第11話???短章 - それでも、失われた鞘を知る声
英雄とは、剣を振るう者の名ではなかった。
それを支え、待ち、拒むものがあって、はじめて呼ばれる名だった。
この章は、まだ語られなかった「欠けたもの」の側から始まる。
「……英雄は、まだ現れぬか」
低く、乾いた声だった。
怒りでも祈りでもない。
長く抱え続けた問いが、形を持っただけの響き。
女は深い森の中で立つ。
背は高く、姿勢は崩れていない。
霜を思わせる色の髪が、風にわずかに揺れる。
白でも銀でもないその色は、光の具合で淡く変わり、
生きているのか、記憶の一部なのか判然としない。
肌は青白い。
病ではなく、土地に馴染みすぎた者の色だ。
顔は半ば横を向き、
頬からこめかみにかけて、青い文様が覗いている。
飾りではない。
意味が、皮膚の奥に沈んだ痕だ。
緑の瞳は澄み、
人ではなく、人の先を見ている。
「時代が、重なりすぎた」
静かに、そう言った。
「剣は折れ、王は斃れ、名は塵となった。
だが――鞘だけは残るはずだった」
外套の下で、指がわずかに動く。
「ヤドリギの剣の、聖なる鞘」
「刃を選び、血を拒み、時を定める境」
「英雄王の権威、地と肉体とを結ぶ要」
それを失った瞬間から、
部族は語らなくなった。
それぞれが、自分の刃だけを信じるようになった。
「本来、我々の中心にあれはあった」
悔恨とも、断定ともつかぬ声。
「英雄が現れぬのではない。
英雄が、現れられぬのだ」
風が鳴り、影が揺れる。
「刃だけの時代に、英雄は長く生きられぬ」
一拍置いて、女は続ける。
「それでも、待つ。
鞘は奪われたのではない。
時代の奥に、隠されたのだ」
「奴らはそれを聖剣の鞘と名付け」
「我らが神の名を覆い、別の名を被せる」
霧の中で、輪郭が薄れる。
「英雄よ。
刃を持つな」
最後の言葉は、ほとんど囁きだった。
「――まず、鞘を探せ」
声が消え、
そこに誰がいたのかは、もう分からない。
残されたのは、
長い時間、静かに震える沈黙だけだった。
彼女は答えを与えなかった。
ただ、問いの形を少しだけ正しくした。
英雄が現れない理由は、英雄の不在ではない。
世界が、まだそれを抱く準備を終えていないだけなのだ。




