第12話テオドール短章 - 要するに、謎は深まる
旅が一区切りついた夜は、
何かが起きた日よりも、
何も起きなかった日の方が長く感じられる。
外から見れば、ただ休んでいるだけの時間。
だが、動いていないように見えるものほど、
内部ではゆっくりと形を変えている。
この短章は、
その「変わったことに、まだ意味を与えない夜」の記録である。
灯りはすでに落としてあった。
運河を渡る水音が、宿の壁を通して低く響いている。
テオドールは、
天井を見たまま目を閉じようとした。
——嫌な予感は、しなかった。
だからこそ、不意に来た。
解析が、静かに立ち上がる。
視界の裏側に、いつもの半透明の層。
だが、配置が少し違う。
項目が——増えている。
[解析スキル:更新通知]
ランク:マイスターランク IV
・発酵・分解過程認識 Lv.2
・化学反応補助解析 Lv.1
・材料適応補正 Lv.1
テオドールは、内心で首をかしげた。
「……発酵?」
革なめしの工程が、自然と頭に浮かぶ。
脂、尿、石灰、樹皮。
腐敗と紙一重の“変化”を、見極め続ける作業。
「まあ……使えなくはなさそうだけど」
革の具合が
「今は触るな」
「ここで止めろ」
と分かるなら、助かる場面はある。
だが、そこまでだ。
画面を流し見していると、
一箇所だけ、異様に無機質な表示が目に留まった。
[削除済]
前回も表示されていた項目だが、淡く点滅している。
触れると、短いテキストが浮かぶ。
・聖遺物の所持、または破壊によって復帰可能
「……は?」
意味は、分からない。
そもそも“削除済”の理由が書いていない。
革にも、商いにも、今の生活にも、
どう繋がるのか見当がつかなかった。
「まあ……今は関係ないな」
指を離すと、表示は消えた。
次に現れたのは、設定画面だった。
《スキル共有設定》
・対象:家族
・状態:ON
テオドールは、思わず苦笑する。
「家族、ねえ」
「……まあ、家族とか、いないけど。
すくなくとも、この世界では」
そう呟いた瞬間、
胸の奥に、かすかな引っかかりが走った。
前世の記憶。
食卓の向こう側。
笑っていた妻。
椅子に座って足をぶらぶらさせていた、小さな娘。
顔は、もうはっきりしない。
声も、遠い。
それでも、
「共有」という言葉だけが、やけに生々しかった。
テオドールは設定を切り替えなかった。
さらに下。
初めて見る表示。
《未配布のスキルポイント》
所持:15
既存スキルの強化に使用可能。
「……ずいぶん溜まってるな」
詳細は、開かなかった。
急ぐ理由はない。
工程は、まだ安定している。
「後でいい」
今すぐ強くなる必要はない。
革は逃げないし、
答えを急ぐ理由もない。
画面を閉じると、解析は素直に消えた。
暗闇が戻る。
水音。
木造の軋み。
遠くの船の気配。
テオドールは目を閉じた。
道具は、手に入れた瞬間に役立つとは限らない。
使い方を決めないまま、
ただ持っている時間の方が長いこともある。
この夜に起きた変化も、
今のテオドールにとっては
「少し便利になった」程度のものだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
だからこそ、
彼は何も決めず、
何も使わず、
そのまま眠りについた。




