第12話「工機班長 小澤」短章 - アイツの遺したもの
墓は、終わりを保証してはくれない。
名前を刻んだ石は、問いを封じるためのものではない。
むしろ、遅れて追いついてくるものがある。
小澤が墓に来たのは、特別な日でも命日でもなかった。
ただ、ふと「二年経ったな」と思い仕事帰りに寄っただけ。
花屋でいちばん安い白菊を選び、線香を一本だけ買う。
相変わらず合理的だ、と自分で思う。
墓地は静かだった。
風も弱く、冬の名残がようやく抜け始めた頃だ。
墓石の前に、先客がいた。
黒いコートの背中。
少しだけ小さく見える肩。
長い髪を後ろで束ねた、高校生くらいの女の子だった。
──ああ。
小澤は、すぐに分かった。
「……もう、そんな歳か」
声には出さず、胸の中でだけ言う。
彼女は気配に気づいて、軽く振り返った。
一瞬だけ警戒する目。
それから、墓石の名前を見て、納得したように視線を戻す。
「……父の、知り合いですか」
少し低めの声だった。
大人ぶっているが、まだ揺れている。
「うん。……仕事仲間だった」
嘘ではない。
全部でもないが。
小澤は一歩離れたところで、花を置いた。
線香に火をつけ、黙って手を合わせる。
二年分の言葉は、もう出てこなかった。
彼女も、何も言わない。
ただ、墓を見つめている。
「……二年、早いですね」
ぽつりと彼女が言った。
「そうだな」
それ以上、続かなかった。
やがて彼女は一礼し、先に立ち去る。
去り際、少しだけ立ち止まり、
「……来てくれて、ありがとうございます」
そう言って、頭を下げた。
小澤は返事をしなかった。
代わりに、ほんの少しだけ手を挙げる。
彼女の背中が見えなくなってから、
小澤は墓に向かって小さく息を吐いた。
「……ちゃんと、生きてるぞ」
それが誰に向けた言葉か、
自分でも分からなかった。
線香の煙が、ゆっくりと空に溶けていく。
◆◆◆
「……あの」
墓地の出口、さっきの少女が立っていた。
息を整えるように、一度だけ深呼吸をしてから、言う。
「わたし、すみれと言います」
「父の仕事のこと……教えてもらえませんか」
直球だった。
遠慮も、前置きもない。
「どうして」
自然に、そう聞いていた。
少女は一瞬だけ視線を落とし、
それから、まっすぐに小澤を見る。
「学校では、父は“事故で亡くなった人”です」
「家では、“仕事の人”でした」
言葉を選んでいるが、覚悟は見える。
「でも……どっちも、よく分からないままで」
小澤は答えなかった。
代わりに、空を見上げる。
二年前の記憶が、妙に生々しく戻ってくる。
喉の奥が、あの時と同じように乾いた。
「……楽な仕事じゃなかった」
それだけを、まず言った。
少女は頷いた。
それは、もう知っている、という頷きだった。
「危ないことも?」
「多分、想像してるよりは」
「父は、逃げなかったですか」
その問いで、決まった。
小澤は少女の目を見る。
高校生の目だが、もう子供ではない。
「逃げなかった」
「逃げなかったから、あそこにいる」
少女は、少しだけ唇を噛む。
それから、小さく息を吐いた。
「……なら」
一拍、置いて。
「私だけ、何も知らないままなのは……嫌です」
小澤は、しばらく黙っていたが、
やがて、ポケットに手を入れ、名刺を一枚取り出した。
「今すぐ全部は無理だ」
「それでもいいなら」
名刺を差し出す。
「大人になってからでもいい」
「その時、まだ聞きたいなら……話す」
少女は名刺を受け取った。
指が、ほんの少しだけ震えている。
「……ありがとうございます」
頭を下げるその仕草は、
俺がスパナを持ちながら叱った
アイツに、よく似ていた。
別れ際、小澤は背中越しに言う。
「一つだけ覚えておいてくれ」
「アイツは、“後悔しない選択”をした」
少女は振り返らず、
ただ、強く頷いた。
小澤はその場に立ち尽くし、
墓地の方を、もう一度だけ振り返る。
「……厄介なもの、残しやがって」
墓地の方を見たまま、小澤は呟いた。
それが愚痴なのか、
誇りなのかは、分からなかった。
知らなくても、生きてはいける。
だが、一度触れてしまった問いは、
時間を置いても、必ず戻ってくる。
それが選択だったのかどうかは、まだ分からない。




