第07話 - 清い革とは、何か。要するに。
争いのあとに残るのは、
勝ち負けではない。
声を出さなかった者が、
何を見ていたかだ。
制度が言葉を尽くしたあと、
祈りは、
何も主張しない。
ただ、
そこに立っている。
この話は、
問いを投げた者でも、
答えた者でもない。
最初から分かっていた者の話だ。
ハウス・グスタフに、
修道院の人間が来るのは珍しい。
革職人と修道院は、
近くて遠い。
必要ではあるが、
深入りはしない関係だ。
その日、
工房の前に立っていたのは
若い修道女だった。
痩せている。
背筋が伸びている。
視線が、やけに落ち着いている。
「……シスター・エルサと申します」
声が、静かだ。
「修道院長の命で参りました」
(……修道院長)
頭の中で、
即座に名前が浮かぶ。
五十代。
女性。
グスタフの知り合い。
ハウス・グスタフの革を
昔から使っていた人間だ。
ないわー。
このタイミングで?
グスタフが前に出る。
「……久しいな。
院長は、お元気か」
「はい」
エルサは頷いた。
「書き写しの終わった聖書がございます」
一拍。
「その装丁に使う革を、
探しております」
空気が、変わった。
聖書。
この街で、
それ以上に“純度”を問われる用途はない。
要するに、
逃げ場のない仕事だ。
「噂を、
耳にしたそうです」
エルサは続ける。
「ハウス・グスタフの革は、
匂いが残らず、
均一で、
長く持つと」
視線が、
俺に向く。
ないわー。
また、
俺か。
「……見習いが、
関わっているとも」
言い方が、
丁寧すぎる。
責めてはいない。
だが、
探っている。
「院長は」
エルサは、
一度、言葉を選んだ。
「清い革を、
望んでおられます」
清い。
その言葉が、
胸に引っかかる。
要するに、
ハインリヒが使う
「不純だ」の反対側だ。
グスタフが、
俺を見る。
判断を、
投げてきた。
ないわー。
宗教相手に、
下手なことは言えない。
だが。
俺は、
一歩前に出た。
「……すなわち」
エルサが、
瞬きをする。
この言葉は、
修道院では
あまり使われない。
「清い、というのは」
俺は続ける。
「混ざっていない、
という意味でしょうか」
エルサは、
少し考えた。
「……余計なものが、
残らないことです」
「では」
俺は、
革を一枚取った。
「匂いが残らない。
脂が残らない。
割れない」
「それは」
「革が、
長く耐えるということです」
沈黙。
エルサは、
革を受け取る。
触る。
曲げる。
匂いを嗅ぐ。
時間をかけて。
「……静かですね」
「はい」
「革が、
主張していません」
その言葉に、
俺は少し驚いた。
職人でも、
なかなか言わない表現だ。
「……すなわち」
俺は、
慎重に言葉を選ぶ。
「革が、
怒っていない」
エルサは、
小さく頷いた。
「院長は、
こう言っていました」
エルサは言う。
「聖書は、
言葉を守る器です」
「器が、
自己主張してはいけない、と」
その瞬間、
頭の中で、
何かが噛み合った。
要するに。
革は、
前に出るべきではない。
だが、
支えなければならない。
それは。
俺が、
ずっと考えていた
“良い革”と、
同じ定義だ。
「……お引き受け、
できますか」
エルサが問う。
グスタフが、
答える前に
俺が口を開いた。
「はい」
少し、
間があった。
「すなわち」
俺は続ける。
「聖書に、
耐えられる革なら」
「他の用途にも、
耐えられます」
エルサは、
静かに微笑んだ。
「では」
「院長に、
そう伝えます」
彼女が帰った後、
工房はしばらく無言だった。
「……やばい仕事、
引き受けたな」
グスタフが言う。
「はい」
否定しない。
「聖書だぞ」
「はい」
「失敗したら、
街中に知れる」
ないわー。
普通なら、
断る。
だが。
「……すなわち」
俺は、
革を見た。
「一番、
誤魔化せない仕事です」
グスタフは、
しばらく黙り、
それから笑った。
「……昔から、
あの院長は
無茶を言う」
ハウス・グスタフの革が、
聖書を包む。
その意味を、
俺はまだ
全部は理解していない。
だが。
要するに。
「不純だ」と言われた革が、
最も清い場所に
置かれようとしている。
ないわー。
これ、
絶対に
面倒なやつだ。
だが。
すなわち、
避けられない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第七話では、
エルサが
はっきりと前に出てきました。
ですが、
彼女は何も
解決していません。
助けてもいません。
庇ってもいません。
正論を言ったわけでもありません。
ただ、
見ていました。
エルサは、
制度の外にいます。
同時に、
感情の外にもいます。
だからこそ、
彼女の存在は
この物語の中で
少し異質です。
テオドールが
技術を通して世界を見るのに対し、
エルサは
言葉と時間を通して世界を見ています。
どちらも、
急がない。
どちらも、
誤魔化さない。
ただし、
立っている場所が違う。
この違いが、
この先の物語で
大きな意味を持ちます。
もし第七話を読んで、
「静かすぎる」「何も起きていない」
と感じた方がいれば、
それは正しい感想です。
この回は、
嵐の前でも後でもなく、
嵐の横に立っている話です。
次の話から、
修道院案件が
具体的に動き出します。
祈りと技術が、
同じ机に並べられます。
革は、
今日も
正直でした。
正直なものが
いつも
守られるとは限らない。
その現実に、
物語はもう一歩
踏み込みます。




