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病弱な幼馴染を優先する婚約者様、お互い好きなことをいたしましょう

作者: 赤林檎
掲載日:2026/08/03

『カルロッタ、今日もアニタの調子が悪い。観劇は、またの機会に。サヴェリオ』


 ヴェレーノ伯爵家の次男のサヴェリオ様には、病弱な幼馴染がいる。

 ブイオ男爵家のアニタ嬢。

 領地がお隣同士なのですって。


 その十通目の手紙を受け取った時――。

 わたくしはすでにクリーム色のエンパイアドレスを着て、館の玄関にいた。

 頭には、造花とリボンのついたボンネット。


 わたくしは王宮の庭園開放日を楽しみにしていた。

 ……観劇?

 それは前回の予定だった。


 わたくしたち……。

 いいえ、わたくしは、満開の薔薇を見に行く。

 婚約者が一緒でなくたって。


 ――お互い、好きなことをいたしましょう。


 わたくしは、心の内でサヴェリオ様に宣言した。


「馬車の用意を。王宮の庭園に行くわ」

 わたくしは執事に命じた。

 執事がすぐに指示を出し、馬車が館の前に回される。

 わたくしは侍女と護衛騎士を連れ、馬車に乗って王宮の庭園へと向かった。


 ◇


 王宮の庭園は、わたくしの期待した通り、色とりどりの薔薇が咲き乱れていた。


 わたくしは、薔薇の間をゆっくり歩く。


 他の来園者は、婚約者同士や夫婦らしき男女二人連れが多い。

 一人で来ているのは、いかにもオールドミスといった雰囲気の女性か、老婦人。

 わたくしもサヴェリオ様との婚約なんて解消して、オールドミスになろうかしら?


 我がシエロ伯爵家は、わたくしが結婚しなくても、きっと困らないはずよ。

 サヴェリオ様とは、年齢と家柄が釣り合うから婚約しただけ。


 お父様ったら、きちんとサヴェリオ様のことを調べたのかしら……?

 ああ、サヴェリオ様も、婚約したての頃は、こんな風ではなかったものね。

 アニタ嬢が王都に出てきてから、おかしくなったのよ。


「観劇も、一人で行けば良かったわ」

 王立学園のお友達と観た歌劇が素敵だったから……。

 サヴェリオ様と一緒に観たい、なんて思ったのだけど……。

 九通目のお手紙が届いただけだった。


 翌日には、サヴェリオ様は「申し訳なかった」と謝ってくれた。

 それで……。

「埋め合わせで、君の好きなところに行こう」だったかしら?


 わたくしったら、なんでサヴェリオ様の言葉を信じられたのかしら?

 すでに九回も、約束を破られていたのに……。

 どうかしていたとしか思えないわ。


 薔薇は、一人で見ても美しい。


 あの歌劇だって、わたくしが気に入った。

 わたくしが観たかった。

 それで良かったのに……。


 この薔薇のむせ返る香りだって、一人でも味わえる。

 二人で来ている人たちは、会話を楽しみながら薔薇を見ている。

 だけど、一人でじっくり薔薇を見ている人だっている。

 自分のペースで薔薇を見てまわるのも、気楽でいい。


 好きなものを好きなだけ見て。

 興味のないものは素通りして――。


 ……なんで気付かなかったのかしら?

 わたくしは、行きたいところに行って、やりたいことができる。


 ◇


 その翌日、王立学園に登校すると……。

 サヴェリオ様は、朝の教室で、いつものように申し訳なさそうな顔をして寄ってきた。


「すまなかった。埋め合わせをする。行きたい場所を教えてくれ」

「では、次は、街歩きをいたしましょう」

 わたくしがほほ笑むと、サヴェリオ様はほっとしたようだった。

 いつにするのかも、すんなり決まった。


 どうせ、またいつものお手紙が送られてくるのよね。

 わたくしは、約束の日には、他の方との予定を入れられないけれど……。

 いつものお手紙を受け取った後、どうするかなら決めておける。


 ――当日になると、サヴェリオ様からは、やはりお手紙が届いた。

 わたくしにとっては、予定通り。


 今日もお気に入りのクリーム色のエンパイアドレスに、お花とリボンのボンネット。

 前回と服装が同じだなんて、気にしなくていい。

 一番好きなドレス、一番好きなボンネット。


 侍女にはピクニック用のバスケットを持たせていた。


 わたくしは王都の商店街に行き、平民に人気だというバーガーなる肉の挟まったパンと、カフェオレという飲み物を買った。

 王立学園の同級生にも、この二つにチャレンジした方がいて、意外と美味しかったと聞いていたの。

 一人で街中で食べるのは、わたくしには、まだ少しハードルが高い。

 わたくしはその二つをバスケットに入れて、また馬車に乗った。


 馬車は王都の西門を出て、丘を上がる。

 王都の街並みがよく見える場所で、馬車を止めた。


 侍女が敷布を草の上に敷き、バスケットを置いてくれた。

 わたくしは敷布に座ると、カフェオレを飲み、バーガーをかじった。

 カフェオレは、ほろ苦いのに、甘い。

 バーガーは、肉とパンのシンプルな味わい。


 心地よい南風に吹かれながら、美しい景色を眺める。

 王宮は白い石造りで、屋根だけが青かった。

 大聖堂の尖塔も見える。あの緑の屋根の下には、大きな鐘が吊るされているはず。

 王宮を取り囲むように貴族の王都館。

 さらに外側には裕福な平民の家がある。


 わたくしは飲食を終えると立ち上がり、空に向かって両手を伸ばした。

「ここは……、空が近いわ」


 我が家の領地も、サヴェリオ様の家の領地も、商業で栄えている。

 どちらも『小王都』などと呼ばれている土地。


 サヴェリオ様は、いずれ父親の持つ子爵位と、小さな領地を受け継ぐ予定。

 わたくしは、その子爵領で領主夫人をする。

 きっと子爵領では、こんな風に、空や風を感じることはないだろう。


 王都の景色に目を戻す。

 灰色の石でできた防壁が、王都を囲んでいる。

 かつては、あの防壁が外敵の侵入を阻んだりしたらしいけれど……。

 今では、その役目を果たす必要はなくなっていた。


「あの山……」

 王宮の遥か後ろに見える山並み……。

 ここよりも、空に近い場所。


「あの山々に登ったら、もっと景色は綺麗なのかしら? 山にしか咲かない花も、見られるのかしら……?」

 返事を求めて問いかけたわけではなかった。

 答えなんて、最初からわかっている。

 景色は綺麗だろうし、花だって見られるだろう。


「貴族の娘が、アルバ山脈に登れるのかしら? 王都にほど近い、こんな丘が精一杯……?」

 今度の問いは、心からの疑問だった。

 わたくしだって、望んだらアルバ山脈にだって登れるかしら?


「きっと、たくさん歩かないといけないわね。もっと歩きやすい靴がいるわ」

 わたくしはエンパイアドレスの裾を見た。

 今日もヒールの低い靴を履いてきたけれど……。

 さらに歩きやすい靴が必要ね。


「乗馬服? 女性騎士用の騎士服が良いのかしら? それとも、平民用の綿のシャツとトラウザーズ?」

 わたくしは、ふふっ、と小さく笑ってしまった。

 これでは『形から入るタイプ』みたいだわ。

 いきなり油絵セットや、高価なバイオリンを買うようなもの。


「帰りましょう」

 わたくしが言うと、侍女がすぐに敷布やバスケットを片付けた。


 丘には、わたくしと、侍女と、護衛騎士と、馬車。

 王都は遠くに見える。

 アルバ山脈は、さらに遠い場所にある。


「パオラは馬車に乗って。ピエール、歩けるところまで歩いていくわ」

 わたくしは侍女と護衛騎士に指示した。


 わたくしのこの思いが、いつまで続くかは、わからないけれど……。

 歩ける距離を伸ばしていったら……。

 いつかは、アルバ山脈にも登れるかもしれない。


 わたくしは馬車で上がってきた道を、徒歩でゆっくりと下り始める。


 道端には、白い小さな花が咲いていた。

 名前も知らない花。

 黄色い蝶がひらひらと、花のまわりを飛んでいる。


「ピエール、ごめんなさいね。現実逃避に付き合わせて」

 わたくしは、少し後ろを歩く護衛騎士に詫びた。


「いいえ」

 とだけ、ピエールは返してくれた。


 わたくしは、木々の間から見える北方の山々を見る。

 今の時期は緑色に見えるけれど、冬が近づくと雪をかぶって白くなる。


「ピエールは、あの北の山から来たのよね」

 北方の国境を守る辺境伯家の三男。

 我が家と同じ寄親を持つ、フルミーネ辺境伯家。


「ええ」

 北の男は、口数が少ない。

 雪に溶け込む銀髪に、薄氷の色の瞳。

 整いすぎた顔立ちも、なんだか冷たそうに見える。


「あの遠い山から、王都に来る人がいるのだもの……」

 わたくしは言葉を切った。

 同じ貴族であっても、ピエールは辺境で騎士となるべく育てられた。

 わたくしのような淑女として育てられた者とは、すべてが違う……。


「まずは、ミロ山を目指されては?」

 ピエールは、わたくしの隣に立って、東を指さした。

 わたくしは足を止め、ほとんど平地に見える場所に目を向ける。


「そんな山もあったわね」

 名前は聞いたことがある。

 けれど、これまでは興味なんてなかった。

 王都付近では、最も高い山だったはずだけれど……。

 この丘よりも低く見えるわ。


「山頂には、古い見張り塔があります。そこからの眺めは、なかなか良いですよ」

「行ってみたいわ……」

 考える前に、望みが口から飛び出していた。


 ピエールの目尻が、なんとなく下がったように見える。

 もしかして、笑顔になったのかしら……?


「その次は、ジョルジャの滝」

 ピエールは、さらに東を指さした。

 たまに絵画で見る、森の奥にある美しい滝。


「セルセの大樹」

 今度は、王都の東南の方角。

『世界樹』なんて呼ばれることもある、巨大な杉の木。

 大樹信仰の巡礼地の一つだわ。

 森を数日かけて歩いていった先にある。


「運が良ければ、精霊鹿も見られるのよね」

 精霊鹿は、青白い毛並みの神秘的な鹿。

 こちらも絵画で見たことがあった。

「ええ」


「貴族の娘がセルセの大樹に行ったなんて話は、聞いたことがないけれど……。行ってはいけないという決まりだって、ないものね」

 わたくしは自然と笑顔になっていた。


「はい」

 いつもと変わらない、短い返事。


「ありがとう、ピエール。元気が出たわ」

「良かったです」

 ピエールはそっけなく言うと、一歩下がる。

 そこが、護衛騎士の定位置ですものね。


 わたくしは目を道の先へと戻し、また丘を下り始めた。


 ◇


 わたくしの歩ける距離は、まだまだ短い。

 わたくしはあの後すぐに疲れてしまって、馬車で館まで戻った。


 その日の夜、わたくしはサヴェリオ様の手紙を持って、父の書斎を訪れた。

 書斎には、お母様とお兄様にも来てもらっていた。

 両親とお兄様は、十一通の手紙を読んでから、わたくしを見た。


「カルロッタの方から、サヴェリオ殿に注意はしたのか?」

 お兄様が訊いてきた。


「わたくしはサヴェリオ様の婚約者です。あの方を教育するのは、ヴェレーノ伯爵家の役目ですわ」

「……ああ、その通りだな」


 一度や二度ならともかく……。

 これだけの回数、わたくしとの約束よりも、アニタ嬢を優先した。

 それは、貴族の家同士の婚約よりも、病弱な幼馴染を選んだということ……。

 サヴェリオ様をそのように育てたのは、ヴェレーノ伯爵家。

 わたくしがヴェレーノ伯爵家の尻拭いをする必要などない。


「貴族の家の次男は、嫡男になにかあれば、家を継ぐお立場。その次男にあのような教育しかできない家は、我がシエロ伯爵家には釣り合いません」

 あのような婚約者は、もういらない。


 サヴェリオ様は、わたくしとの婚約を解消されたら、次男としての役目を他の方に譲ることになるのではないかしら?

 もしもサヴェリオ様が嫡男だったら、廃嫡される可能性もあるような行いですもの。


「わたくしは淑女科から、文官科に転科しようと思います。その上で、侍女の仕事も探しつつ……。どなたか良い方がいたら、縁談をお受けしようかと……」

 わたくしの未来には、様々な選択肢がある。

 その中で、最良のものを選びたい。

 今からでも文官科に移れば……。

 王宮は無理でも、地方の役所の事務官にはなれるはず。


「名門シエロ伯爵家の娘が、文官か侍女……。まるで我が家が没落したようではないか」

 お父様は吐き捨てるように言った。


「王立学園の三年生にもなって、この先、どのような良い縁談があるのでしょうか?」

 そう言いながら、わたくしは心の奥にピエールの姿を描いた。

 ピエールは、まだ結婚していないし、婚約者もいなかったはず。

 寄親も同じで、家柄だって申し分ない。


 けれど、わたくしは、自分からピエールの名を挙げたくなかった。

 ピエールにだって、大事な幼馴染がいるかもしれない。

 病弱だとか、身分の差があって、婚約できていないだけで……。

 わたくしは、もうサヴェリオ様の時と同じ失敗をするわけにはいかない。


「サヴェリオ殿のことは、たしかに調査が足りなかった」

 お父様の顔が歪む。


「家柄や領地の状況は、釣り合っていましたのにね……」

 お母様は残念そうだった。

 このようなことにならなければ、サヴェリオ様との縁談は、たしかに良いお話だった。


「安心しろ。ヴェレーノ伯爵家の有責で婚約を破棄……、いや、解消となるよう動く」

 お父様がお母様に向かって、宥めるように言った。


「わたくしは社交界の笑い者になるところでしたわ」

 両親とお兄様の顔が強張った。

 サヴェリオ様が、わたくしよりアニタ嬢の看病を優先していたことは、すでにどこかで噂になっているかもしれない。

 お父様には、そのあたりの火消しまで、きっちりやっていだたかなくては。


「そうだな……。カルロッタ、護衛騎士として雇っているピエール殿と婚約するのはどうだ? 『銀の守護竜』フルミーネ辺境伯家の三男だ」

 お父様は、お母様とわたくしを交互に見た。


「ピエール殿は、嫡男か次男になにかあったら、北方に帰る方ではありませんか!」

 お母様が声を荒げた。

 辺境は『小王都』とは危険度が違いすぎる。

 お母様が嫌がるのも無理はなかった。


「すぐに決める必要はないかと。まずはピエール様とフルミーネ辺境伯家のことを、しっかり調べてくださいませ。――また婚約を解消することになったら、わたくしの方にも問題があると思われるでしょう。わたくしはこの家の恥になります。修道院に行くしかありません。そのようなことになるなら、文官か侍女になる方がましです」

 わたくしには、もう後がない。

 その現実を、両親とお兄様に突きつける。


「私と父上と母上が、使える伝手をすべて使って調べる。カルロッタを修道院には行かせない」

 お兄様の声はとても低く、まるでやっと絞り出したかのようだった。


 ただの伯爵家の娘では、ピエールを調べるにも限界がある。

 伯爵と伯爵夫人と次期伯爵に、本気で取り組んでもらわなくては……。


「そうしてくださいませ……」

 わたくしは両親とお兄様に、悲しげに笑ってみせた。


 サヴェリオ様と婚約する前に顔合わせをした時……。

 わたくしは一目でサヴェリオ様を好きになった。

 けれど、今はもう、そんな純粋さは失われた。


 次に誰かを好きになるなら……。

 問題のない方だとわかってからにしたかった。

 こんな風に傷つくのは、もう嫌だから……。


「カルロッタ……」

 お母様が、ハンカチで目尻に浮かんだ涙を拭う。


「なんだか疲れました。部屋に戻りますわ。おやすみなさいませ」

 今日はだいぶ歩いたもの、疲れて当然ね……。


 わたくしは父の書斎を出ると、寝室に向かう。

 早く眠って、早く起きて……。

 明日の朝、少しでも庭を歩きたい。


 ――いつかアルバ山脈に行かれるように。


 その時、ピエールが、夫か婚約者として隣にいてくれたら素敵だけれど……。

 わたくしは一人でも、きっと山を楽しめる。

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― 新着の感想 ―
…え!?終わり!? そんな気になるところで終わらないで!?!? 全部書ききられてても短編版も長編版もどっちもちゃんと読みます!!
山と自然の心象風景が鮮やかに浮かびました。気持ちに区切りをつける前後をうまく切り取ってまとめているのが良かった。 なんでもかんでもざまぁまで書かなくても、主人公の気持ちの揺れ動きがしっかり感じ取れます…
これで終わり?
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