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いちご†盗人  作者: 斉河
<第一部>
12/42

11、Love is blind.(a)

 

 例のライブ騒動から一週間、本日は未知がめでたくクアイエットゾーンの一員と相成る日。

 私はそんな親友を激励しに行こうと、重箱弁当を抱えて電車に揺られていた。

 電車は好きだ。

 震動は睡魔を誘い出すノックみたいで心地いいし、満員でなければ大勢のひとと乗り合わせるのも、一期一会って感じがして嫌いじゃない。

 しかし、以前美鈴さんが言っていたように、事務所への交通の便はお世辞にもいいとは言い難かったりする。

 最寄り駅には準急も快速も止まらないし、鈍行がやってくるのは一時間に数本だけという、都会にあるまじき空白だらけの時刻表は、そりゃ見事なものだ。

 これがテストの解答用紙なら、赤がつくとまではいかなくとも追試はまぬがれない、というくらい。

 で。

 未知はこれを機に免許取得を目指すと言って教習所に通い始めた。正しい判断だ。

 運動神経と体力を母の胎内に置き忘れてきた私は、取り残されるのが目に見えている気がして、現在様子見にとどまっているのだけれど……。

 これも、個人的には正しい判断としたいところだ。

 だって肖衛にお金出して、とはいいにくいし。決して安い金額じゃあないし。

 もし奇跡が起きて取得に至ったとしても、車なんて買えないし。


 まあ、そのうち。

 そのうち、なんとかなるかな。うん。


 得意のホジティブシンキングで締めにかかったら、ポケットの中で携帯電話が震えた。

 まずい、留守電にしないと。私は慌てて右の手で膝の上の重箱を押さえ、反対の手で震源地をさぐる。

 しかし画面を確認した途端、思わず動きを止めた。

 ディスプレイにはメールの受信を告げるメッセージとそして、差出人の欄には例の――

 例の“彼”を示す、フリーメールのアドレスが表示されていたから。


《やっぱり利用する気だったんだね。それならこっちにも考えがあるよ》


 これまでとは明らかに雰囲気の違う文面に、私は内容を解釈しかねて眉をひそめる。

 どういう意味だろう。利用、考え……。

 しかし同じメールが続けざまに三通届いたことで、ようやく危機感に火がついた。

 これ、放置したらまずいことになるんじゃないの。

 今まで彼からメッセージが届くことを事実上黙認していたのは、あちらの意図がわからなかったからだ。

 単に懐かしんでいるだけなのか、それとも訴えたいことがあるのか。

 ううん。私が勝手に、前者と思いたかったからかもしれない。

 しかしここまでくると、後者としか考えようがなかった。しかも、うっすらと感じられるのは私への嫌悪感だ。


 何故。

 ……いや、ここまでの彼の言葉からして――、結婚の約束をしていながら、私が別の男と結婚したから、なのだろう。


 だとしたら、ちゃんと会って話したいと思った。

 それには、肖衛には悟られないほうがいい。

 だって、もし私が原因でシヴィールに亀裂が入ってしまったら困る。

 向こうだってそう思っているから、表立って接触しては来ないのだろうし。


(まずは、どうにかして彼の正体を確かめなきゃ……)


 ***


 クアイエットゾーンが事務所をかまえる雑居ビルは、駅から徒歩数十分のところにある。

 いつもなら散歩がてらぼちぼち向かうのだけれど、今日ばかりは重箱を言い訳にタクシーで乗り付けた。

 そうしなさい、と肖衛からも言われていたし。

 薄暗い廊下をもたつきながら進んだら、エレベーターに乗り込む柳さんの背中が見えた。


「あ、乗ります乗りまーすっ」


 私は重箱を抱えたまま走る。

 気付いたように振り返った柳さんは、ああ奥様と丁寧な会釈をくれた。


「おはようございます。お持ちしますよ」

「え、あ」


 断る隙も与えずそれを取り上げ、三階のボタンを押してくれる柳さんは、流石は秘書の身のこなし――といったところ。


「ありがとうございます」

「いえ、……いい匂いですね。お弁当、社長から聞いておりますよ。これは唐揚げでしょうか」

「はい、わかります? 肖衛がどうしても唐揚げ、っていうから」


 とはいえ他のメニューも大半が肖衛のリクエストだ。

 俵型のごましおむすびと、キャベツの浅漬け、甘い卵焼き、筑前煮。

 彩りのためにドライトマト入りのポテトサラダも急遽作った。おいしいんだよね、これ。

 事務所のフルメンバーぶんはないけれど、午前からの出勤である未知、肖衛、柳さん、美鈴さん、そして私の五人でならどうにか分けられるはずだ。


「お昼までの四十分が苦行になりそうですよ」

「ふふ、そう言って頂けてなによりです」


 柳さんは品よく笑って、そういえば、と話題を切り替える。


「あの、先日はご迷惑をおかけしまして」

「迷惑?」

「ええ。ライブの日、取り乱しまして……。しかし、奥様の勇気ある行動に、胸がすく思いでした」


 ああ。


「いえ、とんでもないです。柳さんが肖衛のために怒ってくれたの、私も嬉しかったし」


 それに、こちらこそ取り乱したなんてものじゃない。見ず知らずのひとにげんこつとか、今考えるとありえない。

 同階級の相手に叩き付けるなら挑戦状にも意義ってものがあろうが、あれは正直ないわ。

 エレベーターが止まると、彼はあたりまえのようにドアを押さえて私を先に降ろしてくれた。

 こんな高待遇、他ではなかなか受けられないなあと密かににやけてしまう。

 柳さんはその後も当然のように重箱を運んでくれたから、私は先に立って事務室のドアを開いた。

 と、途端に目に飛び込んできたのは、地味なスーツに身を包んだ親友の姿だった。


「未知っ」

「芹生!」


 時と場所と、美鈴さんがいるということをいっとき忘れ、きゃー、と叫んで抱き合ってしまった。

 うそみたいだ、未知がここの社員だなんて。言うなれば、家族が増えたみたいな気分だよ。

 嬉しくてはしゃいでいたら、声を聞きつけたのか、早速事務所の主様が姿を見せた。


「遠いところをお疲れさま、セリ。待ってたよ」

「肖衛」

「途中でバテたりしなかった? ああ、でも息切れするセリも、必死なところがまた特別可愛「ふたこと余計っ」


 ついでにそのうっとりした表情も余計だ。この変態め。

 威嚇のために唸ったら、未知に脇腹を肘でつつかれた。「見せつけんなよ」愉快そうに湾曲する両目が憎い。

 あの日以来、彼女の肖衛に対する態度は一変してしまった。

 あんなにいい旦那様はいない、とか。憧れの人と結婚できたなんてラッキーじゃん、とか。それこそ余計なお世話ってやつだ。

 確かに彼はいい旦那様だし、結婚はラッキーだったと思えないこともないかもしれないけど。

 けど、未知は最後の砦だと思ってたのに。正直この状況、面白くない。

 すると柳さんが遠慮がちに、抱えていた重箱をデスク上に置いた。


「美鈴さん、これを、奥様が」

「あら、お弁当! 待ちかねてたわあ」


 ああ、そうだ、すっかり忘れてた。


「少しですけど、良かったらみなさんで」

「いつもありがとうね。そうね、せっかく全員揃ってるわけだから、少し早いけどお昼にしましょうか」


 美鈴さんの提案に肖衛が頷いて、ここに前倒しのランチタイムが始まったのだった。

 いつも美鈴さんが出してくれる煎茶を、未知が準備しているのは新鮮で不思議な光景だ。

 今後はこれがあたりまえになるのかなあ。

 なんてぼんやり考えていたら、未知は湯のみをくばりながら思い出したように言った。


「そうだ、あたし昨日行ってきたんだよ、芹生の実家」

「え、もう?」

「うん。みんな結構元気だったぞ」

「そっか。よかった。わざわざありがとう」


 安堵したのも束の間、彼女が呵々と笑って続けた台詞に、私は大いに青ざめることとなる。


「おじさんなんて、いつか肖衛さんに二千万返して娘を取り戻すんだって意気込んでたし。あながち、芹生が借金のかたに売られたのも間違いじゃなかったかもしれな「ストップ!」


 そこでおしゃべりな口を覆ったものの、アウトは火を見るよりあきらかだった。


「う、売られた、ですって。肖衛くん、まさかあなた、その気のない女の子を、げ、現金で」


 美鈴さんの引きつるこめかみと柳さんの唖然とした顔を前に、肖衛と私は目だけで会話する。

 そうだ、すっかり忘れてた。未知への口止め……。


 ***


「非人道。独裁政権。核弾道ミサイル!」


 国家間の闘争を疑いたくなるほど物騒な言葉で美鈴さんに罵られた挙げ句、


「わたくしは社長を信じております。決して、決して女性の人格を無視するような非情な方ではないと」


 純粋すぎる忠犬の瞳に見つめられ、よほど窮したのだろう。

 肖衛は気まずそうにひとつ微笑んでから、無言で社長室へと逃げ帰ってしまった。

 意外だ。

 その気になれば言い返せないわけはないだろうに、やっぱり部下の扱いには気を遣うということなのか。


「ごめんっ、あたし、てっきり皆知ってるものとばかり」


 未知はお賽銭を投げ入れたあとの参拝人みたいに、両手を打ち付けて深々と頭を下げる。


「悪いのは未知じゃないよ」


 答えながら、私はため息を呑み込んで重箱を洗う。

 彼女を責める権利は誰にもない。例え、肖衛に昼食の唐揚げが行き渡らなかったとしても。


「先に言っておかなかった私のミスだもん。それに、私だって肖衛にはっきり言われたことはなかったし」


 二千万のこと、黙ってろ、とかって。まあ常識的に考えたら、他言は無用が安全圏だとは思うけど。

 すると未知は「そっか」答えて給湯室の薄汚れた壁に寄りかかると、おもむろに話題を変えた。


「……しかしさ、肖衛さんに双子の弟がいたってのは驚きだよな」

「そこ? ナツだったってことじゃなくて」

「うん。まあ、それは納得の事実っていうか、妙に頷けたっていうかさ」


 何が言いたいのだろう。


「でも――その肝心の肖衛さんは、納得できない部分が多い人なんだよなあ」


 私は思わず、濡れた手のまま振り返る。


「どういう意味」

「そのままの意味だよ。あの人、どことなく矛盾してる気がしてさぁ」

「あんなにいい人扱いしておいて、今更矛盾とは何事よ」

「いや、いい人はいい人だよ。でもどっか引っかかる。性格っつうか、行動? 存在感? んんー」


 うまく言えない、と言って未知は後ろ頭をかいた。


「……あたし、従兄弟に同じく一卵性の双子がいるんだけどさ、そこからしてなんっかちがうんだよな」


 首をひねって、続ける。


「あっちは磁石の同極を並べた感じ? 反発がすげえの。互いに比較対象にされるのが嫌でしかたないんだって」

「ふうん」

「肖衛さんと夏肖さんの関係って、良好すぎない? 状態が状態とはいえ、片割れにあそこまでしてやれるもんかな」

「昔は仲が悪かったって聞いたよ。夏肖さんが、肖衛を利用してる感じだったって」

「となるとますます疑問じゃん。そんな身勝手な弟のために、無期限で自分の人生を棒にふれるかね、人間」

「棒に、って……」


 ふっているうちに入るのだろうか、あれは。

 私は機嫌良く鼻歌をうたっていた彼を思い出し、親友の意見をやんわり否定する。


「肖衛は歌うの、嫌いじゃないと思うよ」


 未知はすごく不快そうな顔をして、嫌いじゃないって言ったってさあ、と声を裏返らせた。


「人前で歌う必要がある? 弟の唇が動くっていうなら、病室で歌ってりゃいい話じゃん」

「それは……そうかもしれないけど」

「だろ。代わりって言ったって事務所までかまえて活動する必要は無いわけだよ。バンドなんて趣味でも出来るんだから」


 極論だとは思ったけれど、否定はできなかった。

 確かに一理ある。

 肖衛があそこまで必死になって、シヴィールを存続させる必要って――。


「何か特別な事情でもあるのかね、あの兄弟には。あたしにはそうとしか思えないけど」

「特別な?」

「そ。自分の将来を犠牲にしてでも、弟に尽くさなきゃならない理由がさ。でなきゃ、いくら家族でもあそこまではできないって気がするんだよなあ」


 洗い終えた湯のみを手際よくトレーに乗せていく親友を、私はぼんやり眺める。

 言われてみれば……、理由がなかったとするほうが不自然なのかも。

 考え込んで無口になった私を見、未知は焦ったように両手を胸の前で振った。


「わ、悪い、あたしってば勘繰りすぎだよな。気にしなくていいから、うん」

「今更取り繕われても困るんだけど」


 もう、そうとしか思えなくなっちゃったし。

 すると、未知はそこで「あっそうだ!」ポケットから小さな紙切れを差し出して


「これ、芹生のお母さんの携帯番号」


 と言った。


「え」


 母は携帯電話なんて持っていなかったはずだ。持つ余裕も、まだ無いはず。


「肖衛さんが持たせてくれたんだって、ケータイ。芹生の番号も、ちゃんと入ってるって」

「うそ」

「ただ、誰かさんと同じで、あちらさんも掛ける勇気がないんだとさ」


 まったくあんたら親子は揃いも揃って遠慮が好きだよなあ、と未知は言って私にそれを握らせてくれる。


「いい加減、連絡のひとつくらいしなよ。でないと、いくらなんでも肖衛さんが可哀想だ」

「でも……」

「デモもストもサトーもないんだよ」


 いや、その言い方、全国の佐藤さんに失礼なんじゃ。



「勇気くらい掘削してでも出しな。旦那と違って―― 芹生の両親は今、無事に連絡がつく状態なんだから」



(あ……!)


 私は思わず目を見開いた。そうだ。

 肖衛の両親は今も行方がわからないのだ。連絡、したくても出来ないのだ。

 なのに私は臆病を理由にして、彼の前でずっと両親をないがしろにしていた。

 そのたび、どんな想いをさせていたのだろう。想像もつかない。

 でも、それでも肖衛は、母に連絡手段を与えてくれていたのだ――。

 携帯電話を取り出して、メモ紙と一緒に握りしめる。勇気がすこし、湧いてくる気がした。


「……ありがとう未知。今日、かけてみる」

「よし、ちゃんと伝えろよ、肖衛さんとはもうラブラブだから心配ないって」

「ら、ラブラブじゃないし」

「この期に及んで否定するかね」


 自分は何でも知っているとでも言いたげに未知は笑う。

 まるで胸の内をすべて見透かされているようで――けれどそれを認めたらお終いのような気がして、私はそそくさと給湯室を逃げ出した。

 事務室を通り過ぎ、会議室の前の窓辺で携帯電話をかまえる。

 メモに書かれた番号を打ち込んで、決心の鈍らないうちにと発信ボタンに指をかけたときだった。


「奥様」


 振り返ると、私のすぐ後ろには柳さんが暗い顔をして立っていた。

 

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