第7話「屋根のない宿」
街へ戻る道は、さっき来た時より長く感じた。
薬草の袋が重いせいじゃない。
俺の背中の“気配”が重い。
助けた少年は、俺の少し後ろを歩いていた。
一定の距離を保って、でも離れない。
……黙っているのに、やけに存在感がある。
(連れて帰ったら面倒だ)
(置いていったら後味が悪い)
どっちも最悪だ。
街の門が見えた頃、少年の腹が鳴った。
ぐぅ。
妙に、はっきり。
少年は気まずそうに腹を押さえて俯いた。
謝る代わりに、息を殺す。
俺は舌打ちした。
「……チッ」
ポケットに手を突っ込む。
夜用に取っておいたパンが、まだ残ってる。
(こんなガキ助けたところで……)
そう思ったのに、手は止まらなかった。
俺は振り返りもせず、パンを後ろへ放る。
「ほら」
少年が慌てて受け取った。
「え……?」
「食え。腹の音がうるせぇんだよ」
言ってから気づく。
(最悪の言い方)
少年はパンを両手で抱え、目を丸くした。
「……ありがとう……」
小さな声だった。
風に消えそうな声。
俺は聞こえなかったふりをして歩いた。
*
街に入って、少年を街の端まで送った。
夕方に近い空気の中、街の匂いが濃い。
薪の煙、油、汗、パン。
「家は?」
少年が目を逸らす。
「……ない」
即答。
ためらいがない。
俺は息を吐いた。
(やっぱりかよ)
「……今日は、とりあえず人がいるところにいろ。路地に入るな。分かったな」
少年は何度も頷いた。
「うん……!」
俺は踵を返した。
「じゃあな」
「……あっ、兄ちゃん!」
呼び止められて、俺は振り返りかけて、やめた。
振り返ったら、もう一段面倒になる気がしたから。
「何だ」
「……また、会える?」
(知らねぇよ)
喉まで出かけた答えを飲み込んだ。
代わりに、適当に言った。
「生きてりゃな」
少年は笑った。
「うん!」
——なんでそんなに笑えるんだよ。
俺はその場を離れた。
*
急いで森へ戻り、残りの薬草を掻き集めた。
さっきのゴブリンの死体のことは考えないようにした。
考えたら、吐きそうになる。
採取を終えて、ギルドへ。
依頼書をカウンターに置く。
受付の女が手際よく確認した。
「薬草、規定量。問題ありません。報酬はこちらです」
硬貨が、チャリン、と手に落ちる。
(よし……宿だ)
俺はそのまま、宿屋街へ向かった。
最初の宿。
「満室だ」
二つ目。
「今日は無理だね」
三つ目。
「金が足りない」
俺は、口の中が乾いていくのを感じた。
(……嘘だろ)
格安の宿は、全部埋まっていた。
日が落ちかけている。
今から別の街へ行こうにも、時間がない。
そもそも、何処にあるのかすら知らない。
俺は路地の角で立ち尽くした。
(詰み)
「あのガキを助けなきゃ、早く帰れて泊まれたかもしれねえのによ……」
口から、勝手に零れた。
「はぁ……」
壁にもたれて息を吐いた瞬間、現実が追い打ちをかけてきた。
ぐぅ〜。
……最悪のタイミングで、俺の腹が鳴った。
「……チッ」
自分で自分が情けない。
そのとき。
「——あっ、兄ちゃん!! やっと見つけた!」
振り向くと、少年が息を切らして立っていた。
俺を見つけた瞬間、顔がぱっと明るくなる。
少年は一拍遅れて、俺の顔を見る。
「……兄ちゃん、もしかして何も食べてないの?」
「ガキが気にすんな」
「気にするよ」
少年は言い切ってから、胸の辺りをもぞもぞ探った。
布の内側から、何かを取り出す。
「はい、これ」
差し出されたのは——パン。
俺がさっき渡したやつだ。
半分残っている。
「……おい。お前それ」
少年は当たり前みたいに言った。
「兄ちゃんのだし。俺は半分で十分だったから」
「十分なわけねぇだろ。あんなに腹鳴ってたんだぞ」
「鳴った。でも、平気」
「平気じゃねぇ」
少年は首を振る。
「平気だよ。兄ちゃんがくれたから」
その言い方が、妙に強かった。
否定しづらい強さ。
俺は一瞬だけ黙って、パンを受け取った。
半分のパンが、妙に重い。
「……はぁ。ありがとな」
少年はぱっと笑った。
「うん!」
俺は視線を逸らして、ぶっきらぼうに言った。
「……で、お前、名前は」
少年は嬉しそうに胸を張った。
「ロウ!」
「ロウ、ね」
「ロウだよ! 兄ちゃん!」
「兄ちゃんじゃねぇ。ユウヤだ」
ロウは首を傾げた。
「あれ? マスクド・ブレイブじゃないの?」
「その名で呼ぶな!! ユウヤだ!」
俺は即座に切り返してから、ロウを睨む。
「……お前、なんでそれ知ってんだよ」
「だってゴブリンと闘ってたとき、言ってたじゃん」
ぐうの音も出なかった。
「で、ユウヤ兄ちゃん、泊まるとこないんでしょ?」
「……」
ロウは胸を張った。
「じゃあ、こっち!」
「待て待て待て」
俺は止めようとした。
「お前んち無いんだろ。どこ行く気だ」
ロウは平然と言った。
「寝床!」
最悪の単語が出た。
「……寝床って何だよ」
「同じ子たちがいるとこ。今日だけなら、泊まっていいって言ってくれると思う」
(ストリートチルドレンの集落かよ)
俺は一瞬、本気で逃げようとした。
でも、このまま一人で夜を迎えたら、俺が死ぬ。
……選択肢がない。
「……一泊だけだぞ」
ロウは嬉しそうに頷いた。
「うん!」
*
案内されたのは、崩れかけた倉庫の裏だった。
板と布で風を避けただけの空間。
でも、火の気配がある。
人の気配がある。
何より、夜の“気配”が薄い。
ロウが中へ声を投げた。
「みんな! ユウヤ兄ちゃんだよ! 今日助けてくれた!」
数人の子供が顔を出す。
警戒の目。値踏みの目。
でも、ロウがやけに興奮しているせいで、空気が少しだけ緩む。
年上っぽい子が、疑うように聞いた。
「助けたって……何を?」
ロウは俺の腕を掴んで、胸を張った。
「森でゴブリンに襲われたんだよ! でもユウヤ兄ちゃんが——」
(やめろ)
嫌な予感がした。
ロウは予感を軽々と超えていく。
「いきなり『変身』してさ!!」
周りの子がざわっとする。
「変身?」
「魔法?」
ロウは完全に気持ちよくなっていた。
「腰のベルトが光ってね! それで——闇を払い光を照ら──」
「うぉい!! やめろ!!」
俺は反射でロウの口を塞ぎかけて、ギリギリで止めた。
この場でそれをやったら俺が完全に悪者になる。
代わりに、ロウの肩を揺さぶる。
「それは言うなぁ!! 絶対言うな!!」
ロウはきょとんとする。
「え、なんで? カッコよかったのに」
「カッコよくねぇ!! それは……その……!」
言い訳が出ない。
周りの子供たちは、俺とロウを交互に見て、ニヤニヤし始めた。
「へぇー」
「闇を払い?なんだって?」
「言ってみてよ」
「言わねぇよ!!」
俺が即答すると、ロウが追い打ちをかける。
「めっちゃカッコよかったんだよ!」
「言うなって言ってんだろ!!」
空気が完全に“面白がりモード”になった。
俺は深く息を吐いて、ぶっきらぼうに言った。
「……俺はユウヤだ。今日は一泊させてもらう。以上」
ロウが俺の袖を引く。
「ね、いいでしょ?」
子供たちは少しだけ顔を見合わせてから、年上っぽい子が肩をすくめた。
「……ロウが連れてきたなら、一晩だけな」
「助かった」
言いながら、俺は自分が礼を言ってることにムカついた。
ロウは嬉しそうに笑った。
「ユウヤ兄ちゃん、勇者みたいに強かったよ!」
「よせよ。ゴブリンとどっこいどっこいだっただろ」
「それでも……カッコよかったよ」
ロウの声には、嘘がなかった。
——助けてくれたから。
それだけで。
俺は視線を逸らして、鼻で笑った。
「……カッコよくねぇよ。あんなの恥ずかしいだけだ」
ロウは首を傾げる。
「恥ずかしい?」
「……忘れろ」
ロウは、なぜか嬉しそうに頷いた。
「うん!」
俺はその場に腰を下ろした。
布一枚。冷たい床。
でも、外で一人よりはマシだ。
(結局、助けたせいでここだ)
そう思ったのに。
不思議と腹は立たなかった。
ロウが隣に座り、小さな声で言った。
「ユウヤ兄ちゃん、明日も、ここに泊まる?」
「明日は屋根のある所にする。絶対にだ」
俺は目を閉じた。
屋根はない。
布一枚しかない。
でも——今夜は死ななそうだった。
最悪の世界で、最悪じゃない夜だった。




