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ライト文芸作品

教文館でひとやすみ

作者: 地野千塩
掲載日:2026/09/21

 失恋した。


 気づくと、彼氏とよく来た銀座に足を運んでしまった。泣きすぎて目が痛いし、視界もぼやける。休日の銀座はカップルも多く、余計に鼻の奥がツンとした。


「うん? 教文館?」


 そんな時だ。本屋が目に入った。道路に面した本屋は今の時代珍しい。ショッピングモールの一角にある方が馴染みがある。


 それにレトロな趣きがあるビルだ。おそらく明治か大正に作られたビル。これは気になる。


 ふらっと入って新書でも買うか。そのつもりで一階から二階へ。二階は一般的な本屋だったが、三階に来て変な声が出そうになった。


「キ、キリスト教専門書店……?」


 ずらりと並ぶ聖書。分厚い聖書はそれだけで堂々とした風格があるが、お祈りや讃美歌の本も並び、どう考えても普通の本屋じゃない。少し奥をのぞくと子供向けの聖書の絵本やチラシ、牧師や神父が書いた本も並び、そのマニアックさ、ディープさに目眩がしそうだ。


 私、三十二歳まで生きてきた中、こんな書店は見たことがない。そもそもキリスト教にも馴染みがなく、歴史の教科書やテレビのニュース以外の知識しかない。どちらかといえば、カルトや戦争といった負のイメージもある。よくわからない不思議な世界。


 どうやら不思議な世界に迷い込んでしまったらしい。銀座でも不思議な世界と繋がっていたようだ。果たして無事に帰って来れるだろうか。


 そうは言ってもお客さんは普通だ。店員さんも優しそうだし、とって食われたりしないだろう。迷い込んだ不思議の国、ちょっと冒険しても悪くない。


 聖書は全くわからないが、マザー・テレサはわかる。マザー・テレサの本やカレンダーなどは見ていると面白い。それに不思議な国にいると、失恋したことなんて忘れそう。もう鼻も目も痛くない。


 こうして一通り三階を見て回った。次は四階に冒険だ。四階もさらに不思議な国だ。ここは書店ではなく、キリスト教関係のグッズがメインらしい。十字架のネックレスだけ売っているのかと思ったら、お菓子、文房具など色々売ってるみたいだ。


「へぇ……」


 今の時期は修道院菓子のフェアもやっているらしい。長崎の銘菓クルスも売ってる。修道女のイラストがパッケージされた焼き菓子、これは会社でもらったことがる。


 他は本当に見たことない修道院菓子ばかりだ。意外と北海道のトラピストクッキーは置いていなかったが、全国各地の修道院菓子が置いてあった。クッキー、ガレットだけでなく、ハーブティーも多彩だ。修道院で作られているというハーブティー、素朴な見た目でついつい手にとってしまう。


 はっと気づくとクルス、ハーブティー、シロップ、そうめん、クッキー、ガレットなど色々買っていた。質素で素朴な見た目のクッキー、なんとも言えない魅力がある。マザー・テレサみたいなシスターが祈りをこめて手作りしているだろうか。想像も勝手に広がってしまう。キリスト教は特に関心もないのに、なぜだろう。


「え、カフェもあるんだ……」


 レジで会計を終えると、カフェが併設されていることにも気づいた。CAFÉきょうぶんかんという店らしい。


 そういえば失恋のショックで朝ごはんも食べずにきた。急にお腹が減って来てしまう。そうだ、せっかく不思議な国を冒険中だ。カフェも冒険してみよう。


 こじんまりと落ち着いたカフェだ。銀座という都心にあるのが信じられないほど静か。窓辺の席に座ったが、ちょうど銀座の街を見下ろせる。人が小さいものだなぁ。


 メニューも目移りした。ケーキセットにしたいところだけど、どれにしようか。一番目立つのは薔薇の形をしたケーキ。可愛い味もオレンジとアールグレイがあるらしい。


「薔薇のケーキのセットで」


 注文して数分後、運ばれてきた。


「わぁ……」


 思わず声が出てしまう。写真より遥かに可愛い。粉砂糖もまぶしてあってお化粧もしている。


 コーヒーの匂いを感じながら、まずは一口。この薔薇の形、崩すのもったいないと思いつつ、口いっぱいにオレンジの風味が広がっていく。


「うん……」


 これはおいしい。小さなケーキが。一口ずつ、ゆっくり食べて行こう。


 ふと、窓の外から銀座の街を見下ろす。やっぱり人が小さく見えるなぁ。私も同じように小さいのか。だとしたら失恋だって、小さなことかもしれない。


「うん……」


 長年付き合い、結婚も考えていたところアラサーになって振られるのは正直、きついけれど。不思議の国を冒険していたら、どうでも良くなってくるのも確かだ。こんな不思議な世界もあるんだもの。私の生きていた世界も小さくて狭いのかもしれないし?


 薔薇のケーキも食べ終え、コーヒーも飲み干した。もう不思議な世界の冒険、終盤だ。最後にお会計をして帰ることにしようか。


「ありがとうございました」


 店員さんにお釣りとレシートを受け取る。さて、これを財布にしまって帰るか。


「え?」


 レシートをよく見ると、こう印刷されていた。


 神の祝福がありますように。

 May God Bless You


 また、視界がぼやけて鼻の奥も痛くなってきた。失恋してしまったけれど、辛いことばっかりじゃないらしい。

ご覧いただきありがとうございます。

珍しく実在の場所を書きました。最後のレシートも実物を見ながら書いてます。


参考

銀座の老舗書店に併設された「CAFÉきょうぶんかん」で、ほっこりティータイム

https://co-trip.jp/article/588273

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― 新着の感想 ―
そうめんが気になる……! 心が弾んで憂鬱が薄れていくグラデーションを感じた。
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