第11話???短章 - ラオフ・ナ・ヌーグの旅立ち
古い森の奥には、言葉にならない問いが残る。
英雄は現れるのか。
それとも、現れぬ理由があるのか。
名乗る者はいる。
待つ者もいる。
だが、そのあいだには
越えられない境がある。
これは、刃が抜かれる前の話
その古い森は、声を飲み込んでいた。
夜は深く、焚火の光だけが、円を描いて揺れている。
その外側は闇だ。
境界の向こうは、誰のものでもない。
若者が一歩、前に出た。
背はまだ完全に伸びきっていない。
だが、その目だけは、揺れなかった。
「名乗る」
低く、はっきりと。
「我は、部族の子。
我は、刃を持つ者。
我は――英雄となる」
ざわめきが、わずかに起きる。
その円の奥、
影の中から、彼女が姿を現す。
高い。
霜を思わせる色の髪が、火に照らされると淡く光る。
頬の青い文様は、まるで刻まれた誓約のようだ。
緑の瞳が、若者を見た。
いや――
見透かした。
「英雄は、名乗るものではない」
静かな声。
「だが、名乗らぬ者は、決してなれぬ」
若者は、膝をつかない。
視線を逸らさない。
「鞘を、取り戻す」
言葉が空気を震わせた。
火の向こう、
小さな祭壇がある。
そこには、白い布で覆われた供物が置かれている。
彼女は歩み寄る。
小さい鎌を掲げる。
それは戦うためのものではない。
供物の上に、赤い線が引かれる。
血が、土に落ちる。
誰も声を上げない。
彼女は、その血を指に取り、若者の額へと触れた。
冷たいはずの血は、熱を持っていた。
「血は、境を知る」
囁き。
「境を持たぬ刃は、英雄ではない」
「境は結び目で束ねよ」
「其は結び目の勇者を名乗れ」
若者の呼吸が荒くなる。
だが、目は逸らさない。
「これは祝福ではない」
彼女の声は、さらに低くなる。
「選別だ」
血が、若者の頬を伝う。
「ヤドリギの剣の聖鞘を探せ」
森が、息を止めた。
「刃を誇るな。
血を誇るな。
――境を持て」
若者は立ち上がる。
その額には、まだ血が乾いていない。
「もし、持ち帰れぬなら?」
誰かが、闇の中で問う。
彼女は答えない。
ただ、若者を見つめる。
その目は優しくもなく、冷酷でもない。
待つ者の目だった。
若者は振り返らず、闇へと歩き出す。
火は小さくなり、
血は土に染み込む。
森は、再び何も語らない。
祝福は、いつも温かいとは限らない。
選ばれるということは、
すでに何かを失うことでもある。
森は何も裁かない。
ただ見ている。
血が乾き、霧が戻り、
足跡だけが残る。
それでも――
誰かは、闇へ歩いていく。




