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いちご†盗人  作者: 斉河
<第一部>
14/42

13、Like a mystery.(a)

 

 私は少しの間、夢を見ていた。


―― ねえちゃん、あいつに泣かされたらおれに言えよ!


 弟の奏汰そうたがそう言ってくれたのは、結婚を翌日に控えた夜のこと。

 ちなみに、あいつ、というのは当然肖衛のことをさす。

 それまで奏汰は私にとって、今年で十歳になるにもかかわらずいつまでも幼稚園児の感覚で、幼くて、護ってあげなければならない存在だった。

 と、思っていた。でも、……それだけじゃあなかったということなのだろう。

 将来は飛行機のパイロットになって、沢山稼いで、父の工場を助けてあげるんだ、なんて言っていたのを聞いたこともある。

 いつからあんなに強い子に育っていたのだろう。


―― おねえちゃん、かえってくるよね?


 涙をこらえて私の指を握ったのは、妹の花梨かりんだ。咄嗟には答えられずに、私は黙る。

 そんな情けない姉の首を縦に振らせようと、花梨はいそいそとオモチャのおままごとセットを並べ出す。


―― わたし、ケーキ屋さんになる。おねえちゃんにはとくべつに、まいにちケーキあげるから。だからまいにちかえってくるといいよ。


 泣き虫で、いつまでも小さくて、幼稚園のクラスではいつも隅っこのほうにいる花梨。

 なのにこのときばかりは妙に気丈にふるまうから、見ているこちらのほうが泣いてしまいそうだった。


 翌朝、私はふたりの枕元に欲しがっていたゲームとエプロンをそれぞれ置いた。


 静かに玄関先へ向かい、父と母に見送られて家を出た。

 奥から、張り裂けんばかりの泣き声が聞こえてきた。

 卒業式の最中、それを思い出してひとしきり泣いた。



 何があっても帰らないと決めた、あの日――。


 

 ***


 割れるような頭の痛みに、私は呻きながらも体を起こす。お弁当の準備をしなければ。


「……む……?」


 しかし、薄くひらいた瞼の間から見えたのは黒っぽい空間だったから、思わず首を傾げてしまった。

 いつもなら、森林みたいなグリーンの壁紙と木目の家具がそこにあるはずなのに、ひとつも見当たらない。

 肖衛の寝室、じゃない。どこだろう、ここ。

 見慣れぬ部屋をぐるり眺める。

 黒いスチール製の家具は、恐らく単身者用のものだ。それも、男性向けの。もちろん見覚えなんかない。

 なんで?


「おはよう、せいなちゃん」


 飛び上がって振り返ると、そこには一枚の扉があった。

 どうやら声はその向こうから聞こえているようだ。


「いや、こんばんは、かな。今、真夜中だし」


 真夜中?

 ああそうだ。思い出した。私は“彼”にさらわれたのだ。

 となると、この部屋の外にいるのは――。

 恐る恐る、ドアノブに手をかける。動かない。


「残念。君が条件を呑んでくれるまで解放は出来ないよ」

「条件?」


 つまり私は監禁されている、のか。思わず体が強張る。


「そう。身に覚え、あるでしょ。もうわかってるかな、僕の言いたいこと」


 まだ若い、幼さの残る声。

 流石にピンと来るものがあった。私の記憶が確かなら、この声の主は。


「か、叶……?」


 まさか、叶が“彼”?

 そんなはずはない。だって“彼”は私より年上のはずだ。

 しかし扉の向こうの少年は「そうだよ」と短く答えた。


「じゃ、じゃあ、メッセージをくれたのも、メールを送って来たのも」

「僕だ」


 信じられない。


「よく聞いてね。条件はふたつ。ナツと離婚して欲しいんだ。そうしてこれ以上、真人兄ちゃんを追いつめないで」


 え?


「な、なんで」


 どうしてここで、真人の名前が。


「君はナツを利用して、兄ちゃんの居所をつきとめるつもりだったんだよね? 僕はそれが、両方許せないんだ」

「……は……?」


 混乱しすぎて、なにから考えたらいいのかわからない。


「ね、どうして真人の話になるの。私が肖衛と結婚したのは……もっと違う理由だよ」


 利用した、という一点においては否定できないけれど。


「ごまかさないでよ。昼間だって十三年前のこと、電話で尋ねてたじゃないか。探ってるじゃないか、真人兄ちゃんのこと!」


 頭の中で、パズルのピースがひとつ、ぱちっとはまった気がした。

 メッセージを送って来ていたのは叶だ。しかし、叶が“彼”だったわけではないのだ。

 本当の“彼”の正体は、真人――。


「うそ……」

「嘘を言ってるのはそっちだろ。いいかげん、白状したらどうなんだよっ」


 怒声とともに、ばたんと急激にドアが開かれる。

 狭いワンルームだ。踏み入って来た少年に右肩を突き飛ばされ、私はあっけなくベッドの上に崩れ落ちる。


「きゃ」

「そっちがその気なら、考えがあるって言っておいたよね」

「え、や、っ」

「どうやってナツにあれだけ取り入ったのか知らないけど」


 両手を押さえつけられたら、奥歯がカタカタ震え出した。

 覆い被さってくる彼はあどけない顔立ちだけれど、きちんと男の体をしている。

 知っている、と思った。こんな恐怖を、過去にも。

 それは新婚初夜の記憶ではなくて、もっと、もっと遠くの。

 なに、これ。


「ねえ、大事な大事な君が他の男と関係を持ったとしたらどうなるかな」

「い、やだ、かな―― 叶っ」


 こわい。こわい、怖い。



「嫌なら離婚届に判子を押してよ。僕がナツに届けてあげる」



 こわい、なのに、どっちもいやだ、と感じてしまう私は変だろうか。

 いやだよ。肖衛と別れるのも、肖衛以外の人に触られるのも、両方。だけど。

 離婚したくないと思っているのは、私だけなのかもしれない。

 だって肖衛は、立ち去る私を追いかけて来てはくれなかった。

 言い訳のひとつもしてくれなかった。


「……早く降参してよ。頼むよ……」


 叶の声が、震えていることに気付いたのはそのときだ。

 すると耳元で、けたたましい音を立てて携帯電話が鳴った。


 ***


 電話は、董胡から叶への緊急連絡だった。

 明日のスポーツ新聞にナツの熱愛記事が掲載されるから、外出を控えろ、という例の。

 それを聞いて、叶は酷くショックを受けた様子で頭を抱えてしまった。

 裸の上半身にはバランスよく筋肉がついているものの、肖衛より幾分細くてたよりない。


「兄ちゃんにどう詫びたらいいんだよ。ナツのこと、護るように言われてたのに……っ」


 君に気をとられていた所為だ、と理不尽に責められても、否定する気はおきない。

 だって―― さっき、震えている様子に気付いてしまったから。


「真人に……真人さんに頼まれてたの? 肖衛のこと」

「そうだよ、悪いかよっ」

「ううん」


 なんだか、弟を思い出してしまって。

 あのときの奏汰も、必死で泣くのを我慢してかすかに震えていたっけ。


「“兄ちゃん”のこと、本当に大切に思ってるんだね」


 必死だったんだろうな、なんて言ったら、未知にはまた小突かれそうだけど。

 重なってしまう。その、懸命さが。


「これからも護ってあげてね、肖衛のこと。叶みたいな仲間がいてくれたら、安心だよ」


 言うと、叶は意外そうに目を丸くした。「アンタ、ナツのこと」遮るように、私は尋ねる。


「……ねえ、真人さんはいいおにいさんだった?」


 これ以上肖衛のことを考えていたら、泣いてしまいそうだったからだ。


「当然だよ。僕のこと、育ててくれたのは真人兄ちゃんなんだから」


 叶は決まり悪そうにしながらも、ぽつりぽつりと語り出した。

 自分が妾腹の子で、幼い頃に母親亡くし、親戚をたらい回しにされたこと。

 最終的には従兄弟である真人の家に引き取られたものの、味方は真人だけだったこと。

 彼がいなくなってから追い出されるように家を出て、一人暮らしを始めたことも。


「ナツは僕の生活を保障するために、シヴィールに入ったらいいって誘ってくれたんだ」

「そっか……」

「だから僕は、兄ちゃんに頼まれなくたって命がけであの人を護るよ」


 ふたりでベッドに横になっていても、もう、何をされるでもない。

 私が油断と隙だらけなら、彼は悪くなりきれない、心根の優しい人間だったのだと思う。


「真人さんも、ナツには傾倒してたみたいだね」

「兄ちゃんもナツには恩があるから」

「恩? それならどうして脱退しちゃったのかな。天罰がどうの、って董胡は言ってたけど、叶は知ってる?」

「……本当に忘れてるの?」


 天罰は君が下しに来たんじゃないか、と叶は言った。



「兄ちゃんの顔を確かめるために、君は“GRAVITY”の手売りに三回も並んだんでしょ」



 は……?



「相当危機感を覚えたらしいよ。強請られる、って」

「ゆするって私が? どうして」

「そんなの―― 君が被害者で、兄ちゃんが加害者だからに決まってるじゃないか」



 どくん、と心臓が鳴った。

 

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