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いちご†盗人  作者: 斉河
<第一部>
16/42

15、Like a mystery.(c)*

 

 数十分後、店に現れた肖衛は慌ただしく私を攫った。

 滞在時間なんてあってないようなもので、せっかくの再会に――といっても離れていたのは半日程度なのだけれど――言葉を交わす間もなかった。

 ただ、荒々しく腕を掴まれて車まで引っ張って行かれただけ。

 ほんの数秒間の出来事だった。

 しかし私の脳裏には、去り際に目にした光景が焼き付いて離れなくなってしまった。

 寂しそうな目をしつつも、口角を上げて小さく手を振ってくれた初穂の姿が。

 それはビジネスホテルで肖衛と二人きりになってからも、私の心をちくちく苛んでいた。


「……どうしてこんな時間に初穂とふたりでいたの?」

「それは――」


 叶に誘拐されて。いや、そんなことは言えない。

 シヴィールの今後を考えれば、これ以上の不協和音を生むわけにはいかないから。


「ああそうか、君は俺の“ちゃんとした妻じゃない”んだったっけね」


 皮肉られて、私は下唇を噛む。さっきからずっとこうだ。肖衛の機嫌はすこぶる悪い。


「俺の気持ちを知っていて“部外者”だなんて、ああも非情な言葉がよく言えたよね」

「――っ……」

「君は俺を責める気なんて一切ないらしいけど、生憎、俺にはあるよ。あんなふうに、他の男と過ごしている様子を見せつけられたらね」


 返せる言葉はなかった。責めたりしない、そう言ったのは自分だ。だけど。


「泣くならどうして俺の側で泣かない。どうして初穂を選んだんだ」

「選んでなんか……」


 ない。あれは不可抗力みたいなものだったし。

 けれど、今となっては相手が初穂で良かったと思う。こんな、理不尽な男よりはずっと。


「まあ、人選は間違えていないよね。自分に懸想している男なら、誰より優しく慰めてくれるだろうし」


 どうしてそこまで言うの。

 悲しい、を通り越して頭にかっと血がのぼるのがわかった。


「ほ、他に言うこと、ないの……!?」


 人のことばっかり悪し様に言って――。


「原因を作ったのはそっちじゃない!」

「へえ。俺が、君をこの愚行に駆り立てたというわけ」

「……そうだよ」


 タガの外れる音がした、ような気がした。


「私のこと、好きだとかセリだけだとか、散々調子のいいこと並べて」

「うん?」

「突然、あんな美人とお泊まりツーショットとかっ……ショック、うけないわけがないしっ」


 それで、と問いかける声は冷たくて、私は怒りとも悲しみともつかないギトギトした感情に、胸焼けをおぼえる。吐きそう。


「に、逃げるので精一杯だったんだもん。なのに追いかけて来てもくれないし、言い訳も何もしてくれないし、そんな、めちゃくちゃな気分のときにひとりにするし――」

「だから初穂の腕に縋って泣いたんだ?」

「そうだよ。そうだもんっ」


 本当は泣いてなんかいないけれど。でも、泣きたかったのは事実だ。

 今だってそう。泣きたいくらい。

 悔しい。認めたくない。だけど本当は、誰より自分が分かってるんだ。



「ぜんぶぜんぶ、肖衛のせいだもん……!」



 こんなに苦しいのも、苛々するのも、分かってもらえないことが歯痒いのも。

 ぜんぶ、肖衛が原因なんだってこと。


(もう、私ばっかり馬鹿みたい……)


 溜めに溜めた大粒の涙が溢れるのと、広い胸に抱き寄せられるのは同時だった。


「……やっと、本音が聞けた」


 耳にふきかかる、安堵の声。え?

 茫然としていると、こめかみに、ちゅ、と音を立ててキスをされた。


「ごめん、意地悪して」

「……へ……?」

「セリが号泣したって聞いて、その理由、どうしても知りたくて」


 事態が呑み込めない。

 ひく、としゃくり上げた私の背を、大きな掌が優しくさすってくれる。


「初穂とのことは別に怒ってなんかないよ。諸々の君の発言もね」

「肖、衛」

「気にしていないとは言い難いけど、チャラにする」


 何?



「セリも同じように、妬いていてくれたみたいだし?」



 ようやく、掌の上で転がされていたことに気付いたら、顔面がぼわっと熱くなった。

 悔しい、というより恥ずかしくて。


「や、妬いてなんか、ないも……」

「今更取り繕ったって無駄無駄」

「う……っ」


 そうだ。この人、こういう人だよ。


「ひ、卑怯者ぉっ」

「ふふ、いいよ、多少の悪口あっこうは気にしないよ。今は気分がいいから」

「ヘンタイ、サディストッ」

「それはまあ事実だしね」

「……っ、肖衛なんて」


 肖衛なんて。


「嫌い。大っ嫌い……!」


 はっきり言ってやったのに、彼は破顔して私を押し倒した。



「―― 知ってる」



 せっかく綺麗に整えられていたシーツをぐしゃぐしゃにして、私達は昼間の続きをした。

 無理矢理された、と言いたいところだけれど、悔しいかな違う。拒否らしい拒否なんてしなかったから。

 しかし、ベッドがコンクリートのように硬かったせいで、私の尾てい骨には見事な擦り傷ができた。

 そこで見逃してくれるかと思いきや、うつぶせにされて、がっちり押さえつけられて、覆い被さられたときにはバカバカと十回は言ったと思う。

 言ったところで、簡単には放してなんてもらえなかったけれど。


「も、ばか……っ」

「言っただろ、そういうの気にしないって。気分がいいからね。いや、今いいのは身体のほうか」

「へんたいぃい」

「セリが悪いんだよ。どこを触っても柔らかくて……癖になるから……」


 案の定、傷口はシャワーを浴びたらしみて、飛び上がるほど痛くて。でも。

 あんなに痛かったはずの胸の奥はというと、鎮痛剤をつかったみたいにけろっと治ってしまったのだった。


 ***


 こうして迎えた翌朝――といってもまだ薄暗い午前四時のこと――。


 バスローブ姿でまどろんでいた私は思わず飛び起きた。

 バスルームから出てきた肖衛が、すっかり着替えを済ませていたから。


「え、もうチェックアウト?」

「いやまさか。セリはゆっくり寝ていくといいよ。急な予約だったけど朝食もつけてもらったから」

「肖衛は? まさかもう事務所、行くの」

「そのためにこんなところに泊まったんじゃない」


 自宅まで戻る余裕はないからね、と言って革靴に足を入れる。


「例の記事が出たら、しばらくばたつくと思う。一応マネージャーと柳に電話番を頼んできたけど、そろそろ代わってやらないと」

「……肖衛だって寝てないのに」

「俺は大丈夫。セリに癒してもらったから」


 上体を屈めてキスをくれる、彼の目は充血している。

 私は咄嗟に、目の前に垂れ下がったネクタイの先端をツンと引っ張った。


「あの」

「ん?」

「……あまり無理、しちゃ、だめだからね」


 本当は、引き止めたかった。だけど、言ったところでどうせ聞かないだろうし。

 仕事に対してストイックなところ、嫌いではないけれど心配になる。

 こういう苦労、いちファンだったときには全然気付かなかったな。

 すると肖衛はありがとうと言って、私の隣に腰を下ろした。


「ねえセリ、明日からしばらく実家に帰省していてもらえるかな」

「え、どうして」

「事態が収束するまで、事務所に寝泊まりしようと思うんだ。万が一、後をつけられて自宅がバレても困るし」

「そんな。なら私、ひとりで待ってるし」

「それは駄目。セリをひとりにしたら飛びつきそうな虫がたくさんいるからね」

「でも、帰省なんて……」

「ああ、心配しなくていいよ。ご両親には俺から連絡をいれておくから」


 そういう意味じゃなくて。

 うつむいたら、オデコとオデコがこつんと当たった。


「そんなに寂しそうにされると、俺、自惚れるけどいいの」

「……だめ」

「手厳しいなあ」

「……まだ、だめだもん……」


 こうして彼は部屋を去り、私はエアコンの耳障りな音を聞きながら横になった。やけに、さびしかった。

 だから当然のことだけれど熟睡なんてできなくて、ベッドを出たのは三時間後の七時ぴったり。

 躊躇しつつも、テレビのスイッチを入れる。

 肖衛はマスコミ各社に否定のファックスを送ると言っていたから、もしかしたらその文面が映し出されるかもしれないと思いながら。

 しかし音声が流れ出すなり、私は硬直してしまった。



『―― シヴィールのナツさんとのことは、一部報道にあるとおりです。はい。恋人として、親しくおつきあいさせて頂いています』



 そんな台詞が聞こえて来たから。

 遅れて映し出されたのは和久井加恋の顔のアップ。それも満面の笑みで。

 気のせいか、私にはそれが勝ち誇った表情に見えてならなかった。



『プロポーズされたとしたら? もちろんお受けします。ええ。お忙しい方なので、栄養満点の手料理をたくさん食べさせてあげたいですね』



 堂々の交際宣言! と画面右上に丁寧な煽り文を入れられては、冗談と疑う余地もない。



『十歳の年の差? そんなの気になりません。彼のことは……ナツ、って呼んでます。はい。いつもすごく優しいです――』



 私は大口を開けて、しかし場所がホテルの一室だけに実際に声を上げるのは自粛して、脳内だけで叫んだ。


(何言ってんだこの人!)

 

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