第04話 - 当たり前になった時点で、面倒は始まる。すなわち。
疑念は、
個人の感情であるうちは
まだ柔らかい。
だが、
それが
肩書きを着て現れた瞬間、
空気は変わる。
技術は、
正しいかどうかではなく、
許されるかどうかで
試されることがある。
この話は、
革の話ではない。
革を見ている
人間の話だ。
変化というものは、
だいたい音もなく起きる。
ある日突然、革命が起きるわけじゃない。
昨日と今日の違いが、
明日になると説明できなくなる。
すなわち、
気づいたときには戻れない。
一ヶ月が過ぎた。
工房の朝は、相変わらず臭い。
だが、その臭いは、
もう「不快」ではなかった。
ないわー。
人間の慣れというのは、
本当に信用ならない。
桶は増え、
乾燥棚は埋まり、
市に出す革は、
ほぼ全部が“問題なく売れる”ようになった。
問題なく、というのが重要だ。
突出して良い、ではない。
失敗しない。
割れない。
臭わない。
すなわち、
安定している。
職人にとって、
これ以上の褒め言葉はない。
「……最近、
捨て革が減ったな」
誰かが言った。
「気のせいだろ」
そう返しながら、
誰も否定しない。
俺は桶の前に立ち、
泡を見る。
【解析】は、
もう見なくてもいいことを、
いちいち教えてくる。
温度:適正
状態:安定
危険:低
(……知ってる)
わかっていることを、
もう一度言われるのは、
少し鬱陶しい。
すなわち、
俺の頭の中に、
基準ができたということだ。
昼。
革を運んでいると、
視線が刺さる。
今までとは違う質の視線だ。
評価でも、
警戒でもない。
――計測。
ないわー。
これは、
面倒なやつだ。
「……お前が、
あの見習いか」
声は、
工房の外から来た。
振り向くと、
知らない男が立っている。
服は、
少しだけ良い。
靴も、
工房の人間のものじゃない。
「……はい」
「革職人ギルドのハインリヒ・フォーゲルだ。革を見せろ」
断る理由はない。
革を渡す。
男は、
何も言わずに触る。
曲げる。
引く。
匂いを嗅ぐ。
時間をかけて。
「……均一だな」
短い感想。
「誰のやり方だ」
空気が、
一段、重くなる。
グスタフ親方が前に出る。
「うちのやり方だ」
嘘ではない。
だが、全部でもない。
男は、
俺を見る。
「……若いな」
「見習いです」
「見習いが、
工程を?」
その言い方には、
答えが含まれている。
ないわー。
これは、
“確認”じゃない。
“指摘”だ。
「伝統から、
外れている」
男は言った。
「革は、
こういうものだ」
“こういうもの”。
便利な言葉だ。
意味がなくて、
強い。
すなわち、
思考停止の別名。
「……結果は、
出ています」
俺が言うと、
男は鼻で笑った。
「結果は、
今だけだ」
視線が、
冷たい。
「やり方は、
後に歪みを生む」
――保守派だ。
頭の中で、
ラベルが貼られる。
ないわー。
来るとは思っていた。
だが、
思っていたより早い。
男は、
グスタフに言った。
「ギルドに、
報告が必要だな」
空気が凍る。
グスタフは、
何も言わない。
その沈黙が、
答えだった。
男が去った後、
工房は静まり返った。
木槌の音が、
やけに大きい。
俺は、
桶を見つめる。
泡は、
いつも通りだ。
すなわち、
革は悪くない。
「テオドール」
グスタフが言う。
声は低い。
怒りでも、
擁護でもない。
「……面倒を、
呼んだな」
「……はい」
否定できない。
「だが」
親方は、
革を手に取る。
「戻すつもりも、
ない」
その一言で、
胸が少し軽くなった。
すなわち、
後戻りはしない。
夜。
藁の上で、
天井を見る。
梁は、
相変わらず低い。
だが、
思考はもう、
押し潰されない。
ないわー。
楽な道は、
完全に消えた。
だが。
理解してしまった以上、
知らなかったふりはできない。
すなわち、
進むしかない。
革は、
今日も正直だった。
問題は、
人間だ。
俺は目を閉じる。
次は、
説明が必要になる。
説明できないことは、
この世界では“異物”だ。
ないわー。
だが。
すなわち、
それが次の仕事だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第四話では、
初めて「立場を持った疑念」が登場しました。
ハインリヒは、
声を荒げません。
剣も抜きません。
脅しもしません。
ただ、
正しい顔をして立っているだけです。
それが一番、
厄介です。
彼の言葉は、
感情ではなく
制度の側から来ています。
だからこそ、
反論しにくく、
無視もしにくい。
テオドールは、
まだ戦っていません。
弁明もしていません。
説得もしようとしていません。
ただ、
いつも通り
革を見ています。
ですが、
相手はもう
革を見ていません。
見ているのは、
やり方であり、
姿勢であり、
許せるかどうかです。
このすれ違いが、
これから少しずつ
広がっていきます。
もし読んでいて、
ハインリヒに
嫌な印象を持ったなら、
それは自然な反応です。
ただし、
彼はまだ
悪役ではありません。
次の話で、
彼はさらに
嫌なことを言います。
そして、
それは彼なりに
筋が通っています。
もう少しだけ、
この空気に
付き合ってください。
革は、
まだ
黙っていますが、
人の言葉は
増えていきます。




