表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
止める者、止まるもの、選ばれる道 ― アルプス越え編 ―
36/81

第02話 - まあ…なんだ、選ばれる事と選ばれない事

人は、

選ばれた瞬間にだけ、

自分の価値を知るわけではない。


選ばれなかった時。

名前が呼ばれなかった時。

沈黙の側に置かれた時。


そこに、

その人の人生の重さが、

もっとはっきりと現れることがある。


この章で描かれるのは、

祝福のように見える選択と、

その裏側にある、

避けられない分岐だ。

城門は、思っていたよりも低かった。


高く、威圧するための城ではない。

むしろ――人が住むための城だ、とテオドールは思った。


門が開き、衛兵が一礼する。

中庭へ一行が進み出たところで、待っていた男が大きく一歩、前へ出た。


小太り。

だが、立派な髭もあってだらしない印象はない。

肩幅があり、腹回りも同じくらいあり、よく動く体を無理に止めているような――そんな壮年の男だった。


「……まあ、なんだ……」

男は、安心した表情で喉を鳴らした。


「遅かったな、ベアトリクス」

その声を聞いた瞬間、

ルドヴィコの顔から、血の気が引いた。


笑顔のまま、男は胸に手を当てる。


「ご客人の方々、姫を助けてくれたと聞いた、礼を言う

 私はリヒャルト=フォン=ケルノワだ。

 この城の主――とは言え、堅苦しい肩書きは苦手でな」


「……っ」

ルドヴィコは、はっきりと息を呑んだ。


「ケ、ケルノワ……?」

思わず零れた声に、リヒャルトは目を瞬かせる。


「おや。名前に覚えが?」


「い、いえ……その……」

ルドヴィコは口を開き、閉じ、そして観念したように言った。


「……いや。絶望的状況、というやつでして」

テオドールは横目で彼を見る。

――あ、これ、相当だな。


「聞いて、聞いて!」

その空気を、軽やかに破ったのはベアトリクスと呼ばれた「姫」だった。


一歩前に出て、満面の笑みで言う。


「次は私の番よね?」

彼女は胸を張り、くるりと一回転する勢いで言った。


「ベアトリクス=フォン=ファルケンブルク!

 父は……ええと、最近の戦争で亡くなったのだけど」

一瞬、場の空気が引き締まる。


だが、ベアトリクスはすぐに続けた。

「そのあとで、リヒャルト様と婚約したの。

 もうすぐ結婚する予定なのよ。おもしろいわ!」


――おもしろい、で済ませる話か?


エルサは思わず瞬きをした。


祖父と孫、と言われた方がまだ納得がいく年の差。

だが――


「とは言えだな」

リヒャルトが、困ったように笑う。


「この娘は、儂の言うことをほとんど聞かん」


「聞いてるわよ?

 でも、聞いたうえでやらないだけ!」


「ほらな」


ベアトリクスは、彼の腕に両手でしがみついた。

「ねえ、ねえ、今日はどこから案内してくれるの?

 私、旅人を迎えるの、好きなのよ。聞いて、聞いて!」


その様子は――

確かに、婚約者というより、祖父に甘える孫だった。


「……なるほど」

エルサが呟く。


テオドールが、思わず口にする。

「まあ……大丈夫、ということですね」


「大丈夫よ!」

ベアトリクスは即答した。

「ね?」


「……まあ、なんだ……」

リヒャルトは、ふう、と一息ついたあと、

改めて一行を見回した。


最初に視線が向いたのは、テオドールだった。


革職人の装い。

だが、立ち方が少し違う。


「……ほう」

それだけ言って、次へ移る。


次は、ルドヴィコ。


彼の青ざめた顔を見るなり、

リヒャルトはわずかに眉を動かした。


――察した、という反応だった。

「とは言え……」


何かを言いかけ、

だが言葉を変える。


そして。


エルサを見た。


ほんの一瞬だった。


だが――

リヒャルトの表情が、はっきりと止まった。


笑みが消える。

呼吸が、わずかに浅くなる。


――箱。


それに触れた記憶だけは、

思い出してはならない。


リヒャルトは即座に、その考えを切り捨てた。


まるで、

見てはいけないものを見た

――そんな間。

「……」


誰も、その理由が分からない。


エルサ自身でさえ、

ただ静かに、視線を返すだけだった。


「……まあ、なんだ……」

リヒャルトは、咳払いで空気を戻した。

「失礼した」


だが、

その目はもう一度、

確かめるようにエルサを見てから、

城の内側へと視線を向けた。


「せっかくの縁だ、

 事情は、城の中でゆっくり聞こう」

彼は手を広げた。


「暫く滞在してくれると嬉しい。

 客人を追い出す趣味はないし、ベアトリクスもよろこぶ」


「そうよ!」

ベアトリクスが宣言する。


「……助かります」

エルサは静かに頭を下げる。


「では」

リヒャルトはにこりと笑った。


「中へ。

 話は、暖かい場所でするものだ」


城門の内側へ、一行は歩き出す。


ルドヴィコだけが、最後まで青ざめた顔で呟いた。

「……大丈夫。

 大丈夫、なはずだ……」


その背中を、ベアトリクスが楽しそうに見ていた。

「ほんとに、おもしろいわ!」


◆◆◆


城の中は、外から見た印象よりもずっと明るかった。


石の壁に掛けられた布は色あせているが、

よく手入れされている。

人が長く暮らしてきた場所の匂いがした。


「ねえ、聞いて、聞いて!」

ベアトリクスは、歩きながらリヒャルトの腕に絡みつく。


「この人たち、ケルンから来たんですって!」


挿絵(By みてみん)


「ほう」


「それでね、ヴェネツィアへ向かう途中なのよ」


リヒャルトは足を止めた。

「……それは、大変な旅だな」


声の調子は穏やかだが、

言葉の重みは、先ほどよりも少しだけ深い。


「山もある。関所もある。

 とは言え、今は道が荒れている」


ルドヴィコが、慎重に頷く。

「……おっしゃる通りで。

 順調とは、とても」


「だろうな」

リヒャルトは短く笑った。


「だが、ここまで来たのなら、

 ひとまずは無事だ」


その視線が、今度はテオドールに向く。

「で、君が革職人だと聞いた」


「はい」

テオドールは即答した。


「城で使っている革製品があれば、

 少し見てもらえないだろうか」

それは、試すような言い方ではなかった。

むしろ――頼る口調だった。


「修理でも、意見でもいい。

 城の物は、どうしても古くなる」


「……できる範囲であれば」

テオドールは一瞬考え、そう答えた。


「十分だ」


その会話を遮るように、

足音が近づいてくる。

「失礼いたします」


召使いが一礼し、低い声で告げた。

「ボヘミア王より、書状が届いております」


その瞬間、

空気が、わずかに変わった。

「……そうか」


リヒャルトは、ほんの一拍、沈黙する。

「すまん。

 少し、執務室に失礼する」


ベアトリクスが、むっとした顔をする。

「えー、今?」


「すぐ戻る」

そう言って、彼は一行に向き直った。

「ここは自由に使ってくれ。

 姫――いや、ベアトリクスが案内する」


「任せて!」


リヒャルトの背中が廊下の奥に消える。


残された空気は、

少しだけ軽く、そして妙に静かだった。


「……ねえ」

ベアトリクスが、首を傾げる。


今度は、エルサを見ていた。

「あなた、不思議」


「……そうですか?」


「だって」

ベアトリクスは、考えるように言葉を探す。


「修道女でしょう?

 でも、誰にも縛られてない感じがするの」


エルサは、少しだけ考えた。


そして、静かに答える。

「……縛られているものが、

 他の人と違うだけです」


「違う?」


「はい」

エルサは、視線を床に落とす。

「私は、場所ではなく、

 記録と約束に属しています」


ベアトリクスは目を瞬かせた。

「それって、自由なの?」


「……どうでしょう」

エルサは微かに笑った。


「少なくとも、

 自分で選んだ不自由ではあります」


「ふうん……」

ベアトリクスは、少し楽しそうだった。


「やっぱり、おもしろいわ!」


廊下の奥で、

重い扉が静かに閉まる音がした。


◆◆◆


扉が閉まった瞬間、

リヒャルトは、その場に立ったまま動けなくなった。


書状は、薄い羊皮紙だ。

だが、手に伝わる重さは、石のようだった。


封蝋を割る。

文面は簡潔だった。


丁寧で、礼儀正しく、

そして――冷たい。


ボヘミア王は、

次の選帝において、

リヒャルト=フォン=ケルノワを推さない。


代わりに支持するのは、

アルフォンス十世。


それだけで、十分だった。


「……はは」

声にならない息が漏れる。


冷や汗が、背中を伝った。

鎧を着ていないのに、

脱げないものを着せられたような感覚。


――終わった。


いや、

終わらせられた。


これで、

戦争は避けられない。


誰かが剣を抜く。

誰かが旗を掲げる。

誰かが名前を与えられ、

誰かが、名もなく死ぬ。


「……とは言え……」

言葉は、何の役にも立たなかった。


自分が諦めて、

どこかへ逃げればいいのか?


できる。

馬もある。

金もある。

逃げ道は、いくらでも思いつく。


だが――


ケルン大司教。

マインツ大司教。

ライン宮中伯。


自分を選んだ者たち。


彼らは、逃げられない。

名があるからだ。

立場があるからだ。


自分が消えれば、

彼らが矢面に立つ。

そして彼らに仕える人々やその家族…


進めば、地獄。

引けば、地獄。


椅子に手をつく。


――では、どうする?


答えは出ない。


脳裏に浮かんだのは、

城の廊下で笑っていた少女の顔だった。

「……ベアトリクス」


もし、自分が死ねば。

彼女は、どうなる。


父を失い、

祖父のような男に預けられ、

その男も戦争で死んだとしたら。


名前だけが残る。

財産だけが残る。

そして――狙われる。


守るために婚約したはずだった。

守るために名を使ったはずだった。


なのに。


「……まあ、なんだ……」

誰に向けた言葉でもない。


自分が生きても、

死んでも、

誰かが壊れる。


それでも――

選ばなければならない。


リヒャルトは、書状を畳み、

胸に押し当てた。


逃げ道を探すのではない。

生き残らせる道を探す。


それが、

自分に残された唯一の仕事だった。

選ばれることは、

誇りになる。


だが同時に、

逃げられなくなる。


選ばれなかった者は、

傷つくかもしれない。

しかし、まだ道を選べる。


リヒャルト=フォン=ケルノワは、

そのどちらにも立てなかった。


名を選ばれず、

それでも人を選んでしまった男の話は、

ここから、静かに重くなっていく。


それでも――

誰かを護るために選ぶことは、

決して、間違いではない。


たとえそれが、

地獄へ続く選択だったとしても。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ