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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
止める者、止まるもの、選ばれる道 ― アルプス越え編 ―
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第01話 - だからこそ、進まない理由

進めないものは、壊れているとは限らない。

止まっている理由が、外から見えないだけだ。


力を加えれば、かえって傷が深くなることもある。

だが、何もしなければ、

状況そのものが人を試し始める。


この章で起きるのは、

小さな出来事だ。

剣も、魔法も、戦もない。


それでも――

一歩進むたびに、

戻れない場所が、静かに増えていく。

馬車は、進まなくなることがある。


壊れたわけではない。

道が崩れたわけでもない。


ただ――

前へ行かなくなる。


揺れに慣れきった身体が、

その変化を先に察した。


「……止まるな」


テオドールが呟くと、

ほどなく御者が手綱を引いた。


「前方で、馬車が立ち往生しています」


視線の先、

森道の緩やかな曲がり角に、

一台の馬車が止まっていた。


造りは良い。

だが、派手ではない。


護衛の兵が数名。

御者が一人。

そして――肝心の馬が、動かない。


暴れていない。

怯えてもいない。


ただ、

一歩も前に出ようとしなかった。


「事故には見えませんね」


ルドヴィコが、低い声で言う。


彼はすでに周囲を見ていた。

兵の数、装備、距離感。


「身分のある方だ。

だが、軍ではない」


「……馬の様子が、おかしい」


エルサが静かに言った。


彼女は馬そのものではなく、

“人の動き”を見ていた。


御者が困惑している。

兵が苛立っていない。


つまり――

無理に進ませる理由が、ない。


テオドールは馬車を降りた。


「少し、様子を見てきます」


近づいても、

馬は反応しなかった。


耳は立っている。

呼吸も落ち着いている。


外見上は、

何一つ問題がない。


それでも、進まない。


テオドールは膝をつき、

蹄を見る。


[解析対象:馬蹄・固定構造]

外観異常:なし

固定状態:不均一

圧力集中:局所

推定反応:疼痛回避


「……なるほど」


釘の一本。

ほんのわずかな角度。


それだけで、

体重がかかるたび、

痛みになる。


外からは、分からない。


「蹄を、少し触っても?」


御者は一瞬迷い、

馬を見る。


馬は、逃げなかった。


「……お願いします」


テオドールは蹄を持ち上げ、

釘を一本抜き、

角度を直し、

打ち直す。


力は要らない。

判断だけだ。


「……歩かせてください」


馬は、一歩。


次に、もう一歩。


嘘のように、前へ進いた。


「動いた……!」


そのときだった。


馬車の扉が開き、

小さな影が飛び出してくる。


年若い少女。

淡い色の外套。


「すごい……!」


挿絵(By みてみん)


彼女は迷いなく駆け寄った。


「ありがとう!

馬さん、痛かったんだよね?」


「……ええ。

たぶん、ですが」


少女は嬉しそうに笑った。


「助けてくれてありがとう!

私――」


「姫!」


衛兵の鋭い声が割り込む。


「見知らぬ平民に、

名乗ってはなりません」


少女はきょとんとする。


「え?

でも助けてくれたのに?」


「規則です」


「……むう」


姫と呼ばれた少女は、

少しだけ頬を膨らませ、

それからテオドールを見た。


「じゃあ、名前は言えないけど……」


にこっと笑う。


「お礼はしたいの。

お城に来てくれる?」


◆◆◆


「この馬車あまり揺れないね、どうして?」


衛兵に注意されながらも強引に、

「姫」はテオドール達の馬車に乗り込んでいた。


「このお兄さんは腕の良い職人なのさ」

ルドヴィコが軽口をはさむ。


城へ向かう馬車は、

先ほどまでとは揺れが違った。


舗装が良い。

護衛の配置も変わっている。


「……前後を固められましたね」


ルドヴィコが囁く。


「断れない招待ですか」


「断れば無礼、

応じれば責任が生まれる」


向かいの席で、

姫と呼ばれた少女は外を見ていた。


「ねえ」


振り返る。

先ほどまでの弾んだ様子はない。

木立の隙間を流れていく光を、

数を数えるように目で追っている。


「……さっきは、ごめんなさい」


不意に、彼女が言った。


テオドールは、少しだけ視線を向ける。


「驚かせてしまったでしょう?」


声は柔らかいが、言葉の選び方は慎重だった。

謝る理由を、ちゃんと分かっている人の言い方だ。


「いいえ。お気になさらず」


そう答えると、

少女は小さく頷いた。


「馬が止まったままだとね、

 周りの人たちが、だんだん怖くなるの」


それは経験から出た言葉だった。

想像ではなく、知っている口調。


「誰かが怒りだす前に、

 動かないといけない。

 でも、無理に動かすと……」


言葉を切り、

彼女は自分の膝に手を置いた。


「もっと悪くなることも、あるでしょう?」


テオドールは、否定しなかった。


「ええ」


短く答える。


少女は、それで満足したようだった。


「だから、助かりました」


笑顔は控えめだったが、

その目には、子ども特有の無邪気さだけではない光があった。


「“ちゃんと見てくれる人”がいるって、

 分かると……少し、安心するの」


それ以上は語らず、

彼女は再び窓の外へ視線を戻した。


まるで、

余計なことは言わないと決めたかのように。


◆◆◆


馬車は衛兵に先導されながら深い森(プファルツの森)の中を進む。

少女は外を見ながら歌を歌っている。


ルドヴィコがテオドールとエルサに手で合図し

身を乗り出して囁く。


「……聞いていいか」


「何ですか」


「さっきのあれ、

下手をすると絶望的状況だった」


エルサが、驚いてルドヴィコを見る。


「絶望的……ですか?」


「ああ」


ルドヴィコは頷く。


「身分の高い人物の馬が動かない。

原因不明。

時間だけが過ぎる」


彼は指を二本立てた。


「第一に、

こちらが“何もしない”場合」


少し間を置く。


「――無礼」


「……」


「第二に、

こちらが“勝手に手を出す”場合」


今度は即答だった。


「――越権。

つまり、絶望的状況!」


エルサは小さく息を呑む。


「では、

どうするのが正解だったんですか?」


ルドヴィコは、

テオドールを見る。


「君のやったことだ」


「?」


「理由を説明せず、

結果だけを出した」


それから、

ふっと表情を緩めた。


「だから今は――」


姫と呼ばれた少女は歌声を止め、

窓の外に向かって手を振っている。


ルドヴィコは肩をすくめ、

いつもの調子で言った。


「大丈夫!」


その言い方は、

軽い。


だが、

その裏にある計算は、重い。


エルサは、

その二面性を初めてはっきりと見た。


(この人は……

 状況を悲観するために

 “絶望的”と言うんじゃない)


(最悪を見てから、

 “大丈夫”と言う人だ)


テオドールは、

何も言わなかった。


ただ、

その言葉を覚えておくことにした。


――大丈夫。

――絶望的状況。


どちらも、

同じ口から出る。


それが、

ルドヴィコという商人だった。

技術は、問題を解決する。

だが、解決したあとに残るものまでは、

選べないことが多い。


助けたからこそ生まれる責任。

関わったからこそ、逃げられなくなる関係。


「大丈夫」と言える人間は、

たいてい、その前に

「絶望的状況」を一度見ている。


馬車は、また動き出した。

だが――

ここから先は、

止まる方が難しい道になる。

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