第2話「暗い森と獣」
さっきまでの格好のまま、俺は森の地面に立っていた。
ただ1つ違うのは、腰に——あのベルトが巻かれていることだ。
「……どこなんだよ……ここ」
見上げても、黒い木々が空を塞いでいる。
街灯も、道路も、電波の気配もない。
静かすぎて、逆に耳が痛い。
俺は腰のベルトを叩いた。
カン、と乾いた音。
すると。
ベルトが——喋った。
『召喚の成功を確認』
「……は?」
『現在の装備を確認しますか?』
目の前に、透明なウィンドウが開いた。
スマホの画面みたいに、でも指で触れなくても浮いている。
上部に数字が表示されていた。
ヒーローポイント:1
「ポイント……?」
下には装備欄。
頭:なし
胴:なし
手:なし
腰:ブレイブドライバー
足:なし
靴:なし
アクセサリー:なし
乗り物:なし
「……いや、ほぼ丸腰じゃねぇか」
ベルト——ブレイブドライバーが淡々と続ける。
『性能:ブレイブドライバー』
『敵に観測されると変身可能になります』
『変身に成功すると、身体能力に3倍のボーナスが付与されます』
「観測……見られるってことか? 敵?」
ウィンドウが勝手に切り替わる。
『ヒーローポイント』
『ポイントを使用してヒーロー装備を購入できます』
『ポイント獲得条件:人助け、クエスト達成』
「……人助け?」
反射で笑いそうになった。
俺に? 俺が?
『推奨:初期装備の購入』
『装備ショップを開きますか?』
「開く——」
言いかけた瞬間。
背後の闇が、ガサ、と揺れた。
空気が変わった。
夜気が一段冷たくなる。
俺はゆっくり振り返る。
闇の奥で、目が二つ光っている。黄色い。
しかも低くない。高い。近い。
唸り声が混ざった。
ガサ……ガサ……。
黒い影が木々の間から現れる。
狼——に似ているが、サイズが冗談じゃない。
肩が高い。筋肉が太い。牙が長い。
あれは“野生”じゃない。狩るための形をしている。
「……おい、ベルト。変身。今すぐ」
ブレイブドライバーが無慈悲に返す。
『観測が必要です』
「今めちゃくちゃ見られてるだろ!!」
狼の目が、俺を“捉えた”。
——その瞬間。
ベルトが、カチ、と鳴った。
『観測されました』
『変身可能です』
「よし! 変身!!」
俺は反射で叫んだ。
——何も起きない。
「……は?」
ベルトが冷静に言った。
『変身にはポーズが必要です』
「んなこと、やってる場合か!!」
狼が唸り声を上げて一歩踏み込む。
距離が詰まる。爪が地面を掻く音がする。
(今すぐ光れ! 今すぐ強くなれ!)
『再案内:ポーズが必要です』
「……クソが!」
俺は半歩引きながら、仕方なく腕を振り上げた。
いつもの型。いつもの儀式。
「——変身!!」
拳を天に突き上げ、腰のバックルに手を添える。
BGMが爆音で鳴った。
「うるせぇ!! 今それどころじゃ——」
光が俺を包んだ。
体が軽くなる。反応が上がる。
筋肉が勝手に連動して、足が“前に出る”。
万能感に包み込まれる。
(すげえ!!これなら……)
——だが。
光が引いた瞬間、別の意味で息が止まった。
「……は?」
寒い。
肌寒いとかじゃない。
夜気が皮膚を直撃して、鳥肌が一斉に立つ。
俺は自分の身体を見下ろして、理解した。
腰にベルト。
それ以外。
素っ裸。
「……いや、待て待て待て待て」
狼の唸り声が近いのに、口が勝手に喋る。
「なんでフルチンなんだよ!!」
風が吹いた。
「ひっ……!」
反射で内股になる。
いや今そんなことしてる場合じゃない。死ぬ。
狼が跳んだ。
影が飛ぶ。牙が閃く。
「っ!!」
俺は反射で身を捻った。
避けた——と思った瞬間。
背後で、**バキィッ!!**と嫌な音がした。
振り返る。
俺のいた場所のすぐ後ろ。
太い木の幹に、狼の爪が食い込んでいる。
……違う。
食い込んだなんてもんじゃない。
幹が、裂けていた。
木肌が抉れ、繊維が毛羽立ち、裂け目が縦に走っている。
まるで斧で叩き割ったみたいに。
喉が乾いた。
心臓が遅れてドクン、と鳴った。
(あっ、絶対勝てないやつだこれ)
三倍だろうがフルチンだろうが関係ねぇ。
当たったら俺が裂ける。
狼が体を低くする。
もう一度跳ぶ。確実に殺しにくる。
俺は拳を作るのをやめた。
戦うなんて、とんでもない
(勝つんじゃない。生き残る)
——でも、暗い。
根っこも石も見えない。
この森そのものが罠だ。裸足に優しくない。
そのとき、ウィンドウが点滅した。
ヒーローポイント:1
『装備ショップ:開けます』
「今さらかよ!! でも開け!!」
俺はベルトを叩いた。
メニューが開く。
『初期装備(必要HP:1)』
・キラキラマスク(暗所視認+)
・赤いブリーフ(防御+)
・黄ばんだタンクトップ(防御+)
・臭い軍手(腕力+)
・穴の空いた靴下(脚力+)
「……ブリーフ……!」
——欲しい。
死ぬほど欲しい。社会的に大丈夫かは別として。
でも今は、暗闇で死ぬ。
狼の影が動く。
次の跳躍が見えない時点で終わる。
(まず見えないと避けられない)
俺は叫んだ。
「マスク! キラキラ!! それ!!」
ベルトが、カチ、と鳴った。
目元に、軽い感触。
薄い布みたいなものが、目の周りだけを覆う。
——視界が、開けた。
闇が闇じゃなくなる。
木の幹の割れ目。土の凹凸。根っこ。石。全部見える。
そして。
狼の顔が、見えた。
「……っ」
凶暴——なんて言葉じゃ足りない。
口角が裂けるほど開いた口。濡れた牙。糸を引く涎。
目は黄色いのに、感情がない。
獣じゃない。
“殺すための道具”みたいな顔をしている。
思わず、声が漏れた。
「……え、こわっ……」
——しかも俺は。
フルチンに、キラキラマスク。
(終わってる。俺の人生も見た目も)
狼が踏み込む瞬間の筋肉の動きまで見える。
だからこそ、逃げ場がないのも見える。
(無理だ。逃げろ。生きろ)
俺は歯を食いしばる。
「……クソがッ!」
俺は走った。
木の影を縫い、根っこを避け、石を踏まない。
狼が追ってくる。
動きが読める。——でも速い。速すぎる。
一度だけ、爪が肩を掠めた。
皮膚が裂け、熱い痛みが走る。
「っ……!!」
痛い。
でも致命傷じゃない。致命傷を避けられた。
(見えなきゃ死んでた)
森の端、月明かりが落ちている場所が見えた。
その向こうに、揺れる灯り——人の火がある。
俺はそこへ飛び出した。
——月明かりが、落ちていた。
視界がさらに明るくなる。
すぐ先に、テントが張られている。
焚き火が闇を照らしている。
助かった、と思った瞬間、別の地獄が始まる。
(俺、まだフルチンだ)
しかもキラキラマスク。
暗視で全部見える。見えすぎる。現実が。
背後から唸り声。
狼が森の境界を越えてくる。月明かりなんて関係ない、って顔だ。
「おいおいおい、来るな来るな来るな……!」
俺は喉が潰れるほど叫んだ。
「た、助けてくれー!! 狼! 狼いる!!」
狼が今にも飛び掛ろうとする。
(間に合わない——!)
そのとき。
テントの入口が、静かに開いた。
フードを被った人間が、すっと外に出る。
姿勢がブレない。音がしない。
手には剣。鞘から抜く動作すら、ほとんど見えない。
次の瞬間。
青い光が、夜を一線で切った。
——狼が、真っ二つに割れた。
遅れて、血が落ちる音。
さらに遅れて、狼の身体が地面に崩れる音。
俺は口を開けたまま固まる。
(……え?)
フードの人間は、倒れた狼を一瞥し、こちらへ顔を向けた。
——そして。
俺のキラキラマスクと、フルチンを、まっすぐ見た。
夜風が、ひどく冷たかった。




