夏らしいこと、何もしてやれなかっただろ。ちょっと遅くなっちゃったけど、週末は海にでも行こう。ふたりだけで』


 海。

 肖衛と、ふたりで海。本当に?



「――うんっ!」



 デートだ。どうしよう、嬉しい!

 ものすごくいい返事をしてしまった私に、肖衛は愉快そうにくすくす笑って


『でも……それを見つけたってことは、素直に裸になってくれたって思ってもいいのかな』


 なんて付け足してくれる。


「ち、ちがうも」

『シャワーは浴びたくせに』

「どうしてそれをっ」

『へえ、やっぱり。素直なセリ、好きだよ?』

「うっ……」


 またもや術中に嵌ってしまったらしい。

 どうしてこう、肖衛は毎回鮮やかに私を陥れてくれるのだろう。

 そして私は、悔しいくせに笑ってしまうのだろう……。

 電話を切ってから、早速試着をしてみる。

 サイズがぴったりだったことには苦笑してしまったけど、嬉しさのあまりなかなか脱ぐ気にはなれなかった。

 おかげで、帰宅した肖衛にまんまとつかまって水着姿を愛でられたことは言うまでもない。


 だけど。


 私だって本当は、一番に肖衛に見てもらいたかったから。

 要するに、私の思惑通りでもあるんだ――なんて、蛇足かもしれないけれど一応付け加えておく。

 

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