第11話テオドール短章 - 不純だ、と数値が告げる夜
夜の場面は、出来事が少ない。
戦もなく、交渉もなく、
誰かが叫ぶわけでもない。
それでも、
静かな時間ほど、動いてしまうものがある。
見なければ済んだかもしれないこと。
知らなければ軽かったかもしれないこと。
この短章は、
その「見えてしまった瞬間」の記録だ。
夜の海は、黒い。
貨客船は南へ進む。
ローマはまだ遠い。
帆は低く鳴り、
波が船腹を打つ。
テオドールは甲板に立って暗い海を眺める。
広がる暗黒にはその向こうに何があるのか、
手がかりは無い。
ローマまで運ぶ革の束にふと手を置く。
視界の奥で、静かに層が立ち上がる。
半透明の枠。
誰にも見えない。
《軍需革・評価更新》
強度:A+
耐摩耗:高
納期短縮:成功
――追加機能を解放しますか?
《用途予測補正》
Yes / No
喉が、わずかに鳴る。
なぜ、今。
波音が遠くなる。
Yes を選ぶ。
解析拡張中……
使用環境推定モデル適用……
数値が現れる。
《用途予測》
推定用途:弩用防盾補強材
推定戦場:東地中海沿岸
平均使用回数:17
予測破損時致死率増加:+3.2%
品質低下時影響:兵損増加 5.8%
3.2%。
それは、ほんのわずかな差だ。
だが、わずかではない。
胸の奥が締まる。
「……テオドール?」
声。
振り向くと、エルサが立っている。
黒と白の修道服。
夜風に揺れている。
「顔色が、あまり良くありません」
「いえ」
短い返事。
だが、声が浅い。
エルサは一歩近づく。
視線は、彼の目を見る。
彼女には、何も見えない。
ただ、呼吸の乱れと、指先の強張りだけ。
「船酔いではなさそうですね」
静かな口調。
「……少し、考えていただけです」
3.2%。
17回。
数字は消えない。
「考えすぎは、夜に似ています」
エルサは海を見る。
「深く見ようとすると、底が分からなくなる」
波が当たる。
テオドールは、欄干を握る。
「もし」
言葉が止まる。
「もし、自分の仕事が、誰かの命に影響すると分かったら」
エルサはすぐには答えない。
「分かるのですか?」
問いは柔らかい。
「……分からなくても、影響はします」
彼女はそう言う。
「見えなくても、世界は動いています」
少しの間。
「だから私は」
エルサは続ける。
「祈ります」
淡々と。
「見えないところも含めて」
テオドールは目を閉じる。
数字が裏側で光る。
品質低下時影響:兵損増加 5.8%
――下げれば、増える。
「下げない」
小さく呟く。
エルサはその言葉を聞く。
理由は知らない。
数値も知らない。
だが、頷く。
「それでよろしいかと」
解析画面が静かに閉じる。
ひとつだけ、項目が残る。
《用途予測補正:常時有効》
解除不可
夜は深い。
船は進む。
エルサは隣に立つ。
見えないものは、共有できない。
だが――
同じ方向を見ている。
ローマは、まだ遠い。
純粋であることは、
案外、簡単かもしれません。
知らないでいればいい。
けれど、
知ってしまったあとに選ぶことは、
少しだけ重い。
それでも船は進む。
数値は消えない。
だからこそ、
下げない、という選択が残るのだと思います。




