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いちご†盗人  作者: 斉河
<第一部>
20/42

#An extra entertainment.Ⅱ

*こちらは未知視点の番外編となっています。一部から二部を繋ぐ、夏のエピソードです。本編のみを続けてお読みになる場合は、一話分飛ばしていただければ幸いです^^ さいかわ


追記:挿絵装備しました。提供のyoshi様、ありがとうございます!

 

 

 桂木未知かつらぎ・みち、あたしは姫になりそこなった脇役Aだ。


 キラキラしたものが好き。ミニスカートもリボンも花柄も大好き。

 だけど、何を隠そう、中学校までのあだ名は“王子”だった。

 誰が言い出したんだか――まず“未知”が“ミッチー”になって、“ミッチー”がつまりあの男性芸能人に結びついて、それがいつの間にか“王子”になってた。


 呆れる。伝言ゲームかよ、って。

 呆れる、けど、頷けた。


 実際、あたしは女子の中にいて、いつだって男役だったから。

 それに、正直、わかってるんだ。自分が、“姫”には遠い人種だってこと。

 大ざっぱだし、ガサツだし、腕力あるし、繊細でもないし。

 だから例えば外見をガツガツ飾ったってさ、敵わないんだ。

 守られるために生まれてきたような、天性のお姫さまには。

 小さくってふわふわしてて、世間知らずで考えが甘くて、体力がなくて、だけどどこか冷めてて、そこがまた可愛くて。

 派手じゃないのに、人目を引く。ほうっておけないと思わせる。抱き締めたくなる。そんな。

 そんな、あの子みたいな女の子にはさ。


 あたしは、多分、あの子になりたかったんだ。ううん、今でもそう思ってる。


 これは、王子……要するに脇役のあたしが前の恋にさよならをして、次の恋に落ちるおはなし――。



 ***



 ごく最近、男と別れた。


 六ヶ月付き合って、そのうちの半分は同棲もしていた、年上の彼氏と。

 すがすがしい別れとは言えない。

 散々貢いで暴力も振るわれて、それでも嫌いになれなくて、最終的には友達の力を借りてようやく切れたようなものだったから。


 つっても、涙なんて出なかった。

 むしろずるずる関係が続いていたときのほうがよっぽど泣いたっていうか。

 だからあたしは踏ん切りがついて、ちょっとホッとしたのだ。寂しくないかといえば、それは……内心、凄く心細かったりするんだけど。


 でも、そういうの、表面に出すの、凄く苦手。

 髪を切ったりとかさ。他の女子にはアリでも自分には到底似合わないって思う。

 おかげで、けろっとしたもんだねえ、と母親には呆れられた。

 出戻りも結婚前だから良かったよ――とかなんとか、あれは慰めているつもりだったんだろうか。

 まあ大して気にしちゃいないけど、ちょっとだけ癪に障った。イラッとはしたんだ。

 で、イメチェンくらいはしてやろうと思い立った。

 あわよくば、高校デビューのときみたいに両親の度肝を抜いてやりたかった。


 しかし。

 だがしかしだ。


 早速ファッション誌をめくっていたあたしに、親友がくれたアドバイスと言ったら酷かった。


「未知は紫色が似合うと思う」

「はあ? ババアのアフロかよ」


 じゃなけりゃ一昔前の特攻服だろ、とあたしは卑しくも舌打ち。

 イメチェンしたいっつってるのに、似合う色とか言うかね普通。しかも紫。

 ここは冗談でもピンクとかいうタイミングだろうが。


「もー、どうしてそこでアフロを連想するかな。普通、紫っていったらアメジストとかさ。あ、ほら、聖徳太子に言わせれば紫は一番上の位じゃん」


 おまえは何時代の人間だよ。

 再度舌打ちしながらも、あたしは彼女の血色のいい頬を前に、ああよかったなあと密かに安堵するのだった。


 彼女――芹生せりなは、あたしの親友。


 ちょっと前に結婚した彼女は、それまで酷く貧乏で、しょっちゅう貧血で倒れていた苦労性の女の子。

 言ってみれば、シンデレラみたいな薄幸のお姫さまってところ。

 実際、今は社長夫人だから例えとしては的を射ていると思う。


 もともとあたしたちは高校一年のときのクラスメイトだった。

 だけど、意気投合したのは二学期に入ってからで、それも学校外での出来事だった。

 意外だったなあ、と思う。まさかシヴィールのライブで出くわすなんてさ。

 芹生は(胸のサイズ以外は)本当に普通の子で、ロックなんか聴かないタイプだと思ってたからね。


 そのシヴィールってのはちょっと前までインディーズだった、五人組のシブいロックバンドのことだ。

 芹生はヴォーカルのナツに熱を上げてたけど、あたしはギターの董胡とうごの大ファンだった。

 董胡は四十歳なのにどこか少年っぽくて、ギターを抱き込むように弾く姿が艶っぽくて、全体はいぶし銀みたいで、とにかくいい男の代名詞みたいな人。

 ずっと憧れてた。どんな男と付き合ったって、あたしの最上級は常に彼だった。

 だからまさか、彼の元で働ける日が来るなんて夢にも思っちゃいなかったんだ。


 今でも信じられない。

 このあたしが、シヴィールの所属する音楽事務所“クアイエットゾーン”の事務員になれたなんて。


 僥倖とでもいうのかね、こういうの。 

 事務所はまだまだ自転車操業で、給料は前職より八万も下がったし、経費節減のためにこんな猛暑でもクーラーが二十六度設定だったりするけど、一向にかまわない。

 董胡のためだと思えば全然イケる。

 いやむしろ、ライブチケットがタダで手に入るようになったぶん、なんぼお得かわからないって話よ。


「さて、そろそろ午後の仕事を再開するかね」

「え、もう? 休憩、まだ十五分あるよ」

「上司が留守のときほど働いておくもんだよ、下っ端ってのはさ」


 意気揚々と弁当箱を片付けるあたしを見、芹生は感心したように息を吐く。


「未知ってほんと、外見に似合わず真面目だよねぇ」


 またもや一言余計だ。悪気はないんだろうけどさ。

 なんて、零したい愚痴をこらえてパソコンの前に座ったら、事務室のドアが大開きになった。

 ビビって、あやうく姿勢がエビ反りになりかける。


「おう、なんだ、美鈴はいねえのか」


 部屋いっぱいに響いたのは、低すぎるのに嫌みじゃない、シブくて怠い声。

 振り向いたあたしはそこに、憧れのギタリストの姿を見た。


「と、董胡さんッ」

「よ、未知。と、芹生ちゃんも来てたんだな」


 桟に引っ掛けた右手の指をひらひらさせて、とびきり甘い笑顔をくれるものだから、卒倒するかと思った。

 本日も、あたしにとって彼は全人類の頂点に君臨するキングオブ美形だ。


「美鈴、もしかして休みか」

「あ、ぎ、銀行っす。すぐ戻ると思いますけど」


 美鈴――高屋美鈴たかやみずすさんは董胡の妹で、あたしの直属の上司だ。

 ワンレンとボディコンシャスなスーツが似合う、迫力美人なお姉様なんだけど。

 なんだ、妹さんに用事だったのか。

 あたしを誘いに来る……わけはないよな。夢、見すぎか、やっぱり。


「あれ董胡、今日も公演じゃなかったの。リハはいいの?」


 芹生が不思議そうに訊いたから、あたしはハッとして、ホワイトボードを振り返った。

 八月十六日。シヴィール全員の枠に横たわるのは『横浜公演』の文字。

 確かに今日は出勤の日じゃあない。


「ああ、もう済んでる。ちょっと所用でな。ついでに、マネージャーから美鈴に渡して欲しいものがあるって頼まれて寄ったんだが」

「渡して欲しいもの?」

「そう。地方巡業の土産だと思う。あの夫婦も仲睦まじいよな」

「だねえ。あ、じゃあ預かっとくよ。私、夕方までここのお手伝いだし。そだ、董胡コーヒー飲む? プロデューサーさんに美味しいの貰ったんだ。淹れるよ」

「おう、じゃあせっかくだからもらうわ。いつも悪ィな、芹生ちゃん」


 いいえー、これも妻の勤めですから、なんて笑って給湯室に向かう芹生は慣れたもの。

 そりゃそうか。

 芹生の旦那はシヴィールのヴォーカル・ナツで、そのナツはここの事務所の取締役代表――つまり董胡の上司なんだから。

 でも、あたしはまだまだ慣れないんだ。

 何度行き会っても、心臓が飛び出しそうになる。

 舞台の上に見ていた人が、すぐそこにいるっていう状況には。


「仕事はやっていけそうか?」


 ふたりきりになった事務室。

 お腹が鳴ったらどうするよ、なんて心配していたら、董胡がソファーに腰を下ろしながら言った。


「何かと雑務が多くて面倒だろ。美鈴は人使いが荒いし。嫌になってねェか」

「い、いや、そんなことは」

「そうか、ならよかった。俺ら、役職なんて名前ばっかりで楽器鳴らすくらいしか出来ねえもんな。ほんと、助かるわ。これからも頼むな」

「は、は、はいッ――」


 なんて勿体ないお言葉。

 芹生も前に言っていたけど、董胡はものすごく律儀な人だ。

 これだけ外見が整っていて、尚且つ気配りもできるなんて非の打ち所がないどころか神の領域だよ。

 なのに独身とか、嘘なんじゃないのかな。隠し子くらいいても不思議じゃないよ。

 万が一本当にフリーなら、あたしが奥さんに立候補したいくらいだ。相手にされないのがオチだろうけどさ。

 横目で覗き見ると、董胡は暑いのか、少し長めの黒髪を上半分だけ括っていて、のぞくうなじがこれまたセクシーだった。たまらん。


「ああそうだ、未知、これやるよ」


 董胡は腰を浮かせてポケットを探ると、「ほら」小さな紙の小袋を差し出した。


「あ、あたしにッスか」


 思わず自分を指差してしまう。マジで?

 追っかけ時代、出待ちのたびに何かを――手作りのリストバンドとかを――渡してきたけど、逆に何かを貰うなんて初めてだ。

 おっかなびっくり受け取ると、中から出てきたのはガラス玉を繋げたケータイストラップだった。


「すげ、綺麗……」

「だろ。未知はそういうの、好きだろうと思ってな」


 もちろんだ。

 蛍光灯にかざすと一粒一粒がキラキラと光を透過して、宝石みたいだ。こういうの、光り物好きのあたしにはたまらない。

 だけど、ひとつ引っ掛かるのは、それが紫色だったこと。

 やっぱり董胡から見ても、あたしにはオカンのアフロ色がお似合いなのか。なんて。

 こんなに素敵なモノを貰っておいて失礼だけど、なんだかがっかりしてしまった。

 すると、董胡は得意げに笑って、胸ポケットから携帯電話をひょいと覗かせる。


「俺とお揃いだ」


 そこに揺れていたのは、あたしの手の中のものとまるきり同じストラップ。

 まさにズキュンと、胸のど真ん中を打ち抜かれた気分だった。

 やばい。董胡とペアだとか。ていうか、どうしてあたしと!?


「あとこれ、貰い物で悪いが良かったら使ってくれ。ベタな恋愛映画のチケットなんだが――」


 あたしは完全に余裕をなくしていた。舞い込んだデカすぎる幸運に、すっかり我を失っていたのだ。

 だから、差し出されたそれを前に、うっかり思い切ったことを――


「それっ、い、一緒に行きませんかッ」


 言ってしまった。すぐに後悔したけど。

 彼みたいなスターが自分のような小娘を相手にするわけ、ないじゃないかって。

 しかし予想に反して、董胡は「おう」軽い口調で了承してくれて。


「俺は構わねえけど、芹生ちゃんはいいのか? 放っておいて」

「もももちろんです! あの子にはちゃんと、デートに連れてってくれる旦那がいますしっ」

「だな。じゃあ未知は俺がデートに連れてってやるとするか。おし、来週の日曜、事務所の前で待ち合わせだ」

「は、はいッ」


 靴の裏が三センチくらい、床から浮いてるんじゃなかろうかと思った。

 

 ***


 春がやってきた。

 去ったばかりの春が、振り返って猛ダッシュで戻ってきた、みたいな。


 自分でも、惚れっぽいタチだと思う。

 初恋は保育園の頃だから、生まれもっての性質なのだろう。

 あたしは小学生のときから、ほとんど途切れる事無く恋をしていた。

 あだ名は王子だったし、もっぱら男役として女子に告白される側だったけど、それでも。

 ちなみに告白してくるのは大概、親友だと思っていた子だった。

 あたしも女だからね、なんてわかりきったことを諭しても、泣かれるのがお決まりだったっけ。

 本当は、あたしのほうが泣きたかったんだけど。

 そんなに男っぽく見えるかよ、って。

 なのに、彼女らは決まって自分こそが世界一の悲劇のヒロインだ、なんて顔をして縋ってくるから、こっちは冷静でいるしかなかった。


――どうして。どうしてわたしじゃだめなの未知――。


 そうじゃない。状況的に無理だろって言ってるんだ。どうしてわかってくれないんだ。

 ほんとうは理解しているくせに、納得しようとしないんだ。

 あれこそ、卑怯の極みだとあたしは思う。


(だからかね、女っぽい女になれないの)


 多分、あたしは心のどこかで、ああいう行為に嫌悪を抱いているのだ。

 自分だけが不幸みたいな顔をして、他人の不幸が見えなくなるような、見境のない恋に……。

 ぼんやり回想しながら、早速取り付けたストラップを顔の前にかざす。

 イメチェンする目的、変わったかもなあと思った。


(董胡って、紫色、好きなのかな……)


 ***


 時の流れは無情なほどはやくて、気付けばデートは翌日に迫り来ていた。

 なのにあたしに出来ている準備は脳内シミュレーションだけだなんて、我ながらもたつきすぎだ。

 しかし、悩めど服装なんてちっとも決まらない。

 おかげで、仕事終わりに行きつけのショップに駆け込む羽目になった。

 そうして購入したのは、淡い紫色の花柄ワンピース。

 董胡がこの色を好きだという確証はなかったけど、ストラップと似た色なのが気に入って、決めた。

 それが店先にある服の中で一番自分に似合っていた、なんて芹生の言葉を肯定するみたいで悔しい。くやしいから、デートのことは結局打ち明けなかった。


 こうして迎えたデート当日。

 寝不足のあたしの前に時間ぴったりにあらわれた董胡は、バイクのヘルメットを脱ぐなり第一声「おー、可愛いな」と賛辞をくれた。

 今なら空も飛べる!と思った。天にも昇る気持ち、ってつまりこんなか。


「じゃ、行くか」


 手渡されたヘルメットを夢心地で被る。

 すると彼は自分のジャケットを大胆に脱ぎ、あたしに着せかけてくれた。危ねェから、と。


(やっぱりいい人だ)


 全身を包む董胡の匂いは、ちょっと機械っぽいのに、優しくてあったかい。

 あたしはしがみついた背中の大きさに、体温に、なにより自分のおかれている状況に――酔わずにはいられなかった。

 こういうの、何度夢に見たかわからない。

 追っかけをしている頃は、名前を覚えてもらえただけで一晩眠れないくらい興奮したのに。

 同じ職場。お揃いのストラップ。デート。

 こんな幸運があっていいんだろうか。


 ***


 まず真っ先に立ち寄ったのは、表参道のオシャレなカフェ。映画の前にランチを済ませるためだ。

 董胡とカフェなんて意外な組み合わせだなあと思っていたら、曰く、ここのコーヒーはべらぼうに美味いのだとか。納得。

 入店するなり店主が慣れた様子で奥の部屋に通してくれたところを見るに、よほど通い詰めているのだろう。


「い、今更だけどよかったんッスか、あたしなんかと一緒で。写真週刊誌とか、もし撮られたら」

「ナツならまだしも、俺くらいじゃニュースにもなりゃしねえよ。それに、こそこそしてるほうが目立つからな、こういうのは」


 堂々と食え、と言われたけど、そんなのは無理だった。

 長い足を組んで煙草をふかす彼は決まりすぎるくらい決まっていて、サングラスをかけたって、芸能人のオーラは隠しきれていない。

 あたしは何を食べているのかわからないくらいどきどきして、二回も舌を噛んだ。

 当たり前のことだけど、そんな状態で映画の内容が理解できるはずもない。

 退屈だったな、なんて董胡が言っていたから、面白くなかったんだろうと思うけど――正直、感想を聞かれたら困るところだった。


「あのッ」


 別れ際、あたしは思い切って尋ねてみた。


「と、董胡さんって、付き合ってる人、いらっしゃるんですか?」


 いない、と言われたら自分が立候補してしまおう、くらいの気持ちだった。

 だって、ここまで幸運が続いたのだ。この先も、なんて期待しないわけがない。

 しかし返ってきたのはイエスでもノーでもなく「やめとけよ」という警告の言葉で、あたしはわけもわからず雑踏の中で立ち尽くした。


「俺だけはやめとけよ。こんないい加減な男、本気になるだけ時間の無駄だ」


 言葉をはさませる隙もなく、彼は続ける。


「ごめんな、その気にさせたなら謝る。ちょっとしたファンサービスのつもりだったんだが」


――ファンサービス。

 一気に、のぼせていた全身から血の気が引いた。

 そうだよ。最初はわかっていたはずだったのに。あたしなんかが相手にされるわけないって。

 どうして、どこから、勘違いしてしまったんだろう。


「……そうッスよね。董胡さんくらい素敵なら彼女のひとりやふたり、いや、入れ食い状態でもおかしくないっつーか……はは」


 乾いた笑いを零したら、そうじゃねえよ、と董胡が悲しげに首を振った。


「そうじゃねえ。俺は、本気の女と惚れた女には絶対に手を出さねェタチでな。つまり、軽い女としかつるむ気はねえんだよ。多分、死ぬまでな」


 どういう意味? 尋ねると、迷ったような少しの間があった。

 しかし直後、董胡は覚悟を決めたように顔を上げ、こちらにもう一度ヘルメットを投げて寄越したのだった。


「おまえ、もう事務所の仲間だもんな、正直に全部話してやる。来いよ」


 頷いて従うと、董胡はあたしを後ろに乗せ、ふたたびバイクを駆った。先程来た道を、引き返すように。

 数十分後、辿り着いたのは高台にある小さな公園。といっても、遊具は何ひとつない。木製のベンチがふたつ並んでいるだけ。

 夜景が一望できるにもかかわらずひとけが少ないのは、薄暗くて物騒に思えるからだろう。


「親御さんに連絡しておかなくて大丈夫か」


 差し出された缶コーヒーを、頷きながら受け取った。それはひやりとあたしの掌をひやし、同時に緊張感を与えた。

 何を話す気なんだろう。

 董胡が煙草に近づけたライターの火は、風に揺れながら彼の表情をおぼろげに浮かび上がらせる。

 ギターをかき鳴らすときとはまたちがう真剣な顔つきに、性懲りもなく胸が高鳴った。

 狡いなあ。何をしててもカッコいいなんて。


「俺はさ――ちょっと厄介な旧家の出身でな。いわゆるご落胤の血筋ってやつなんだが」

「ご、……」


 ごらくいんだって? あたしは目を剥いた。


「ってあの、秀吉とかが言ってたあれ、っすよね。どえらいお方のおとしだね、みたいな」

「ああ。とはいえ、真偽のほどはわからんがな。なにせ時は平安くらいまで遡るし、自称である可能性が高いと俺は思ってる。だが、地元じゃそういうことになってて」

「へ、平安」


 なんて突拍子もない話だ。今時、少女漫画でもそんな設定はないと思う。

 だからあたしはこのときまだ、疑い半分で聞いていた。


「島国日本には、昔からの慣習なしじゃ成り立たねえ地域ってのも確かにあってな。それが良きにせよ悪しきにせよ――」


 彼は言って、長く息を吐いた。

 聞けば、彼の実家は東北の片田舎にあり、山を五つも所有する大地主らしい。

 そのせいか祖父は、地域の人達から殿下と呼ばれていたという。

 あまりにもリアリティの薄い話だ。


「両親は寛容だったんだがな。俺にギターを買い与えてくれたのも父だったし。だが、親戚一同が一筋縄じゃいかねえ奴らでさ」


 彼の吐いた息がぼんやり白くなる。


「ねたみもあったんだろうよ。なにせ長男第一だったからな。おかげで俺は生まれた瞬間からあれこれ言われて、食うもんから服装、果ては交友関係にまで制限があった」

「う、うっそ」

「いや、本当。小学校の頃、仲良くなった友達が部落出身だとかで無理矢理転校させられたこともある。あのときは流石に自分の血を恨んだな。あいつと俺、どこが違うんだよ、って。違わねえだろ、なにひとつさ」


 その目は完全に、希望というものを失っているように見えた。


「長男である俺が家庭を持てば、親戚一同に介入されることは必至だ。もし男児でももうけりゃ、そいつは俺の二の舞になるだろうよ」

「だから、ですか。董胡さんが独身でいるのって」

「ああ」


 短くて、重い返答。そこには言い尽くせないほどたくさんの感情が込められているようで――。

 あたしはそれ以上、何と言ったらいいのかわからなくなって、ただ奥歯を噛んだ。

 本気の女も、好いた女も側には置かない。結婚もしない。そうして、彼は彼女らを護っているのだろう。

 それこそが彼の愛情表現なのだろう。


(だけど……)


 あたしはコーヒーの缶をぎゅっと握る。

 だけどそれって、自分自身はどうなんだよ。

 全然幸せじゃないじゃん。絶対に満たされないじゃん。

 董胡はずっとひとりじゃん。


「……っ」


 考えはじめたら昂ってきて、涙が溢れそうになった。咄嗟に、目を閉じてこらえる。あたしが泣いてどうするんだよ。

 だけど、胸がつぶれそう。この感情を、どうやって表現したらいいのかわからない。わからないのに、どんどん湧いてきて、とまらなくて、息苦しい。

 これは、あたし自身の痛みだろうか。それとも彼の痛みを、想像しているだけ?


 堪えきれずわずかに丸めた背を、董胡は何も言わずにさすってくれる。

 その手をとって、あたしじゃ駄目ですかと問いたかった。


 あたしなら、そんな親戚、張り倒してでも董胡を幸せにする。董胡の幸せを全力で護る。

 絶対にひとりぼっちになんかさせないのに。


 だけどそれは、無関係のあたしにだから言える言葉なんだろう。

 董胡の決意は固く、感情は吹っ切れている。

 あたしみたいな小娘には、きっと、簡単には変えようもない。

 彼の決意も、彼が置かれている状況も。


(馬鹿だな、あたし)


 本物の馬鹿だなあ、と思った。

 こうして対峙してみて初めてわかるなんてさ。

 あのとき、あたしに縋って泣いた女の子達の、そうせざるを得なかった気持ちが。

 諭されるだけじゃ、納得なんていかないものなんだな。

 いっそ嫌いだって言ってやれば良かった。

 嫌いだから付き合えないって、嘘でも言ってやれば良かった。


(でなきゃ、諦めきれないよ……)


 そのときだった。

 バッグの中から“GRAVITY”の着メロが聞こえてきたのは。

 

――芹生だ。


 現在時刻は二十三時。メールならまだしも、こんな遅くに電話をかけてくるなんて珍しい。

 特に今は帰省中だから、幼い兄弟にあわせて二十一時に寝ているはず。

 まさか、何かあったのか?

 異変を感じ取ったあたしは即座に通話ボタンを押した。


「もしもし、芹生? どうした?」

『あー、未知。あのさ、ちょっと聞きたいんだけどいいかなあ』


 口調がいつもよりゆったりしている。

 考えすぎか。ちょっとホッとしたあたしは、次の言葉を聞いて立ち上がった。


『あのさ、タクシーってカード使えるっけ……? あと、薬局も……』


 考えるより先に、待ってろ、という言葉がでていた。


「実家にいるんだよな。すぐ行く。待ってなよ!」

『え、ちょ、こなくていいよ、ちょっと風邪っぽいだけだし……』

「風邪? 欲しいのは風邪薬なんだな?」

『あ、うん、だけど大丈夫だってば。自分で行けるもん』


 嘘だと思った。

 貧乏生活のおかげで節約が染み付いている芹生が、タクシーを使うなんて、それもカードを使ってまで移動しようとするなんてよっぽどのことだ。

 両親は何やってるんだよ、本当にあの家は!


「言い訳は会ってから聞く!」


 あたしは電話を切ると同時に董胡に頭を下げた。


「すみません、これで失礼しますッ」


 ***

 

 タクシーで行く、と言ったあたしを、董胡はバイクで送ってくれた。このほうが何倍も速いからと。事実、その通りだった。

 風邪薬とドリンクとレトルトのおかゆを持ってアパートの階段を駆け上がる。

 芹生は真っ赤な顔をして、玄関の前にしゃがみこんでいた。一目瞭然、平熱でないことはあきらかだ。


「未知……あ、董胡も……どして」

「どうして、じゃないだろ! なんでこんなところにいるんだよッ、早く家の中に――」

「だめ。中にいたら、ちびたちにうつしちゃうもん……だから私、肖衛の家に……」


 咄嗟に、ドアノブを掴もうとしていた手を引っ込めた。

 もしかしてこの子、家族にも看病させないつもりだったのか? そんな馬鹿な。悪化したら元も子もないじゃないか。

 若干的外れな懸命さに、あたしは脱力する。真っ先に自分を犠牲にするところ、芹生らしいっていえばらしいけど。


「わかった。なら移動しよ。あたしもついてく」

「……うん……ありがと。このお礼は、必ずする」

「しなくていいから」


 小さな体を抱き起こそうとしたら「未知は退いてろ」董胡が代わってくれた。

 本当はこういうの、慣れてるんだけど。だけど、甘んじて委ねた。


――初めて芹生が貧血を起こしたのは、高校二年の三学期のこと。あのときも、あたしが抱いて保健室まで連れて行ったんだ。


 聞けばそのころの彼女は一日一食しか食べていなかったそうだ。親父さんの板金工場が傾いて、生活費が底をつきそう、とのことだった。

 確かに昼休みになると姿を見なかったけど、まさか食べていなかったなんて。

 慌てて自分の昼食を分け与えようとしたあたしに、芹生は言った。



『ありがと。あとでお礼させてね』



 彼女は、他人の力を一方的に頼りにはしない。いつだって五分五分、もしくはそれ以上に尽くしてくれようとする。

 女友達といえば頼られっぱなしだったあたしには、彼女の態度はちょっとした衝撃だった。

 だから芹生はつまり、あたしが初めて対等に付き合えた友達なのだ。

 この小さな体に、何度安心感を覚えたかわからない。

 つい先日も、彼氏に手をあげられそうになったところを、体を張って護ってくれた。


 派手じゃないのに可愛くて、護ってあげたくなるくらいやわらかくて、考えが甘すぎるから放っておけなくて、お姫さまみたい。

 なのに、凛々しいんだ。


 それは多分、自分の不幸を他人の所為にしない潔さからきている印象。

 彼女はいつだって、自分の人生の上にしゃんと背筋を伸ばして立っている。

 こんなふうになれたら、って毎日思ってた。芹生はあたしの理想の女の子だった。



 そうだ。あたしが憧れたのはお姫さまみたいな可愛さに、じゃない。この人柄に、だったんだよな。



 その後、タクシーに芹生とあたしを乗せると、董胡は坂口邸までバイクで並走してついてきてくれた。

 芹生をベッドに運ぶ役もかって出てくれたから、あたしはその間に台所を借りておかゆとドリンクを用意した。

 少し食べさせて、薬を飲ませて、ようやく落ち着いたのが夜中の二時。

 あたしも董胡もへとへとで、うっかりリビングのソファーで寄り添ったまま眠ってしまった。


――夢を見た。


 あの子が好きでもない男と結婚する、と聞いた時のこと。

 あたしはあのとき初めて自分が男でないことを悔やんだっけ。

 もし男に生まれていたら、奪って逃げるのに。それで、一生護ってやるのにって。懐かしいな。


 ねえ芹生、あんた、いま幸せ?


 はやくそう言って聞かせてよ。

 肖衛さんとラブラブだからもう心配ないよって。

 いまのままじゃあたし、まだ、あんたから目が離せないじゃん。

 王子の役、降りられないじゃん。なんて、狡い言い訳かな――。


 蒸し暑さにうなされて目覚めたら、太陽は素知らぬ顔で頂に達しようとしていた。


「……あー、完全に遅刻だ」


 美鈴さんに怒られる。いや、それくらいで済めばいいけど、クビにでもなったら笑えない。

 呟いたら、隣で董胡がううんと言って伸びをした。


「おはよ。寝ちまったなあ」

「お、おはようございます」

「未知さ、今日は休んで、芹生ちゃんについていてやったらどうだ? 俺から美鈴に言っておくから」

「いいんですか」


 尋ねたあたしの頭を、ぐしゃぐしゃ撫でる大きな掌。どうしたって、いとしい。


「おう。頼むな」


 あたしは頷いて、そこでつけまつげが片方ないことに気付いた。のみならず、ネックレスはちぎれてるしワンピースは汗臭い。

 鏡には何時間もご厄介になってないから、メイクが崩れているのは必至だし。

 なんだか自分が滑稽で、こらえきれず噴き出してしまった。


(魔法が解けた気分だなあ)


 シンデレラもきっと、翌朝あたりにバカウケしたんじゃなかろうか。

 夕べのあれ、誰だよ、みたいな。それは自分にも言えることだけど。

 泣いて縋る? まさか。だってそういうの、あたし大嫌いじゃん。

 あっけにとられている董胡を前にひいひい言って笑ったあと、目尻の涙をきゅっと拭いて、彼に頭を下げた。

 うん、やっぱ、泣かない。泣くもんか。


「董胡さん、夕べ、わざわざ話して下さってありがとうございました。納得しました」


 あの子もきっとこうするだろう、と思いながら。


「そうか。それは良かった。未知は若いんだから、他にもっといい男を……」

「それは別問題です」


 言い切ったあたしを見、董胡はたまげたようすでまばたきをした。「は?」

 まあいいさ。驚けばいいさ、と心の中で吐き捨てて、笑顔。



「話には納得しました。だけどその先、あたしが自分の気持ちをどうするかはあたしだけの問題です」



 どんな不幸も理不尽な状況も、ちゃんと受け入れる。誰の所為にもしない。あの凛々しさに、ずっと憧れていた。



「あたしは董胡さんが好き。話、聞かせてもらってもっと好きになりました」



 今からでも遅くないかな。あたしも、あんなふうになれるかな。


「だ、だが未――」

「諦めないなんて言いません。もう諦めてます。これ以上言い寄る気もないです。だけど好きなんだもん。大好きなんだもん。それだけは変えようがないし」


 矢継ぎ早に言うと、あたしは勢い良く立ち上がって、リビングをあとにした。

 これでいいやと思った。

 うん。これでいいんだ。

 望みは捨てる。だけど、気持ちは捨てない。

 そんな潔い恋があったっていいじゃないか。


「あ」


 あたしはひとつ思い出して、Uターン。再びリビングのドアをあける。

 隙間から顔だけ突っ込んだら、董胡は狐につままれたような顔でソファーに座っていた。


「ねえっ、董胡さんって紫色、好き?」

「は? 俺? あ、ああ」

「マジで!――ありがとっ」


 よかった。

 ワンピ、一応無駄じゃなかったんだな。


 舞い上がるような気持ちで階段を駆け上り、あたしは親友の元へ向かう。

 晴れ晴れした気持ちだった。


 イメチェン、やめよう。それより先に、やることがある。


 まずは、あの子に恥じない自分になろう。

 それからだ。なにもかも。


 夏の終わり。

 まだまだ続きそうな残暑の中で、あたしはすがすがしい秋晴れを思った。


挿絵(By みてみん)


<fin.>

*次話より再び本編、第二部に入ります。ここまで読んで下さって有り難うございます。引き続き、お楽しみ頂けたら嬉しいです。感謝をこめて。さいかわ

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