第05話 - 正しい街ほど、変化を嫌う。要するに。
街は、
革職人一人の手つきでは
揺らがない。
秩序は、
毎日の仕事と、
昨日と同じ手順で
保たれている。
だからこそ、
異物は
目立つ。
それが
善意であれ、
技術であれ、
結果であれ――
理由は問われない。
この話は、
変えようとする者の話ではない。
守ろうとする者たちの話だ。
クレフェルトの朝は、律儀だ。
教会の鐘が鳴り、
市が動き、
職人たちが通りに滲み出す。
革の匂いは川沿いから広がる。
この街では、それは悪臭ではない。
生活の匂いだ。
要するに、
変わらないことが信用だった。
ハインリヒ・フォーゲルは、その信用の中で生きてきた。
革職人ギルドのマイスター。
三十年以上、工程を変えず、
事故を起こさず、
失敗を増やさず。
突出はない。
だが、破綻もない。
要するに、
壊さない男だ。
市の通りを歩き、
店先に並ぶ革を見る。
靴。
袋。
帯。
どれも、見慣れた品質。
それでいい。
革というのは、目立つべきではない。
――だが。
足が止まる。
一枚の革。
柔らかい。
均一。
匂いが軽い。
(……要するに、違う)
良すぎる。
ハインリヒは、その革の出所を知っていた。
ハウス・グスタフ。
最近、妙に評判がいい。
しかも。
――見習いが、工程に口を出している。
「……不純だな」
思わず、口に出た。
不純だ。
革が、ではない。
やり方が、だ。
通りを歩く。
石畳。
家並み。
職人の看板。
すべてが、昨日と同じ場所にある。
要するに、
秩序が守られている。
秩序は、時間だ。
積み重ねだ。
一度崩れれば、戻らない。
革職人ギルドも、同じ。
革は、革であるべきだ。
余計な混ぜ物は、いらない。
ハウス・グスタフの扉を開ける。
――匂いが違う。
悪くはない。
むしろ、整いすぎている。
(要するに、これだ)
革を取る。
曲げる。
引く。
嗅ぐ。
「……均一すぎる」
革は、生き物だった。
個体差がある。
癖がある。
それを、
“消している”。
要するに、
長く続かない。
グスタフが前に出る。
「うちの革だ」
「知っている」
視線を巡らせる。
そして、若い男。
細身。
目が、妙に落ち着いている。
「……お前が、テオドール・ゲルバーか」
「はい」
返事が早い。
(……不純だ)
若造が、
この場で?
「工程を変えたな」
「はい」
否定しない。
それが、
一番気に入らない。
「伝統から外れている」
「……結果は出ています」
若造は、そう言った。
丁寧だ。
だが。
要するに、
制度を理解していない。
「結果は、今だけだ」
ハインリヒは言う。
「革は、時間を背負う」
若造の目が、わずかに動く。
理解しようとしている。
それが、危うい。
理解しようとする若者ほど、
余計なものを混ぜる。
「ギルドに報告する」
そう告げた瞬間、
空気が変わった。
それでいい。
要するに、
これは個人の話ではない。
帰り道。
市の通りは、相変わらず整っている。
革屋の前を通る。
同じ品質の革が並んでいる。
それが正しい。
――だが。
ハウス・グスタフの革が、
頭から離れない。
柔らかさ。
均一さ。
匂い。
「……不純だ」
良すぎる革は、
基準を壊す。
基準が壊れれば、
秩序が壊れる。
要するに、
街が壊れる。
教会の尖塔を見上げる。
この街は、
変わらなくていい。
変わらないから、
続いてきた。
見習い一人で、
揺らしていいものではない。
――要するに。
ギルドが決める。
ハインリヒは歩き出す。
知らないところで、
すでに一つ、
歯車が噛み合い始めていることを――
まだ知らない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第五話では、
物語の視点が
少しだけ主人公から離れました。
テオドールは、
この回でも
特別なことはしていません。
むしろ、
何もしていないに近い。
それでも、
街は動きます。
クレフェルトは、
豊かで、
秩序があり、
革職人の街として
十分に成功しています。
だからこそ、
「変わらない理由」が
たくさんあります。
保守派は、
無能でも
悪意の塊でもありません。
彼らは、
これまで街を支えてきた
当事者です。
ハインリヒも同じです。
彼は嫌な男に見えますが、
少なくとも
無責任ではありません。
だから、
彼の言葉は
いちいち重く、
面倒で、
無視できない。
この回は、
敵と味方を
分ける話ではありません。
「正しさが複数ある場所」に
足を踏み入れた、
その瞬間の話です。
次から、
このズレは
もう少し具体的な形を
取り始めます。
革は、
まだ嘘をついていません。
ただ、
街のほうが
先に結論を出したがっています。
もう少しだけ、
この街に
付き合ってください。




